山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

元みかん畑(耕作放棄地)に太陽光発電所を・・・

2012-01-28 | 政治・経済・社会

 私が住まう佐賀県小城市晴田地区は、かつて「晴田みかん」の生産地でした。しかし、近年みかん農家は激減し、今では数えるほどしか残っておりません。我が家にも耕作放棄したみかん畑が各所にあります。一昨年までは、レモンやヘーゼルナッツなどを植えてみたりとかしておりましたが、もう草刈などの手が廻りません。結局諦めて苗木を自宅前の菜園に移植しました。その後は荒れるがままに任せております。

 みかん畑は、多くが南向きの斜面にあります。即ち、これは太陽光発電にとっても良好なロケーションであります。「電田プロジェクト」は、耕作放棄地とはいうものの比較的優良な農地を対象としております。農地は農地として活用することが重要なことであると考えます。しかし、みかん畑は荒れるままにしておけば、蔦や竹などが繁殖してしまい、大雨などで崖崩れが発生する原因となってしまいます。せっかくみかん栽培のために開墾した畑です。このまま何も活用せずに放っておくのは全くもってモッタイナイことであると思います。

 そこで、みかん畑に太陽光発電所を設置するといったアイデアは如何でしょうか。このための農地転用等の手続きであれば、及ばずながら行政書士としてお役に立ちたいと考えます。

 未だ私だけの腹案ですが、「省エネ実務研究会」で、このアイデアをプロジェクト化して実現に向けて動き出してみようかとも考えております。

 下の画像の赤枠のところがみかん畑の跡地です。(赤枠右上は、Docomoさんの基地局)結構な広さがあります。軽トラが入れる農道も整備されております。どちら様かこのようなプロジェクトにご興味はありませんか?

<2013/07/05 追記> 上記考えを「畑は畑として活用を図ることにしました」のように改めました。

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屋根貸し太陽光発電について

2012-01-28 | 政治・経済・社会

 本日の朝日新聞の記事によれば、枝野幸男経済産業相が、発電会社が家庭の屋根を借りて太陽光発電事業をできるようにする「屋根貸し」制度を、今夏までに新設する方針を明らかにしたとのことです。

 「屋根貸し」制度によって、急速に普及するかは議論のあるところでしょうが、このような制度が整備されることは良いことであると考えます。と言いますのも既に「屋根貸し」を売りにしている業者は存在しており、我が家にも営業訪問に来たことがあります。しかしながら、現在の法制度ではこのことに関する規定が無く、問題が発生した時の解決の規範がありません。今後トラブルが発生する可能性が高いものに対して、早めの対策がとられようとしていることについては、現政権においては久々のヒットではないかと思います。

 更には一歩進めて、「排出権取引と排出抑制」「電田プロジェクトについて思うこと」で指摘しておりますように、無償で各家庭に太陽光発電システムを設置したら如何でしょうか?

<参考> 「住宅用太陽光発電の全量買取せずして普及するか?


原発事故の損害賠償は徹底的に!

2012-01-26 | 政治・経済・社会

 原発事故による損害賠償及び被害回復は徹底的に行うべきであると考えます。当事者である東電はもとより、国策として原子力を推進してきた国も連帯してことに当たるべきべきです。即ち、徹底的な除染と損害賠償と生活再建に向けての道筋を示すことです。

 現在、原発の再稼動に向けた動きが顕著に現れてきております。このような状況の中で、原発立地周辺自治体の住民は、万一事故が発生した場合に自分達は一体どのようになるのだろうかといった切実な不安をかかえていることは容易に想像できることです。

 今、原発立地周辺自治体の住民は、福島原発事故の行方を注視しております。中途半端な除染や損害賠償しか行われないとすれば、明日は我が身と考えることは、むしろ当然のことと考えます。政府は本腰を入れて、例え財政難に陥ろうが徹底的に責任を取る必要があると考えます。政府や政治家が信用されないのは、このような責任を取ってこなかったことを国民が知っているからに他ならないと考えます。国民負担が増えることであっても国民が政府を信用していれば理解を得られるでしょう。それは今回の大震災において、短期間のうちに多額の義捐金が集まったことをみても分かります。

