愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

黄色のオキザリスと越後の赤の山茶花

2016-12-21 23:24:15 | 四季折々の花々

 オキザリスの花が可愛く咲いています。

 オキザリスには春咲き、秋咲き、冬咲きがあるようです。

 花期は10月~4月です。

 用途は花壇、鉢植えです。

 花言葉は「輝煌」と紹介されています。

 今日は黄色のオキザリスと越後の赤の山茶花を紹介致します。

                      鉢植えの「オキザリス」

                    新潟の写真家の提供の「山茶花」

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詩編78編の紹介(その4):イスラエルの民は、契約に不忠実であり、確固としていなかった

2016-12-21 21:35:41 | 神の言葉・聖書

 詩編78編22節~32節には、イスラエルの民は荒野で40年間、神エホバによって天からマナが与えられ、食糧が大いに満ち足りるまで与えられながら、彼らはそれを忘れ、エホバの救いの業に信仰を置かず、神エホバに罪を犯したことが記されていました。今日紹介する詩編78編33節~42節には、イスラエルの民は、神エホバとの契約に不忠実であり、確固としていなかったことが記されています(78:36,37)。エホバ神はそうしたイスラエルの民の不忠実な行いによって、神エホバに「痛みを覚えさせた」にも関わらず、民は不完全な人間であることに留意され「憐れみ深く、とがを覆って、滅びをもたらされることはなかった」ことが記されています(詩編78:38~40)。それでも、イスラエルの民は、エホバの救いのみ手の業を思い出すことなく、「聖なる方(エホバ神)に痛みを与えた」ことが記されています(詩編78:41,42)。当時のイスラエルの民の不信仰な姿は、今日の事物の体制の終結前の多くの人々のひな型になっています。

 今日紹介する詩編78編33節~42節には次のように記されています。あなたはみ言葉の中からどのようなを見いだされるでしょうか。

「33 それで、神(エホバ)彼らの日々をあたかも

          呼気であるかのように終わらせ、

       彼らの年を騒乱によって終わらせた。

 34 神が彼ら(反逆の民)を殺すたびに、彼らも

          神を尋ね求め、

       帰って来て、神を捜し求めた。

 35 そして、神(エホバ)が自分たちの岩であること、

       至高者なる神(エホバ)が自分たちのために

          復しゅうしてくださる方であることを

          思い出すのであった。

 36 そして、彼らはその口で神(エホバ)を

      だまそうとした。

    その舌で神にうそをつこうとした。 

 37 そして、彼らの心は神(エホバ)に対して

      揺るぎないものではなく

        彼らはその契約に関して

      忠実ではなかった

 38 しかし、神(エホバ)は憐れみ深く、とがを覆って、

           滅びをもたらされることはなかった。

        そして、幾度もご自分の怒りを引き戻し、

        その激しい怒りをことごとく

           かき立てることはされなかった。

 39 また、彼らが肉なる者であること、

        霊は出て行くが、帰っては来ないことを

           思い出されるのであった。

 40 彼らは幾たび荒野で神に反逆し

        砂漠で神(エホバ)に痛みを覚えさせたことか。

 41 そして、彼らは繰り返し神(エホバ)を試し

        イスラエルの聖なる方(エホバ)に痛みを与えた

 42 彼らはそのみ手を思い出さなかった。

        神(エホバ)が自分たちを敵対者から

        請け戻してくださった日のことを」(詩編78:33~42)。

 上の聖句に記されている通り、イスラエルの民は神エホバへの信仰がなく、神エホバに依り頼むことに確固としていないばかりか、神エホバを試し、うそをつこうとしたことが記されています(詩編78:36,37)。イスラエルの民は聖なる方・エホバ神に繰り返し反逆し、痛みを与えたことが記されています(詩編78:41)。イスラエルの民は憐れみ深い神エホバの救いの手を思い出すことをせず、心は契約に関して不実になっていたのです(詩編78:37、38、42)。聖書は、神エホバは侮られるような方ではないので、自分のまいたものは、かならず刈り取る絶対の法則に直面することを、私たちが覚えておく必要があることを教えています(ガラテア6:7)。神エホバは敬虔な専心を喜ばれるのです(ペテロ第二3:11)。

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