お訪ねした家の庭に珍しい黄色の花びらの山野草が咲いていました。
名称が分かりませんが魅力的な黄色の花びらです。
山野草図鑑を調べると「メマツヨイグサ」の
山野草の花びらに似ていますが、葉が違って見えます。
今日は黄色の山野草と百日紅を紹介致します。
黄色の山野草
道辺に咲いている「百日紅」
お訪ねした家の庭に珍しい黄色の花びらの山野草が咲いていました。
名称が分かりませんが魅力的な黄色の花びらです。
山野草図鑑を調べると「メマツヨイグサ」の
山野草の花びらに似ていますが、葉が違って見えます。
今日は黄色の山野草と百日紅を紹介致します。
黄色の山野草
道辺に咲いている「百日紅」
イエス・キリストの贖いの死を前にした、弟子たち・真のクリスチャンたちに対する深い気遣いの祈りの言葉は、イエスを通して神エホバに仕えることの幸福感に満たされるに違いありません。さらに、イエスの祈りの言葉から、神聖な者として歩む決意が強まると思います。イエスの祈りの言葉を引き続き次の通り紹介致します。
「わたし(イエス)は、彼ら(弟子たち・真のクリスチャンたち)を世から取り去るのではなく、(み言葉を学ばない)邪悪な者のゆえに彼らを見守ってくださるようお願いいたします。わたしが世(み言葉を学ばない一般人類)のものではないのと同じように、彼らも世のものではありません。真理(神エホバの言葉)によって彼らを神聖なものとしてしてください。あなた(父エホバ)の言葉は真理です。あなた(父エホバ)がわたし(イエス)を世に(み言葉を知らない一般人類社会に)お遣わしになったと同じように、わたしも彼らを世に遣わしました。そして、わたしは彼らのために自分を神聖なものとしています。彼らもまた真理によって神聖なものとされるためです」(ヨハネ17:15~19)。
上のヨハネの福音書に記されている通り、イエスご自身がみ言葉の真理によって神聖なものとし、弟子たち・真のクリスチャンたちをみ言葉の真理によって神聖なものとしてくださったことが分ります。それはみ言葉の真理を知らない一般の人々のために真理を証しするために遣わした、と述べておられますので、現在の真のクリスチャンたちは神の王国の真理を証しする努めがあるのです(マタイ24:14;28:19,20)。イエスが祈りの言葉で明らかにされていますので、エホバの証人のクリスチャンたちはみ言葉によって神聖にされていますので、この特権を大切にし、神の王国の良いたよりの真理をいつでもどこでも徹底的に証し続けている方々は幸いです(イザヤ43:10.使徒28:23)。
終戦の 記念日平和 祈り継ぐ 今日の一句
花売り場の少し変わった「サンフラワー」
8月15日は終戦記念日で、各地で平和を求める
祈りが捧げられたに違いありません。
そうした中で15日の午前中には山口県の行方不明になっていた
2歳児が無事に救出されたニュースがあり、
我がことのようにうれし涙が流れました。
九州からボランティアに駆けつけられた方の
深い経験と善意に心から感謝を表したいと思います。
今日は8月11日~15日までに詠んだ俳句を紹介致します。
故郷の 空に横たう 銀河かな
人住まぬ 庭に満開 百合の花
かつおぶし 昔ながらの 冷やっこ
稲穂たれ 黄金色なり 三間(みま)盆地
笑顔にて 稲刈り予定 述べる人
永遠の 平和の誓い 終戦日
2歳児の 救出の報 暑さ飛ぶ
涼を呼ぶ 白の満開 サルスベリ
お訪ねした家の庭の「サルスベリ」
収穫を迎えた豊かな実りの「稲穂」
爽やかな「フヨウ」
道辺に咲いている「ヒノマルムクゲ」
ご近所の庭の「カンナ」
庭に次々と咲く「デュランタ」
道辺に咲いている「キバナコスモス」
連日の猛暑の中で、ウキツリボクが咲いており、
のんびり感を与えてくれています。
こちらでは愛好家が多く、あちこちのお庭で見かけます。
花期は花図鑑では11月~5月となっています。
用途は鉢植えです。
花言葉は「恋の病」と紹介されています。
今日はウキツリボクと白のサンフラワーを紹介致します。
ご近所の庭の「ウキツリボク」
花売り場の「サンフラワー」
イエス・キリストが贖いの死を遂げる前に、み父エホバに祈られた言葉を読むと、深い感謝の念に包まれ、イエスの残された手本に見倣って、エホバのご意志を行うように強められます(ペテロ第一2:21)。イエスの、弟子たち・真のクリスチャンたちに対する深い愛が伝わって来ます。そのイエスの祈りの言葉が次のように記されています。
「そしてまた、わたし(イエス)はもう世にはおりませんが、彼ら(弟子たち)は世におり、わたしはみもと(父エホバのもと)に参ります。聖なる父(エホバ)よ、わたし(イエス)に与えてくださったご自身のみ名(エホバ)のために彼らを見守ってください。わたしと同じように、彼らも(神エホバと結ばれて)一つになるためです。わたしは、彼らと共におりました時、わたしに与えてくださったあなたご自身のみ名のために、いつも彼らを見守りました。そしてわたしは彼らを守り、滅びの子(ユダイスカリオテ)のほかには、そのうちだれも滅びていません。しれは聖句が成就するためでした。しかし今、わたしはみもとに参ります。そして、彼らがわたしの喜びを自分のうちに存分に持つため、わたしは世にあってこれらのことを話しています。わたしはあなたのみ言葉を彼らに与えましたが、世(一般の人々)は彼らを憎みました。わたしが世のものではないのと同じように、彼らも世のものではないからです」(ヨハネ17:11~14)。
イエスの弟子たちに対する深い愛情の祈りの中に、イエスはいつも弟子たちを見守り、み父エホバとみ子イエスは結ばれて一体だったの同じように弟子たち、真のクリスチャンたちも神エホバと結ばれて一体になることを願ってくださっています。現在の真のクリスチャンたちは、イエスの教えられた通り、神エホバに近づき神エホバと共に歩みご意志を行っています。
イエスは祈りの言葉の中で、弟子たち・真のクリスチャンたちは「世のものではない」とは、どういう意味でしょうか。イエスの弟子たち・真のクリスチャンたちは、清い言語のみ言葉・聖書を学び、「肉の業」を避け、霊の実を培い、かつみ子イエスの贖いの犠牲に信仰を働かせ、ご意志を行う清い民、「思慮深い人」として歩み、神の王国と神の義をいつも第一に求めているので、一般の人々とは取分けられている、という意味です(ゼパニア3:9.ガラテア5:19~23.マタイ6:33;7:21、24,25.ヨハネ3:16.ペテロ第二3:14.啓示7:9)。真のクリスチャンたちは常に霊的な必要を自覚しており、幸いな民なのです(マタイ5:3)。あなたもその中のお一人であれば幸いです。
永遠の 平和の誓い 終戦日 今日の一句
聖書研究生の収穫前の豊かに実った「稲穂」