イエス・キリストは配偶者を離婚することができる根拠を甚だしい性の不道徳、姦淫を犯した時のみであることを明らかにされました(マタイ19:1~9)。続いてイエスは、神の王国を第一にするゆえに独身を受け入れることができる人は、独身でいることを受け入れるように教えられました(マタイ19:10~12)。次いでイエスは、神の王国は幼子のような者たちのもの、と述べ、幼子のような謙遜でいるで教えやすい者でなければならないことを教え、幼子の頭の上に手を置き、愛を表されました。次のようにマタイの福音書に記されています。
「その時、幼子たちが彼(イエス)のところに連れて来られた。手をその上に置いて祈りをしていただくためであった。ところが弟子たちは彼ら(幼子たち)をたしなめた。しかしイエスはこう言われた。「幼子たちを構わずにおき、わたしのところに来ることを妨げるのをやめなさい。天(神)の王国はこのような者たちのものだからです」。こうして、手をその(頭の)上に置いてから、そこを去って行かれた」(マタイ19:13~15)。
上の聖句には、人々がイエスのもとに幼子たちを連れて来るようになり、それはイエスに祈っていただき、祝福を受けるためであったことが記されています。ところが、イエスの弟子たちが、不必要なストレスからイエスを守りたいという動機からだと思いますが、幼子たちを叱って追い払おうとしました。しかしイエスは幼子たち自分のところに連れてくるように、と促し神の王国は「このような者(幼子)たちのものだからです」と話し、ご自身の手を幼子の頭の上に置き、祝福し去って行かれました。
イエスは、ここで何と優れた教訓を与えておられるのでしょう。神の王国を受け継ぐには、幼子たちのような謙遜さと教えやすさに倣う必要がある、教えておられたのです。さらにイエスは忙しくしておられても、ご自分の手を幼子たちの頭の上に置き祝福し、愛を示されました。私たちはイエスの残された優れた模範の手本にも見倣う必要があるのです(ペテロ第一2:21)。
向日葵や 病む兄弟を 励ましぬ 今日の一句
庭に咲いている清々しい「白ムクゲ」