最近開発から随分と遠ざかった人生を歩んでおります。開発したい気持ちは持ちつつも、なかなか最終製品まで行き着くことができておりません。モチベーションを維持し続けるためにも今一度開発の楽しみを語ってみることにします。
開発の醍醐味は何と言ってもこの世に存在しない新たなものを創ることでしょう。それが人のため社会のために役立つものであれば尚更です。それが売れるかどうかは、開発時点では二の次のことです。しかし、売れなければ(買って使ってもらわなければ)結果的には、世のため人のためにはなりません。
新製品の企画を考えるとき、先ずはスポンサー(開発の決定権限がある人または組織)の興味を引くことが大切です。経営者ならば、売上増加/利益増大/投資回収を常に念頭においておりますので、この辺りの説得材料を如何に集めるかにかかっております。それから、社会的意義などバリバリの利益追求製品でないことをうまいことカモフラージュする要素をチョッピリ加えます。更には、技術の新規性や開発の可能性などを説明する各種資料をバッチリ揃えて企画書を作成します。
どんな立派な企画書であっても企画が通るとは限りません。たった一枚のラフなメモ書き程度でもOKの場合もあります。全て決裁者の気分次第と言うと語弊があるかも知れませんが、それに近いものがあるのではないでしょうか。まぁ、世の中そんないい加減なところがあるからやって行けるのかも知れません。
でもこれらは全て後付の理屈なんです。最初は開発者自身が「これを創ってみたい」といった衝動から始まるのです。
できるかどうかもわからない。売れるかどうかもわからない。とりあえず創ってみないことにはわからない。
開発者がそんな調子ですから企画書を読む方だって判らないに決まっているのですが、あれこれと注文をつけてきます。こちらも開発段階が進めば、どーせ変わってしまうのにと思いつつも神妙に聞き入っている振りをします。ここで反論でもしようものなら、速攻で没になってしまうことでしょう。
紆余曲折を経て、様々な条件を付けられ、原型が無いほどに書き直させられて、やっとのことで企画が目出度く通ることに相成るのです。出来上がりは以て非なるものになってしまうのではありますが・・・。
日本社会では避けて通れない回り道とでも言いましょうか、随分と無駄な労力を費やしてしまっております。
これから先が開発者の腕の見せ所というか、ここからが真の出番になってくる訳です。順調に開発が進むことは稀です。炭鉱節ではありませんが、それこそ「一山、二山、三山越えー、ヨイヨイ♪」といったことになります。そして、成功するとは限りません。途中で開発中止の決断をせざるを得ないこともあります。
企画段階での没案件はあまたあるのであまり気にすることも無いのですが、開発段階での没は堪えます。もう二度と開発なんかやりたくないと思ってしまいます。(最近もやってしまいました。⇒「浄化槽ばっきブロアーの省エネ装置の開発断念」)
私の開発者人生は、とあるソフトハウスに就職したことから始まります。学生時代は物理を専攻しており、当時は就職難の時代であったため、かなりの畑違いを覚悟で入社致しました。一ヶ月程の教育期間を終え、五月の連休明けにいよいよ配属が決まりました。配属先は、超多忙なプロジェクトを抱えた部署になり、いきなり残業の日々が始まりました。OJTとは名ばかりで、先輩が作成したプログラム設計書に基づいてプログラミングです。それもミニコンのアッセンブラ言語であります。何十冊ものマニュアルを読みながら手探りでプログラミングしました。
唯一参考になるのが、先輩達が作成したプログラムリストだけでした。学生時代とは打って変わって、順序だてて教えてくれることは期待できません。それに当時のコンピュータは高価なものでしたし、デバッグのためにマシンを占有して使える時間は一日一時間程度しかありませんでした。机上デバッグによって問題を解決することが多く、思考実験の力が相当に磨かれたような気がします。ものすごく苦労しましたが、後の開発者人生に大いに役立っているようです。
ここで開発といっているのは、開発目的が明確に決まっており、それをどう具体化(プログラミング)するかの自由度しかないものです。後にシステムエンジニアとしてシステム設計やプロジェクト管理をするようになるのですが、既に決まったものをどのように具体化するかといった点は似たりよったりでした。いわゆる受注開発型の会社では、その範疇から逃れることはできません。
とは言え、先行設計者の英知を感じ取る事ができたのも受注型の故ですし、メモリ容量を小さくする技術や処理スピードを向上させる技術に少なからず貢献しえたことは、それなりに面白い仕事であったと実感しております。7年間色々と勉強させていただきましたし、国家的プロジェクトにも参画できるなどそれなりに充実した時間でした。
開発者人生の転機は以外なところから訪れたのでした。たまたま企画立案からできる研究開発型の企業に転職を考えていたところ、大学の先輩が入社していた企業に引っ張ってくれたのです。それが、例の倒産した会社でありますが、その会社で12年程やっかいになりました。そこでは、新製品企画はもとより、ハードウエア設計、ソフトウエア設計、カタログ作成、営業サポートなどありとあらゆることをしなければなりません。分業などという考えは無く、一人一製品が基本ですからその製品に関しては全責任を負うような格好になります。設計以外は浅くとはいえ、業務全般の知識を得ることができたことは、この上なく貴重な経験でした。
開発の仕事は苦労も多いけど、基本的には楽しい仕事であると考えております。現在半分以上百姓的仕事をしておりますが、開発者としての姿勢は持ち続けたいと思っております。
<参 考>