 消費税増税などの負担増に関しても同様に大方の国民はその覚悟ができていると思っております。しかしながら、その税金の使い方があまりにも杜撰であったこと、そしてそのことについて誰も責任を取ってこなかったことについての不信感が沸騰しているのではないかと思います。

 今回の原発事故への対応が、政府に対して国民が信頼を取り戻す試金石になるのではないかと考えます。


省エネ実務研究会(第19回)

2012-01-25 | 行政書士

 昨日、佐賀県行政書士会館において第19回研究会を開催しました。

 今回のテーマ「再生可能エネルギー普及のための課題及び行政書士としての取り組み」について議論しました。導入費用や補助金等の課題もさることながら、農地法、河川法などの諸規制が大きな課題であることが指摘されました。

 そこで次回以降は、農地法に関する問題について追求していこうと考えております。佐賀は農業県だけあって、諸先生方も農地転用に関して実務経験が豊富ですので、貴重な情報交換ができるのではないかと期待しております。


議員定数削減と選挙制度改革(一票の格差是正)-その2

2012-01-24 | 政治・経済・社会

 議員定数や選挙制度について、アメリカ合衆国やイギリスの制度を引き合いに出されることがあります。日本の制度は議員内閣制ですから、イギリスの制度に近いものがあります。英国下院の定数は646名となっております。これって日本より多いのでは?イギリスの人口は言うまでも無く日本より少ないでしょうに。アメリカは連邦国家ですから、日本との単純比較はあまり意味がないように思われます。

 各国の選挙制度は、それぞれに歴史的背景があるわけですから、参考にすることは必要であっても、そのことをもって議論の根拠とすることは如何なものかと考えます。

 私は「議員定数削減と選挙制度改革(一票の格差是正)」で指摘しておりますように国会議員は全議員を比例代表制で選出した方が望ましいと考えます。その上で議員定数を削減することについては、少々不満はありますが肯定できるのではないかと考えます。本来の趣旨からすれば、議員報酬と政党助成金の削減など、政治に掛るコストの削減ではありますが・・・。

 皆様如何お考えか、ご意見をいただければと存じます。

<参考> 「諸外国の選挙制度」 「諸外国の下院の選挙制度」 


QRU

2012-01-23 | うんちく・小ネタ

 QRUはQ符号で「そちらへ伝送するものがありません」という意味があります。アマ無線では、慣用的に話のネタが無くなったときに使っていたように記憶しております。ブログネタが無くなったので、このようなことを書いていると思われそうですが・・・。

 Q符号は無線通信で用いられる国際規則で、元々モールス通信でよく使われる通信内容を少ない文字数で表現しようとしたことから始まったものと考えられます。アマチュア無線の場合には、本来の意味から離れた意味で使われることもあります。例えば、QRVが「用意ができました」の意が「移動無線局の運用」に使われるなどがあります。その他、QRAが「氏名」、QRTが「交信を終了します。閉局します。」、QRXが「少々お待ちください。」のように用いられます。また、Q符号はアルファベット3文字ですから、電話の場合には聞き間違いが発生します。これを避けるために”A”には「アルファー」、”B”には「ブラボー」などといったフォネティックコードが用いられます。和文の場合にも「大和の」、「マッチの」、「上野の」、「ラジオの」のように言います。

 傍から聴いていると何か暗号でやり取りしているように思えるようでしょうが、馴れてくると実に便利なものです。Q符号だけでQSO(交信)が成立するといっても過言ではありません。実に効率的に通信が出来ます。

 これには業界用語も似たような機能があると思います。業界用語には業務の効率を向上させるものと業界人と非業界人を区別するためのものとあるように思います。Q符号のように国際的に通用するものが前者で、仲間内だけでしか通用しないものが後者に当たるのでしょう。仲間内の用語のでも前者に属するものもあるとは思いますが、その多くは非業界人を排除するような目的、あるいは優越的な立場を主張するために用いられるように思います。最近では、芸能人が業界用語をテレビのオンエアーでも使うようになってきているので、かなり普及してきたようです。こうなると仲間内用に新たな用語の必要性が生まれてくるのでしょう。これが新語発生の原動力になっているのかも知れません。若者言葉の多くもそのような事情で生まれてきているのではないでしょうか。日本人の言葉を面白がる心と日本語の新語創造能力は計り知れないものを秘めているように思います。

 ということで少々QRU気味になってまいりましたので、今日のところは、この辺でQRTしたいと思います。


発送電分離ですべてがうまく行くのだろうか?

