犬...「ん?」
なぜか中津でこのような展覧会が、なんともタイムリーに開催中。
写真展に2,000円は高いと思ったが、なぜか1,500円に下がっていたので行ってきた。
アビーロードスタジオで使用されていた録音機。
真空管が多数投入されており、時代を感じる。
天面がオープンリールを水平にセットするテープレコーダーになっている。
全国を巡回してるみたいです。
4年前は「デビュー50周年」と銘打っていたようです。
ビートルズって、知ってるようでよく知らないなと思っていた。
有名な曲、有名なエピソードなどは知っているが、活動の全容となると、はっきりしない感じだった。
すべての知識が断片的なのだ。
いつか、時代のなかのビートルズを知識として整理したいと漠然と思っていた。
この展覧会、年代順に写真とパネルにキャプションがあり、思いのほか、知識の整理に役立った。
たとえば、ほんとうの全盛期は63年から65年ということがはっきりとした。
とにかく人気が出過ぎて、レコードが売れすぎて、それがゆえに短期間で消耗してしまったということだと思う。
もしビートルズにこの爆発的な2年間が無かったとしたら、ブライアン・エプスタインに出会わなかったとしたら、
コンスタントに良質な作品を提供し続けられる環境が彼らに与えられていたなら、ロックという音楽の持つ意味
のようなものが、ずいぶんと変わっていたのではないかと思う。
このバンドに続く名だたるロックのビッグネームの商業的成功もなかったのではないかと思う。
そうであれば、音楽とビジネスが結びつくことはなく、商業的に成功することもない。
ローカルバンドが群雄を割拠し、今よりも多様な音楽性を持った豊かな音楽社会が実現したのでは
ないだろうか。
音楽とは本来、やりたい者がやりたいことをやり、聞きたい者が聴きたいことを聴く、というのが
あるべき姿だと思うのです。
ロックという本来は若き情熱の発露であるべきものを「売れるもの、儲かるもの」という大人の道具に
組み込んでしまった、音楽の側から見たら、大いなる失敗だと強く思うのです。
詮のない話ではあるが、この奇跡の2年間がその後50年のポップスにおける音楽的マジョリティーの
画一性を決定してしまったというのは、驚異的なことだなと思うのです。
ロックとは、個の爆発であるという前提を忘れないためにも、その歴史過程を知ることは有意義な
事だったと思います。
小倉駅で新幹線から在来線へ乗り換え。
7,8番ホームに降りる。
ちなみに、中津行きは4番ホーム。
わさわざ、乗り継ぎ時間を多くとって、7・8番ホームのうどんを食べに行くのです。
今回、初めて知ったのが、正式名称は「北九州駅弁当ぷらっとぴっと4号売店」ということと
創業明治24年ということ。
今日は心なしか、かしわとネギの盛りが良いように思います。
甘辛く煮込んだ鶏肉と昆布だし、そして福岡のうどんの特色であるコシのない柔らかい麺、それらを
ネギの辛味がグッと引き締めてくれるわけですな。
こんなおいしいものが350円で食べられるという幸せはすでに罪である。
悪いこととは知りながら、背徳の快楽に身をゆだねる心地よき初夏の昼でございました。
ポイントがたまったので、帰りは小倉から名古屋までグリーン。
生まれてから初めての登場。
開けドア。
この閑散とした感じがブルジョワジー。
シートのクッション感がラグジュアリー。
これが最初で最後かもと思ったとき、さて、このリッチな感触をいつまでも覚えておくのが良いのか、
それとも早く忘れて庶民として今後もエコノミーシートに違和感を覚えないようにすべきか迷うのである。
疲れてはいるが、寝ないでおこうと思う心に貧乏の神が宿るのである。
まずはコーヒー、ラージサイズでお願いします。
福岡の実家で掃除や片付けなど、ほんとに座る間もなく働いた。
事務職がすっかり身に着いてしまった都会生活者には、肉体労働がこたえた。
働き過ぎて人格が変わってしまいそうだ。
なんなのだろう、この居心地の悪い充実感は。
人にやさしくなってしまいそうだ。
もうパンクは歌えないかもしれない。
今日はミシャ・マイスキーのバッハ無伴奏チェロ組曲を聞いて寝ることにしよう。
右ストレートにゃ
ガードするにゃ
トドメにゃ
左ストレート、ひねりねじこむように打つにゃ、打つにゃ、打つにゃあ。