越山(おやま、1129.2m、三等三角点点名「赤岩」)は旧根尾村温見峠に上がる途中、右側に見える極めて地味な山で山体も特徴がないのだが、ぎふ百山に選ばれている。その理由はこのあたりの山を水戸天狗党が岐阜側から福井側に越えた史実があるからであろう。私が聞いているのは、越山の東にある蝿帽子嶺(1037.3m、地図に地名はない、三等三角点点名「這星」、どちらもはえぼ(う)しだが、当てている漢字が全く違う。いつか探求してみたい。)の西肩あたりにある峠を越えたということである。越山の西にある激藪の刈安(1301.72m)と蝿帽子嶺は登っているので、この越山は是非とも登ってみたかった山である。
今回(10月20日)、5年前に登ったEさんとヤブ山大好きなKさんのほかいつものM(ヤブ山初経験)さん、Yさんの5人で挑戦した。揖斐を7時少し前に出発、根尾川を北上すると能郷白山が見えてきた。酷道の157号線を避けて、大須から越波、猫峠を経て大河原に至り、河原に続く林道(堰堤工事のための作業道)の入口に車を停めた。根尾西谷川を横切り、越山谷を横切る必要があるが、Eさんから聞いていたのは堰堤を利用して渡る計画だった。私たちはまず長靴を履いて出発した。林道を進むと目の前に大きな堰堤が現れた。堤体の左側にある小さな梯子を渡ると堰堤の上に出た。しばらく行くと堰堤に据え付けられた梯子階段を下り、河原に出て、水が流れているところを渡り、最後は水の下降点を慎重に渡った。ここで私たちは長靴から登山靴に履き替え、さらにストックも堰堤の上に残した。堰堤を渡り、西に進み、再び越山谷の堰堤を横切った。
駐車地 8:20
能郷白山 8:34
越山方面 どれが越山なのかわからない
越山谷堰堤を横切る(帰り)
堰堤を渡るといよいよ急な登りの連続となる。足場も柔らかく不確かなので、近くの木の枝、幹につかまりながら高度を上げていく。Eさんが適宜赤テープをつけてくれる。柔らかな土の斜面を登り切ると少し道らしきものがあった。また、残置の色あせた赤布や荷造り紐を見つけることができるので、少ないとはいえ登られていることは間違いない。植林された場所の上はブナ林が続いており、少し色づいて来ている。あと10日もすれば見頃になると思われた。山頂近くになってやっと急登から解放された。登りが緩やかになると私は途端に方向感覚が狂ってくる。赤テープを目印に進み、無事山頂に着くことができた。山頂といっても、周りの木は一切切り払われず、展望は全くない。
急な登りが少しだけ緩やかとなり、ブナ林が現れる 9:33
ブナ林少し色づいて来ている 9:52
Eさんが5年前に付け、回収を忘れた赤テープ 9:55
10:21
10:43 Eさんが今日のために用意した山銘板 木の枝に設置されたので、この後登る計画のある人は「見たよ」とブログ「奥揖斐山荘」にコメントお願いします
11:31(下り) 能郷白山を望む
コースタイム 揖斐6:50→駐車地8:20~8:30→山頂10:43~11:09→駐車地12:49
※「ぎふ百山」
・昭和51年7月1日発行 岐阜県山岳連盟編集 岐阜日日新聞社(岐阜新聞社)発行
・百山とあるが、120番まであり、さらに2山あるのが4あるので、全部で124座あることになる。
・内容は山の説明と言うより、地域の歴史などが中心で、わずかに登山情報があるだけなのだが、ここに掲げてある山を全部登る会があるし、これを目指している人も多い。私は目指していないとは言わないが、登れる山はできるだけ登りたいというのが今の気持ち。ちなみに現在92座。