2012-01-18 | 政治・経済・社会

 政府内でも発送電分離の議論が進んでいるようです。テレビ番組でも諸悪の根源は電力会社の地域独占であり、発送電分離すれば問題は解決するとの見解が述べられております。果たして、発送電を分離しさえすれば、そのようなバラ色の未来が拓けているのでしょうか? 既に発送電を分離している諸外国では、何の問題も発生していないのでしょうか? この議論は緊急性を要する問題なのか、もっと先にやるべきことがあるのではないか?

 多くの国民(私を含め)は、発送電分離に関して議論するための情報と知識が不足していると思います。そうした中で、「日本の電気料金は高い!」、「発送電分離をすれば電気料金が安くなる!」、「JRやNTTの例を見よ!」と言われれば、それもそうだなと思ってしまいます。これと同じ議論が議員定数の削減です。議員定数を削減すれば、コスト削減ができるという主張です。コスト削減のためならば議員報酬や政党助成金の削減でもできますよ。私には自分の権益は確保しておいて、他人(落選した人)に不利益を押し付けようとしているように見えてしまいます。これは私の僻みでしょうか。リストラと称して従業員を解雇するのに似ております。その責任者たるものが、最後には自分自身の首を切ったということをあまり聞いたことがありません。

 いっけん正論に聞こえるものほど眉に唾をつけてみた方が良いのではないかと思います。講演会などで、数値を挙げて説明されるとなるほどと思うことがよくあります。しかし、その数値をいちいちメモを取り、後で調べることはしないものです。そして、その論者の結論だけを納得してしまうのが世の常です。統計資料を引用した説明も説得力があります。しかし、その統計そのものの信頼性を検証することは難しいものがあります。ある一定の恣意が働いている統計があることも指摘されているところです。

 また、脇道に逸れてしまいました。発送電分離に関する議論は、緊急を要するものではないと考えます。長期的には議論する必要性はあるとは思いますが、「新エネルギー政策の行方」で書いておりますように電力不足対策(原発の再稼動問題)が急がれます。それに加えて中東情勢が緊迫する中、原油依存体質脱却へ向けての議論が優先すべきと考えます。

 どの道、電力自由化が進展しても発電業者は火力発電が主流となるでしょう。その際の燃料は天然ガスが最も有力です。この天然ガスは既に価格が高騰している状況です。制度を議論することも必要でしょうが、足元には火が迫っていることをお忘れなく!

<参考> 「発送電分離について


議員定数削減と選挙制度改革(一票の格差是正)

2012-01-17 | 政治・経済・社会

 消費税増税の前にやるべきことがあるだろうという国民の素朴な疑問のためにやっと重い腰を上げざるを得なくなったのか、このところ議員定数の削減の議論が賑やかになってきております。

 私は以前から議員の数は多い方が良いと主張してきました。コスト削減をするならば、議員歳費や政党助成金などを減らせば済むことだからです。20%とか細かいことを言わずに半減しては如何でしょうか。コスト削減は、やろうとすれば直ぐにでもできますが、議員定数の削減が実現できるのは、少なくとも選挙を経なければなりません。議員がその報酬に見合った仕事をしているとお思いならば、堂々と「これ位の報酬は当然だ!」と選挙の時に仰ってみてください。

 さて、現状の選挙制度には一票の格差の問題がつきまとっています。中選挙区制度でも一票の格差の問題はありました。小選挙区制度の導入によって、種々の政治課題が解決されると宣伝されておりましたが、政権交代は実現したものの、こと政治と金の問題については何の問題解決にもなっておりません。おまけに小選挙区制度の弊害が目立ってきているように思います。

 はたして国会議員に地方の代表者たることを期待する必要があるのでしょうか。国会議員たるもの天下国家を議論するべき方々が、一地方の利益代表となってしまってはおりませんか。地方のことは地方にとの掛け声が虚しく響きます。生活に密着した細かいことは地方議会に任せれば良いではありませんか。屋上に屋を架す必要はないと考えます。

 いっそのこと比例代表制にしたらどうですか。一票の格差はほとんど生じませんし、死に票も少なくなります。選挙区の区割りや定数の割り振りだとか、しょっちゅうもめている議論は不要になります。勿論、巨大組織や人気者に有利となるなどの弊害もあるでしょう。しかし、それは小選挙区でもあることです。この点、比例代表制の方が、むしろ希薄化できるかも知れません。何れにしても、完璧な選挙制度などあり得ないわけですから、地方議会と似たような選挙制度を取る必要性はありませんし、同質化を防止するという意味でも全く異なる選挙制度の方が望ましいのではないかと考えます。

<参考> 「議員定数削減の是非」「議員定数削減」「必要なのは歳入と歳出の一体改革なのでは?

