ここ数日暖かい日が続いております。今日も最高気温が23℃という予報がでております。そのせいか我が家の菜園では、トマト、ピーマン、シシトウなどの夏の作物が未だに収穫できております。
昨日は曇天でしたが農作業中に汗ばんでしまい、上着を脱いでしまいました。とても11月とは思えません。季節外れの気温は、農作物に影響を与えるのではないかと少々心配しております。桜も狂い咲きといった現象があるように、植物がもう春が来たと思ってしまうかも知れません。おそらく日照時間なども春先のそれと似たような時間でしょうから、カレンダーを持たない植物からすると騙されるのも無理からぬことでしょう。さぁ、春の準備に入ったところで、寒波の襲来ということになればかなりのダメージになるかも知れません。
自然に抗って農業を営むこともできます。例えば、温度を管理したいと思えば温室を作り、温度管理(冷暖房)すれば可能です。そのためには莫大なエネルギーが必要です。
一方で農業は極論すれば太陽エネルギーのみを利用した生産が可能ともいえます。即ち、原始農業の形態は、その殆どが太陽エネルギー由来のエネルギーを使用していたのです。そこには再生可能エネルギーによる循環が成立していたと言えます。
しかし、現代農業はこのエネルギー循環が断ち切られております。確かに生産性向上はみられておりますが、投入エネルギーは産出エネルギーを上回っております。このことはエネルギーが枯渇すれば、もはや現代農業は成立しえなくなることを意味しております。
究極の自然農法は原始農業の形態と同じものと思われます。従い、太陽と適切な地球環境が存在する限り、例え生産性が低かろうが永久に持続できることになります。
<参 考>
近年、秋の抜けるような青空にめぐり合う機会がほとんど無くなってしまいました。大陸からの飛来物質としては黄砂が有名ですが、これは季節的なものでした。しかし最近は年がら年中、晴天でもどんよりと霞んだような日が多くなりました。空を飛んでいるとこのような気象現象には敏感になります。遠方の地上目標が見づらいと神経を使います。フライトを楽しむといった余裕は全くありません。ひたすら計器に頼って飛んでいるといった感じです。
その原因は、大陸からの大気汚染物質が飛来しているのではないかと言うことです。九州大学/国立環境研究所「化学天気予報システム(CFORS)」による黄砂・大気汚染物質分布予測なるものが公表されております。シミュレーション結果をみると一目瞭然です。そういえば、ここ数年は「光化学スモッグ警報」が出されていたという報道をよく耳にします。私が小さい頃は、夏場に毎日のように工業地帯では発生していた記憶があります。しかし、このところトンと聞いたことがなく、日本では死語になったものと思っておりました。
このような状況が続くと健康被害が気になります。日本でもかつて公害が発生し、大きな被害を招きました。この時には、国内問題であった訳ですが、今回のそれは国際問題と言えます。日本では公害問題を克服してきた経験と実績があるのですから、この技術を活用して新たな公害の発生を防止する手段を真剣に検討しなくてはならない時期に来ているのではないかと思います。
かれこれ十数年前になるでしょうか「晴田をよくする会」の方々が千葉城址の麓に位置する「御手水の滝」に登る道周辺に百数十本の紅葉を植樹されました。その後、私が住まいする西晴気地区の住民有志がこれを管理して参りました。そして植樹後、植樹した紅葉を愛でるために毎年勤労感謝の日に「紅葉祭り」を開催してきました。例年、この時期には色付きが今だの感があります。後数週間すれば見頃かなといった感じです。
紅葉の他にも紫陽花なども植栽されておりますので、散歩にはうってつけのコースかと思います。御手水の滝は以前は水量が豊富らしかったのですが、上流に八丁ダムが建設されたためか、現在は細々と流れているといった感じになってしまったそうです。(残念ながら私はネイティブ西晴気住民ではありませんので、昔の雄姿は見たことがありません。)
今日は、雨上がりのためか何時もより水量が多いように見受けられます。
やっと色付きはじめた紅葉。
