愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

神エホバは、道理にかなった態度をどのように示しておられるか♪

2018-01-29 22:11:30 | 神の言葉・聖書

 先にお伝えしました通り、偉大な創造者エホバ神は道理にかなった方です。神エホバはそのことを聖書を備え、かつ神エホバが創造された畏怖の念を抱く宇宙、地球、地上のあらゆるものや、物理的法則や人間の造りを観察し、調べることによって明らかに確証することができるようにされています。その神エホバは、道理にかなった態度をどのように示しておられるのでしょうか。聖書からお伝え致します。神エホバの模範に見倣ってくだされば嬉しく存じます。

 再び、聖書に記録されているソドムとゴモラの滅びについて考えてみましょう。ロトとその家族は、神エホバのみ使いから、「山地に逃れよ」という明確な指示を受けましたしかし、ロト指示された通りにすぐにせず、「エホバ、どうかそのようなことでは(ソドムとゴモラを滅ぼすのでは)なく!」と懇願します。そして、山に逃げなければならないとすれば自分は死んでしまうと思い込み、自分と家族が近くの都市ゾアルに逃れるのを許してくださるように懇願します。実のところ、神エホバはその都市を滅ぼすつもりおられました。その時のロトの恐れには確たる証拠がありませんでした。神エホバは、山でロトの命を守ることができるはずです。それでも、神エホバはロトの願いを聞き、その嘆願に応じ、ゾアルを滅ぼさないことにされました。「では、そのことについてわたし(エホバ)は確かにあなた(ロト)に配慮を示す」、とみ使いを通してロトに伝えました(創世記19:17~22)。この記録は、神エホバが道理にかない、人間が不安に感じるような無理な要求はされない神であることを明らかにしているのではないでしょうか。

 また、神エホバは心からの悔い改めにこたえ応じ憐れみ深く正しい事柄を常に行われます預言者ヨナが、邪悪な暴虐の都市ニネべに遣わされたときのことを考えてみましょう。ヨナがニネべの都市を歩き回ってふれ告げた神エホバの霊感による音信は、その強大な都市が40日後に滅ぼされると、いう非常に簡単明瞭な音信でした。しかし、ニネべの都市は劇的に変化し、人々は悔い改めたのです(ヨナ3章)。

 この事態の変化に神エホバはどのように反応し、ヨナがどう反応したかを調べて見るのは有益です。この場合、神エホバはニネべの人々の悔い改めの変化に適応し、憐れみ深く罪を赦す者となられました(出エジプト記34:7)。一方、ヨナは融通が利かず、憐れみ深さの点でははるかに劣っていました。神エホバの道理にかなった態度を反映するどころか、鈍感な反応をしました。ヨナニネべの滅びをふれ告げたのだから、ニネべに滅びが臨まなければならないと、思ったのです。しかし、神エホバは、この辛抱強さと憐れみに欠ける預言者ヨナに、道理と憐れみに関する忘れがたい教訓を辛抱強くお与えになられました(ヨナ4章)。

 神エホバは、私たちに期待する事柄の点でも、道理にかなっておられます。ダビデ王はこう言いました。「神(エホバ)ご自身がわたしたちの造りをよくご存じであり、わたしたちが塵であることを覚えておられる詩編103:14.創世記2:7)。この言葉は、神エホバは、私たちの限界や弱さを、私たち以上によく理解しておられることを明らかにしています。神エホバは、私たちの能力を超えた出来ないことを期待したりはされません。人間に重荷を負わせることはありません。聖書は、「善良で道理をわきまえた」人間の主人と、「気難しい」人間の主人とを対比しして、望ましい姿を教えています(ペテロ第一2:18)。神エホバはどちらのタイプの主人でしょうか。「立場の低い者に恵みを示している人はエホバに貸しているのである」という、箴言19章17節の言葉にも注目してください。善良で道理をわきまえた主人でなければ立場の低い人のためになされた親切な行為すべてに目を留めたりはしないでしょう。さらに、この箴言の聖句からは、宇宙の創造者エホバ神が、そのような憐れみ深い行いを単なる人間に対して負い目があるかのように感じておられる、というのは、最も深遠な謙遜さの表われです(創世記1:1.イザヤ45:18.啓示4:11)。