 


TPPについて(9)-軽自動車規格廃止要求

2012-01-15 | 農業

 米国通商代表部がおこなったTPP交渉に日本が参加することに対する意見公募に、自動車大手3社、いわゆるビッグスリーが日本の自動車市場の閉鎖性を理由に反対の表明をしたとの報道がなされておりました。この中で、軽自動車規格を廃止すべきとの主張をしているそうです。

 TPP参加に当たって早くも踏み絵を踏まされることになっているようです。交渉参加以前に、これからこのような要求が要求が続々と出てきて、少なくとも交渉の俎上に載せることを認めなければならないことになるでしょう。何となく先行きは見えているような気がします。

 軽自動車は、田舎に暮らすものにとってなくてはならないものです。公共交通機関がないところでは、生活の足として必要不可欠の乗り物です。農作業には軽トラはなくてはならないものです。山間部の畑の農道や林道は、軽トラを前提としております。軽自動車の廃止は、田舎の生活に決定的なダメージを与えます。

 さて、軽自動車を含むスモールカーは、省エネにも貢献します。米国のように馬鹿でかい車を乗り回す社会からは想像も出来ないでしょうが・・・。大型車1台の燃料で軽自動車が何台賄えるでしょうか? 別に大型車に乗るなと言っている訳ではありません。大型車に乗りたければ、それなりのコストを負担していただければ良いのです。日本では、そのような仕組みになっているといえます。そのような国内の問題を自分達(主に米国)の理屈で、グローバルスタンダードという美名を冠して、他人の懐に手を突っ込んでかき回すのがTPPなのではないかと思います。


文系と理系

2012-01-12 | うんちく・小ネタ
 理系志望者が増加しているとの報道がありました。これは就職に有利であるからといった理由が大きいと分析されておりました。

 この文系・理系といった分類が適当であるか否かを論じてみたいと思います。私はこの分類に疑問を感じております。しいて分類するならば芸術系・非芸術(科学)系の方が適当ではないかと考えます。芸術系は、文学、音楽、美術などが含まれるのでしょう。それ以外は非芸術系ということです。

 いわゆる文系に含まれるとされる法律、経済、経営などの諸分野は人文科学、社会科学などにみられるように科学という文字が使われております。法律は論理的な思考が重要ですし、経済学や経営学では高等数学の理解が必要とされます。これが果たして文系と言えるのでしょうか?

 理系・文系の選択を迫られるのは、遅くて高校3年に進級するとき、早い学校では中学の時らしいのですが、これはあくまで受験に有利になるといった理由によって行われているものでしょう。このような早い時期に選択を迫ることが、果たして人生にとって必要なことでしょうか? 特に若い時には、もっと幅広く学ぶことが必要だと思います。
 改めて文系・理系を考えてみたとき、自分自身はいわゆる理系だと思い込んでいました。しかし随分と昔のことを振り返ってみますとどうも少し様子が違っていたようにも思います。ということでしばらく昔話にお付合い願います。

