山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

農業基本法について

2015-10-31 | 政治・経済・社会
 食料・農業・農村基本法が制定されるまで、農業基本法は農業の憲法とも言われ、まさにこの法に基づき農政が行われてきました。その結果が現在の惨憺たる農業の現実を生みだしたともいえます。TPPが現実のものとなり、今後の農政を考える上でも農業基本法を振り返り、何が問題であったかを検討することは意義のあることと考えます。

 さて農業基本法前文は次の通りです。
「わが国の農業は、長い歴史の試練を受けながら、国民食糧その他の農産物の供給、資源の有効利用、国土の保全、国内市場の拡大等国民経済の発展と国民生活の安定に寄与してきた。また、農業従事者は、このような農業のにない手として、幾多の困苦に堪えつつ、その務めを果たし、国家社会及び地域社会の重要な形成者として国民の勤勉な能力と創造的精神の源泉たる使命を全うしてきた。
われらは、このような農業及び農業従事者の使命が今後においても変わることなく、民主的で文化的な国家の建設にとつてきわめて重要な意義を持ち続けると確信する。
しかるに、近時、経済の著しい発展に伴なつて農業と他産業との間において生産性及び従事者の生活水準の格差が拡大しつつある。他方、農産物の消費構造にも変化が生じ、また、他産業への労働力の移動の現象が見られる。
このような事態に対処して、農業の自然的経済的社会的制約による不利を補正し、農業従事者の自由な意志と創意工夫を尊重しつつ、農業の近代化と合理化を図つて、農業従事者が他の国民各層と均衡する健康で文化的な生活を営むことができるようにすることは、農業及び農業従事者の使命にこたえるゆえんのものであるとともに、公共の福祉を念願するわれら国民の責務に属するものである。
ここに、農業の向うべき新たなみちを明らかにし、農業に関する政策の目標を示すため、この法律を制定する。」

この前文では、これまでの農業が果たしてきた役割を述べ、日本の経済が高度成長しているなかで他産業に比べ生産性が低く、かつ経済格差が拡大していると分析しております。よって農業の近代化を図り、経済格差の是正することは国民の責務であると説いております。
 
 ここにこの法律の目指す方向性が示され、構造改善事業、近代化資金などの制度融資、各種補助金・助成金などの農政が展開されていくことになります。

 以降、各条文を参照しつつ農政が農業に与えた影響について考えてみたいと思います。

 



農業用倉庫の屋根葺き替え

2015-10-29 | ブログ
 昨年の台風で一部飛ばされた屋根(参考:「台風19号で農業用倉庫が一部破損してしまいました」)の葺き替え工事を行いました。

 カバー工法といって、スレート葺きの屋根を撤去せず金属製の波板で覆うように固定しますので、短時間で安価にできるそうです。事実、8時位から開始して14時には完了しました。
 費用も思っていたほどには掛からず、ホットしたところです。こういうことならもっと早くしておけばと思った次第です。

 と言っても、倉庫の中にはほとんどガラクタしか入っておりませんので、少々雨漏りしても構いません。それに後何年使うか分かったものではありませんので、なかなか補修する気が湧いてきませんでした。見積もりのとき「これで後30年は持ちますよ!」と言われましたが、何だか複雑な気持ちになってしまいました。

(葺き替え後の屋根)





電話営業の功罪(4)

2015-10-28 | 政治・経済・社会
 本日の電話営業は新手(?)のものでした。電話に出るといきなり、録音なのか合成音声なのか分かりませんが、社名を名乗り電話帳に掲載されている番号に電話している(我が家は電話帳に掲載しておりませんが・・・)と述べ、今から1分ほどのアンケートに答えてくれとのことでした。

 この時点で相当にムカついておりましたが、このブログ記事を書くためにアンケートに答えたのでした。相手が人間ならば、色々とこちらから逆質問をしているところですが、機械相手には虚しいことですのでひたすら忍耐いたしました。

 内容的には電力自由化に関する市場調査によるものと思われます。まさか、九電がこのようなくだらないことをするとは思えませんので、新規参入に向けてのものと思われます。
 「電気料金に不満を持っているか?」、「同居人数は何人か?」、「65歳以上と同居しているか?」などといったものでした。

