エアコンを速く効かそうと思って設定温度を強め(例えば冷房温度を低く)に変更する人がけっこう見受けられます。これはほとんど気休めにしかなりませんし、逆に増エネの要因になってしまいます。理由は「エアコンを速く効かすには」をご参照ください。
そして、室温が落着いたら風量設定を元に戻しておいてください。それは風量によって消費電力も異なるからです。もっとも風量が自動に設定してあれば、風量設定を変更する必要も無かったのですが・・・。
エアコンを速く効かそうと思って設定温度を強め(例えば冷房温度を低く)に変更する人がけっこう見受けられます。これはほとんど気休めにしかなりませんし、逆に増エネの要因になってしまいます。理由は「エアコンを速く効かすには」をご参照ください。
そして、室温が落着いたら風量設定を元に戻しておいてください。それは風量によって消費電力も異なるからです。もっとも風量が自動に設定してあれば、風量設定を変更する必要も無かったのですが・・・。
相場で儲ける方法とか称した書籍の多さは呆れんばかりです。儲け話には目が無いのが人間の性というものでしょうか。しかし、何の苦労もせずに儲かることなどありえましょうか?
大体、相場で儲かった人が、わざわざ執筆などの苦労をすると思いますか? 私ならば、一生喰うに困らないだけの金を稼いだならば、自分のやりたいことだけをして人生をエンジョイすることでしょう。このような類の本を書くということは、相場で大損をした人が、少しでも損失を取り戻したい思っているのではないかと睨んでいます。もっとも相場で儲けることが出来なかった私の僻みと取られても仕方ありませんが。
相場格言に「もうはまだなり、まだはもうなり」というのがあります。なかなか言い得て妙な言葉です。
下がり切るのを待ちに待ち、満を持して買ったとたんに急降下。もう天井と思って売ったとたんに急上昇ということがよくあります。大体が期待と裏腹に逆に動くというのが世の常と、逆に張ってやろうとすれば、これも裏目に出てしまいます。何とついてないのかと身の不運を嘆いても損を取り戻せない。今度こそはと大勝負に賭けます。そしてますます損失が膨らむのでありました。
株式などの相場をやっていらっしゃる方は、一度や二度はこのような経験をされているのではないでしょうか。バブル時のようにどれを何時買おうが儲かるようなオイシイ思いをされた方は、あの素晴らしい夢をもう一度などと考えておられるのではないでしょうか。大きく儲かった後には、必ず大損をする可能性があります。それは際限のない拡大はありえないからです。しかし、人の夢(欲望)だけは際限なく膨らむことができるようです。ここに大きな落とし穴があるように思います。
もう一句 「株価をば予測することままならず」
<参考> 「株価予測システム」「株価予測システム-その2」「金融工学って何?」
企業年金をAIJ投資顧問なる会社に運用させて大損失を被ったとのことですが、このようなことはこの一社に限ったことでしょうか。どうも氷山の一角のような気がします。
そもそも年金というものは、老後をおくるための大切なお金です。その大切な他人様のお金を預かっている年金基金はその運用に当たっては、十二分の注意を払って行うべきものです。この低金利時代に、少しでも大きな運用利回りを期待したい気持は理解できないではありませんが、ハイリスク・ハイリターンであることは当然のことです。AIJ投資顧問のような虚偽報告を行うようなことは論外ですが、委託する方もどうかと思います。インタビューでは薄々胡散臭いことを感じていながらも、運用実績に魅力を感じていたようにも聴こえました。年金資産の3~4割を任せていた年金基金も複数あったとのことです。中には半分近くの基金もあったようです。リスクは分散することは常識的なことかと考えます。年金基金は運用のプロでないことは百も承知しておりますが、であるからこそ、より慎重に運用先を検討する必要があったものと考えます。年金基金の安易な運用先の選択も責任が問われるものと考えます。
国民年金や厚生年金などの公的年金は強制加入です。よもや運用に失敗して、あなたの年金は支給出来ませんなどということはありませんよね。
公的年金や企業年金に対する不信感が強まれば、年金制度自体の存続が問われます。年金を掛けるより、自己責任において運用した方が良いと考える人が増えていくのではないかと考えます。
報道によりますと枝野幸男経済産業相が、原発を再稼働しなければ電気料金が上がるのは避けられないとの趣旨の発言をしたとのことです。更には、原発停止が続けば、この夏に相当な節電をお願いしないと無理だとも、そして安全性の確認と地元の同意を前提に原発を再稼動させる必要があるとまで言い切ったようです。
これらのことは原発に反対している方々も重々承知の上であろうと思います。よもや原発をすぐになくしても電気料は上げずに済むし、電力不足も起こらないと考えている方は少数派でしょう。むしろ電気料金が上がろうが、節電に迫られようが原発は要らないということかと思います。そのような主張に対して、このような恫喝まがいの発言は、反発を買うことはあれ、何ら説得力がないものと思われます。
枝野さんといえば、官房長官時代に「ただちに健康に影響を及ぼす数値ではない」というどうとでもとれる言葉を思い浮かべてしまいます。枝野さん自身は、法律家出身ではありますが、技術的なことはお分かりにならないのでしょう。あの時も誰からかそのような情報を受けてのご発言だったのでしょう。今回のご発言の情報元はどちらからでしょうか?