 神エホバは、今日のご自分の僕たちを扱う点でも、同様に温和で謙遜であり、道理にかなっておられます。私たちが信仰を抱き祈る時、神エホバは耳を傾けてくださいます。神エホバが私たちに話すために、使者としてみ使いたちを遣わされることはありませんが、神エホバはイエスを通して聞いてくださるのです。使徒パウロは、自分が監獄から釈放されるよう「祈りつづけてほしい」と、仲間のクリスチャンたちに頼んだ時、わたし(パウロ)がそれだけ早くあなた方のところに戻るためですと、述べました(ヘブライ13:18、19)。ですから、私たちの祈りは、神エホバご自身を動かすことになるのです(ヤコブ5:16)。神エホバは、私たちの祈りを謙遜に聞き、こたえ応じてくださるのです(箴言15:29)。

 あなたも、神エホバの道理に合った態度の模範に見倣う方々のお一人であれば幸いです。

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    枯草に 陽の射しており 散歩道 今日の一句 

            鉢植えの「プリムラの混植」

       

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プリムラの混植と雪の日のヒヨドリ

2018-01-29 00:37:01 | 四季折々の花々

 プリムラの花は、冬の時期に鮮やかな花弁を咲かせ

 多彩な花色を楽しむことが出来ます。

 花期は12月~3月です。

 用途は鉢植え、花壇です。

 花言葉は「快活」と紹介されています。

 今日はプリムラの混植と雪の日のヒヨドリを紹介致します。

                     色鮮やかな「混植のプリムラ」

                    雪の日に庭に来ていた「ヒヨドリ」

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神エホバは、完全に道理にかなっておられる♪

2018-01-28 23:07:54 | 神の言葉・聖書

 皆様方の中には、森友、加計学園問題で国会審議の中継放送をご覧になられた方がいらっしゃるかも知れません。それらの国会審議では、道理に外れた答弁を何度もお聞きになられたかも知れません。立場のある人、また国の最高責任者であっても、言葉巧みに道理に外れたことを答弁するケースは珍しくありません。しかし、偉大な創造者エホバ神は、すべて完全に道理にかなっておられ、模範を示して来られました。今日はそのことを聖書からお伝え致します。

 神エホバの謙遜さは、別の麗しい特質にも表れています。それは道理にかなっていることです。残念なことに、この特質は、前書きにも書きました通り、人間の社会では、立場のある人たちに、あまり見られなくなりました。一方神エホバは、不完全な人間の願いに快く耳を傾けるだけではなく、公正(義)の原則に抵触しない場合は、快く応じて譲ろうとされます。聖書中で用いられている「道理にかなう」という語には、字義的には「すぐに応じる」という意味があります。この特質も、神エホバの知恵の特徴です。ヤコブ3章17節には、「上から(神エホバから)の知恵は・・・道理にかない」と記されています。全能の神エホバは、どのような意味で道理にかなっているのでしょうか。一つの点として、神エホバは適応性に富んでおられます。神エホバのみ名そのものが、神エホバはご自分の目的を果たすために、必要ないかなるものにもなられます(出エジプト記3:14)。それは、神エホバには公正に調和した適用性があり道理にかなっているという精神を表わすものではないでしょうか。

 神エホバの適応性を理解する手掛かりとなる、際立った聖句があります。預言者エゼキエルは、霊の被造物から成る神エホバの天敵な組織に関する幻を与えられました。そして、畏敬の念を抱かせるほどの大きな兵車を見ます。それは、常に神エホバの制御下にある、神エホバご自身の「乗り物」でした。特に興味深いのは、その兵車の移動の仕方です。巨大な車輪には四つの側があり、目がいっぱいついているので、周囲をくまなく見ることができ、停止したり転回したりせず瞬時に方向を変えることもできました。この超特大の兵車は、最新の技術で人間の作ったどんな乗り物も及びません。神エホバの乗り物は、電光石火の速さで移動し、直角に曲がることさえできる制御能力を備えているのですエゼキエル1:1,14~28)。そうです、神エホバの組織は、乗り物を制御している全能の主権者エホバ神と同様、最高度の適応性を持ち、対処すべき状況や必要が絶えず変化しても、それに公正の原則に沿って対応できるのです。

