今年は雨不足で農業用水不足が懸念されておりましたが、本日無事に田植えを終えることができました。6/16に井手あげ(河川から農業用水を取り入れるための作業)をしたときにも晴気川の水量が例年よりかなり少ないように見受けられました。ただ、本年は周辺の農地が生産調整(減反)にかかっておりますので、その結果として水の分け前は潤沢にあったということなのでしょう。
昨年は減反でしたので、一年ブランクができてしまいましたが、これで百姓をはじめてから3回目の稲作への挑戦です。品種は「佐賀日和(さがびより)」というので、食味ランキングで三年連続最高ランクの特Aに選ばれているものです。
田植えを終えたばかりの苗は何とも頼りなげですが、しばらくすると力強く成長します。
麦の収穫後の麦藁は、半分くらいは集めて畑に投入しますが、残りはすき込むようにしております。しかし、麦藁が腐植するには余りにも時間が足りません。上の画像のように水面に浮いてきて、田植え機の爪に当たって稲の苗が正常に植えられないようになってしまいます。ですから、麦藁を燃してしまいたい気持はよく分かります。(参考:「牛のゲップで地球温暖化?(+野焼きについて)」
この田んぼは7アールですが、それでも約1メートルの高低差があります。
道路を挟んだ田んぼとは更に約2メートルの高低差があります。棚田ほどではありませんが、山麓部の農地はこのように段差が発生します。「TPPについて(12)-朝日新聞社説にいう農地の集約化とは」で書いておりますように、農地の集積化は相当に困難なことであろうと思われます。
そこまでして稲作をしなくても良いではないかといったご意見もあろうかと思います。しかしながら、瑞穂の国に生を受け、田んぼがあるのに米を作らないというのは何となく釈然としません。そもそも何故に米が余るのか、それが問題のように思います。米が高い高いと仰いますが、一度パンと比べてみられたら良いでしょう。確かに、ご飯は仕込んだり炊いたりしなければならないし、食器も洗わなければなりません。パンならば、買ってすぐ食べられますから手間いらずですよね。しかし、その利便性のお陰で得られるものと、それに引き換え失ったものがあると思います。
それから今は確かに米が余っているのは事実でしょう。しかし、何時まで米余りが続くとも限りません。何時でしたっけ、ちょっとしたことで米不足になってタイ米を食べる羽目になったのは?
その時は、百姓もタイ米を食って、自家消費分の米も消費者の皆様にお届けしました。今後もそのようなことがないことを祈りますが、消費者の皆様も米は日本人の主食であることを忘れないでいただきたいと思います。米が無くなってしまったときのことを想像していただきたいと思います。