快風丸

俺の船に乗らないか。

曲をつくるということ

2012-08-23 20:08:55 | Weblog

 「曲ってどうやって作るのですか?」

うまく答えられない。

どちらかというと、作るというより「できる」ものだからだ。

習ったわけでも勉強したわけでもない。

 

 たとえば、シャワーを浴びているとき、自転車で走っているとき、洗濯物を干しているとき。

生活の中の、何気ないときに、フッと浮かんでくる。それは、短いメロディだったり、歌詞が同時

だったり、ギターのパッキング付きだったり、様々である。

 

 例えば、今回の新曲「太陽」の場合は、車を運転しているときだった。

「太陽が昇ったら」という詞と、それに続く4小節のメロディーが閃いた。

実はもう、3年も前のこと。それを何にも記録せずに、記憶にとどめて、ときどき思い出す。

記録しないのには、理由がある。そのフレーズの印象度の深さを測るためである。

自分ですぐに忘れてしまう程度のものは、他人なら、なおのこと、すぐに忘れるであろうと思うからだ。

自分の中でヒットしないものは、誰かに一度や二度聞いてもらっても、やはり心には響かないであろう

と想像する。

 ま、このような悠長な作り方ができるのも、発表機会が年に一度という環境のなせるワザでもある。

 

 そして、そこから膨らませて、一曲に仕上げてゆく。

この作業は、労力と根気を要する。とにかく、イメージする。その短い印象的なフレーズが、どのような

導入であったらより生きるのか、またどのようなメロディーがそれに続いて欲しいのか。

 ここでは、音楽知識ではなく、総合的なイメージ力がモノを言うのだと思う。スポーツの試合を見て

感動したこと、仕事の成功体験、面白かった映画、政治に対する怒り、逃げられない状況で感じている

焦燥感など。

そういった、直接、音楽とは関係のない経験が生きてくるのだと信じている。

 

 そして、過剰化。

こんなプロセスは、普通は無いのだと思う。

激しいものを表現したければ、より激しく感じさせるにはどうしたらよいか。どうしたらもっと悲しくなるのか。

この時点で自分がちょうど良いと感じる程度では、最終的には、バンド演奏というフィルターにかけることに

なるので、そのままオーディエンスには伝わらないと考えている。やりすぎかなと思えるくらいでちょうど良い

温度になるであろうと。

 

 そして、おおよそのアレンジもこの段階で作っている。

そして、一線譜にコードと詞を書き入れて完成とあいなるわけです。