 私が通った片田舎の県立高校は、一応受験校とされており、8クラスの内1年次の段階では、英語と数学に限って2クラスを優秀クラスと称して別授業を行っており、その他の科目はクラスメートとの授業。2年次には2クラスだけ英数の成績によって選別されたクラス編成、三年次には国立理系、国立文系、私立理系、私立文系と細分化されていきました。私は1年次の時には、英数共優秀クラス入りを果たせませんでした。夏休み後に入替えが行われ、英語だけは優秀クラス入りを果たしましたが、入る人がいれば落ちる人がいるのが世の常です。何となく後味が悪い思いをしましたし、英語の授業も新参者にとって居心地が悪いものでした。2年次には成績不良に付き普通クラスでした。そうなんです。私は中学時代から数学が苦手だったのです。でもこの2年次の生活が私の人生を決定付けたようです。視力が急速に落ちて、パイロットへの道を断念したのもこの時ですし、何を血迷ったのか柔道部に入部したのもこの時です。ほとんどの授業は内職と称して、小説を読み漁っておりました。学校の授業は先生次第でした。数学の授業はほとんど聴いておりませんでした。これは先生が嫌い(数学が嫌いだったから先生も嫌いになったのかも知れませんが・・・)という単純な理由です。結局高校3年間を通してこの先生にお世話になることになってしまいましたし、おまけに2年次のクラス担任でもありました。成績の方は数学は相変わらずですが、英語などは実力テストでは優秀クラスを押しのけて上位にくい込んでいましたし、物理などはほとんど勉強していないにも係わらず上位を占めていました。社会なども授業はさほどでも無かったのですが、特に政治・経済や倫理・社会などが面白かったので、勝手に勉強しておりました。要は、自分の興味の赴くまま、勝手気ままに手当たり次第にといったことでしょう。そのころは、外国語学部に進学しようかなと漠然と考えておりました。

 その内進路希望のアンケートが配布され、確か第一希望に国立文系、第二希望に国立理系にチェックを入れたと記憶しております。結果、配属先は何の因果か国立理系クラスです。私が理系となったのは、たったこれだけの理由だったのです。

 小学生の時には、別に好き嫌いがあった訳ではありません。低学年の時には絵画を習っておりました。県展(福岡県)にも入選したりしたことがあります。理科や工作は好きでしたし、算数もそこそこ出来ていたと思います。社会なども好きでした。中学に入ってから、数学が大嫌いになりました。これも多分先生のお陰だと思っております。それが高校まで引きずってしまったのでかも知れません。



 大学は物理学科ですから数学の理解は必須ですので、それなりに勉強しましたが、やはり好きになるまでには至りませんでした。これが自分の限界だと諦めて、コンピュータのソフト開発会社に就職しました。仕事はやりがいはあったのですが、メチャクチャ忙しいものでした。こんな時でも通勤や仕事の合い間にも小説は手放せませんでした。特に歴史物や推理小説を手当たり次第に読んでおりました。偶々手にとったのが和久俊三さんの法廷推理ものです。結果的に法律の勉強を始めたのは和久さんのお陰でしょうか?

 長々と自分史を綴る羽目になってしまいましたが、私の場合理系・文系の決定は偶然の産物であることを言いたかったからに他なりません。しかし、それが結構その後の進路を決定付けるものであることが重要です。自分がどのような能力があるのかないのかに係わらずです。そして、今頃になってようやっと数学が面白くなりつつあります。人はそれぞれの発達段階があるようです。臨機応変に対応すれば良いのではないでしょうか?

 選択の必要性を迫られた時には、願わくは数学が苦手とかいった消去法によることなく、況や就職に有利とかいった瑣末なことに捉われることなく、虚心坦懐に自分を分析して選択して欲しいものです。そして、一旦選択しても将来変わることもあり得る訳ですから、何事にも興味を持つ姿勢を持ち続ける大切さを訴えたいと思います。


新エネルギー政策の行方

2012-01-10 | 政治・経済・社会

 政府がこの夏を目途に新エネルギー政策を取り纏めるとの報道がされております。何をのんびりしたことをといった感じです。この春には、全ての原発が停止しようとしております。その中で迎えるこの夏の需要期です。短期的な対策が万全というのであれば未だしも、関西電力はこの春以降も節電要請する意向とのことです。電力会社からすれば当然と言えば当然でしょう。関西電力の原発の依存度が50%を超えており、九州電力も40%超えていると言われております。このような現実を踏まえたならば、隠し玉か何かが無ければ電力不足が発生するのは不可避です。

 今更何を議論しようとしているのでしょうか。原発をこれ以上増やさない、増やせないといったことは既に多くの国民の思うところでしょう。そして自然エネルギーを増やして行こうというのも大方の合意ができているものと思います。後は現在停止中の原発の再稼動をどうするかといった問題でしょう。