 結構つまらない質問をするものだと思ったのですが、ハタと、まさか、これって詐欺電話のターゲット絞り込みのアンケートではと思えてきました。最初の設問は尤もな調査に思わせておいて、知りたいのは家族構成とか老人がいるかどうかといったものなのかも知れません。それにアンケートに我慢して答えるのは、押し売りすれば売れる証拠とも言えます。つまり、断りにくい性格であることが知られてしまいます。

 このような電話アンケートを行い、名簿を作成して売られると思うと憂鬱になってきます。

 あーぁ、これでまた営業電話が沢山かかってくるようになるなぁ!

 相手をしてしまったことが悔やまれます。皆さんはこのような電話が掛かってきたら、速攻で叩き切りましょうね。電話が存在すること自体は認知されてしまってますが、少なくとも営業ターゲットとしての価値は低く認識されることになるでしょうから。


<参 考> 「電話営業の功罪」「電話営業の功罪(2)」「電話営業の功罪(3)




久々の雨

2015-10-27 | ブログ
 久々に雨が降っております。畑はカラッカラの状態でしたので、まさに恵みの雨となっております。
一体どれくらい雨が降っていないかと思い、気象庁のWebサイトで佐賀市の降雨データを調べてみますと、11/11に5ミリのお湿り程度の雨が観測されて以来のようです。その前が10/1に81ミリとまとまった雨が降っておりますので、実質的には10/1以来というべきでしょうか。

 これで作物もやっと人心地つくことができたことでしょう。特に定植間もない葉物野菜達は、勢いを得たかのように成長してくれるものと思います。

 農業に携わっていない方々にとっては、好天が続くことが望ましいことでしょう。しかし、私にとっては、適度に雨が降ってくれるのが一番有難いことに思えます。しかし、そうはなってくれないのが世の常というか大自然です。自然のありように添って生きていくしかないのが、自然の中に存在しているものの宿命なのでしょう。





開発は楽し

2015-10-24 | 開発
 最近開発から随分と遠ざかった人生を歩んでおります。開発したい気持ちは持ちつつも、なかなか最終製品まで行き着くことができておりません。モチベーションを維持し続けるためにも今一度開発の楽しみを語ってみることにします。

 開発の醍醐味は何と言ってもこの世に存在しない新たなものを創ることでしょう。それが人のため社会のために役立つものであれば尚更です。それが売れるかどうかは、開発時点では二の次のことです。しかし、売れなければ(買って使ってもらわなければ)結果的には、世のため人のためにはなりません。

 新製品の企画を考えるとき、先ずはスポンサー(開発の決定権限がある人または組織)の興味を引くことが大切です。経営者ならば、売上増加/利益増大/投資回収を常に念頭においておりますので、この辺りの説得材料を如何に集めるかにかかっております。それから、社会的意義などバリバリの利益追求製品でないことをうまいことカモフラージュする要素をチョッピリ加えます。更には、技術の新規性や開発の可能性などを説明する各種資料をバッチリ揃えて企画書を作成します。

 どんな立派な企画書であっても企画が通るとは限りません。たった一枚のラフなメモ書き程度でもOKの場合もあります。全て決裁者の気分次第と言うと語弊があるかも知れませんが、それに近いものがあるのではないでしょうか。まぁ、世の中そんないい加減なところがあるからやって行けるのかも知れません。
 でもこれらは全て後付の理屈なんです。最初は開発者自身が「これを創ってみたい」といった衝動から始まるのです。
 できるかどうかもわからない。売れるかどうかもわからない。とりあえず創ってみないことにはわからない。
 開発者がそんな調子ですから企画書を読む方だって判らないに決まっているのですが、あれこれと注文をつけてきます。こちらも開発段階が進めば、どーせ変わってしまうのにと思いつつも神妙に聞き入っている振りをします。ここで反論でもしようものなら、速攻で没になってしまうことでしょう。

