スターリンが行った「巨悪」は不破哲三さんの著書「スターリン秘史ー巨悪の成立と展開」(全6巻)で新たな解明が行われました。不破さんが「前衛」誌に連載中に、私も随時紹介させていただきました。
いま、「ロシア革命100年」の年に、レーニンがスターリンとの「生死をかけた闘争」の歴史的意味を、日本共産党の『自主独立』の立場で考えさせられています。
志位さんは、「綱領教室」(第2巻230ページ)で次のように語っています。
「1950年代後半のあの時期に、ことの是非をすべて詰めて総括し、事実と道理によって、分派の側の謝りを明確にして自主独立の路線を確立したというこのは、これは大変勇気のいることであり、本当にすばらしい大仕事を当時の先輩たちは成し遂げたと思います」
「もしも、あのときに、きちんと総括ができなかったら、今日の日本共産党は影も形もないかもしれません。今のような形で存在し得なかったことは間違いありません。そういう歴史的な大仕事をやって、自主独立の路線を確立した先輩たちに、私は、深い感謝の気持ちをのべたいと思います」
11月7日付、「しんぶん赤旗」の記事に戻ります。
同記事は、1991年9月1日付の日本共産党中央委員会常任幹部会の声明、「大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の党の終焉を歓迎するーソ連共産党の解体にさいして」を紹介しています。
このなかで、「戦後、公然と活動を開始した日本共産党は1950年、スターリンによる武装闘争の押し付けという干渉を受け、党中央の一部が内通・呼応して中央委員会が解体されました(50年問題)」
「日本共産党は、党の統一を回復する過程で、自らの国の革命運動は自らの頭で決める、どんな大国でも干渉や覇権は許さないという自主独立の立場を確立しました」
スターリンは、1953年に死去しましたが、スターリンの後継者たちは、日本共産党への大干渉作戦に乗り出してきたのです。
このソ連共産党の干渉作戦との日本共産党のたたかいについて、同記事は次のようにのべています。
「日本共産党は、全党の団結で干渉とたたかい、ソ連のチェコスロバキア侵略などの大国主義・覇権主義を厳しく批判。1979年の日ソ両共産党会談で、ソ連共産党に干渉の誤りを認めさせました」
「また日本共産党は、ソ連共産党との論争の仲で、ソ連流のマルクス・レーニン主義の歪曲を正し、世界論・革命論・未来社会論などあらゆる面でマルクス、エンゲルスの理論(科学的社会主義)の本来の姿と生命力を明らかにしました」
そして、「ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の崩壊は、大局的な視野で見れば、世界の革命運動の健全な発展への新しい可能性を開く意義をもった」と綱領の一節を紹介しています。
私が、日本共産党の活動や理論を知り、党活動に参加したのは1960年代の前半です。その直後にソ連共産党の公然化した干渉、その後の中国毛沢東派の干渉が起こりました。2つの大国の共産党からの干渉、党の名だたる中央幹部の内通や裏切り、入党したばかりの私や仲間たちは、「アカハタ」に掲載される諸論文の学習に追われました。
記事の中に、「全党の団結で干渉とたたかい」という、くだりがありますが、中央も、入党間もない私たちも、必至で学習し、さまざまな分野で、「干渉作戦の謝り」を明らかにし、党の見解を広めるために全力を尽くしました。 このことが、その後の選挙戦や、労働運動、平和、民主運動、核兵器禁止・廃絶を求める運動等の発展の土台をつくりだす一端をになうことができたと思っています。