大阪維新の会は、既成政党に対して大変大きな脅威を与えているようです。これが一時的なブームに過ぎないのか、それとも国政において一定の影響力を持ちうるようになるのか。それは来る総選挙において橋頭堡を築けるかどうかにかかっているものと思われます。少なくとも5名以上が当選できるかが試金石になるのではないかと考えます。下馬評では、もっと多くの候補者が当選できるのではないかと予想されておりますが・・・。
民主党案の0増5減の対象の一つとなっているが、我が佐賀県の選挙区です。それについて私自身は何ら反対するものではありません。持論として一票の格差が2倍以上になれば法の下の平等に反すると考えますので、これを是正するのは当たり前のことと考えます。
しかし、小選挙区制度をとる以上、一票の格差は永久に無くなることはないものと考えられます。以前の中選挙区制度においても一票の格差が問題となっていたような記憶があります。それに小選挙区では、死に票の問題も発生します。一票でも多く獲得した候補者が当該選挙区の代表者となります。別の候補へ投票した選挙民の意思はどうなってしまうのでしょう。当選した当初は「反対票の重みを重く受け止め・・・」と殊勝なことを言いますが、その後の言動をみるとそんなこと言ったかなーみたいなことが往々にしてあります。これも一種の一票の格差と言えるのではないでしょうか?
私は、国会議員は一地方の代表者ではなく、天下国家を論じるものとして全国を選挙区とした比例代表制で選出すべきものであると考えます。一選挙区ならば、そもそも一票の格差は生じません。
ゲリマンダリングという言葉がありますように区割りは利害関係が絡みますので、簡単に結論が出るものではありません。第三者機関などで、バッサリと斬り捨てるような手法を取らない限り、まさに「会議は踊る」こととなり、永久に議論するはめになります。このような不毛な議論に無駄な時間を浪費するのは、如何にもモッタイナイではありませんか。「他にやることが山ほどあるでしょうが」と言いたい。
<参考> 「議員定数削減の是非」「議員定数削減」「議員定数削減と選挙制度改革(一票の格差是正)」「議員定数削減と選挙制度改革(一票の格差是正)-その2」
素人目に見ても、状況を適切に把握して必要とされる対応を打ち出しているように思われます。それに比べ、我が国の対応は、記録さえないというお粗末さです。このようなことで、果たして国民の生命・財産を守ることが出来るのでしょうか。そしてこれらの対応は、世界各国に著しい不信と不安を与えてしまったのではないかと危惧します。
これも全くの想像ですが、例え緊急事態でバタバタしていたとしても議事録、メモ類、録音などが一切無いなどということが起こりえることなのでしょうか。そこに参加していた人全員が、記録を失念していたという状況を信じることができません。少なくとも何らかの会議を行うに際しては、必ず事務局などの担当者が存在するはずでしょう。それらの担当者が記録を取らないことなどあり得ないことではないかと考えます。実際には記録は存在し、それを公表することができない何らかの事情があるのではないかと邪推できなくもありません。それくらいの違和感を憶えるのであります。
原発に対する不信は、安全神話を作り、情報を隠蔽し、誤った情報を発信し続け、結果住民に避けられた放射線被爆をさせてしまったことに起因していると思われます。これらの不信を払拭していくためには、情報を公開し、説明責任を果たしていくことしかないと思います。
議事録等の記録はないとのことですが、遠からず関係者の口から真実が語られるようになることでしょう。嘘をつきとおすには、嘘の上塗りが必要になります。最後には矛盾に矛盾を重ね、結局は真実があばかれることになるでしょう。
お金は無いよりあった方が良いに決まっています。だからと言って、この世のお金の総量は有限です。と言うことはこれを分け合うことになります。ある人が限りない欲望を持ち、世の中の金を集めると、その結果誰かが割りを喰ってしまいます。