紆余曲折を経て、様々な条件を付けられ、原型が無いほどに書き直させられて、やっとのことで企画が目出度く通ることに相成るのです。出来上がりは以て非なるものになってしまうのではありますが・・・。
日本社会では避けて通れない回り道とでも言いましょうか、随分と無駄な労力を費やしてしまっております。

 これから先が開発者の腕の見せ所というか、ここからが真の出番になってくる訳です。順調に開発が進むことは稀です。炭鉱節ではありませんが、それこそ「一山、二山、三山越えー、ヨイヨイ♪」といったことになります。そして、成功するとは限りません。途中で開発中止の決断をせざるを得ないこともあります。
企画段階での没案件はあまたあるのであまり気にすることも無いのですが、開発段階での没は堪えます。もう二度と開発なんかやりたくないと思ってしまいます。(最近もやってしまいました。⇒「浄化槽ばっきブロアーの省エネ装置の開発断念」)

 私の開発者人生は、とあるソフトハウスに就職したことから始まります。学生時代は物理を専攻しており、当時は就職難の時代であったため、かなりの畑違いを覚悟で入社致しました。一ヶ月程の教育期間を終え、五月の連休明けにいよいよ配属が決まりました。配属先は、超多忙なプロジェクトを抱えた部署になり、いきなり残業の日々が始まりました。OJTとは名ばかりで、先輩が作成したプログラム設計書に基づいてプログラミングです。それもミニコンのアッセンブラ言語であります。何十冊ものマニュアルを読みながら手探りでプログラミングしました。
唯一参考になるのが、先輩達が作成したプログラムリストだけでした。学生時代とは打って変わって、順序だてて教えてくれることは期待できません。それに当時のコンピュータは高価なものでしたし、デバッグのためにマシンを占有して使える時間は一日一時間程度しかありませんでした。机上デバッグによって問題を解決することが多く、思考実験の力が相当に磨かれたような気がします。ものすごく苦労しましたが、後の開発者人生に大いに役立っているようです。

 ここで開発といっているのは、開発目的が明確に決まっており、それをどう具体化(プログラミング)するかの自由度しかないものです。後にシステムエンジニアとしてシステム設計やプロジェクト管理をするようになるのですが、既に決まったものをどのように具体化するかといった点は似たりよったりでした。いわゆる受注開発型の会社では、その範疇から逃れることはできません。
 とは言え、先行設計者の英知を感じ取る事ができたのも受注型の故ですし、メモリ容量を小さくする技術や処理スピードを向上させる技術に少なからず貢献しえたことは、それなりに面白い仕事であったと実感しております。7年間色々と勉強させていただきましたし、国家的プロジェクトにも参画できるなどそれなりに充実した時間でした。

開発者人生の転機は以外なところから訪れたのでした。たまたま企画立案からできる研究開発型の企業に転職を考えていたところ、大学の先輩が入社していた企業に引っ張ってくれたのです。それが、例の倒産した会社でありますが、その会社で12年程やっかいになりました。そこでは、新製品企画はもとより、ハードウエア設計、ソフトウエア設計、カタログ作成、営業サポートなどありとあらゆることをしなければなりません。分業などという考えは無く、一人一製品が基本ですからその製品に関しては全責任を負うような格好になります。設計以外は浅くとはいえ、業務全般の知識を得ることができたことは、この上なく貴重な経験でした。

 開発の仕事は苦労も多いけど、基本的には楽しい仕事であると考えております。現在半分以上百姓的仕事をしておりますが、開発者としての姿勢は持ち続けたいと思っております。
 
<参 考>
 省エネ関連製品開発や業界事情をドキュメンタリータッチ(?)で描いた記事がありますので、よろしかったらこちらの方もお読みいいただければと思います。
 ⇒ 「省エネ屋のつぶやき(1)






「地球温暖化を考える」

2015-10-23 | 本と雑誌
 宇沢弘文著「地球温暖化を考える」岩波新書

 ライフワークとして省エネに取り組んできたと言いながらも、正直言って温暖化問題に関してはさほど熱心ではありませんでした。何でも温暖化が原因だといった風潮に少々違和感を覚えるところもありますし、本当に科学的に真実なのだろうかといったことも理由として上げられます。(参考:「地球寒冷化(?)」「牛のゲップで地球温暖化?(+野焼きについて)」)
そして、地球温暖化で一儲けしようと企んでいる連中の尻馬に乗せられているのではないかといった疑念も拭えませんでした。

