「曲ってどうやって作るのですか?」
うまく答えられない。
どちらかというと、作るというより「できる」ものだからだ。
習ったわけでも勉強したわけでもない。
たとえば、シャワーを浴びているとき、自転車で走っているとき、洗濯物を干しているとき。
生活の中の、何気ないときに、フッと浮かんでくる。それは、短いメロディだったり、歌詞が同時
だったり、ギターのパッキング付きだったり、様々である。
例えば、今回の新曲「太陽」の場合は、車を運転しているときだった。
「太陽が昇ったら」という詞と、それに続く4小節のメロディーが閃いた。
実はもう、3年も前のこと。それを何にも記録せずに、記憶にとどめて、ときどき思い出す。
記録しないのには、理由がある。そのフレーズの印象度の深さを測るためである。
自分ですぐに忘れてしまう程度のものは、他人なら、なおのこと、すぐに忘れるであろうと思うからだ。
自分の中でヒットしないものは、誰かに一度や二度聞いてもらっても、やはり心には響かないであろう
と想像する。
ま、このような悠長な作り方ができるのも、発表機会が年に一度という環境のなせるワザでもある。
そして、そこから膨らませて、一曲に仕上げてゆく。
この作業は、労力と根気を要する。とにかく、イメージする。その短い印象的なフレーズが、どのような
導入であったらより生きるのか、またどのようなメロディーがそれに続いて欲しいのか。
ここでは、音楽知識ではなく、総合的なイメージ力がモノを言うのだと思う。スポーツの試合を見て
感動したこと、仕事の成功体験、面白かった映画、政治に対する怒り、逃げられない状況で感じている
焦燥感など。
そういった、直接、音楽とは関係のない経験が生きてくるのだと信じている。
そして、過剰化。
こんなプロセスは、普通は無いのだと思う。
激しいものを表現したければ、より激しく感じさせるにはどうしたらよいか。どうしたらもっと悲しくなるのか。
この時点で自分がちょうど良いと感じる程度では、最終的には、バンド演奏というフィルターにかけることに
なるので、そのままオーディエンスには伝わらないと考えている。やりすぎかなと思えるくらいでちょうど良い
温度になるであろうと。
そして、おおよそのアレンジもこの段階で作っている。
そして、一線譜にコードと詞を書き入れて完成とあいなるわけです。