皆が潤沢なお金を持つためには、財を増やすことが必要です。財の増加は生産からしか生まれません。昔は(現在もかも知れませんが)農業生産以上の人口を維持することはできません。産業革命以降、大量生産・大量消費することで財を増加させてきました。しかし、このためには大量の資源とエネルギーが必要とされます。しかし、これは何れ枯渇する運命にあります。ですからこのようなモデルは何れ衰退せざるを得ない時期が到来します。
一方で、金融取引で富を蓄積するモデルもあります。しかしながら、このモデルでは冒頭に書いたような問題で富が偏在化することになります。金は金を呼び格差が大きくなってしまうことでしょう。
さあ、今後どのような生き方をすべきなのでしょうか・・・。
<参考> 「豊かさって何だろう」「この不景気に思うこと」
省エネ・節電には我慢することで達成できるものと我慢せずに達成できるものがあります。我慢するものの代表例としては、エアコンの設定温度でしょう。政府が推奨する設定温度は冷房時28℃、暖房時20℃といったものです。この推奨温度とて人により感じ方が異なります。我が家では、現在暖房温度の設定は18℃にしております。それも運転するのは、炊事などで水仕事をする時のみです。それ以外は、余程のことが無い限りOFFです。昨夏は冷房時も28℃ですが、これも食事の時以外はほとんど運転しておりません。と言いますのも田舎の木造家屋ですから、結構風通しが良いのでこのようなことでも耐えられます。鉄筋コンクリート造りでは、無理な話でしょう。それに百姓仕事をしておりますので、外の日差しに比べれば、屋内は天国みたいなものです。
我慢しないでもできる省エネ・節電は、言うまでもなく省エネ製品に買い替えることです。例えば、白熱電球を電球型蛍光灯やLED電球にするとか、エアコンや冷蔵庫を省エネタイプにするとかです。これは、一定の仕事をさせるための能率をアップすることになりますので、省エネができます。しかし、一定の仕事と言うのが曲者です。余計な仕事をさせたら増エネになることもあるということです。例えば、省エネエアコンにしたからといって、設定温度を強めにした場合には、結果増エネになることもあるのです。
結局は省エネは我慢と言うことですかね・・・。そろそろ春の気配がしてきました。もう少しの辛抱ですね。しかし、この夏が正念場です。
本日の朝日新聞朝刊の森治文氏の署名記事で標題のような見出しで記事が掲載されておりました。
-以下引用-
「世界の風力発電の総出力は昨年末で約2億3800万キロワットに上り、10年間で10倍になったことが分かった。横ばい状態の原発とは対照的で、今の伸びが続けば、5年以内に逆転しそうな勢いだ。」
-以上-
記事は引き続き、世界風力エネルギー協会によるデータを紹介していきます。そういった意味では、事実を指摘しただけの記事で、そこに書いてある内容は事実なのでしょう。ですが、読み方によっては、後5年もすれば原発に追いつき、追い抜くような印象を与えるのではないかと思います。即ち、風力発電がこのまま伸びれば、原発依存度を下げることに繋がるのではないか。あるいは、原発に依存することない近未来に繋げられるといった楽観を与えているようにも思えます。
しかし、ここには意識してか無意識にかは分かりませんが、発電量に関する内容が欠落しております。確かに出力はその通りなのでしょう。実際に大切なのは、風力発電によって作り出される電力量(エネルギー)です。発電する能力は高くても、実際に発電できなければ意味がありません。例えが悪いのですが、原発はあっても実際に稼動させなければ電力は生まれません。風力発電設備がいくら沢山あっても風が吹かなければ何の役にも立ちません。以前、つくば市の小中学校に設置された風力発電機が期待を大いに裏切り、大問題になったことは記憶に新しいことだと思います。
欧州などのように、常時風が吹いているような地域では、有効に発電できるでしょう。発電量は当然の如く立地条件によって大きく左右されます。日本において、風力発電が伸びていないのは、そのような地理的条件があるからに他なりません。
今回の記事は、出力ベースでの話ですので、それ自体は何ら問題はないのですが、一般的には「電力と電力量」の違いを明確に説明できる方は少ないでしょう。新聞は社会の公器とも言われます。ここは、いらぬ誤解を与えないことが大切なのではないかと考える次第です。
