宮応かつゆきの日本改革ブログ

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「人権概念を発展させた社会権の承認、日本の憲法への影響」-ロシア革命(4)

2017年12月17日 | 未来社会へのプロセス

「11月7日」付「しんぶん赤旗」記事は、ロシア革命の2つ目の「世界史的意義」について、「人権概念を発展させた社会権の承認」を挙げています。

「2つ目は、人権概念をフランス革命以来の自由権から、生存権、労働基本権、社会保障といった社会権へと発展させたことです。社会保障という言葉も、革命のロシアで初めて使用されました」

「ソビエト政権は1918年1月、人間による人間の搾取の廃止などをうたった『勤労し搾取されている人民の権利宣言』を発しました。『宣言』は『社会国家の理念が一般的に承認され、権利宣言が各種の社会権を宣言・保障することが原則に』なるうえで『注目される』役割(『人権宣言集』=岩波文庫=宮沢俊義氏の概説)を果たし、ドイツのワイマール憲法(1919年)やILO(国際労働機関、1919年))創設などへとつながっていきます」

「ILOの設置を定めたのは、第1次世界大戦の講和条約・ベルサイユ条約です。その背景について、『日本労働年鑑』1995年版(法政大学大原社会問題研究所)は、『講和条約のなかに労働問題関係の条項を取り入れざるを得ないと関係者に考えさせた決定的要因は、1917年のロシア革命とその影響だったと言われている』と指摘しています」

「その結果、『本来は賠償、軍事などを処理する講和条約』で、政府、使用者、労働者の代表が平等の投票権と地位をもって、労働条件について協議する『3者構成主義』に立った国際機関が実現しました」

「ソ連社会は、その後、スターリンによって変質させられ、崩壊するにいたりましたが、ロシア革命はその後世界に持続的な影響を与える世界史的意義をもつ出来事となったのです」

前出の「人権宣言集」の「人権宣言概説」で、宮沢俊義氏は、つぎのようにのべています。

「社会国家の理念が一般的に承認され、権利宣言が各種の社会権を宣言・保障することが原則になったのは、第1次世界大戦以後のことである。1918年のソヴェト・ロシアの『勤労し搾取されている人民の権利の宣言』が、この点で、注目される。これは、直接には、ただちに他国に影響を与えることはなかったが、それは、1918年以後のヨーロッパ諸国の憲法会議に対し、『社会的なもの』に対する注意を呼びおこすのに貢献した」

「この時代に作られた憲法は、すべて多かれ少なかれ社会国家の理念を承認し、その表現として、権利宣言において各種の社会権を宣言・保障している」

「ここで、1789年に宣言された自由権のカタログ(フランス革命の『人権宣言』のことー引用者)とならんで、家庭や母性の保護、両性の平等、社会保障、教育を受ける権利、労働権、労働者の団結権、健康な生活や休息への権利、私有財産の絶対性への制約などが、権利宣言に顔をだしはじめた」(以上、「綱領教室」第2巻72ページ)

 私は、こうした、憲法論議が、第2次世界大戦を経験し、一層発展し、日本の憲法制定にも影響を与えたと考えています。