山茶花の花は次々と花を咲かせ、
垣根や庭木が明るさを放っています。
とりわけ、ピンクの山茶花は優しい温かさを
見せてくれています。
今日はピンクの山茶花とウキツリボクを紹介致します。
道辺に咲いている「山茶花」
ご近所の庭の「ウキツリボク」
山茶花の花は次々と花を咲かせ、
垣根や庭木が明るさを放っています。
とりわけ、ピンクの山茶花は優しい温かさを
見せてくれています。
今日はピンクの山茶花とウキツリボクを紹介致します。
道辺に咲いている「山茶花」
ご近所の庭の「ウキツリボク」
先にも書きましたが、心が賢く、温和で謙遜な人が多くなれば、日々が快く、平安になることは明かです(箴言3:17,18)。偉大な創造者エホバ神は、その模範を示して来られました。今日は、聖書からそのことを紹介致します。皆様方も見倣ってくだされば嬉しく存じます。
謙遜とは、へりくだった思いであり、尊大さや誇りのないことです。謙遜は内面的な心の特質であり、温和、辛抱強さ、道理にかなっていることなどの特性として発揮され、愛を基盤とした特質です(ガラテア5:22,23)。とはいえ、こうした敬虔な特質を、弱さや臆病さと取り違えてはなりません。それらは、神エホバの義なる怒りや、破壊する力の行使と相反するものではありません。むしろ、神エホバは温和さと謙遜さにより、ご自分の畏怖の念を抱く強さを、つまりご自身を完全に制御する力を実証しておられるのです(イザヤ42:14)。では、温和さ、謙遜さは知恵とどんな関係があるのでしょうか。聖書に関する参考文献は、「謙遜は、突き詰めると・・・無私という言葉で定義され、すべての知恵の本質的な根幹である」。ですから謙遜なくして本物の知恵が存在することはあり得ないのです。では、神エホバの示される温和さ、謙遜さはどのように私たちの益となっているのでしょうか。
ダビデ王は神エホバに向かってこう歌いました。「あなた(エホバ)はその救いの盾をわたしに下さり、あなたの右手がわたしを支え、あなた(エホバ)の謙遜さがわたし(ダビデ)を大いなる者とするのです」(詩編18:35)。神エホバは、不完全な人間を助け、日毎に保護し、支えるために、身を低くされたのです。ダビデは、自分が救いを得るとしても、また王として最終的にある程度大いなることを成し遂げるとしても、それはただ神エホバはこうして快く謙遜になってくださることにかかっている、ということを悟っていました。実のところ、神エホバが謙遜でなければ、また温和で愛のある父として、私たちに接するために快く身を低くしてくださらないなら、不完全なわたしたち人間のだれが救いの希望を持てるでしょうか。
謙遜と慎みは違う、という点でも注目に値します。慎みは、忠実な人々が培うべき麗しい特質です、謙遜と同様、慎みも知恵と結び付けられています。例えば、箴言11章2節には、「知恵は、慎みある者たちと共にある」と書かれています。とはいえ、聖書は、神エホバを慎みある方とは述べていません。なぜでしょうか。聖書中で用いられている場合、慎みという語は、自分の限界をふさわしくわきまえていることを示唆しているからです。全能の神エホバには、ご自身の義(公正)の基準のゆえに自らに課するもの以外に限界はないからです(マルコ10:27.テトス1:2)。さらに、至高者である神エホバは、何にも従属していません(詩編83:18)。ですから、慎み深さと言う概念は神エホバには、まったく当てはまらないのです。
しかし、神エホバは最高度に謙遜で温和な方です。真の知恵には、温和さが不可欠であることを、神エホバご自身が僕たちに教えておられます。み言葉は、「知恵に伴う温和さ」について述べています(ヤコブ3:13)。この点での神エホバの手本を考察し、次回は、神エホバは謙遜に責任をゆだね、耳を傾けられる、ことをお伝え致します。
イエス・キリストは地上に遣わされ、贖いの死を遂げられまで、神エホバの子でありながら、謙遜に身を低くし、人々に仕えその手本を残されました(フィリピ2:5~8.ペテロ第一2:21)。あなたも、温和で謙遜な方々のお一人であれば幸いです。
女子校生 マグロさばきの 鮮やかや 今日の一句
私の住む地域からの「日没の風景」
比較的温暖なこちらも寒波到来で24日の朝は
少し積雪がありました。しかし、寒波は居座って
寒い日が続き、27日頃まで寒さが厳しいようです。
皆様方のお住いの地方は如何でしょうか。
今日は1月21日~25日までに詠んだ俳句を紹介致します。