省エネ関連製品開発や業界事情をドキュメンタリータッチ(?)で描いた記事がありますので、よろしかったらこちらの方もお読みいいただければと思います。
⇒ 「省エネ屋のつぶやき(1)」
開発の醍醐味は何と言ってもこの世に存在しない新たなものを創ることでしょう。それが人のため社会のために役立つものであれば尚更です。それが売れるかどうかは、開発時点では二の次のことです。しかし、売れなければ(買って使ってもらわなければ)結果的には、世のため人のためにはなりません。
新製品の企画を考えるとき、先ずはスポンサー(開発の決定権限がある人または組織)の興味を引くことが大切です。経営者ならば、売上増加/利益増大/投資回収を常に念頭においておりますので、この辺りの説得材料を如何に集めるかにかかっております。それから、社会的意義などバリバリの利益追求製品でないことをうまいことカモフラージュする要素をチョッピリ加えます。更には、技術の新規性や開発の可能性などを説明する各種資料をバッチリ揃えて企画書を作成します。
どんな立派な企画書であっても企画が通るとは限りません。たった一枚のラフなメモ書き程度でもOKの場合もあります。全て決裁者の気分次第と言うと語弊があるかも知れませんが、それに近いものがあるのではないでしょうか。まぁ、世の中そんないい加減なところがあるからやって行けるのかも知れません。
でもこれらは全て後付の理屈なんです。最初は開発者自身が「これを創ってみたい」といった衝動から始まるのです。
できるかどうかもわからない。売れるかどうかもわからない。とりあえず創ってみないことにはわからない。
開発者がそんな調子ですから企画書を読む方だって判らないに決まっているのですが、あれこれと注文をつけてきます。こちらも開発段階が進めば、どーせ変わってしまうのにと思いつつも神妙に聞き入っている振りをします。ここで反論でもしようものなら、速攻で没になってしまうことでしょう。
紆余曲折を経て、様々な条件を付けられ、原型が無いほどに書き直させられて、やっとのことで企画が目出度く通ることに相成るのです。出来上がりは以て非なるものになってしまうのではありますが・・・。
日本社会では避けて通れない回り道とでも言いましょうか、随分と無駄な労力を費やしてしまっております。
これから先が開発者の腕の見せ所というか、ここからが真の出番になってくる訳です。順調に開発が進むことは稀です。炭鉱節ではありませんが、それこそ「一山、二山、三山越えー、ヨイヨイ♪」といったことになります。そして、成功するとは限りません。途中で開発中止の決断をせざるを得ないこともあります。
企画段階での没案件はあまたあるのであまり気にすることも無いのですが、開発段階での没は堪えます。もう二度と開発なんかやりたくないと思ってしまいます。(最近もやってしまいました。⇒「浄化槽ばっきブロアーの省エネ装置の開発断念」)
私の開発者人生は、とあるソフトハウスに就職したことから始まります。学生時代は物理を専攻しており、当時は就職難の時代であったため、かなりの畑違いを覚悟で入社致しました。一ヶ月程の教育期間を終え、五月の連休明けにいよいよ配属が決まりました。配属先は、超多忙なプロジェクトを抱えた部署になり、いきなり残業の日々が始まりました。OJTとは名ばかりで、先輩が作成したプログラム設計書に基づいてプログラミングです。それもミニコンのアッセンブラ言語であります。何十冊ものマニュアルを読みながら手探りでプログラミングしました。
唯一参考になるのが、先輩達が作成したプログラムリストだけでした。学生時代とは打って変わって、順序だてて教えてくれることは期待できません。それに当時のコンピュータは高価なものでしたし、デバッグのためにマシンを占有して使える時間は一日一時間程度しかありませんでした。机上デバッグによって問題を解決することが多く、思考実験の力が相当に磨かれたような気がします。ものすごく苦労しましたが、後の開発者人生に大いに役立っているようです。
ここで開発といっているのは、開発目的が明確に決まっており、それをどう具体化(プログラミング)するかの自由度しかないものです。後にシステムエンジニアとしてシステム設計やプロジェクト管理をするようになるのですが、既に決まったものをどのように具体化するかといった点は似たりよったりでした。いわゆる受注開発型の会社では、その範疇から逃れることはできません。
とは言え、先行設計者の英知を感じ取る事ができたのも受注型の故ですし、メモリ容量を小さくする技術や処理スピードを向上させる技術に少なからず貢献しえたことは、それなりに面白い仕事であったと実感しております。7年間色々と勉強させていただきましたし、国家的プロジェクトにも参画できるなどそれなりに充実した時間でした。
開発者人生の転機は以外なところから訪れたのでした。たまたま企画立案からできる研究開発型の企業に転職を考えていたところ、大学の先輩が入社していた企業に引っ張ってくれたのです。それが、例の倒産した会社でありますが、その会社で12年程やっかいになりました。そこでは、新製品企画はもとより、ハードウエア設計、ソフトウエア設計、カタログ作成、営業サポートなどありとあらゆることをしなければなりません。分業などという考えは無く、一人一製品が基本ですからその製品に関しては全責任を負うような格好になります。設計以外は浅くとはいえ、業務全般の知識を得ることができたことは、この上なく貴重な経験でした。
開発の仕事は苦労も多いけど、基本的には楽しい仕事であると考えております。現在半分以上百姓的仕事をしておりますが、開発者としての姿勢は持ち続けたいと思っております。
<参 考>
省エネ関連製品開発や業界事情をドキュメンタリータッチ(?)で描いた記事がありますので、よろしかったらこちらの方もお読みいいただければと思います。
⇒ 「省エネ屋のつぶやき(1)」