今回(10月20日)、5年前に登ったEさんとヤブ山大好きなKさんのほかいつものM(ヤブ山初経験)さん、Yさんの5人で挑戦した。揖斐を7時少し前に出発、根尾川を北上すると能郷白山が見えてきた。酷道の157号線を避けて、大須から越波、猫峠を経て大河原に至り、河原に続く林道(堰堤工事のための作業道)の入口に車を停めた。根尾西谷川を横切り、越山谷を横切る必要があるが、Eさんから聞いていたのは堰堤を利用して渡る計画だった。私たちはまず長靴を履いて出発した。林道を進むと目の前に大きな堰堤が現れた。堤体の左側にある小さな梯子を渡ると堰堤の上に出た。しばらく行くと堰堤に据え付けられた梯子階段を下り、河原に出て、水が流れているところを渡り、最後は水の下降点を慎重に渡った。ここで私たちは長靴から登山靴に履き替え、さらにストックも堰堤の上に残した。堰堤を渡り、西に進み、再び越山谷の堰堤を横切った。
駐車地 8:20
能郷白山 8:34
越山方面 どれが越山なのかわからない
越山谷堰堤を横切る(帰り)
堰堤を渡るといよいよ急な登りの連続となる。足場も柔らかく不確かなので、近くの木の枝、幹につかまりながら高度を上げていく。Eさんが適宜赤テープをつけてくれる。柔らかな土の斜面を登り切ると少し道らしきものがあった。また、残置の色あせた赤布や荷造り紐を見つけることができるので、少ないとはいえ登られていることは間違いない。植林された場所の上はブナ林が続いており、少し色づいて来ている。あと10日もすれば見頃になると思われた。山頂近くになってやっと急登から解放された。登りが緩やかになると私は途端に方向感覚が狂ってくる。赤テープを目印に進み、無事山頂に着くことができた。山頂といっても、周りの木は一切切り払われず、展望は全くない。
急な登りが少しだけ緩やかとなり、ブナ林が現れる 9:33
ブナ林少し色づいて来ている 9:52
Eさんが5年前に付け、回収を忘れた赤テープ 9:55
10:21
10:43 Eさんが今日のために用意した山銘板 木の枝に設置されたので、この後登る計画のある人は「見たよ」とブログ「奥揖斐山荘」にコメントお願いします
11:31(下り) 能郷白山を望む
コースタイム 揖斐6:50→駐車地8:20~8:30→山頂10:43~11:09→駐車地12:49
※「ぎふ百山」
・昭和51年7月1日発行 岐阜県山岳連盟編集 岐阜日日新聞社(岐阜新聞社)発行
・百山とあるが、120番まであり、さらに2山あるのが4あるので、全部で124座あることになる。
・内容は山の説明と言うより、地域の歴史などが中心で、わずかに登山情報があるだけなのだが、ここに掲げてある山を全部登る会があるし、これを目指している人も多い。私は目指していないとは言わないが、登れる山はできるだけ登りたいというのが今の気持ち。ちなみに現在92座。
新日本山岳誌では、蠅帽子峠(這法師峠)は「はいぼし、はえぼし」ともいう。由来は「夏、蠅(アブのこと)が多く帽子を被って通ったから」とか「寺の門主が峠の急坂を這って登ったからとか諸説がある
美濃の山第二巻では慶応三年「越濃国境略図」ではすでに「蠅帽子嶺」とあるので陸地測量部が地図を作製したときこれに拠ったのではないか、との記録がありました。ご参考に!!
新日本山岳誌では、蠅帽子峠(這法師峠)は「はいぼし、はえぼし」ともいう。由来は「夏、蠅(アブのこと)が多く帽子を被って通ったから」とか「寺の門主が峠の急坂を這って登ったからとか諸説がある
美濃の山第二巻では慶応三年「越濃国境略図」ではすでに「蠅帽子嶺」とあるので陸地測量部が地図を作製したときこれに拠ったのではないか、との記録がありました。ご参考に!!
新日本山岳誌に、別称「這法師山、這越山(はいこしやま)、灰ホウジ山」とありました。細見美濃国絵図の這越山は、正しかった?。
這帽子と越山を足したような名ですね!!
情報ありがとうございます
まとめると、はえ(蝿、這え)
ぼうし(帽子、法師)→ぼし→星
ですかね?