クロコスミアの花はグラジオラスに似た草姿です。花柄の色は赤と橙と黄色があります。花図鑑では原産地は南アフリカと紹介されています。花期は7月~8月です。用途は切り花、庭植えです。花言葉は「気品」です。
今日はクロコスミアとオミナエシにジャノメ蝶を紹介します。
ご近所に咲いている「クロコスミア」
庭に咲いている「オミナエシにジャノメ蝶」
クロコスミアの花はグラジオラスに似た草姿です。花柄の色は赤と橙と黄色があります。花図鑑では原産地は南アフリカと紹介されています。花期は7月~8月です。用途は切り花、庭植えです。花言葉は「気品」です。
今日はクロコスミアとオミナエシにジャノメ蝶を紹介します。
ご近所に咲いている「クロコスミア」
庭に咲いている「オミナエシにジャノメ蝶」
イエス・キリストは使徒ペテロが、「すべてのものを後にして、あなた(イエス)に従ってまりました」と述べ、イエスの弟子たちにどのような報いがあるのか、と尋ねたことに対して、イエスは弟子たちに再創造のさい、つまりこの地上がエデンの園のような楽園が回復される時に、天の神の王国政府でイエスと共に地上の臣民を導く支配者になリ、永遠の命を受け継ぐ約束を与えられました。そして「多くの最初の者が最後に、最後の者が最初になる」と約束されました(マタイ19:27~30)。イエスはそれらの約束の説明に加えて「ぶどう園の働き人たち」の例え話をされました。この話にはどのような重要な意味があるのでしょうか。この話を理解する上で、家あるじ・ぶどう園の持ち主はエホバ神、ぶどう園はイスラエル国民、ぶどう園の働き人たちは、エホバの律法契約に入れられた人々で、特に使徒たちの時代に生きているユダヤ人を表していることを念頭においてくだされば幸いです。加えて当時の賃金契約は、丸1日働く人たちだけが結ばれます。賃金は1日の仕事対して誰にも公正に1デナリです。「第三時」とは午前9時のことなので、第三時、第六時、第九時、第十一時に呼ばれた働き人たちは、それぞれ9時間、6時間、3時間、1時間だけ働き、各自の賃金契約に基づき、それぞれ1デナリの支払いをします。これらを理解し、次のマタイの福音書をお読み下されば大きな助けが得られるでしょう。
「というのは、天(神)の王国は、自分のぶどう園に働き人を雇うため朝早く出かけた人、つまりそのような家あるじのようだからです。彼(家あるじ)は、働き人たちと一日一デナリということで合意すると、彼らを自分のぶどう園に送り込みました。第三時ごろにも出て行き、ほかの者たちが仕事をしないで市の立つ広場に立っているのを見ました。そこでその人たちに言いました。「あなた方もぶどう園に行きなさい。何でも正当なものをあげますから」。それで彼らは出かけて行きました。家あるじは、第六時と第九時ごろにも出て行って、同じようにしました。最後に、第十一時ごろに出て行き、ほかの者たちが立っているのを見つけました。それで彼らに言いました、「なぜあなた方は仕事をしないで一日中ここに立っていたのか」。彼らは言いました、「だれもわたしたちを雇ってくれなかったからです」。家あるじは言いました、「あなた方もぶどう園に行きなさい」。
夕方になったとき、ぶどう園の主人は管理の者に言いました。「働き人たち呼んで、賃金を払いなさい。最後の者から始めて順に最初の者にまでゆきなさい」。第十一時の者たちが来て、各々一デナリを受けました。それで、最初の者たちが来たとき、自分たちはもっと受け取るものと考えました。ところが、彼らもやはり一デナリの割で支払いを受けました。それを受けると、彼らは家あるじに向かってつぶやきはじめ、「これら最後の者は一時間働いただけだ。それなのに、あなたは彼らを、一日の重荷と焼けつく暑さに耐えたわたしたちと同等にした!」と言いました。しかし家あるじは彼らの一人に答えて言いました、「君、わたしはあなたに何も不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリで合意したではないか。あなたの分を受け取って,行きなさい。わたしはこの最後の者にもあなたと同じように与えたいのだ。わたしが自分のもので自分の望むことを行ってもよいではないか。それとも、わたしが善良なので、あなた方の目はよこしまになるのか」。このように、最後の者が最初に、最初の者が最後になるでしょう」」(マタイ20:1~16)。
当時12時間働く人々は、宗教上の奉仕に絶えず従事してきたユダヤ教の指導者たちを表しています。彼らは、生活の大分を漁業や世の世俗の仕事に費やしていたイエスの使徒たちのようではありません。「家あるじ(エホバ神)」は、西暦29年の秋になって初めてイエス・キリストを遣わし、それらの人々を遣わし、それらの人々を集めてイエスの弟子としました。こうしてイエスの弟子たちは「最後の者」、つまり第十一時に呼ばれたぶどう園の働き人になりました。
ついに、象徴的なぶどう園の仕事日がイエスの死と共に終わり、働き人たちに支払いをする時が来ます。異例な取り決めに従って、最後の者が最初に支払いを受けました。最後の者も最初の者も合意された一デナリの賃金が支払われました、ところが最初の者たちは家あるじに不平をつぶやきました。当然ながら家あるじは最初の者たちに何も不当な事はしてなく、合意に基づき行っていることを伝えられました。イエスはこのたとえ話の要点を繰り返し、「最後の者が最初に、最初の者が最後になる」と言われました。
一デナリを受け取るのは、イエスが亡くなられた時ではなく、「管理の者」であるキリストが自分の弟子たちの上に聖霊を注がれる西暦33年のペンテコステの時です。それらイエスの弟子たちは「最後の者」、すなわち第十一時の働き人たちのようです。デナリは聖霊の賜物それ自体を表しているわけではありません。デナリはイエスの弟子たちがこの地上で用いるものです。それは、イエスの弟子たちの暮らしや永遠の命を意味するものです。それは神の王国の良いたよりを宣明するために油注がれた霊的なイスラエル人になるという特権です。
最初に雇われた人たちはやがて、イエスの弟子たちがデナリの支払いを受けたことに気づきます。最初の者のつぶやきや不満は、ぶどう園の最後の者・働き人たちである、キリストの弟子たちを迫害するという形ります。
イエスのぶどう園の働き人たちの例えの話の成就は、1世紀当時だけではなく、20世紀のキリスト教世界の僧職者たちに成就しました。キリスト教世界の僧職者たちは、その立場ゆえに象徴的なぶどう園の仕事のために雇われた「最初の者」となって来ました。彼らはイエスの真の弟子たちを「最後の者たち」とみなしました。しかし、実際には、デナリ、すなわち天の神の王国政府の油注がれた大使として仕えると言う誉を受けたのは、その僧職者たちが見下げた、まさに「最後の者たち」、つまりエホバの証人の天的な希望を持つ油注がれたクリスチャンたちだったのです。
配達人 小走り続く 梅雨の中 今日の一句
姉妹の鉢植えの「グラジオラス」