私たち人間は男性も女性も「神の像(かたち)」にくすしく創造されていますので、日々の生活の中で「喜び」を表わすことができます(創世記1:26,27.詩編139:14.ガラテア5:22)。もしも、わたしたちの生活の中で「喜び」が少ない、またはないとすれば、積極的な思考パターンが弱まり消極的な思考パターンに陥り、思い煩いや不平不満の感情や憤りに支配されること、また免疫力が低下し、病気になるかも知れません。では、どうすれば「喜び」を保つことができるでしょうか。皆様方は、どのようにして「喜び」を保っていらっしゃるでしょうか。
「喜び」を保つためには、沢山の方法があると思いますが、わたしたちの造り主・愛と幸福な神エホバの教えを学び適用することをお勧め致します(創世記1:26,27.ヨハネ第一4:8.テモテ第一1:11)。
1.日ごとにみ言葉・聖書を学び、その教えを黙想し生活のあらゆる面に適用することです。そうすれば、喜びが満ちる幸いな人となり、川の流れのほとりの木のように成長し、爽やかで、実を与える人となり、人生に成功します(詩編1:1~3)。
2.神エホバから出る教えの実・霊の実を培うことです。「霊の実は、愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(信仰とは明白な証拠に基づき、抱く期待、希望が保証されていることです)、温和、自制です」(ガラテア5:22,23)。お分かりの通り、「喜び」は霊の実を構成する重要な特質で、神エホバから出る教えの実です。愛が基盤で、愛があれば「喜び」が持続し、永久に立ちます。愛があれば平和な関係を築き、辛抱強さ、親切な特質に磨きがかかります。愛があれば誰にも善良な振る舞いをし、相互に「喜び」を与えます。愛があれば真の信仰に固く立ち、保証された希望は喜びをもたらします。愛は温和に特質を発揮し、謙遜な態度で人に接し、喜びをもたらします。愛は自制心を育みますので、慈しのあるもの、塩で味付けされた言葉を語り、人を築きあげるので「喜び」となります(コロサイ4:6.コリント第一8:1)。さらに「愛は結合の完全な絆」ですから、「喜び」が密着します(コロサイ3:14)。
3.上の霊の実の基盤の「愛」の特質を培うことです。聖書は愛をこのように説明しています。「愛は辛抱強く、また親切です。愛はねたまず、自慢せず、思い上がらず、みだりな振る舞いをせず、自分の利を求めず、刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず、不義を歓ばないで、真実なことと共に歓びます。すべてのことに耐え、すべてのことを信じ、すべてのことを希望し、すべてのことを忍耐します。愛は決して絶えません」(コリント第一13:4~8)。この愛を身に着ければ「喜び」は持続します。
4.イエスが山上の垂訓の中で教えられた「幸いな人」の特質を培うことです。つまり神エホバからの霊的な教えの必要を自覚している人、自分の不完全さ自覚し、不義や不公正を見て嘆き悲しむ人、温和な気質の人、義に飢え渇いている人、憐れみ深い人、心の純粋な人、平和を求める人、義のために迫害される人、いつも神の王国と神の義を第一に求める人、等々の神エホバに喜ばれる人に変化すると、喜ぶことができます(マタイ5:3~12)。
5.利他的な生き方を身に着けることです。イエスは「受けるより与える方が幸福である」と教えられました(使徒20:35)。
6.自己本位になることなく。自分より他の人が上と考える謙遜な人となることです。そうすれば神エホバが喜びを注ぎ込んでくださいます(フィリピ2:3)。
7.真理・み言葉聖書を学び真の自由に導かれ、イエスの教えられた神の王国の良いたよりを宣明し、エホバのご意志を守り行なうことによって喜びが保てます(ヨハネ8:31.マタイ24:14、ルカ4:43.マタイ7:21)。
他にも神エホバからの知恵と識別力を学び身に着けることや勤勉な働きや適切な休息や健全な娯楽や趣味など沢山ありますが、要は霊的な人として成長し続けることです(箴言3:13~18.マタイ5:3)。
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立秋も 過ぎるも異変 猛暑かな 今日の一句
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道辺に咲いている「夏のバラ」