 しかし、省エネや節電に長年取り組んできたのは、資源の枯渇は疑いの無い事実であり、これを少しでも先に延ばすことができるからに他なません。そして、仮に温暖化が真実であるならば、これに対しても省エネ・節電は有効であるといったことであるからです。

 今回紹介した本は、地球温暖化を理解する上での入門書として適するのではないかと考えます。温暖化に関する研究はとてもではありませんが門外漢には理解できるものではありません。これを分かりやすく解説され、凡そのことを把握できるようになっております。

 私にとっては別の意味で読んで良かったと思える本でもありました。それは、P184~P192で記述されている農業に関するもので、著者の農業に関する分析は秀逸のものであると思います。



TPPについて(22)-関税の細目が公表されておりますが

2015-10-21 | 農業
 政府から公表された、関税の細目を受けて様々な主張がなされております。農家への影響もほとんどないといったものから、大打撃を受けるといったものまで百家争鳴といった様相を呈しております。

 政府は守るべきものは守ると言ってきました。そのことはある面では盛り込めたのではないかとは思います。確かに、形式的には守られたかに見えますが、現実に守られるかどうかは全くもって不明です。というのは静的に見ればその通りとなるかも知れません。しかし、世の中は決められた関税率を見て経済活動の方向性を変えてくるようにもっと動的なものです。ルールの中で最大利益を上げるように経済活動は動いていくことでしょう。
 例えば、コメが輸出できないなら、コメを原材料とした加工食品にシフトしてくるかも知れません。日本人のコメの消費量は年々減少しております。そもそもご飯を食べる量が減少したこともあるでしょうし、簡便なパンやシリアルなどにとって代わられていることもあるでしょう。
 自らご飯を炊いて食事をするより、より加工食品に頼るようになることでしょう。となれば、コメそのものの関税云々より、加工食品の関税の方が効き目があるということになります。

 このように、将来どのようになるかは株価を予測するようなものであって、現時点であれこれ言っても意味がありません。政府が現時点で、交渉結果を自慢するのは早計であると言わざるを得ません。

 評論家が当たりもしない主張をするのは勝手ですが、それによって右往左往(政治家を含む)する者が現れます。現場はそれによって大混乱をきたすことが往々にしてあります。自分が安全圏にいるからこそ、勝手なことが言えるし、その結果責任を問われることはありません。
 しかし、TPPに関しては生活に直結するものです。いつまで評論家様も安全圏に身を置いていられることやら。

 関税の細目だけでも、これだけの議論が巻き起こるのですから、その他の内容が公表されたら蜂の巣を突いたようになるのではないでしょうか。



佐賀弁・筑後弁お国言葉比較考(13)

2015-10-20 | うんちく・小ネタ
 毎年カメムシには痛い目にあわされております。特に今年はカメムシの被害がひどかったように思います。以前はピンセットで捕まえていたこともありましたが、ほとんど意味の無いことを思い知らされ、何もしないで放っておくことにしました。それでも、見かけは悪くなりますがちゃんと育ってくれておりますので、それで良しとすることにしております。

 カメムシのことを佐賀弁で「ふ」と言います。話し言葉では「ふぅ」あるいは「ふー」のように聞こえます。筑後弁では何というか記憶にありませんでしたので、ネット検索してみますと「つ」と言うようです。微妙に違いますね。

 ここからは、この言葉の起源を妄想してみましょう。
カメムシが植物の汁(植物の体液)を吸ったところに傷ができます。植物はこれを補修します。同様に人間も怪我をしたとき、しばらくすると「かさぶた」ができます。このかさぶたのことを筑後弁で「つ」と言います。カメムシの被害があったところが、傷ついた様相を呈するところから「つ」と言うようになったのではないのかなと想像しました。
 同様にこのような傷跡は斑模様となります。斑模様となることを斑が入るとも言います。その原因を作った虫のことを「ふ」と言うようになったのではないかと思った次第です。

 何となくこじつけてしまいましたが、語源の正確なことは分からないと思います。諸説紛々あるものでしょうからこそ面白いとも言えます。こんなことを真面目に研究しても得られるものは少ないでしょう。しかし、このようなことを面白がる心が、人類を発展させた原動力なのかも知れませんね。


グローバル化かローカル化か?

