高次脳機能障害を持つ父が自宅で生活することを、私が決断したのは、父が「なやクリニック」の高次脳機能デイケアで訓練を受け、納谷先生からも、ヘルパーさん達のサポートを受けながら、自宅で生活することは可能だと言われたからでした。
また、高齢者住宅での生活も落ち着き、食事などの簡単な家事も自分でこなすようになったからでもありました。
何よりも、実家で生活している弟の存在があったからかもしれません。
弟は、高校生の時に不登校になり、それから色んな経過がありましたが、いわゆるひきこもり状態のまま現在に至っています。
その理由は単純なものではなく、簡単に説明できるものでもありません。
ただ一つ言えることは、彼は、私にとって大切な大切な家族であるということです。
その彼は、父が実家に帰ることに強く反対していました。
一言で言えば、「時期尚早」と。
確かに、ケアマネージャーさんやヘルパーさん、リハビリの先生が一緒にいてくれる時間は限りがあり、自由度の高い自宅での生活では、衝動的に行動したり記憶がしっかりしないというのは、大きな不安材料です。
でも、高齢者住宅で生活していても、これ以上障害自体の回復は望めず、自宅での生活の中で新たに生活スキルを積み上げていくしかないと、私は思いました。
弟は、「自宅での(父の)生活に一切関与しないし、責任も持てない」と言い、事実、私が実家にいない時に、弟が部屋から出て父と一緒にいることはありませんでした。
それでも、父の様子がおかしい時には、すぐに私に連絡をくれるので、私は、随分助けられました。
例えば、父が、セールスマンを自宅に上げ、話しこんでいるとき。
父は、3回も、色んな業者と太陽光発電の契約を結んでしまいましたが、弟のおかげで、早期に解約することが出来ました。
父が車に乗っていることも、弟が何かおかしいと教えてくれたので、問題が起きる前に知人に車を預かってもらうことが出来ました。
また、父が畑仕事をしていて、裏庭の崖から落ちたときも。
父は、自分で救急車を呼び、病院に運ばれましたが、その事実を弟から聞き、いち早く病院に駆けつけることが出来ました。
幸い、父は鎖骨の骨折だけで、3週間ほどの入院ですみました。
弟の言うとおり、「時期尚早」だったのでしょうか?
でも、万全の状態になることが望めないなら、いつ自宅で生活できるようになるのでしょう。
父が自宅に帰ってから、私は、いつも、これで良かったのかと悩みながら、父が無茶しないかと心配し、気の抜けない生活を送っていました。