昨日、佐賀県行政書士会館において第18回研究会を開催しました。
今回は、環境省地球温暖化対策課市場メカニズム室「国内排出量取引制度について」という資料を利用し、排出量取引の最新情報を学びました。
私自身は、今まで余り興味が無いというか否定的立場に立っておりましたが、いよいよ閣議決定され国会でも議論されるようになると思われますので、一応人並みの知識は必要ではないかと思い、このテーマにしてみたという次第です。
メンバーの中に、このこの辺の事情に詳しい方いらっしゃいましたので、私自身良い勉強になりました。
色々と検討してみましたが、今まで親しんできた玄米食を急に止めてしまうまでの根拠を得られませんでしたが、それとて今まで通りというのも少々問題ありかとも思えます。まことに日本人的な解決法ですが、折衷案として玄米を五分つきにして麦を混ぜるということにしました。たまには、自家栽培(無農薬)の大豆、黒豆、小豆、グリーンピースなどを加えても良いかなと思っております。
直売所などで売っている、粟、キビ等の雑穀を混ぜてみたいとも思っております。この際、何が何でも玄米という考えを見直し、バラエティーに富んだ主食を目指そうと思っております。やはり毎日食するものですから、万万が一のことを想定すべきでしょう。少なくも危険性が指摘されている以上は、それが明確に否定されない限りは、避けて通るのが無難ではなかろうかと考えます。
いい歳こいて今更何を食ったって大して変わらないと言われては、それはその通りですが、「ピンピンコロリ」を理想とする私からすれば、そうはいかないのであります。放射線を発するものであれば、その影響は確率的なものですが、化学物質による影響は確実に発現するものと思えます。従って、残留農薬の影響はないがしろには出来ないと思います。
参考:「農業ことはじめ(8)-農薬について」
玄米食は健康に良いと言われております。我が家でも3年以上前から玄米食に切替えております。しかし、「危ない玄米食(黒田米穀さんのWebサイト)」というページを見つけました。
確かに玄米食=健康的という思い込みがありました。脚気は白米ばかりを食べることによる贅沢病であるとか、玄米を食べれば必要な栄養分がほとんど賄えるといったことを良く耳にします。自分で考えたり確かめた訳でもないのに、その類の情報を妄信していたようにも思います。自分の専門のことなら、あれこれと分析して掛るのに、食や健康という一番身近なことに無頓着になっていたことを大反省しなければならないと思います。
先述のページの主張が正しいかどうかは、もっと調べてみないと何とも言えません。私の場合、ほぼ毎食それも大量に口にするわけですから大変に気になるところです。色々と調べてみて、今後どうするかを決めたいと思っております。
<追記>
かつて「豊かさって何だろう」で疑ってはいたようです。
現在、白内障は左眼だけですが、眼科で治療を受けております。私の場合どちらかというと白濁が中心部付近にあるそうで、明るい場所で瞳孔が小さくなったときに影響が大きくなるとのことです。また、白濁の進行については個人差があるが、概ね5~10年程度とのことでした。これは失明に近い状態ということでしょうから、視力への影響はもっと早く発現するのではないかと思われます。一旦白濁が始まると元に戻すことは不可能ということですので、白内障の進行を遅らせるという点眼薬を処方してもらっております。
最近こころなしか、パソコン作業中やふとした時に見え難く感じることがあります。疲れ眼なのかも知れませんが、特に左眼に現れますので若干気になっております。白内障との関連性があるかどうか不明ですが、起床直後は特に強く現れます。まるで霧がかかっているような感じです。
老化現象ですので仕方ないといえば仕方ないことですが、大空への夢へ近づくと、それを拒絶するかの如く障害が現れてきます。空へ近づくなという警告なのか、そもそもこういう運命なのでしょうか。今回ばかりは、少々凹んでしまいました。
人工水晶体に取り替えれば、視力は回復するとのことですので、あまり気に病むことは無いのでしょうが・・・。
