1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 檀家の中学生が「人間が地球上で生活をしてもいいと、許されている領域って、どこまでなんだろう。どう思う、住職」と。

2022-12-28 21:31:54 | 法話
【 石川五右衛門が辞世で「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は付きまじ」と。1人の人間の誕生と共に、1つの新たな欲もまた、この世に誕生を。政治は、人間の欲を相手の仕事にて。シーソーの様に、どちらかが上がれば、どちらかが下がる、そのバランスをとるが、政治の仕事かな。大変な仕事であるに、間違いはないよね 】

檀家の中学生男子が「どうして、国と国は、仲良く出来ないんだろ。国民レベルでは、皆、仲が良さそうなのに。国と国の喧嘩というより、どう見たって、トップ(主席)同士の喧嘩(欲の張り合い)でしょ。それに民衆が巻き込まれて(洗脳も含)、尊い命を。住職が時々法話で『自分の物でないから、死んで逝く時、伴侶も、子供も、家も、土地も、お金も、何もかんも、この世に置いていかにゃならん』と。その国のトップも、いつかは死んで逝くのに、何をそんなに執着してんだろ。実績かな、名誉かな、と。

この中学生に「某田舎町で拙僧、地鎮祭の最中、すぐ近くの家で爺様同士が鍬を振り上げ、大喧嘩がおっ始まった。どうも、農具(鎌)がほんの少し、片方の爺様の土地に入って置かれていたが、喧嘩の原因と」「えっ、そんぐらいの事で」と、この中学生が。「恐らく、積年の恨みが、爺様同士であるんだろうな。隣同士は利害関係が直だから、些細な事で揉める事が多い。国家間もやはり、隣国同士は難しいかな」と。

この中学生が「住職さ、僕、偶に思うんだけど『人間が地球で生活する事を許されている領域って、どこまでなんだろか』と。自力で呼吸が可能な範囲と考えるなら、歩いて登頂出来る8848メートルのエベレストまでかな、とか。下は(海底)は、素潜りが出来る深さまでかな、とか。なんにせよ、人(部外者)が踏み込んではいけない領域って、あるはずだよね。親子や夫婦の間でも、踏み込んではいけない領域がある様に。どうしてもその領域に用事があるなら、そこで生きている生物には、迷惑を掛けちゃいけないよね」「そうだよな。地球は人類だけの物と言わんばかりに、高飛車に構え、圧倒的に多い他生物(地球の生物の7割は昆虫)の存在を無視。好き放題してきたツケが今、大自然からの報復(地震、台風、ウイルス、など)という形で、欲深い人類に鉄槌を、かな。これだけ方々の藪(やぶ)を突きまくりゃ、そりゃ、あっちこっちから、蛇も出てくるわな。分相応に生きるという事を、もう大概、学んでもいい様な気がするが、人類は」と。