11月7日付「しんぶん赤旗」記事は、「ロシア革命では、『レーニンが指導した最初の段階においては、おくれた社会経済状態からの出発という制約にもかかわらず、また、少ないくない施行錯誤をともないながら、真剣に社会主義をめざす一連の積極的な努力』(綱領)」がおこなわれたことを述べています。
その例として、まず、挙げられているのが「新経済政策(ネップ)」です。 不破哲三氏は、「レーニンは、市場経済と社会主義の問題に挑戦した最初の共産主義者だった」と指摘しています。
レーニンとソビエト政権は、イギリス、フランス、日本など帝国主義諸国の干渉戦争と内戦に最終的に勝利しました。
「レーニンは、勝利の見通しがつき、資本主義諸国の網の目のなかで、ソビエト・ロシアが存立する条件を勝ち得たと見定めたことから、いくつかの路線転換をはかります」(同記事)
「その一つが、『戦時共産主義』から『新経済政策』(ネップ)への移行です。『戦時共産主義』では、農民から余剰農産物を強制挑発していました。この矛盾が激化するなか、レーニンが施行錯誤のうえたどりついたのが、市場経済を活用しながら社会主義への前進に向う路線=『新経済政策』です。それまでの『市場経済=敵』という考え方からの大転換でした」
この「市場経済を活用しながら社会主義」への探求と実践は、現在の中国やヴェトナムでも進められています。
日本共産党の綱領では、「市場経済を通じて社会主義に進ことは、日本の条件にかなった社会主義の法則的な発展方向である。社会主義的改革の推進にあたっては、計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営、農漁業・中小商工業など私的な発意の尊重などの努力と探求が重要である」
「国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる『統制経済』は、社会主義・共産主義の日本の経済生活では全面的に否定される」と述べています。
資本主義国との平和共存外交も重要な転換です。このことについて、「記事」は次のように紹介しています。
「22年にイタリア・ジェノバで開かれた国際経済会議のy準備会合では、どんな国であれ、自分の社会制度を他の国に押し付ける権利はないこと、自分たちの社会制度は自分たちで決めることがうたわれました。資本主義諸国がはじめて資本主義以外の制度の存在を認めた宣言となりました」
さらに、革命論についても大きな転換を図りました。
「革命論では、干渉戦争の時期は『世界革命近し』という情勢認識から、少数者による革命論を一般化していましたが、革命情勢の成熟には長い時間が必要だとの認識に変化。勤労人民の多数を獲得することや、社会民主主義的潮流との統一戦線論などが展開されました。これは、のちの反ファシズム統一戦線戦術につながる提起でした」(同記事)
レーニンがどうして、こうした転換をはかり、推進することができたのでしょうか。
私が、最も強く考えさせられたことは、レーニンが、科学的者社会主義者として、その探求者として自己変革をはかりながら「人民・国民こそが歴史をつくり、発展させる主人公」という基本を貫き、現実との格闘のなかで弁証法を駆使し、人類史に世界的意義を刻むロシア革命を発展させることができたのではないだろうか、ということです。