”Change”というスローガンを掲げてオバマ大統領は選挙キャンペーンを繰りひろげました。「変化」、「変革」という言葉は何とはなしに魅力的に思えます。
啓蒙書などでも「変化せよ!」といったニュアンスのことが書かれております。「変化しないこと=停滞」という主張でしょう。様々な点において向上しなさい、努力しなさいといった意味のことではありましょうが・・・。
識者から社会の問題点が指摘され、ここをこう変えろと変化を求めます。これなどは一部の利益代表だったりすることがありますので、主張の背景を見据える必要があります。
このように変化変化の大合唱が聞こえてきます。しかしながら、「変化」ってそんなに大切なことなのでしょうか。変化しないことって、そんなに悪いことなのでしょうか?
ここで視点を変えてみると、「変化しないこと=安定」とも言えます。昨日があって、今日がある。そして明日も相も変らず同じようにある。これって当たり前のように思っておりますが、とても大切なことですよね。
近年、異常気象云々が盛んに報道されております。平年と比べると気温がどうだ、降水量がどうだと、こちらの方は変化すると大騒ぎになります。
種々の社会システムや政策が変化するとこちらも大騒ぎになります。消費税が導入されて大騒ぎ。医療制度や年金制度が変ると大騒ぎとなります。
同じことについてもその時期やおかれた状況によって正反対に考えてしまうことすらあります。まるで変化と安定との間を往復する振り子のようにも思えます。安定している時には変化を求め、変化しすぎると安定を求めるといった、無いものねだりをしているようにも見えます。
若い時には変化を求め、歳をとると安定を求める。受験地獄でゆとり教育が主張され、学力が落ちたとゆとりが否定される。ガチガチの統制社会だと自由を求め、自由過ぎるとなにがしかの統制を求める。政治も右へ左へ行ったり来たり。色々な対極の間を色々な時間軸の間で一過性のの運動だったり、往復運動をしているようにも思えます。
そうかといえば両極を嫌い中庸が良いと唱えるものまで現れる。一体全体何を求めているのか。変化を求めているのか、それとも安定を求めているのか時として判らなくなってしまいます。
このような状況の中で日々生活しなければなりません。生活者にとって急激な変化は困りものです。過去急激な環境の変化が多くの種を絶滅に追い込みました。しかし、環境の変化に対応できたものだけが生き残り繁栄してきたというのもまた事実でしょう。変化の無いところに進歩も無いと言えるかも知れません。
現時点では、変化することとだけに唯一の価値を求めることが正しいことなのかという視点をもって考える必要性があるのではないかと思えます。