あまり見る機会のないあミツマタの花がご近所の庭に咲いていました。
ご年配の方はミツマタをご存知と思いますが、ミツマタの木の皮を剥ぎ、
その皮を茹でて溶かし、型に流し和紙にしていたものです。
その珍しいミツマタの花が盛りを過ぎようとしていました。
花は4月の中に咲きますが、手持ちの花図鑑には紹介されていませんでした。
今日は珍しいミツマタの花と生垣のツツジを紹介致します。
ご近所の庭の珍しい「ミツマタの花」
ご近所の「生垣のツツジ」
あまり見る機会のないあミツマタの花がご近所の庭に咲いていました。
ご年配の方はミツマタをご存知と思いますが、ミツマタの木の皮を剥ぎ、
その皮を茹でて溶かし、型に流し和紙にしていたものです。
その珍しいミツマタの花が盛りを過ぎようとしていました。
花は4月の中に咲きますが、手持ちの花図鑑には紹介されていませんでした。
今日は珍しいミツマタの花と生垣のツツジを紹介致します。
ご近所の庭の珍しい「ミツマタの花」
ご近所の「生垣のツツジ」
唯一まことの神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通して、後に遣わされるイエスは、人々に軽んじられ、かつ退けられ、苦痛を味わうことを予告されていました(イザヤ53:3)。イザヤの預言の通り、遣わされたイエスに成就しました。
地上に遣わされたイエス・キリストはなぜ人々から苦しみを受け、死ななければならなかったのでしょうか。イザヤは霊感を受け、次のように説明しています。
「彼(遣わされるイエス)はまさしく私たちの病気を負い、私たちの痛みを負った。しかし、私たちは、彼が災厄に遭い、神(エホバ)に打ちたたかれて苦しんでいると考えた。彼は私たちの違反のために刺し通され、私たちの過ちのために打ち砕かれた。彼が処罰を受けたので私たちに平和がもたらされ、彼の傷のおかげで私たちは癒された。私たちは皆、羊のようにさまよい、それぞれの道を歩んでいた。エホバは私たち皆の過ちを彼に負わせた」(イザヤ53:4~6)。
地上に遣わされたイエスは、人々の病気を負い、人々の痛みを負いました。いわば、人々の生活上の重荷を持ち上げて、ご自分の肩に載せて担ったのです。さらに、病気と痛みは、人類がアダムから受け継いだ罪の結果ですから、イエスは人々の受け継いだ罪も担ったのです(ローマ5:12)。しかし、多くの人々はイエスの苦しむ理由が分からず、神がイエスを罰し、忌まわしい病気と災厄に遭い、打ちたたかれて苦しんでいると考えました。イエスの苦しみが頂点に達した時、刺し通され、打ち砕かれ、傷つきました。上の聖句の強烈な表現は、残酷で苦痛の伴う死を示唆しています。しかし、イエスの死には贖いの効力があります。イエスの贖いの死は、受け継いだ罪から解放し、神エホバの「平和がもたらされる」のです(ヨハネ3:16)。イエスの贖いの死は、現在の全ての人と関係があるのです。
イエスは地上に遣わされ、どのように人々の病気や痛みを負ったのでしょうか。マタイの福音書はイザヤ53章4節を引喩し、次のように記しています。「イエスは、・・・病気で苦しむ人全てを治した。預言者イザヤを通して語られた、次の言葉が実現するためである。「彼(遣わされるイエス)は私たちの病気を取り去り、私たちの病(重荷)を担った」」(マタイ8:16,17)。イエスは多くの人々の病気や痛みを治すことにより、事実上、その人たちの重荷、苦しみを背負いました。そうしたイエスの癒しは、生身のイエスの活力を消耗するものでした(ルカ8:43~48)。しかし、イエスが、身体的また霊的にあらゆる病気をいやす力を持っていたことは、人びとをアダムから受け継いだ罪から清める力も与えられていることの証拠でした(マタイ9:2~8)。
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そら豆の 花の黒目の 目立ちけり 今日の一句
珍しい「そら豆の花」
ご近所の庭の垣根にウキツリボクの花が咲いています。
ウキツリボクの花は、魚釣りをされた方はお分かりと思いますが、
釣り糸に付ける「浮き」に似ています。
通常は温室内で冬の間楽しむ花のようです。
花期は11月~5月です。
殖やし方は種子まき、さし芽、さし木です。
用途は鉢植えです。
