英語と書評 de 海馬之玄関

KABU家のブログです
*コメントレスは当分ブログ友以外
原則免除にさせてください。

気楽に英語 de パラグラフ(01):受験準備が「ゆとり」に優先?

2006年02月28日 11時41分11秒 | 英字新聞と英語の雑誌から(~2010年)

●Parents - And Students - Want More Prep
Schools revisit Saturday classes amid college worries


Just four years ago, the high-pressure public school system moved to lighten the burden on young students by eliminating Saturday classes and going to a five-day schedule. Now, some schools are saying five days are not enough. Under pressure to better prepare students for university, two Tokyo-area high schools this week announced they would go back to a six-day week when the new school year starts in April.・・・

The national school system has been credited with producing the generations of well-educated, capable workers who powered the country’s spectacular economic growth in the decades after World War II. But concerns have grown over the past 20 years that the system imposes too much pressure on children, contributing to student burnout, bullying and rising numbers of children who refuse to go to school.

While some of the changes implemented in recent years - the five-day week was instituted in 2002 - have eased students’ workload, a child’s academic standing is still largely determined by performance on difficult standardized tests.・・・
(By Carl Freire:AP, The Japan Times, Feb. 23, 2006:167 words)


■Vocabulary&Idiom
lighten軽減する, burden 負担
eliminate 削除する/除く, school year 学年度
national school system (国が定めた)学校教育制度
credit 性質・機能を持っている, spectacular 目を見張るような
decade 10年間, concern 関心/懸念, 
impose 負担を負わせる/重圧・困難を課す
burnout 虚脱感/「燃え尽き」感, bully いじめる
refuse to+不定詞 ~するのを拒否する, implement 実施する
workload 仕事量, academic standing 学業成績
standardize 規格化する


■Comment
prepareは目的語にto不定詞を取る動詞として(動名詞を目的語に取らない動詞として)TOEICの文法・語法パートでも時々出題される要注意の単語です:prepare to go on a school excursion(修学旅行に行く準備をする, ×prepare going on a school excursion)。もう一つprepareの大切な用法がテクスト本文のprepare+目的語+for~(~に向けて目的語に準備させる)です。会話でも使える便利な表現です。

powerとinstituteは動詞と名詞が同形ですね。姉妹語であるドイツ語などに比べ、動詞・形容詞の語尾変化が退化した(retrograde, degenerate)英語では、同形の単語が名詞・動詞の両方を兼ねるケースは少なくありません。その単語が時制変化や人称変化をしているのなら動詞と名詞の見極めは比較的簡単なのですが(実際、本テクストでは、power → powered, institute → instituted)、そうでない場合には、その単語の後ろに名詞相当語句(≒目的語)が来ているか、その単語の前に形容詞や動詞が来ているかというチェック(つまり、文型-文の構造からのチェック)しか手はありません。英語はある意味「いいかげんな言葉」なのです。でも、だからこそ英語は面白い♪


■試訳
●手厚い受験対策を訴える家庭の声
大学受験の懸念が広がる中、土曜日授業の解禁に踏み込む学校も


ちょうど4年前、生徒に強いプレッシャーをかけてきた公教育制度が変革された。土曜日の授業を全廃して週5日制に移行することで若い生徒達の負荷を軽減する変革が行われたのである。しかし、現在、週5日では不十分だと言う学校がでてきている。大学入学に向けて生徒により手厚い準備を施すべきだという声を受け、今週、新年度が始まる4月からは週6日制に戻すことを東京方面の二つの高校が発表した。・・・

この国の学校教育制度は長年にわたり、教育が行き届いた能力の高い勤労者を世に送り出す役割を果たしてきた。彼等こそ第二次世界大戦後のこの国の目を見張るような素晴らしい経済成長の動力源の一つだったのである。しかし、ここ20年ばかりの間、学校教育に対するある懸念が広がってきた。それは、学校教育制度は子供達にあまりにも大きなプレッシャーを掛けているのではないかということである。つまり、学校教育が生徒達の「燃え尽き状態」の一因になってはいないか、それはイジメの原因の一端であり、あるいは、不登校児童・生徒数の増加の要因ではないのかという懸念である。