 再稼動を認めないならば、早く対策を取らないと電力会社は再稼動ありきで動くでしょう。現にそのように動いております。再稼動を認めるならば、それなりの対応が必要でしょう。原発に対する国民の不信感は拭えないものがあるように思います。それを押し切って再稼動するためには、今までのような安全神話で納得することはできません。徹底した安全対策を示し、それを納得させるに必要な情報の徹底した開示が必要です。今までのように隠す、知らせないような姿勢では無理でしょう。そして、万々一事故が発生した場合には、電力会社任せにせず国が全責任を負うことを法制化すべきです。

 タイトルから随分と離れてしまいましたが、エネルギー政策については、そんなに多くの選択肢があるとは思えません。大方針がしっかり決まれば、日本人は効率的にそれを実行できるでしょう。それを容易に決めることができないことが日本国の不運なのではないでしょうか。ことエネルギー政策に限らず、多くの部面に現れている現象のようにも思います。

 そして最も悲劇的なことは、多くの合意が得られるようなことが決まらず、国論を二分するようなことが着々と進行していることでしょう。


TPPについて(8)-農地法

2012-01-09 | 農業

 TPP参加に当たって農地法による規制の緩和が求められることは避けられないように思われます。農地法によって、農地の所有権の移転や用途の転用が制限されております。この農地法の制限が、農業の規模拡大や企業の農業参入の足枷になっていると指摘されております。本当にそうなのでしょうか?

 一般的に都市近郊で集約化し易い優良農地は、住宅地や商工業地としても価値が高いものです。そのような農地の多くは、バブル期に既に転用されていることが多いものと思われます。残された農地は、純田舎や山麓・山間農地が多いものと思われます。これらの農地は地価が安い訳ですが、それでも売りたいという農家があります。跡継ぎがいない、借金返済のためといった種々の理由があるでしょう。しかし、農地転用ができないので売るに売れないといった状況があります。例えば、農地に賃貸アパートを建てて、家賃収入を図ろうと思っても転用が出来なければ、断念せざるを得ません。仕方なく、農業を続ける(耕作委託を含む)か耕作放棄せざるを得ないわけです。農地として売っても、二束三文にしかなりません。

 現在大規模化している農家は、そのほとんどの農地を借りて耕作しております。賃借料を払っている農家もあるでしょうが、無償というのも多いのではないかと思います。このように売るに売れない状況があるからこそ、大規模化・集約化ができているのです。少々逆説的ですが、現状では農家は農地を売りたがっているのです。規制緩和が実現すれば、それこそ山間僻地以外の農地は無くなってしまうでしょう。農地法の規制があったればこそ、売るに売れない状況があればこそ農地が存在しているのです。如何に大規模化・集約化したくとも、農地そのものが無くなってしまえば、元も子もなくなってしまいます。

 それから農地法の制限で新規農地取得が困難なので、意欲のある新規就農者の阻害要因となっていると菅首相(当時)が、農地法の見直しを示唆したといった報道がありました。これにも誤解があります。田舎の自治体は、新規就農希望者に対して、農地の斡旋どころか、補助金を出したり住居まで斡旋しているところもあります。それでも新規就農者が少ないというのが実態ではないのでしょうか?

 更に、規制緩和し営利企業に農地の所有を認めよといった主張がありますが、これはもう議論の余地はないでしょう。営利企業に任せたらどのようになってしまうかは、余程想像力が欠如した方々でない限り、容易に想像が可能なことではないでしょうか?

 世間では農業問題といって大騒ぎしますが、一体全体農業問題とはどんなものなのでしょうか。少なくとも私がやっている範囲では、利益が上がらないということ以外に何の問題もありませんし、楽な仕事とは思っておりませんが楽しくやっております。少なくとも多くの自給農家は、TPPがどのようになっても何ら痛痒を感じないのではないかと思っております。大きな影響を受けるのは、農業を産業として捉えている方々と消費者なのではないでしょうか?


切干大根

2012-01-08 | 農業

 今年は試験的に漬物用の大根を栽培してみました。元々は直売所での販売用に作付けしたものですが、出荷用には少々太くなり過ぎてしまったようです。もう少し細長くして、切干大根に加工して販売しようと意図していたのですが・・・。しょうがないので自家消費用に天日干にしております。

 我が家では、輪切り、短冊、千切りにしたものを天日干して煮物や漬物にしております。私は高血圧ですので、ほとんど漬物の類は食しませんが、昆布の千切り、唐辛子、切りゴマと共に酢醤油に漬け込んだもの(料理の名前はなんと言うのか知りませんが)だけはよく食べます。これがまた玄米にぴったりくるのであります。

 今年は自家消費分より多く出来そうですですので、このようなものでよろしければ格安にてお分けしたいと思っておりますので、もしご希望の方がいらっしゃいましたら御連絡いただければと存じます。

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必要なのは歳入と歳出の一体改革なのでは?

