◆『「邪馬台国」はなかった』
古田武彦(朝日新聞社・1971年11月/角川文庫・1977年10月)
現在、朝日文庫に収録(1993年1月)
古田武彦氏は1971年に『「邪馬台国」はなかった』を朝日新聞から出版されました。一世を風靡した書物です。古田さん曰く、所謂「邪馬台国」が記述されている『三国志』には実はただの一箇所も「邪馬臺国」などとは書かれていない。すべて「邪馬壹国」である。現存する最古の『三国志』版である紹熙本の総ての文字を調べたが、臺を壹と書き間違ったような箇所はなかった。よって、「邪馬壹国」は「邪馬臺国」の書き間違いであろう、などはテクスト批判のルールを外れた見解である。それは、「やまたいこく」が「やまと=大和」と音が似ていることと相まって、現在に至る天皇家が3世紀前半にはすでに日本列島の過半を支配する勢力であったと主張する論者に好都合だから踏襲されてきたに過ぎないものである、と。
要は、古田さんに言わせれば、「邪馬壹国」は「邪馬臺国」の書き間違いであろという主張は、『三国志』の原典原文を無視するものであり、それは、「文献学的には確かにおかしいが。とにかく日本は古代より万世一系の天皇家がしろしめされていたはずだからして、「邪馬壹国」は「邪馬臺国」の書き間違ということでまあいいんじゃないかい」てな感じの議論にすぎない。而して、「邪馬壹国」を「邪馬臺国」の書き間違えと考える論者は、<証拠より論>を貴ぶような学者の風上にもおけない者たちではないか。彼等は、先学の安易な態度をこれまた惰性のマドロミの中で踏襲してきた者たちであると言えば言い過ぎであろうか、と古田さんは憤慨されたのです。
でもしかし、学者の風上にも置けないのは古田武彦氏の方ではないでしょうか。これに関しては、井上光貞先生を始め幾人もの大家がコメントされ、また、古田武彦研究家(?)の安本美典さんは古田武彦氏の誤謬誘導の手口を完膚無きまでに解明し批判しておられます。「邪馬臺国」はなかった(あったのは「邪馬壹国」である。)という古田説への批判は次の通りです。
3世紀に発行された『三国志』の原典など20-21世紀の現在この世に存在していない。現存するのはすべてその写本か写本の写本である(『三国志』の場合、版本ですけれど)。確かに、現存する『三国志』の最古の写本にも「邪馬臺国」という文字列はなく、そこに見られるのはすべて「邪馬壹国」の方である。この文献学的な事実を再確認された古田さんの(歴史愛好家に対する)教育的貢献は小さくないのかもしれない。
しかし、現存する『三国志』の最古の版は12世紀の南宋期のものであるに対して、原典原本の『三国志』が世に出てから現存する最古の版が出版されるまでの(3世紀から12世紀の)900年近くの期間に出回っていたであろう『三国志』(恐らく、複数の系統のものがあったと推定されますが、)を見て書かれたと推測される様々な書物にはすべて「邪馬壹国」ではなく「邪馬臺国」と記されている(例えば、『後漢書』425年前後成立、『隋書』636年、『通典』801年前後成立、『翰苑』大宰府天満宮所蔵版9世紀の写本と推定、『太平御覧』10世紀末に成立)。テクストクリティークによる校訂作業(原典復元作業)とは、このような様々な異本や逸文から原典を復元していく作業に他ならないのであって、そして、テクストクリティークの常識からは3世紀末に最初に原典原本が編まれた当時の『三国志』には「邪馬臺国」と書かれていたと考えるのが自然である。これが古田説に対する現在の歴史学研究者の標準的な批判であり、古田説の土台を完全に崩壊させた指摘です。そして最早、歴史研究社のコミュニティーで「邪馬台国はなかったという」古田説を支持する論者は存在しないと思います。
要は、古田武彦氏はテクストクリティークという作業がインターテクストの広がりを持つということ、つまり、テクストクリティークの営みは単一のテキスト内部だけでなく様々なテクスト間の整合性と諸原典の復元の作業にまで及ぶということ。これら文献批判の最も基本的なことさえ古田氏は理解できていなかったということだと思います。よって、古田説は<アマチュアの知的遊戯の帰結>に過ぎなかった。
古田さんは『「邪馬台国」はなかった』に始まる古代史研究(?)以前にも、これまたアマチュアの親鸞研究家として幾つかの親鸞研究書を出版されています(例えば、『親鸞』清水書院)。これら親鸞研究は、顕微鏡による筆跡や紙質の比較検討を行う等の1970年前後の時期としては斬新な手法を導入したものとして、これまた少なからず話題になったものです。ある領域の専門家の手法を表面的に使うことはどうも古田さんの癖なのかもしれない。でもね、素人の生兵法は怪我のもとですよ。実際、古田さんは文献批判に統計学的分析を導入する「数理文献学の手法」を真似して、『「邪馬台国」はなかった』では大怪我をされたのですから。
畢竟、読み物としては、『「邪馬台国」はなかった』は面白い。確かに面白いです。けれども、それは歴史研究書ではない。断じてない私は思っています。
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一見厳密な装いを持っていると思われる氏の方法論は、ご指摘のように極めてずさんなものです。「里程問題」、「行路問題」、「九州年号問題」等々、いずれも再調査をした人々によって、氏の論が成立し得ないことが明らかになっています。
1988年に既に氏の方法論について、厳密な資料分析をして得た結論ではなく、あくまでも解釈学であると壱岐一郎氏は喝破しています。(『季節 第12号 古田古代史学の諸相』)
東日流問題での安本美典氏が行った業績は大きいと思いますが、安本氏の古代史に関する論も問題が多すぎると思っています。
地域名分布のコンフィギュレーションを筑後・八女・甘木と奈良盆地に見出すのは悪くないと思いますが、考古学的な知験の収集分析の恣意性は古田大明神と程度の差しかないですかね。そう思っております。
>古田説は<アマチュアの知的遊戯の帰結>
>でもね、素人の生兵法は怪我のもとですよ。
と言った感じで古田説を嘲笑しているのが、あなたの権威主義者ぶりをよく現しています。
さて、ではあなたにお聞きします。「史学雑誌」という権威ある学術誌!をご存じですか。古田武彦は、親鸞研究でも邪馬一国問題でも「史学雑誌」に論文が収録されています(ただ「研究ノート」という位置づけですが、それは東大の人達のせめてもの面子でしょうか)。あなたの論法で行くと、東大の「史学雑誌」も素人の生兵法ということですか(笑)
この「史学雑誌」に論文が載るというのはとても難しいことで、歴史学者を名乗っている人達の殆どがそんなキャリアは持っていません。それを知った上で、あなたはここに駄文を書き連ねているのですか。
>井上光貞先生を始め幾人もの大家がコメントされ、
ついでにこれにも笑いました。どこかの国で「偉大なる将軍様が仰った」と異口同音に言っているのと同じですね。もっとも、どこかの国の人達の内心はわかりませんが、あなたのは本心からですねwwww
あなたのような英語教育屋さんの生徒さん達は、みんな自分で考えることを禁止されて可哀想ですね。