イエス・キリストは仲間を許すことに関し、神エホバが私たちに憐れみを示し、心から許してくださっていると同じように憐れみ深く許すことの重要性を教えられました(マタイ18:23~35)。イエスは山上の垂訓の始めの言葉の中で、「憐れみ深い人たちは幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです」と教えられていた通りです(マタイ5:7)。憐れみ深い人たちは、神エホバから憐れみを受けるのです。次いでイエスは、パリサイ人たちが何とかイエスを誘惑しようととして、妻を離婚する場合、どんな根拠による場合でも許されるのか、と尋ねた時に、配偶者を離婚することができる理由は姦淫を犯した時のみであることを説明された場面が、マタイの福音書に次のように記されています。
「さて、これらの言葉を語り終えてから、イエスはガリラヤを出発し、ヨルダンを超えてユダヤの国境地方に来られた。また、大群衆が彼(イエス)のあとに従い、イエスはそこでその人々の病を治された。
すると、パリサイ人たちがそのもとにやって来て、何とか誘惑しょうとして、こう言った。「人が自分の妻を離婚することは、どんな根拠による場合でも許されるのですか」。イエスは答えて言われた、「あなた方は読まなかったのですか。人を創造された方(エホバ)は、これを初めから男性と女性に造り、「このゆえに、人は父と母を離れて自分の妻に堅く付き、二人は一体となるのである」と言われたのです。したがって、彼らはもはや二つではなく、一体です。それゆえ、神(エホバ)がくび木で結ばれたものを、人が離してはなりません」。彼ら(パリサイ人たち)は言った、「では、なぜモーセは、離婚証書を与えて妻を離婚することを規定したのですか」。イエスは彼らに言われた、「モーセは、あなた方の心のかたくなさを考え、妻を離婚することであなた方に譲歩したのであり、初めからそうなっていたわけではありません。あなた方に言いますが、だれでも、淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は、姦淫を犯すのです」。
弟子たちが彼(イエス)に言った、「妻に対して男の立場がそのようなものであれば、結婚することは勧められません」。イエスは彼ら(弟子たち)に言われた、「すべての人がそのことばを受け入れるわけではなく、ただその賜物を持つ人たちだけがそうします」。母の胎からそのように生まれついた閹人があり、人によって閹人にされた閹人がおり、天(神)の王国ゆえに自ら閹人とした閹人がいるのです。それ(閹人、つまり独身)を受け入れることのできる人は受け入れなさい」(マタイ19:1~12)。
イエスはパリサイ人たちの誘惑に乗ることなく、偉大な創造者エホバの結婚の取り決めを、み言葉を用い説明しました。イエスの説明からお分かりと思いますが、配偶者を離婚することができるのは、はなはだしい性の不道徳、つまり姦淫を犯したときのみが離婚の唯一の根拠になることを示されました。ご承知の通り、現在の社会は、結婚の創始者のエホバの教えを破り、「肉の業」の姦淫、淫行が蔓延していますが、これらを習わしにする者は命の処断にはいり、神の王国を受け継ぐことはありません(ガラテア5:19~21)。結婚を考えている人は、神エホバの教えを熟考し、結婚の絆の永続性を真剣に考慮しなければなりません。
次いで、イエスは独身について話されました。イエスは結論として「それ(独身)を受け入れることのできる人は受け入れなさい」と、教えられました(マタイ19:12)。神の王国の奉仕のために独身を受け入れることのできる人は、イエスの言葉の通りに、神エホバは独身を受け入れれているのです。
ウグイスや 奉仕の業に 注ぎ鳴く 今日の一句
庭に咲いている「桔梗」