イエス・キリストを最も偉大な人にしたのは何でしょうか。
イエス・キリストはみ父エホバから地上に遣わされ、細心の注意を払って天の父エホバの模範に従われたのでこれまでに存在した最も偉大な人でした。忠実な子供として、み父エホバに極めて正確に見倣われたので、イエスは弟子たちに、「私(イエス)を見た者は、父(エホバ)おも見たのです」と、言うことができました(ヨハネ14:9,10)。この地上で生じたあらゆる状況のもとでイエスは、父なる全能の神エホバがとられたであろう方法で物事を行われました。「私(イエス)は何事も自分の考えで行っているのではありません。私(イエス)はこれらのことを、ちょうど父(エホバ)が教えてくださった通りに話しているのです」と、イエスは説明されました(ヨハネ8:28)。従って、イエス・キリストの生涯を研究する時、私たちは事実上、神エホバがどんな方であるかを把握することになるのです。
ですから、使徒ヨハネは、「神を見た人はいない」ことを認めましたが、それでも「神は愛です」と、書くことができました(ヨハネ1:18.ヨハネ第一4:8)。ヨハネがそのように書くことができたのは、イエスに見られた事柄を通して、神エホバの愛を知ったからです。イエスはみ父エホバを完全に反映した方でした。イエスは同情心が厚く、親切で善良であり、謙遜な、そして近づきやすい人でした。虐げられた人たちは、イエスと一緒にいると安らぎを感じました。あらゆる人々、つまり、男、女、子供、富んだ人、貧しい人、権力のある人、ひどい罪人でさえ、同じように感じました。
実際、イエスは、互いに愛し合うことを弟子たちに教えただけではなく、ご自分で手本を示されました。「わたし(イエス)があなた方を愛した通りに、あなた方も互いを愛するべきです」と、イエスは教えられました(ヨハネ13:34)。「キリストの愛を知ること」は、「知識を超越」すると、イエスの使徒の一人は説明しています(エフェソス3:19)。キリストが実証された愛は、頭に入れるだけの学問的な知識よりも高くなり、その愛に応えるよう、他の人々に「迫る」のです(コリント第二5:14)。このように、イエスの卓越した愛の模範は、特に、イエスをこれまでに存在した最も偉大な人にしたのです。イエスの愛は幾世紀にも亘って、非常に多くの人々の心をとらえ、その人々の生活に良い影響を与えて来ました。
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雨降りし 妻の入院 秋の午後 今日の一句
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庭に咲いている「秋のバラ」