結局、一日遅らせただけの事実上の参加表明でした。首相会見で「私自身各方面から様々な意見を拝聴し、熟慮を重ねてきた。」と語っておられますが、当初から参加ありきの姿勢が見え見えの中でのこの発言自体に言葉の重みと言うものが感じられません。また、協議に入るに際し「守るべきものは守り、勝ち取るものは勝ち取る。」とのことですが、交渉ごとですから「守りきれないものもあり、勝ち取れないものは譲る。」こともあるのです。最低限譲れないものがあり、それが認められなければ参加はあり得ないということを明確に表明すべきです。それがないため、参加すればなし崩し的に譲歩させられてしまうという懸念が反対論の中に強いのではないでしょうか。
そして、今国民が(といったら私は違うと言われるかも知れませんが)一番知りたいことは「何を守りたいのか」、「何を勝ち取ろうとしているのか」ではないでしょうか。さかんに国益と言う言葉が飛び交います。しかし、その国益が何を指しているのかが明確でないため議論がかみ合わないのでしょう。確かに交渉ごとですから、思い通りにならないことがあるでしょう。しかし、何が何でもこれだけは守り抜くとか、勝ち取るということを鮮明にすることが、交渉に臨むに当たって必要なことではないでしょうか。成り行きを見ないと分からないという姿勢では、最初から負けてしまってます。
参加表明した以上は、もう後戻りは出来ないわけですから、首相が大見得を切った事の成り行きをじっくりと、お手並み拝見させていただきます。
議論を始めてちょうど一ヶ月目の結論でした。民主党が議論を開始したのが「TPPについて」を書いた10/11でした。すったもんだの末、民主党がまとめた提言なるものは参加に否定的なものだったのに、今日にも野田首相が参加表明するとの報道です。この一ヶ月の間、とんだ茶番劇を見せられてきたと思わざるを得ません。
結論ありきなのであれば、何のための議論であったのでしょうか。議論を尽くしたというアリバイ工作をしたといったところが正直なところでしょうか。
未だTPPの内容も定かでないのにも関わらず、第4次補正予算で数兆円規模の農業対策が云々されております。これでは参加を既定の事実とした上での対策ということを裏書しているようなものです。
前にも書きましたが、いくら補助金を積もうとも農業は衰退していくことは明らかです。これはTPPに参加しなくても同じ道をたどることも疑いありません。ただ参加すれば、その時間が短くなるだけです。その結末は「TPPについて(2)」 のようになると思っております。
前回青虫退治の記事を書いてから一ヶ月経過しましたが、未だに青虫の繁殖力が衰えません。この間、毎日のようにピンセットで捕獲大作戦を実施しております。これだけ頑張っても葉っぱはアナポコだらけになってしまいました。
作戦対象は、現在のところメキャベツとブロッコリーです。青虫はアブラナ科の作物が好きみたいです。田んぼの菜の花も相当に青虫による食害を受けておりますが、とてもとてもそこまで手が廻りかねております。
そんな折、「キャベツは青虫と共生している」のだという記述がありました。半信半疑で読み進めて行きますと、これって私が目指しているところの「自然農法」のことではないかと気付かされてしまいました。自然農法というのは本来の自然の掟に従った農法であるはずなのに、自然農法のスタイルさえ踏めば良いのだと思い込んでいたのでした。
しかし、目の前で青虫から食い荒らされているのを目の当たりにすると手を出さずにはおれません。今までそのような価値観の刷り込みをされているわけですから、そう簡単に見過ごすことが出来ないのも無理からぬことでしょう。自然の理をもっともっと学ぶ必要があると今更ながらに思わされました。明日から青虫と共生してみることにします。
下の画像は、ブロッコリーに取り付いた青虫です。真ん中にブロッコリーの芽ができております。数週間後には、毎日のように食卓を賑してくれるでしょう。