水仙花 前後に蕾 並びおり
先端の 鋭く凍る 大ツララ
白菜の キャリ重き事 道の駅
カメラマン 雪の棚田の 日の出待つ
ー 越後のカメラマンの作品を見て -
君の名は メロディー流る 雪の夜
木の幹と 枝の美し 雪の花
ー 越後の写真家の作品を見て -
雪消えし 庭に雀ら 集い来る
屋根の雪 滑りの音に 目覚めたり
雪かぶる 豆の木に帰し ヒヨドリよ
越後の写真家の提供「棚田の日の出を待つカメラマン」
道の駅の花売り場の「切り花のバラ」
道辺に咲いている華やかな「グロリオーサ」
お店の花壇の「ベロペローネ」
鉢植えの「ゼラニウム」
鉢植えの「シンビジウム」
こちらも寒波到来ですが、桜草の可愛い花が
玄関に鉢植えで置いて楽しまれている方が沢山いらっしゃいます。
桜草の花期は花図鑑では2月~4月と紹介されていますが、
こちらでは12月からあちこちで見かけます。
用途は鉢植え、花壇です。
花言葉は「少女の愛」と紹介されています。
今日は桜草と越後の雪の花を紹介致します。
鉢植えの「桜草」
越後の写真家の提供「雪の花」
皆様方のお住いの地域や職場にも、「心が賢く」、しかも温和で謙遜な方が多いでしょうか(ヨブ9:4)。私たち人間は、進化ではなく男性も女性も神の像(かたち)に創造されていますので、そのような特質を発揮することが出来ます(創世記1:26.27)。「心が賢く」、しかも温和で謙遜な方が多ければ、とても快く、平安で義に満ちた生活を送ることができるに違いありません。今日から、偉大な創造者エホバ神は「心が賢い」、しかも温和で謙遜、ということについて聖書からお伝え致します。
父親が、幼い我が子に大切な教訓を与えようとしています。何とかして心を動かしたいと思います。どのような接し方をすればよいのでしょうか。あなたは、どうなさいますか。幼い子供を威圧的に見下ろし、厳格な言葉遣いで話すべきでしょうか。それとも、子供と同じ高さまで身をかがめ、訴えかけるような温和で謙遜な話し方をなさるでしょうか。言うまでもなく、心が賢く、温和で謙遜な父親なら、後者の、その特質を反映した話し方をするのではないでしょうか。
偉大な創造者エホバ神は、父親としてどのような方でしょうか(伝道の書12:1)。ごう慢、それとも謙遜、厳格、温和な方でしょうか。神エホバはすべての事をご存知の全知全能の方です(創世記17:1.啓示16:14)。とはいえ、あなたは、知識や知力がある人が、「神の像(かたち)」に創造されていることを知らず、温和で謙遜とは限らないことをお気付きではないでしょうか。聖書はこのように警告しています。「知識は人を思い上がらせ」ます(コリント第一3:19;8:1)。聖書が警告している通り、人によって、知識の善用ではなく、誤用をします。しかも、立場の高い人が知識の悪用をし続けます。しかし、神エホバは、「心が賢く」、しかも怒ることに遅く温和で謙遜な方です出エジプト記34:6,7.ヨブ9:4)。神エホバは、私たちが立場が低いとか、能力に限界があるとか、誤りを繰り返すとか、いった事柄を温かく見守り、平安と義が満ちるように益することのみを教えてくださいます(イザヤ48:17,18)。神エホバには、ある人間に見られるようなごう慢さのかけらもありません。
神エホバは聖なる方です(啓示4:8)。ですから、汚れをもたらす特質でるごう慢さが全くありませんマルコ7:20~22)。さらに、預言者エレミヤが、神エホバに向かって語った次の言葉に注目してください。「あなたの魂(エホバご自身)は必ず思い出してくださり、わたしの上にかがみます」(哀歌3:20)。お分かりでしょうか。神エホバは宇宙の主権者なる主であるのに、不完全な人間であるエレミヤに好意を向けるために「かがむ」、つまりエレミヤの高さまで下りてこようとされたのです(詩編113:7)。神エホバはまさに謙遜な方であることを示しています。では、神エホバの謙遜さには、何が含まれているのでしょうか。その謙遜さが神エホバの深い知恵と、どんな関係があるのでしょうか。神エホバの怒ることに遅い温和や謙遜さがわたしたちにとって重要なのはなぜでしょうか。次回は神エホバがどのように温和で謙遜さを示しておられるか、についてお伝え致します。引き続きお読みくだされば幸いです。
「参照資料」:ものみの塔聖書冊子協会発行の、「エホバに近づきなさい」誌。
雪消えし 庭に雀ら 集い来る 今日の一句
花売り場の「カスミソウとスイートピー」