権現砦 - ごんげんとりで ー

自由人カメさんの日常

山城

2009-12-23 09:31:19 | 日記
公民館で開かれた講演会、中世のお城の研究をしている人の話でした。地元に中山城という城跡が残っています。三年前から地元の人が周囲の木を切り保存活動をしています。どうしても今までわからなかったのは、何でこんな小さな城が?天守閣はどこにあったの?でしたが、今回の話でよくわかりました。中世の城は建物は主体ではなく、敵が攻めてきたときにどう追い返すか?が主体で土塁、掘それも水のない空堀が主体だっと言います。山の上で敵を上から見下ろし石を落したり槍で突いたりが戦争でした。多くのけが人は、上から落とされた石が一番多く、次が弓、その次が槍だったようです。戦いの道具としてはそんなものしかなかった時代のことです。15世紀の初め毛利氏と陶氏が争った時の城跡でした。
鉄砲が伝来し、戦い方が変わってからは大きな天守閣を持った城が必要になってきました。これが江戸時代になり造られるようになったなったようです。
我が家の前の権現山の頂上を少し南に下ったところに謎の石積みがあり、今まで何だかよくわかりませんでした、人工的に積んでいるのは間違いありませんが、炭焼きの跡でもないし、修行の跡でもないようですし、今まで「?」と通り過ぎていましたが今回やっと謎が解けました、毛利氏を後ろから攻めようと陶氏が築いたもののようです。500年前のものです。

池のハスの花も枯れたまま凍りついています
コメント
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