提案書によく表れる現象に「償却期間3年の法則」と「もう一声の法則」というのがあります。もっともこれらの名称は、私が勝手に名付けたものです。前者は先に紹介したページに書いておりますので繰り返しません。「もう一声の法則」というのは、いわゆる純利益額(メリット月額-リース月額)で良く見られます。例えば、計算結果の純利益額(月額)が9,800円だったとしますと、ほとんどの場合10,000円を超えた金額に書き換えられてしまうであろうという法則です。これは金額の多少によりません。ほぼ確実に一桁アップしていることでしょう。どのような操作をするかは、償却期間の計算と全く同じです。そしてこの2つの法則を同時に実現したところが提案書の落としどころといったことになります。
「償却期間3年の法則」では書かなかったことですが、通常は償却期間が短縮する方向に働く法則のように思われるでしょうが、実は償却期間を引き延ばす方向に働くこともあります。例えば、計算結果の償却期間が1.5年であったとするとこの期間が引き延ばされて3年に近い期間になることとなります。安全率を考慮して、メリット額を減らす方向に働けば、それなりの合理性がある訳ですが、メリット額の変更を抑えて導入費用の増大の方向に働くことが一般的です。即ち、業者の利益が増加します。
ある程度の値引代を確保しておきたいということであるなら未だしも「どこまで儲ければ気が済むのかい?」と言いたくなることもあります。一度ある代理店にそのことを指摘したことがあるのですが、「何時も儲かる訳ではない。損する時だってあるから、儲かるところで稼いでおかなければならないのだ。」との返答でした。その時は、こちらも売ってもらっている手前、これ以上の追求はしませんでしたが、釈然としない気持だけが残っておりました。
このように提案書を作成する際には様々な要因が働いており、その結果として出来上がっているということを知っていただきたいと思います。そのような目で提案書を眺めてみると、また違った地平が見えてくるかも知れません。
「省エネ屋のつぶやき(10)-省エネ・節電ビジネス新規参入編」へ戻る
報道によりますとG20の全体会合で消費税率を「2010年代半ばまでに段階的に10%に引き上げる」と表明したとのことです。そして、法案が通った後、税率アップが実施される前に衆議院を解散し、国民に信を問うということです。
G20でいい恰好をしたかったのか、それとも会合で財政再建策を突き上げを喰らったのか知りませんが、いささか唐突な印象を受けました。それに法案が通った後に信を問うのは順序が逆ではないでしょうか?
そもそも消費税率のアップのことは、先の総選挙のマニフェストに書いてありましたか?TPPについても然りです。このように国論を二分するような場合にこそ、マニフェストに堂々と掲げて、国民に信を問うことが求められるのではないでしょうか。それでこそ解散の大義名分が立つというものです。
「書いてあることはやらない。書いてないことをやる。」ならば、そもそもマニフェストは不用です。以前は「公約倒れ」と良く言いましたが、単に「マニフェスト倒れ」になっただけで、以前の状況と何ら異なりません。横文字の新しい言葉が出てきたら、眉に唾をつけましょう。このような政治不信が増幅されただけのように思います。
国会の代表質問を聴いていて、野田首相の答弁にやたら「国益」という言葉が出てきます。この国益というのは何を意味するのでしょうか?
国益と言われると何か反論し難いものがあります。その国益が何を指しているのかを明らかにせずに「国益・国益」と言われるとどうも胡散臭さを感じてしまいます。国益という抽象的な言葉ではなく、具体的にどのようなメリットがあり、どのようなデメリットがあるかを明確にすることが重要でしょう。議論をするすると言いながら、何も材料を提供せず議論をしましょうと言っても議論のしようがありません。TPPの協議に参加しないから情報が得られないというのは言い訳にしか聞こえません。であればどこから国益という言葉が出てくるのでしょうか?
国民が一致するような国益が存在すると仮定しましょう。外交交渉はまさに国益と国益が真正面から衝突するものでしょう。国会のねじれをはじめとする国内の諸問題にさえまともに対処できない政治家に虚々実々の駆け引きが繰りひろげられるようなところで、本当に国益を守ることができるタフネゴシエーターが果たして何人いらっしゃるのでしょうか。甚だ疑わしいことのように思われます。