 人間には、そうした完全な適応性に見倣おうと努めることしかできません。むしろ、人間や人間の組織は、正しい適応性があるというよりは、時には保身的で硬直的、すぐにおうじるというより道理にかなわないことが多々あります。例えで考えてみましょう。スーパータンカーや貨物列車は、大きな力の点では、大きな力を発揮します。しかし、急な状況の変化に対応できるでしょうか。貨物列車は、行く手の線路上に障害物があっても、進路を変えることはおろか、急停車もままなりません。重い貨物列車は、ブレ―キをかけても、停車するまでに2キロほど走ってしまいます。同様にスーパータンカーも、エンジン停止後8キロほど惰性で止まりません。エンジンを逆進にしても、波を蹴立てて3キロほど進んでしまいます。硬直的で道理に沿わない傾向を持つ人間の組織も、それに似ています。人間は、しばしば誤った誇りや、自分の考えに固執し、変化してゆく必要や情勢に適応することを拒みます。そうした硬直性が原因で、会社が倒産したり、政府が倒れたりすることがあります(箴言16:18)。私たちにとって本当に幸いなことに、神エホバとその組織にはまったそのようなことはありません。

 あなたも神エホバの道理に合った適応性を見倣い、生活に適用をされている方々のお一人であれば幸いです。次回は神エホバは、道理にかなった態度をどのように示しておられるか、ということについてお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。

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       白菜の 半分切りも 高値なり 今日の一句

                      フェンスに飾られた花々

 

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フエンスの掛け鉢の花々と越後の鶴の飛び立ちの姿

2018-01-28 01:27:06 | 四季折々の花々

 27日は寒波の居座りにも関わらず、

 晴れ間が広がり、幾分過ごしやすい1日でした。

 かかりつけの整形外科に、妻の脊椎圧迫骨折の

 治り具合の検査に行きました。そのクリニックの

 フェンスの掛け鉢の花々が綺麗に咲いていました。

 今日はフェンスの掛け鉢の花々と越後の鶴の飛び立ちの姿を紹介致します。

                     フェンスの掛け鉢の花々

               越後の写真家の提供「白鳥の飛び立ちの姿」

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神エホバは謙遜に責任をゆだね、耳を傾けられる♪

2018-01-27 23:14:34 | 神の言葉・聖書

 あなたも成長に伴って、父親から責任をゆだねられ、かつ、あなたの意見に耳を傾けてくださる親に、喜びを抱き、その期待に応えるように物事を成し遂げて来られたのではないでしょうか。また、会社でも上司がいつも謙遜に耳を傾け責任をゆだねてくださる職場なら、働きがいがあり、毎日仕事が充実し、物事が順調に進むことをご経験されていらっしゃるかも知れません。人間は偉大な創造者エホバ神の特質を反映することができるように、「神の像(かたち)」に創造されていますので(創世記1:26,27)、神エホバのご意志に沿った生き方は、あなたの人生を成功に導きます(詩編1:2,3)。今日は、神エホバは謙遜に責任をゆだね、耳を傾けられる、ことを聖書からお伝え致します。

 神エホバが快く責任をゆだね、耳を傾けられることは、その謙遜さの心温まる証拠となっています。そのようになるということ自体が驚くべきことです。神エホバは全能の神ですから、助けも助言も全く必要とされないからです(イザヤ40:13.ローマ11:34,35.啓示16:14)。それでも、聖書は、神エホバがそのようにしてご自分を低くされることを幾度も記しています。