<参考> 「電力と電力量」
今年、55歳になります。一般のサラリーマンであればもうじき定年を迎え、老後をどうするか生活設計に思い悩む時期ではないかと想像します。頼るは、今まで蓄えてきた資産、退職金、それと何年後にか支給されるであろう年金です。何がしかの職が得られても収入は僅かでしょう。これから長い長い老後の生活をどのように生きて行けば良いのかと思えば憂鬱にもなろうというものです。景気の良い時であればまだしも、この不景気です。ますます財布の紐を絞りたくなろうというものです。
しかし、私はしがない自営業者です。兼業農家でもあります。したがって定年も無ければ、退職金もありません。ですから身体が動く限り、働き続けなければならない宿命にあります。猫の額ほどの農地と山林は、私が見限れば、即、荒れ放題になってしまうことでしょう。
ですから身体が動く間は、出来得る限りの自給自足生活をおくりたいと思っており、ピンピンコロリを理想としております。快復の見込みの無い寝たきりの老後は御免です。断食でもして、世間様に迷惑をかけないように我が身の始末をつけたいと思っております。そういった意味において、田舎暮らしは恵まれているのではないかと思っております。
このような老後をおくりたいならば「田舎へいらっしゃーい!」、「土地もいっぱいありますよー!」。
しかし、これではますます田舎の高齢化が進んでしまいますね。それは市町村管掌の国民健康保険に更なる負担がかかることを意味します。このような現実的課題がなければ、都会で暮らすより、田舎暮らしをお勧めするのですが・・・。
もう一句。 「頼れない社会保障に頼らない」
<参考> 「豊かさって何だろう」「この不景気に思うこと」
このほど日銀が1%のインフレ目標を掲げました。厖大な財政赤字で、果敢な財政出動ができず、手詰まり感の中デフレ脱却へ向けて従来から言われていた方策を政府の圧力に押し切られる恰好でようやく取り入れたといった印象を受けます。色々と批判されている日銀総裁ですが、文藝春秋三月号に掲載された「日銀総裁 欧州危機と日本経済を語る」を読む限りは、真っ当な考え方をされているのではないかと思います。
メディアでは、デフレスパイラルの恐さが語られております。確かに、ご指摘の通りであろうかと思います。しかしながら、安易な方法でインフレ誘導することで本格的な景気回復に結びつけることが出来るでしょうか。大量生産・大量消費型の生産構造を含めた社会構造に対する根本的な対策が求められている中、小手先だけの対応でインフレ誘導を行うと不景気の中でインフレが発生する、いわゆるスタグフレーションに陥るのではないかと危惧します。
もとより私は経済についてはど素人ですので、単なる戯言と思っていただければと思います。
今夕、関西電力高浜原発3号機が停止し、同電力管内の11基の原発は全て停止します。これで全国にある54基の原発で稼働しているのは2基のみということになります。
一方で、稼動再開に向けての動きも本格化してきておおり、反対の動きも活発化しているようです。
原発はなくて済むならばなくしたいというのが、世論調査結果から見ても大方の国民の合意が出来ているのではないかと思われます。ですから原発をなくする方向での、その方法論と時間軸の違いによって議論が分かれているのではないかと思われます。
原発事故は、回復不可能な被害を引き起こします。損害賠償するにも余りにも莫大過ぎて、完全なる保障は事実上不可能でしょう。ですから、どこかで線引きが発生します。このことは泣き寝入りせざるを得ない人々がでることを意味します。このようなことに関して、国や電力会社が適切なケアもしてきておりませんし、明確な方針も示されておりません。
皆が不安に思っていることに対して、矢継ぎ早に対策を実施し、明確なビジョンを示すことが政府の使命なのではないでしょうか。これ無くして、原発の再稼動の議論は、時期尚早ではないかと考えます。少なくとも、原発立地自治体乃至は周辺住民は、そのように考えるのではないかと思います。
もう一句。 「原発を再開したいと国は言う」