ここ数年実施された幾つかの変革によって(実際、週5日制は2002年に実施された)、確かに、子供達の学習負担は軽減されたのだけれども、子供達の学業成績は、いまだに、より難易度の高い問題によって構成されているテストの結果に基づいてその大部分が判断されている。




■感想&感慨
この記事を書かれたCarl Freireさんはおそらく「2002年以前の日本の学校教育」について誤解をしておられると思う。そう、「つめこみ教育」「生徒が他の生徒を競争相手としか見ない殺伐たる生徒間の関係」「睡眠時間もろくにとらず勉強している異常な受験戦士達」「18の春、早ければ15の春に勝ち組と負け組みが分けられる選別教育」・・・書いていて(不謹慎ながら)笑いが込み上げてきますが、これらの先入観に基づいてCarl Freireさんはこの記事を書かれたのかなと思いました。

しかし、日本の「2002年以前の学校教育」に対するこれらの認識が、行政による学校教育への管理強化(?)を嫌う人々や、「子供を大人と対等な一個の人格」と見る「進歩的な人々」が流布させた<神話>にすぎないことは、(学校教育の市場主義-競争主義的な再編成に必ずしも賛成ではない)東京大学の苅谷剛彦さんの実証主義的な著書、例えば、『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書・1995年6月)を見れば明らかだと思います。

『おしん・少女時代編』を思い出してください。子供とはいえもっといろんなことが知りたいのではないですか。というようなことを考えているとき、2月26日の読売新聞にこんな記事が掲載されているのを見ました。「学力テスト批判相次ぐ 教研集会」です。記事にはこう書かれている。

三重県で開幕した日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会は25日、「学力問題」を討議する特別分科会が開かれ、文部科学省が2007年度から全国の小6と中3全員を対象に実施予定の「全国学力テスト」に、識者や教師から「教育をゆがめる」などの批判や不安の声が相次いだ。

シンポジュームでは、ロンドン在住のジャーナリスト、阿部菜穂子さんが「英国では7歳から行われるナショナル・テストで、子どもが過度の競争にさらされ、不眠などの報告もある」と指摘。・・・現場の教師からも「(文科省に先駆けて)各自治体が行っている学力テストで、一部地域では既に英国のような状況が生まれている」などの意見が出た。(以上、引用終了)


私は、競争社会である世間に子供達が巣立って行く前に、対等で公平な競争の作法と覚悟を彼等に教えること、そして、結果に係わらず自分を律しながら(好きなTVゲームも控えて:尚、TV gameは和製英語、英語ではvideo gameです!)努力を計画的に行うことの大切さと尊さを教えることは学校教育の責務だと思っています。そして、家庭と地域からの<預かり物>である子供達にどんな能力開発をしたかを委託者であり納税者である家庭と地域に報告することは行政サーヴィスとしての学校の当然の義務だとも。

よって、学力テストの内容や実施形態には当然改善すべきポイントは少なくないでしょうが、しかし、学力テストが「教育をゆがめる」などの批判は本末転倒もはなはだしい。まして、子供達にストレスをかけることが、もうそれだけで悪いことのように考えるのは悪しき原理主義ではないでしょうか。

簡単に言えば、それは「お客さんとしての子供達」を在学中だけストレスレスにすることに他ならない。ならば、このような主張は「学校の主人公は子どもたち」などと口当たりのよいスローガンを唱えながらも、実は、教育を放棄した教育者の非教育的な教育論(?)ではないか。この読売新聞の記事を読んで私はそう感じました。

尚、公教育の改革に関する私の基本的な考えについては下記拙稿を参照いただければ嬉しいです。

日本再生の鍵は公教育からの日本の解放である








ブログ・ランキングに参加しています。
応援してくださる方はクリックをお願いします


 ↓  ↓  ↓

にほんブログ村 英会話ブログ
にほんブログ村 英会話ブログへ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。