佐賀県武雄市の小学校(山内西小学校)でタブレット端末を使用したプログラミングに親しむ授業の実証研究をこの10月から実施するそうです。この実証研究の対象は小学1年生の40人で、放課後の時間を利用し、40分×8回程度小学生向けに簡易化したプログラミング言語を用いてアプリケーションの開発体験をさせるとのことです。
武雄市では、これまでにタブレット端末を活用した「反転授業」を取り入れたりと色々と物議をかもしております。教育関係以外にも、図書館の運営を民間業者に委託したり、市民病院を民営化したりとマスコミを騒がせてきております。
私は武雄市民ではありませんので市民がどのようにお考えになっているのか知る由もありませんが賛否両論聞こえてきております。
私は、教育は発達段階に応じて実施されるべきものであると考えております。少ない時間で効率良く多くの内容を教育するためにも、その方が望ましいものと考えます。ただ、発達段階や個別教科の習熟度は個人で差があります。ですから、一斉授業で一律にといったスタイルには限界が伴います。しかし、習熟度に合わせたクラス編成をすれば、基本的人権に反するといったことでなかなか実現できません。このような様々な矛盾を抱えた中で公教育は行われているといえます。結局は最大公約数的なことしかできないといったことが現実なのでしょう。
反転授業は、このような点を解消する一つの解かも知れません。しかし、それは可能性のひとつであって、他に方法がないものでもないでしょう。にも関わらず、実際の運用経験もほとんどない中で一斉に市内全校で実施するといった手法は、あまりにも無謀であると言われても仕方がないのではないでしょうか?
話がそれてしまいましたが、要は早ければ早い方が良いといった考えでは碌なことはないということです。例えば、小学校からの英語教育です。(参考:「英会話教育に関する違和感」)
プログラミングも同様で、「筋道を立てて考える力」、「構成などを考える想像力」などの成長に焦点をあてるとされておりますが、これなどは何もプログラミングが最適な方法であるとは限りません。タブレット端末を導入した以上は何らかの実績を出さなければならない。このためにタブレット端末を活用した実証研究により良好な成果出たというエクスキューズとしてこの案件が登場したのではないかと思えて仕方ありません。このような出来レースに思えるのは私の見方が捻くれている故の邪推なのでしょうか?
因みに、私が本格的にプログラミングを学んだのは大学卒業後、コンピュータシステム開発会社に就職してからです。私はそれからでも十分であると考えます。学生時代コンピュータサイエンスを学んできたとか、そのような学部レベルの知識や小手先の技法は何の役にも立たないことを思い知らされることでしょう。
更に言えば、プログラミングなどは若い頃からやっていないと才能が伸びないなどといったことが指摘されます。天才的プログラマーなどといった方々は、何も学校教育で学ばずとも独力で能力を伸ばせます。むしろ、学校教育は、そのような能力の芽を摘んでしまうことにもなりかねません。私を含む多くの凡人開発者は、先に述べたように小手先の技術を学ぶより、幅広い知識や見方を身につける方が望ましい結果を生むのではないかと思うのであります。
かつて「改革をすればするほど変になる」といった駄句を捻ったことがあります。これも捻くれた見方かもしれませんが・・・。