 一例として、アブラハムの生涯の一つの際立った出来事を考えてみましょう。アブラハムは3人の訪問者を迎え、その一人に「エホバ」と呼び掛けています。この訪問者たちは、実際にはエホバ神からのみ使いたちでした。しかし、その一人は神エホバの名において訪れ、そのみ名において行動しています。そのみ使いが話したり行動したりする時、それはあたかも神エホバが話し、行動しておられるかのようでした。神エホバはそのような方法を用いてアブラハムに、ご自分が「ソドムとゴモラについての苦情の大きな叫び」を聞いたことをお告げになりました。そして、こう言われます「わたし(エホバ)は、それについてわたしに達した叫びのとおりに彼らが行動しているのかどうかを見るために下って行こうと決めている。もしそうでないのなら、それも知ることができよう」(創世記18:3,20,21)。もちろん、神エホバが述べておられるのは、全能者自らが「下って行く」ということではありませんでした。むしろ神エホバは、ご自分の代表者として、再びみ使いたちをお遣わしになりました(創世記19:1)。なぜでしょうか。万事を見通す全能の神エホバは、その地域の実情を見通すことができなかったのでしょうか。そうでは、ありません。しかし、神エホバはそのようにする代わりに、謙遜にもそれらのみ使いたちに、状況を調査し、ソドムにいるロトとその家族を訪ねるという割り当てをゆだねられたのです。

 さらに神エホバは、耳を傾けることもなさっています。邪悪なアハズ王を没落させる様々な方法を提案するよう、み使いにお求めになられました。神エホバは、そのような助言を必要とはされていませんが、それでも、ひとりのみ使いの提案を受け入れ、その提案を実行する任務をそのみ使いにお与えになりました(列王第一22:19~22)。それは神エホバの謙遜さの表われです。

 神エホバは、気がかりなこと話したいと願う不完全な人間に対しても快く耳を傾け、模範を示されました。例えば、ソドムとゴモラを滅ぼす意向であることを神エホバから初めて告げられた時、忠実なアブラハムは困惑しました。アブラハムは、「そのようなことはあなた(エホバ)については考えられません」と述べた上で、「全地を裁く方(エホバ)は正しいことを行なわれるのではありませんかと言います。もし50人の義人を見いだせるなら、あなたはそれらの都市を滅ぼさずにおかれますか、と尋ねます。神エホバはそうであれば滅ぼさない、と保証されます。しかし、アブラハムは人数を45人、40人と減らしながら質問を繰り返します。神エホバは幾度も保証されにも関わらず、アブラハムは10人になるまで質問を続けます。アブラハムは、神エホバがどれほど憐れみ深いかをまだ十分に理解していなかったのかも知れません。いずれにせよ、神エホバは、ご自分の友であり、僕でもあるアブラハムがそのようにして気がかりなことを繰り返し質問するのを、辛抱強く温和で、謙遜にお許しになられました(創世記18:23~33)。

 私たちの人間社会で、学識があり才知あふれる人たちや、政府の要人たちが、自分よりはるかに知性の劣る人や身分の低い人たちの話しにこれほど辛抱強く、耳を傾ける人がどれほどいるでしょうか。神エホバは愛の神であり、辛抱強く耳を傾け、責任をゆだねてくださるのが、わたしたちの神エホバの謙遜さなのです(ヨハネ第一4:8.コリント第一13:4)。その同じやり取りの中で、アブラハムは、神エホバが、怒ることに遅い」神であることも認識するようになりました(出エジプト記34:6)。アブラハムは、自分には至高者エホバの行われる事柄をとやかく言う権利などない、ことに気付き、どうかエホバがお怒りになりませんように」と、二度懇願しています(創世記18:30、32)。もちろん、神エホバは、お怒りになりませんでした。確かに、「知恵に伴う温和さ」を有し、謙遜な方なのです(ヤコブ3:13)。あなたも、神エホバの謙遜に責任をゆだね、耳を傾ける模範に見倣う方々のお一人であれば幸いです。次回は、神エホバは道理にかなっておられるという内容についてお伝え致します。引き続きお読み下されば幸いです。 

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     黄水仙 下向きに咲く 美しさ 今日の一句

              鉢植えの「黄水仙」

 

 

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