2015-10-19 | ブログ
 昨今グローバル化が喧伝されております。あたかもグローバル化の波に乗り遅れるのは罪悪であるかの如く!
様々のものがボーダーレスになってきております。情報ネットワークが拍車をかけます。
 人間社会にとってグローバル化は必然なのでしょうか。果たして、グローバル化によって人は幸福になるのでしょうか。なぜグローバル化しなければならないのでしょうか。

 攻めの農業などと政府は農産物を海外に高く売りつけようと仕向けております。それが農業が生き残る唯一の道だとか言わんばかりに!(参考:「TPPについて(13)-攻めの農業って?」「日本の農産物が海外で売れると言われておりますが?」)

 あるいは、海外から安い農産物が輸入できるようになるから消費者はハッピーになりますとも言われております。そして、日本の農業は壊滅的打撃を受けるとも言われております。これに対抗するには、大規模化して生産性を向上させる必要があるとも。しかし、例え大規模化しても海外の農業に太刀打ちすることができません。所詮、蟷螂之斧でしょう。(参考:「TPPについて(17)-農業の経営規模拡大の行き着く果ては?」)
 
 一方で、グローバル化の対極としてローカル化といった概念があります。農業でいえば「地産地消」といった言葉が端的に表しております。「月3万円ビジネス」でもローカル化が提唱されております。このようにローカル化することによって生き残ろうとする試みが見られます。

 さて、どの方向性が望ましいのでしょうか。世の流れはグローバル化であることは議論を待たないことでしょう。しかし、果たしてそれだけで良いのでしょうか。この流れに逆らうものは排除してしまって良いのでしょうか。政府の考えは、どうもローカル化するものを排除しようといった動きにあるものと思えて仕方ありません。例えば、補助金は大規模農家に集中させ、零細農家は潰してしまえと言わんばかりです。私自身は補助金など全くあてにしておりませんが、規模拡大のため農地を集積化する必要があるといった理由で農地を取り上げるような動きがあります。あるいは家庭菜園規模の作付を禁止してしまえといった乱暴な議論もあります。こうなると我が日本国は社会主義国と言わざるを得ない状況となってしまいます。

 このようなグローバル化一辺倒の行き着く先はろくなことはないように思われます。グローバル化する中にもローカル化する方向に進む者あり。あるいは第三の道を歩む者といった多様性のある社会が望ましいと考えます。

 「一人こけたら皆こけた」では、あまりにも寂しく思えて仕方ありません。




 

「落ち葉でも朽ちて大地の糧となる」

2015-10-10 | 川柳
 ここ数日、朝晩に寒さを感じるようになりました。庭の金木犀から芳しい香が漂ってきます。家から眺めても山々の色づきの変化には気づきませんが、ドライブをすれば心なしか街路樹が色づき始めたような気がします。

 愈々秋本番を迎えつつあります。季節が進むとともに広葉の木々は、夏を惜しむかのようにそれぞれに化粧を施し、初冬の木枯らしに身を任せ、ハラハラと舞い散る様は、人の一生との重なりを思わせるかのようです。

 秋は何となく人を感傷的にさせてくれるようです。落ち葉は人生の黄昏をイメージさせます。これまで木を成長させるためせっせと働き、時の経過とともに自らその役割を終わらせ、そして散っていくのです。しかし、舞い降りた落ち葉は、小動物や微生物で分解され、大地に還元され栄養分として吸収され、木々を成長させます。

 落ち葉でさえ、大自然において大きな役割を果たしています。それに比べて、我々人間は何の役割を果たしているのでしょうか。いや、むしろ大自然に対して害悪とはなっていないだろうか。大自然にとって不要のもの、悪さをするものに対しては、必ずや最悪の審判が下ることを覚悟すべきか?

