詩編68編の最後には、神エホバは「畏怖の念を抱かされる方であり、・・・神(エホバ)がほめたたえられるように」と記されていました(詩編68:35)。それは、神エホバが私たちの重荷を負ってくださる方であり、救いを施される神であり、主権者なる主であられる方だからです(詩編68:19,20)。私たちの命はエホバ神のご意志によって存在しているのですから、エホバ神に栄光と賛美を帰される方は幸いです(啓示4:11)。今日紹介する詩編69編1節~12節には、ダビデを理由もなく憎む者が多くなり、救助を祈り求める言葉が記されています(詩編69:1,4)。ダビデの固い信仰に立ち、エホバ神に何時でも心を注ぎ出し祈る言葉に、私たちも見倣うことが出来ます。
詩編69編1節~12節には次のように記されています。皆様方はみ言葉の中からどのような宝を見いだされるでしょうか。
”ゆり”の指揮者へ。ダビデによる。
「神(エホバ)よ、わたしを救ってください。
水がわたしの魂(命)にまで迫って来たからです。
2 わたしは深い泥の中に沈んでいました。
そこには立つ場所もありません。
わたしは底の深い水にはまり込み、
水流がわたしを流し去りました。
3 わたしは呼ばわり続けたために疲れ、
わたしののどはかれ、
わたしの目はわたしの神(エホバ)を
ひたすら待ち望んで衰えました。
4 何のいわれもなくわたしを憎む者たちは、
わたしの髪の毛よりも多くなりました。
わたしを沈黙させる者たちは、理由もなく
わたしの敵となっており、
その数は非常に多くなりました。
わたしはそのとき、奪い取ったことも
ないものを返してゆきました。
5 神(エホバ)よ、あなたご自身がわたしの愚かさを
知るようになられました。
わたしの罪科はあなたから
隠されませんでした。
6 主権者なる主、万軍のエホバよ、
あなたを待ち望む者たちが、
わたしのために恥をかきませんように。
ああ、イスラエルの神よ、
あなたを求める者たちが、
わたしのために辱めを受けることが
ありませんように。
7 あなたのためにわたしはそしりを負い、
辱めがわたしの顔を覆ったからです。
8 わたしは自分の兄弟にとっては
疎遠な者となり、
自分の母の子らにとっては
異国の者となりました。
9 あなたの家に対する全き専心が
わたしを食い尽くし、
あなたをそしっていた者たちの
そのそしりがわたしに降り懸かりました。
10 そして、わたしは自分の魂(体)の断食をもって
泣きはじめました。
それはわたしにとってそしりのもとと
なりました。
11 わたしが粗布を自分の衣服とするとき、
わたしは彼らにとって格言的な
ことばとなりました。
12 門に座っている者たちは、わたしについて
関心を示すようになり、
わたしは、酔わせる酒を飲ませる者たちの
歌の題となりました」(詩編69:1~12)。
上の聖句に記されている通り、何の理由もなくダビデを憎む者たちは、「髪の毛よりも多くなりました」と述べていますので、数えることが出来ないまでに多くなったことを明らかにしています。そうした中で、主権者なる神エホバに、エホバの救いを待ち望む忠実な者たちが、恥をかかないように、また辱めを受けることがないように懇願をしています(詩編69:6)。この祈りの言葉から分かるようにダビデは、自分のためだけではなく、自分に従う仲間の者たちのことを気遣う義なる人であることが分かります。このことから分かる通り、仲間の者を代表し、エホバ神に祈ることができることを示しています。あなたも誰か、試練に直面している人を知っているなら、その人のために祈ることが出来ます。ダビデはたくさんの敵するのもたちから、辱められ、そしられる中で、エホバ神に救助を祈り求めました。あなたも、ダビデのように信仰に堅く立つ人のお一人であれば幸いです。
熊本城 銀杏黄葉 輝けり 今日の一句
- 熊本城の大銀杏の黄葉をTV映像を見て -
菊の愛好家の庭植の「菊」