檀家の92歳の婆様が一昨日、他界を。糖尿病で足の切断話が出たすぐあと、バイ菌が元で急死を。枕経に伺うと、斎場の社長さんが「住職。申し訳ありませんが、ご遺体の横に、別のご遺体が」「どうしたの」「この仕事を長年しておりますと、どんどん家族の絆が希薄になってきたを肌で感じます。この仏さん(別のご遺体、老婆)も、家族に置きっぱなしにされ、お寺さんも来ません。頼んでない様で。お寺もお寺で昨今は、お布施の額が少ないと、来ないお寺も。この国はどうなってしまったんでしょうね。この別のご遺体ですが、ここに安置させてもらっていて、大丈夫ですか」と。「大丈夫だよ。それじゃ、一緒に供養してあげようかね。これも縁だから」と。何か、可哀想だね。
この斎場の社長さんは、お金のないご家族の葬儀を、時折拙僧に依頼を。この依頼で過去に、1000円で葬儀をさせてもらった事が、数回あります。ご遺族には「阿弥陀さんのただ使いは、あかんよ。故人も恐らく『申し訳ない』と肩身が狭いはず。百円でもいい、千円でもいいから、お布施をしなさいや」と。このご遺族の方々、必ず数年後に「あの時は、お世話になりました」と、1万円(精一杯の気持ちなんでしょうね)を包んでお寺に。忘れていない気持ちが、有り難いですよね。
贅沢三昧な生活、ギャンブルなどして、その時(葬儀)になってお金がないという人。慎ましく生活をされて、その時(葬儀)になって『お寺に迷惑を掛けない様に』ときちんとされる人。檀家の中にも様々おります。それが子孫の姿に見事に出ておりますね。親の後ろ姿で子供は育っていきますので。因みに、生活保護受給者の葬儀は、国からの援助があるので、よく調べてみて下さい。
さて、この他界された92歳婆様の孫の話をここで。この孫達が11歳、9歳、5歳の時、道路拡張で家が立退に。その時、父親が立退料数千万円を持って逃走。その後、母親と3人の子供は、農家の道具入れ小屋で生活を。不憫に思った母親は、子供達を孤児院に。母親だけがその小屋に戻って生活を。その小屋で糖尿病が悪化し、母親は他界を。
その11歳の長女が、16歳になった時にお寺へ。「高校は」と尋ねると「行きませんでした。今、働いています」「そうか、大変だな」「大人の世界(社会)に入って、1つ感じた事があります」「なんだい」「文句や不平不満を言える人達は、まだ余裕があるんなんだな、と。私には、不満を言う余裕などありません。弟と妹に辛い思いをさせたくないし、上の学校にも行かせたいので」と。この長女さん、その後、弟と妹を高校に行かせ、2人の結婚の助力(費用も含)までも。自分は独身のままで。
その長女が、この度の婆様(母親側の母)の葬式に、懐妊姿で参列を。約5年振りの再会。思わず、拙僧「おっ、そうか。よかったな」と声を掛けると「この人が夫です」と、えろう優しそうな男性を拙僧に紹介してくれました。苦労してきた甲斐があったかな。