<2015/11/24 追記>
「落ち葉さえ朽ちて大地の糧となる」が良かったかな?
「落ち葉でも」って語感が良くないですね。



3-Biz候補(13)~抹茶、茶道具作り

2015-10-04 | 月3万円ビジネス(3-Biz)
 先に「3-Biz候補(4)~無農薬茶葉関連ビジネス」といったビジネス候補を挙げました。
 一層のこと煎茶だけでなく抹茶にも手を広げてみようと思いました。抹茶と言えば茶道ですね。せっかく茶を嗜むなら竹の有効活用と絡めて、茶道具も手作りしては如何でしょうか。

 茶筅は無理でも、茶杓、花入れなどは手作りできるでしょう。柄杓も何とかなりそうですね。それから庭に竹垣などあれば風流ですね。このように竹を利用して、諸々身の回りのものを作るのは生活に潤いを与えます。

 趣味も嵩じていくと茶碗なども自作したくなるかも知れません。私の大学の先輩で陶芸家がいらっしゃいます。陶芸教室などもしていらっしゃいますので、茶碗や水指なども作っちゃいましょう。

 現在、茶道人口はいかほどか知りませんが、静かなブームを巻き起こすことができればと妄想してみました。






TPPについて(21)-交渉妥結間近のようですが

2015-10-03 | 農業
 報道によりますとTPP交渉の妥結が間近に迫っているようです。今朝がたの報道番組でも取り上げられておりました。大方のコメンテーターもTPP交渉の妥結を歓迎するコメントをしておられました。消費者目線で見れば海外から安いものが入ってくることは歓迎されることといった趣旨の発言が多かったようです。

 その中で、国内産業に与える影響についての言及があり、特に農業に関して今まで多額の補助金が交付されたのにも関わらず農業は衰退してきた。今後は保護の在り方を検討し、強い農業にすることに対する政策が必要となるとの趣旨の発言がありました。

 このことに関しては「TPPについて(20)-強いものが生き残るのか、生き残ったものが強いのか?」その他の記事でも取り上げておりますように、大いなる勘違いであると思っております。

 農業が衰退した原因として農業保護政策、取り分け補助金がクローズアップされております。確かにそういった側面が無いとは言えません。しかし、保護されているのは何も農業だけに限りません。他の産業だって多くの保護政策が行われておりますし、毎年多額の補助金も交付されております。そして、そうした産業の中にもこれらを活用して興隆していくものもありますし、衰退していくものもあります。
 同じ斜陽産業であっても、その様相は企業によって異なります。ですから農業と言っても一括りに議論はできません。専業農家、兼業農家、大規模農家、中小零細農家などの様々な経営形態があります。また、地域や気候風土など多くの要因があります。これらのことを一番知っているのは、その地で農業を行っている農業者に他なりません。全国一律の政策、それも現場のことを殆ど知らない、それこそ机上で練られた政策で以て縛ろうとすることがそもそもの間違いなのです。このことの反省無しには、どのような政策を実行しようとも農業の衰退は止められません。その最大の犠牲者は消費者であることを指摘しておきます。

 何度も書きますが、「経営規模拡大」、「攻めの農業」、「集約化農業」、「趣味の農業」などなど多様性の高い農業のあり方を認め、互いの特色でもって相互補完することができてこそ足腰の強い農業となるものと考えます。





安保関連法案が成立しましたが・・・

2015-10-02 | 政治・経済・社会
 「悪法もまた法なり」といった諺があります。憲法に違反していようがいまいが、法に定められた手続きに従って成立した以上、違憲無効判決が確定したり、同法の廃止ないしは別の法律で効力を停止されない限り効力を有します。

