1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人性に】私の親は2人。その2人の親には4人の親が。1+2+4+8、と20代遡ったら100万人越えに。1人でも欠けていたら今、私はここには。

2022-12-11 14:24:51 | 法話
12月に入って2つの家族が「そちら(拙僧のお寺)の噂を聞いて、納骨堂の契約を願いたいのですが、何か規定がありますか」と。「はい。契約書の中に『当寺の納骨堂は、要らない物を捨てる場所に非ず。姥捨山状態にしたら、遺骨は引き取って頂きます』との記載が。その書類に署名捺印を」と話すと、2度と連絡が。

【追伸】
自分の意に沿わねば、納骨堂の契約をしなければいいだけ。この様な申し入れ者は、結構に多いですね。対話をしていると、遺骨を置き捨てる気満々であるが、ありありと見えてくる。実際に過去、10年以上放置していた2つの家族に遺骨を突き返しました。が、数日後、遺骨を持ってお寺に。「2度とこの様な親不孝はしませんから」と謝罪に。対し、拙僧「他の檀家さんは皆、先祖を大切にしております。あなたの家族だけ、先祖にこの様な仕打ちを。本堂に上がって手を合わせて下さい、とまでは言いません。せめて、自分の祖父母、父母には足を運んで来て、声掛けを」と。その後は、月に1度は納骨堂に足を。どんな心で来てるかは知らんですよ。「あの坊主、うるせえ。足を運んどきゃ、文句ねえだろ」かもしれません。が、人はそれが習慣になれば、今度は足を運ばにゃ、気になり始める。住職は檀家に、習慣付けさせる事が役目。如何に煙たがられようと、嫌われようと、先祖がほったらかされるよりは、マシかな。

【追伸】
看護師協会から講演依頼があり、何度か足を運ばせて頂いた事が。その時に聞いた話が衝撃的でしたね。親の他界を子供に知らせても、一向に迎えに来ない。再度、知らせると「要らん」と引取り拒否を。子供がそうするからには、そうするだけの理由があるが、死体は自分で歩いて火葬場には行けない。子供(遺族)が動かにゃ、誰かが動く事になる。親子喧嘩に第三者は、何の関係もない。昨今は、勿論、一部ではあろうが、火葬場に遺骨を置き捨ててきたり、電車の中や野原、散骨と言って、海水浴場の波打ち際にばら撒いたりと。信じ難いのが、生ゴミ置き場に遺骨を。ご丁寧に埋葬許可証を抜き取って。住職、名前が記載をされてますからね。こんな状況を幼い子供達が見て、命の尊さを知る事が出来ようはずがない。いい加減な親から、いい加減な子供が育ったんなら、問題は起こらないんです。親と同じ様にいい加減な事をするからね。問題は、いい加減な親から、まともな子供が育った時にて。親のいい加減さに苦しむ子供を拙僧、これまでに何人も相手をしてきました。国を良くしようと思ったら、まず、家庭(人材育成)から。