回復期病棟を出てから1年9ヶ月の間、父は、高齢者住宅で、リハビリを兼ねての生活を送ってきました。
そして、64歳の誕生日を自宅で迎えられるよう、前日の1月26日、ついに父は実家に戻ってきました。
脳炎により危篤状態になったのが、平成21年10月、あれから2年と3ヶ月余りの月日が流れていました。
父が実家で生活出来るのか見極めるため、3月まで高齢者住宅の契約を続けることにしましたが、実家でも良いケアマネージャーさん、ヘルパーさん、訪問リハビリの先生に恵まれ、順調に生活はスタートしました。
ただ、高齢者住宅と違って一人でいる時間が長いため、私は、出来るだけ毎日、実家に帰るようにしました。
父は、訪問リハビリの先生と一緒に、裏庭に畑を作ることにしました。
先生に野菜の苗をいただき、育て方を教えてもらい、一緒に土から作っていました。
元々、凝り性の父でしたが、本を読んだりしながら、本格的に野菜を作り始めていました。
土など必要なものは、私と一緒にホームセンターに買いに行っていたのですが、ある日、大量に土が増えていることに気付きました。
父にどうしたのか聞くと、「畑を増やすから、車で買いに行ってきたで」と、事も無げに答えました。
車の鍵のある場所も、運転の仕方も、ホームセンターの道順も、全く問題なく覚えていて、普通に車を運転して、買い物に行ってきたようです。
「なやクリニック」の先生から、兵庫に脳損傷者が運転可能であるかテストをしてくれるところがあると聞いていたので、いずれはそこでテストをしてもらおうと思っていたのですが、まだまだ、何かが起こったときに、通常の反応が出来るとは思えません。
「手も足も少し麻痺が残ってるし、脳も、もっともっとこれから良くなっていくから、もうちょっと我慢して!今、無理して事故を起こしたら、お父さんの命もそうやけど、相手も、命を落としたり、高次脳機能障害になるんやで。お父さんが、その辛さ、一番分かってるやろ!」
私は、父を説得し、車を知人に預かってもらうことにしました。
私が、しょっちゅう実家に来ているし、どうしてもの時はタクシーを呼べばいいのですが、本人はものすごく不服そうでした。
「ちょっとした買い物に行きたいだけや」というのです。
田舎なので、歩いて行くのも遠いというので、がっちりとして安定感のある電動自転車を買いました。
リハビリの先生に練習してもらい、近所限定で乗ってもらうことにしました。
運転のように長年身に染み込んだものは、しっかり体が覚えているのですね。
通い慣れた実家の近くの道も、迷うことはないようです。
自宅に帰ると、出来ることがいっぱい出てきます。
そして、出来そうに思っていたことが、出来なかったりもします。
父は、実家のコーヒーメーカーのフィルターに、コーヒー豆を挽いたものではなく、インスタントコーヒーをセットして飲んでいたのです。
米びつからボタンを押してお米を計る方法が分からなかったり、便利な電化製品の使い方は、全く分からなくなっていました。
分からないことが分かれば、一つ一つ手順書を作り、そばに貼ってあげれば出来るようになります。
ただ、父は、分からなかったこと、困ったことを覚えていることが出来ないので、その時そばにいなければ、私が気付かないこともたくさんあったと思います。
それでも、父は、自宅での生活を楽しんでいるように見えました。