ご近所の庭に白のサルスベリの花が咲いています。
サルスベリの花はピンクや淡いピンクや紅が多く、
白の花は少なく、あまり見ることがありません。
我が家の庭のサルスベリの花は華やかなピンク色です。
今日は白のサルスベリと収穫の近づいた稲穂を紹介致します。
ご近所の庭に咲いている「白のサルスベリ」
姉妹の栽培する「収穫の近づいた稲穂」
ご近所の庭に白のサルスベリの花が咲いています。
サルスベリの花はピンクや淡いピンクや紅が多く、
白の花は少なく、あまり見ることがありません。
我が家の庭のサルスベリの花は華やかなピンク色です。
今日は白のサルスベリと収穫の近づいた稲穂を紹介致します。
ご近所の庭に咲いている「白のサルスベリ」
姉妹の栽培する「収穫の近づいた稲穂」
イエスの遣わされて時代に、パリサイ人や書士たちと呼ばれる、自分たちが一番神の教えに通じている、と自認している宗教指導者たちがいました。イエスはこうした人たちを「盲目の案内人」、「偽善者」、「蛇よ、まむしらの子孫」、「人殺しの悪魔サタンからの者」と糾弾されました(マタイ23:1~33.ヨハネ8:44)。彼らは、イエスの行った奇跡の業を目の当たりにしても「心の無感覚さ」を露呈し、イエスを殺そうとしました。イエスは安息日に片手のなえた人を治した時の、パリサイ人たちの反応が次のようにマルコの福音書に記されています。
「イエスはもう一度会堂の中に入られた。すると、片手のすっかりなえた人がそこにいた。それで人々(パリサイ人たち)は、安息日にその人を治すかどうかを見ようとしてじっと彼(イエス)を見守っていた。彼(イエス)を訴えようとしてであった。するとイエスはその片手のなえた人にこう言われた。「立って中央に、来なさい」。次いで彼らにこう言われた。「安息日に許されているのは、善行をすることですか。悪行をすることですか。魂(命)を救うことですか。殺すことですか」。しかし彼らは黙っていた。そこでイエスは憤りを抱いて彼らを(パリサイ人たち)見回したのち、その心の無感覚さを深く憂えつつ、「あなたの手を伸ばしなさい」とその人(片手のなえた人)に言われた。そこで彼(片手のなえた人)が伸ばすと、その手は元どおりになったのである。すると、パリサイ人たちは出て行き、すぐにヘロデの党派的追随者たちと協議を始めた。イエスに敵し、これを滅ぼそうとしてであった」(マルコ3:1~6)。
上のマルコの福音書に記されている通り、パリサイ人たちは、片手のなえた人に哀れみを抱き、イエスにいやしの業を懇願するのではなく、「心が無感覚」で、イエスの行う業に「敵し」、「滅ぼそうとして」協議したことが記されています。そのようにして、彼らは「悪魔サタンからの者」であることを明らかにしたのです。パリサイ人のように心を無感覚にすることなく、イエスの教えられた通り、「心の純粋な人たち」と、見做されるような生き方をしたいものです(マタイ5:8)。
長崎の 原爆記念 鐘の鳴る 今日の一句
道辺に咲いている「フヨウ」