 私見では、他の多くの皆さんの主張と同様に安保関連法案は憲法違反であるものと考えます。本来であるならば、憲法を改正するのが先でなければなりません。しかし、政府与党は現実的必要性を拠りどころとして、憲法を改正せずに安保関連法案を多くの批判があったにも関わらず、強引に成立させたのです。
 多くの憲法学者が同法案が違憲であると考えるのは、現実への柔軟な対応より現行憲法の下での法的安定性が重要であると考えているからだと思います。憲法学者の中にも憲法改正すれば、集団的自衛権を認める立場の方も多いのではないかと思います。しかしながら、憲法改正もせず、現実に差し迫った緊急性もないのに違憲立法がなされることに反対しているのであろうと考えます。
 国民の多くは、このような政府与党のやり方に危機を感じ、あるいは漠然とした不安を覚え、同法案成立への反対運動へと繋がったのではないかと思います。
 首相自ら議論が不十分であったと認めながらも採決に踏み切ったのです。議論が不十分であれば、継続審議とするなど他の手段があったのです。同法案の審議過程で政府の答弁が変わったりと多くの不確定要素が見られます。実際に命のやり取りといった後戻りのできない戦闘という行為を行うか否かの判断を行う上で、このように多くの不確定要素を含んでいて良いものでしょうか。また、今後多くの訴訟が提起されるでしょう。同法案に対する違憲判決の可能性もあり、数々の不安定要因をかかえております。

 しかしながら、冒頭で書いておりますように、多分に違憲と考えられる法律ですが有効に成立した法律です。今後、これらに基づき運用されていきます。しかし、憲法そのものが改正された訳ではありません。今後の選挙結果次第で同法案を廃止させることも可能です。そのためには、国民に判断材料がなければなりません。この度の違憲立法が議論のための格好の材料を提供してくれるのではないかと思います。
 少々姑息な考えかもしれませんが、疑似的に憲法改正が行われた(違憲である法律が運用されている状態)とした場合の一種のシミュレーションをしていると捉えることとします。これでどのように世の中が変化していくのか注視します。政府与党が主張したようなことになるのかならないのか見極めることができるのではないでしょうか。
 そして、一定期間経過後、安保関連法を廃止するのか、改正するのか、あるいは憲法改正をする必要があるのか判断することとします。この段階になれば、今回のように虚しい空疎な議論ではなく、具体的な議論ができるようになるものと思います。

 
<参 考> 「憲法第9条について」「解釈改憲の危険性」「解釈改憲の危険性(2)」「解釈改憲の危険性(3)



「一億総活躍社会」って・・・

2015-10-01 | 政治・経済・社会
 一億総活躍社会ってなんだか禍々しい印象を受けてしまいます。日本国民一人一人の発意でもって、これを一致団結させ崇高な理想を達成しようといったことであれば素直に頷けます。
 しかし、これは日本国のリーダーたる首相から出たスローガンです。過去の例を思い浮かべれば、お上がこのようなことを言い出した時にはろくなことがなかったのでは?
 皆がそれぞれの夢や希望をもって輝いていけるような社会の実現を目指すというのであれば、もっとましなスローガンがあったのではないでしょうか。

 国民はもっと厳しく現実を見ていると思います。というか厳しい現実に直面しているのです。少子高齢化が急速に進み、増税しなければ社会福祉が持たないと言われる。子供を増やせと言われても収入が少ないし、働こうにも保育所が足りない。年金は貰えるかどうかと不安を煽られ、年金納付額は年々増大し、支給額は引き下げられる。医療費は増加する。などなど挙げればきりがありません。このような状況で、総活躍社会などと言葉は如何にも尤もですが、要は労働力が不足するから皆働けということを言い換えたに過ぎないと思ってしまいます。

 私個人としては、身体が動く限り働き続けたいと思っております。そして、自分で身の回りのことができなくなり、快復の見込みがないとなれば、静かに終末を迎えたいと思っております。
 だからと言って、お上からとやかく言われたくもありません。ましてや、老後も働くべきだとか、働けなくなったら早く死ねなどと言われたくもありません。老後の生活のあり方規定するのは、あくまでも一人一人の自由意思によると考えるからです。

 国は国民が活躍できる社会を実現させるべきであって、国民に向かって活躍せよでは、自ら無策であることを言っているに等しいものだと思います。

 このようなスローガンより、具体策の策定とその実現に重きを置いて欲しいものです。