花言葉は「恋の病」と紹介されています。
今日はウキツリボクの花と白のバラを紹介致します。
珍しい「ウキツリボクの花」
庭植えの「白のバラ」
神エホバは、ご自分の預言者を用い、ご自分がメシアとして遣わされるイエス・キリストは堂々たる姿はしておらず、「輝かしくもないことを予告されました(イザヤ53:2)。このイザヤの預言も、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書を読むと、イエスに成就したことが確証できます。
次いで、イザヤは、遣わされるメシア、イエス・キリストがどうみなされ、どう扱われるかを詳細に次のように記述しています。
「彼(遣わされるイエス)は軽んじられ、人々に避けられた。苦痛を味わうことになっており、病気をよく知っていた。顔が私たちから隠されているかのようだった。彼は軽んじられ、私たちは彼を無視した」(イザヤ53:3)。
上の聖句では、イザヤは自分の言葉が実現することを確信しているので、あたかもすでに成就したかのように完了したかたちで書いています。後に遣わされたイエス・キリストは本当に人々に軽んじられ、避けられました。神エホバのご意志を行わない宗教指導者とその追随者たちは、イエスを最も柑論ずべき人間と見なし、収税人や娼婦たちの友と呼びました(ルカ7:34,37~39)。イエスの顔に唾をかけ、こぶしで殴り付けてあざけり、ばかにして冷笑を浴びせました(マタイ26:67)。これら真理の敵たちの影響を受け、民はイエスを受け入れませんでした(ヨハネ1:10,11)。
完全な人間であったイエスは、病気になることはありませんでした。それでもイエスは、「病気をよく知っている」人でした。しかし、イエスは、病気の多い地上に遣わされました。地上で、多くの病気の人たちの中で生活しましたが、、身体的あるいは霊的に病んでいる人々を退けたりはしませんでした。イエスは思いやりのある医者のように、周囲の人々の苦しみを深く理解していました。その上、人間の医者には不可能なことまで行うことができました(ルカ5:27~32)。
それにも関わらず、イエスを受け入れない人々は、イエスを病んでいる者とみなし、好意を示しませんでした。イエスの顔は「隠されているかのよう」でした。これは人々がイエスから顔をそむけ、無視したことを意味しています。しかし、神エホバの目には、イエスは高く評価されました。今日の真のクリスチャンたちは、この神エホバの見方に励まされています。
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忙しく 花から花への 紋黄蝶 今日の一句
鉢植えの「バラ」
新型コロナウイルス感染症の拡大で、その感染の拡大を防止する対策の一つに
政府はテレワーク、つまり在宅勤務の採用を推奨しています。
私は約18年前になりますが、妻の親の介護のために帰郷しました。
しかし、会社のご親切なご配慮に依り、在宅勤務をすることになりました。
在宅勤務時間は通常通りで、月に2回のみ会社の費用で本社に出社すれば良かったのです。
当時私の知る限り、在宅勤務は私1人だったように思いまいます。
在宅勤務をするに当たり、机や椅子、書棚、パソコン、プリンター、
事務用品はすべて会社支給であり、かつ専用の電話回線と電話とインターネット回線も
会社が設けてくださり、自宅執務室を本社の一室扱いとしてくださいました。
こうした在宅勤務環境の整備によって、集中して仕事を効率よく進めることができました。
書面のやり取りはパソコンで瞬時に行え、業務連絡はE-mailが主体でした。
当時はまだ在宅勤務は一般に採用されていなかったと思いますが、
会社と関係者のご親切、ご厚意によって5年半行うことができ、
私事都合で退職をさせて頂きました。当時の関係各位に深く感謝致します。
このような私の経験から、今日の厳しい状況を考え
テレワーク(在宅勤務)をお勧め致します。
新型コロナウイルス感染者のお拡大の中で、日本人の勤勉な特質を生かし、
創意工夫した「働き方改革」が進むに違いありません。
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真黄色 バラ咲く庭の 静かなり 今日の一句
鉢植えの「ビオラ」