イエス・キリストは100匹の羊の内の1匹の羊が迷い出ても探し、連れ戻す優しい羊飼いの例え話をし、そのような羊飼いのような方が神エホバでることを教えられました。そのようなエホバ神は「小さな者(イエスの弟子たち)の一人が滅びるのは、天におられるわたしの父(エホバ)にとって願わしいことではありません」と述べ、一人一人に深い気遣いをされる方であることを、弟子たちに銘記させました(マタイ18:12~14)。次いでイエスは、人間の不完全さのために兄弟がイエスの追随者・クリスチャンに罪を犯した場合の対応の仕方・手順、つまり指針を与え、次のように教えられました。
「さらに、もしあなた方の兄弟が罪を犯したなら、行って、ただあなたと彼との間でその過ちを明らかにしなさい。彼があなたの述べることを聴くなら、あなたは自分の兄弟を得たのです。しかし、もし彼が聴かないなら、あなたと一緒にあと一人か二人を連れて行きなさい。一切のことが二人または三人の証人の口によって確証されるためです。もし彼がそれらの人たちの述べるこを聴かないなら、会衆に話しなさい。もし会衆の告げることさえ聴かないなら、その人を、あなたにとって、諸国民の者また収税人のような者としなさい」(マタイ18:15~17)。
「あなた方に真実に言いますが、何であれあなた方が地上で縛るものは天において縛られたものであり、何であれあなた方が地上で解くものは天において解かれたものです。再びあなた方に真実に言いますが、地上にいるあなた方のうちの二人が、どんなことでも自分たちの請い願うべき重要な事柄について同意するなら、天におられるわたしの父(エホバ)によって、それはその二人のためにそのようになるのです。二人か三人がわたし(イエス)の名において共に集まっているところには、わたしもその中にいるのでです」(マタイ18:18~20)。
イエスは兄弟との間で不完全さゆえに大きな論争が生じ、兄弟があなたに罪を犯した場合の対応の指針を明らかにされています。まず第一には、罪を犯された兄弟が一人で行って、当事者同士で過ちを明らかにするように助言しています。罪を犯した兄弟が自分の罪を認めない時は、第二に、一人か二人の証人を伴って行き、罪を明らかにするよう促しています。それでも罪を犯した兄弟が、やはいり自分の罪を認めないなら、第三に、その問題を「会衆」に、つまり、司法上の決定を下せるクリスチャン会衆内の責任ある監督たちのところに持って行くように助言されています。それでも、罪を犯した人が、会衆の監督たちの決定に従わないなら、その人を「諸国民の者また収税人のようにしなさい」、つまりクリスチャンの特権を取り上げるようにしなさいと、イエスは指針を与えられました。
クリスチャン会衆の監督たちは、そのような司法上の決定を下す時、エホバのみ言葉にある指示にしっかり付き従う必要があります。そうすれば、彼らがある人を有罪とし、処罰に値するとみなす時、その裁きは「すでに天において縛られたもの」となります。また、「地上で解く」、つまり人を無罪とみなすとき、それはすでに「天において解かれた」ものとなります。そのような司法上の決定の審議の場に、「二人か三人がわたしの名において共に集まっているところには、わたしもその中にいる」と、保証の言葉を与えて下さっています。神エホバのご意志を行う時に、いつもイエスは傍で支え続けて下さっているのです。
台風の 前の静けさ 夜に入る 今日の一句
姉妹の鉢植えの「バラ」