父が亡くなったのは、息子が小学1年生の11月でした。
息子は、通常学級に在籍し、週1回通級教室に通って、苦手なところをフォローしてもらっていました。
2年生になってからは、大阪府の行っている「こども発達支援センターSun」の療育に参加させてもらうことになりました。
Sunでは、PEP-3の検査によって、息子の苦手を明らかにし、それに応じて、月3回の療育+月1回の保護者指導を1年を通じて受けることが出来ました。
担任の先生、通級の先生、Sunの先生方と連携を取りながら、悩んでは相談して・・・の繰り返しで、親も子も一歩ずつ進んできました。
父の一周忌の準備をしていた時です。
ふと、今私が、多くの人達に支えられながら、息子の障害と正面から向き合えるのは、父のお陰だと思いました。
父の突然の病。高次脳機能障害が残り、変わり果てた父に、私はどうしたらよいのか途方にくれるばかりでした。
無力だった私を支え、励ましてくれた人達。父がもたらしてくれた多くの出会いが、私自身をも変えてくれていたのです。
実は、私は、5歳の時に両親の離婚で実の母親と別れなければならなくなり、それ以来、父にも育ての母にも、「甘える」ということが出来なくなってしまいました。
もちろん、育ててもらって恩あるのは当然なのに、「親の力なんか借りるものか」とばかりに、以前の私は肩肘を張って生きていました。
父自身、自分の力で生きてきたせいか、「努力すれば、自分の力で何でも出来る」と、私達子どもに対しても、出来ないことを責めることはあっても、出来る方法を一緒に探してくれるようなことはありませんでした。
人に頼ることが大嫌いだった父が、自分では何もできなくなって、努力だけではどうすることも出来ない障害を持つようになって、私を多くの人達と結びつけ、その人達の力を借りながら困難を乗り越えていくということを教えてくれたのです。
そう思った時、私の心の奥にあったわだかまりがとけて、生まれて初めて、父に心から感謝することが出来ました。
父が脳炎を患ってからの3年余り。苦しくて大変だった時間が、かけがえのない大切な時間に変わりました。
その大切な時間を生き抜いてくれた父の遺影に涙があふれ、
「ありがとうございました」と伝えた時、
「生きてて良かった!」
そう、父の声が聞こえたような気がしました。
そして、父から孫である私の息子への贈り物。
そう遠くない未来に、息子に伝えるでしょう。
障害を克服するということは、障害をなかったものにすることではなく、一つ一つの困難に対して、よりよき対処方法を探し出し、障害に負けずに生きていくことだと教えてくれました。
困難を克服しようと、懸命に挑戦する。苦しい時も、悔しい時も、一歩一歩進んでいく。
だからこそ、障害を持って生きる人たちを「チャレンジド」と呼ぶそうです。
息子よ、これから先、楽しいことばかりでなく、辛いこともいっぱいあるでしょう。
たとえそれが、どんなに最低・最悪だと思えるときがあったとしても、いつか必ず、全てが意味のある大切な時間に変わっていく。
負けるな! 希望を持て!!