2012-01-05 | 政治・経済・社会

 税と社会保障の一体改革ばかりが強調されている昨今です。消費税に関することだけは具体的な説明がなされておりますが、その他のことについては「不退転の決意」などという抽象的な言葉しか聞こえてきません。政治家が「不退転」などという言葉を使うときには「やりません」ということと同義語と考えた方が正解に近いのではないかと思ってしまうのは私だけでしょうか?

 消費税増税も社会保障改革も国民が不利になる改革であることは間違いないでしょう。このままで良いと考えている国民は少ないでしょう。しかし、多くの国民は歳出、つまりは税金の使い道に疑問を感じているのです。今回の政権交代は、そのことに対して何とかしてくれるのではないかといった期待をかけたからこそ実現したのではないでしょうか? 政権交代すれば今までのしがらみに切り込んでくれるのではないかといった期待感があったのではないでしょうか?

 現政権が実現しようとしていることは、この約束を反故にして国民の負担だけを増加させようとしているように見えます。一番抵抗が大きいと予想される公務員改革や政治改革は「不退転の決意」としか聞こえてきません。このままだと消費税増税だけが先行して、その他の改革は先延ばしされ、結局うやむやになってしまう可能性が高いでしょう。このような痛みを伴うような改革は、セットでなければ実現できません。やり安いものからなどと考えていたら、それだけやってしまえばハイお仕舞いといったことになります。

 それから何度も主張してきましたが、政治改革が議論される際に求められるのは議員定数の削減でなく、政治コストの削減です。議員定数は可能な限り多い方が望ましいのです。要は政治に掛るコストが削減できれば良いのですから、議員歳費、政党助成金その他の経費を削減すれば実現できることです。例え議員定数を半減したとしても政治に掛るコストは半減できません。単に議員一人当たりの分け前が増加するだけです。コストを削減するにはコストの総枠を決めることが大切です。その中で分け合えば済むことです。後は勝手に取り合いをしてください。一般庶民にはそんなこと知ったことではないのですから。

 それから、一票の価値の不均衡の是正も待ったなし状態なのに何故動かないのでしょうか? 機会的な均等も重要ですが、小選挙区制度の問題など選挙制度の再検討も重要だと考えます。小選挙区は一票でも多ければ、勝ちは勝ちといった制度です。つまり死に票となった選挙民の意思をどのように反映させるかといった問題があります。これも一種の一票の価値の不均衡といえるのではないでしょうか。選挙制度としては、死に票が少ない方が望ましいでしょう。

<参考> 「議員定数削減の是非」 「議員定数削減


初積雪の仕事始め

2012-01-04 | ブログ

 明け方は積もっていなかったのですが、いつの間にか一面の銀世界になっておりました。しかし、つかの間の晴れ間がのぞいたかと思えば、日向の雪はあっという間に消えてしまいました。現在また横殴りの風に雪が舞っております。現在、風雪・大雪注意報が出ております。今日一日このような状況が続きそうです。

 今日は、外回りの仕事の開始=仕事始めなのですが、未だ何となく事務所でごそごそとしております。この雪は帰省の足に影響を与えるかも知れませんね。帰省といえば、子供達が大晦日に帰ってきました。久々に賑やかな一時を過ごせました。昨日、それぞれの本拠地に戻って行きましたので、つかの間の賑わいは去り、何時もの静けさに戻ってしまったといった感じです。日常モードを取り戻すと、いよいよ一年の始まりを実感します。さぁ、やるぞーと勢いをつけようとした出鼻を挫かれた思いです。

 あー、外は真っ暗になってきました。雪が降ってるよー。今日は長崎まで遠出をしなければならないのにと憂鬱になってきました。九州は雪に弱いのです。北国の皆さんからすると大したことがない位の雪で交通が麻痺してしまうのです。

 遅くとも昼までには事務所を出ないと間に合いませんので、余裕をみて早めに出発することにします。気をつけて行って参ります。