イエス・キリストはいちじくの木にはりっぱな葉があるものの、実際には良い実を結んでいないために、「永久に実が出ないように」と命じると、そのいちじくの木は「たちどころに枯れてしまった」のです(マタイ21:19)。このいちじくの木の葉は見せかけのものでした。このいちじくの木の葉に相当するのが祭司長と書士たちおよびイスラエル国民でした。このことは、イエスが弟子たちに全き信仰を抱くことの重要性を、いちじくの木を枯らす実例を持って教えらたのです(マタイ21:21,22)。これは、不信仰なイスラエル国民を予示するものとなっています。次いで、イエスは祭司長や民の年長者たちから挑まれました。その時の様子がマタイの福音書に次のように記されています。
「さて、神殿に入られると、祭司長と民の年長者たちが、イエスの教えておられるところにやって来て、「どんな権威でこうしたこと(悪徳商人を神殿から追い出し、神殿を清める行為)をするのか。そして、だれがあなたにこの権威を与えたのか」と言った。イエスは答えて彼らに言われた、「わたしも、あなた方に一つのことを尋ねます。あなた方がわたしにそれを言うなら、わたしもあなた方に、どんな権威でわたしがこれらのことを行うかを言いましょう。ヨハネによるバプテスマ、それはどこから出たものでしたか。天からでしたか、それとも人からでしたか」。ところが、彼らは互いに論じはじめて、こう言った。「我々が、「天から」と言えば、彼(イエス)は、「では、なぜ彼を信じなかったのか」と言うだろう。だが、「人から」と言えば、我々にとっては群衆が怖い。彼ら(群衆)は皆ヨハネを預言者と見ているからだ」。それで彼らは、イエスに対する答えとして、「わたしたちは知らない」と言った。そこでイエスは彼らに言われた、「わたしも、どんな権威で自分がこれらのことを行うかを、あなた方には言いません」(マタイ21:23~27)。
宗教指導者たちの祭司長と民の年長者たちは、イエスの質問に対して、心がよこしまな推論によって正しく答えるのはやめ、「わたしたちは知らない」と答えました。イエスは不正直な宗教指導者たちと、同じように、ご自分がどんな権威で業を行っているのかの答えを提供しませんでした。このイエスの対応の仕方から学べるのは、私たちによこしまな態度で質問する人には、真理を証しする必要がない、ということです。イエスは豚に神聖なものを投げ与えてはなりません、と教えられた通りです(マタイ7:6)。
夏花火 一瞬の花 消え去りぬ 今日の一句
妻の育てる「キュウリ」