この大会で自己ベストを更新して、3週間後の東京で2時間7分台を出すと広言していた川内優輝だが、僕とすれ違った時、彼の前には多くのランナーがいた。ペースが上がらないのか?いや、先頭はよほど速いペースで走っているのだろうか?スタート時間が早くなっているので、トップ集団と自分たちとの差が分かりにくいし、「同じ土俵で戦っている」という意識を持ちにくい。しかし、「元気をもらう」とはよく言ったもので、反対車線を通り過ぎる、テレビのマラソンや駅伝の中継で見慣れたユニフォームのランナーたちを見ていると、知らず知らずのうちに速いペースを維持している。もっとも、走り出した時よりもじわりじわりとペースは落ちているが、1km5分ペースで走って、1時間45分以内でゴール、という目標は上回っている。あるいは1時間40分も切れるか、と思わせた。フルマラソンならば、目標とするペースを上回るペースで入ってしまえば、抑え気味で入らないといけないが、ハーフマラソンなら、そのまま行けるところまでツッコメツッコメ、ドレミファドン!である。(嘉門達夫ファンでないと意味不明だろう。)
しかし、それもきちんとした練習をしてスタートラインに立ってこそ、である。
登録Aの部の女子ランナーたちは、ペースメイカーとなる男性ランナーがいないので、きついと思う。しかし、このコースで出した記録は、男子ランナーの力を借りたものではないと言える。実際にペースメイカーとして、四国電力コーチの若本和昭('98年の愛媛マラソン優勝者)やシスメックスのコーチである本田大造(元・マラソン日本記録保持者である山本佳子さんの夫)も女子の先頭集団を引っ張っていたが、彼らは今も、ハーフで1時間8分以内の走力を維持しているのだから大したものだと思う。
松山大学のユニフォームを着たランナーとすれ違う。すれ違いざま、声をかける。
10kmを47分42秒で通過。その手前の2つの橋が年々きつく感じられてきた。中間点通過時間が50分を越えた。1時間40分以内はきついか。
そこからは1km1kmが長かった。やはり練習不足だったのだ。1km5分以内のペースを維持するのが難しくなってきた。走りのリズムは変わっていないが、気づかないうちにペースが落ちている。足に痛みがあるわけでもないのにもかかわらず。である。走りこみ不足は明白だった。多くのランナーが追い抜いていくことで、自分のペースが落ちていることが分かる。15kmは1時間13分18秒で通過した。あと6km、1km5分ペースで1時間43分台と目標をクリアするが、6分ペースだと1時間49分台になる。それは避けたい、と思っていた。しかし、ほとんど、フルマラソンの35km以降と同じ状態になっていた。やはりマラソンは甘くない。短い距離ほどごまかしが利かない。
1時間45分のペースメイカーに抜かれた。競技場の入り口で20km地点。1時間42分46秒だ。既に1km6分を越えるペースに落ちている。ここからが長い。スタート地点が競技場の外になった分、トラックを一周多く走らないといけない。久しぶりの全天候トラックの感触。愛媛マラソンでは味わえなくなった。疲れ切った足に優しい。せめて1時間50分は切らないと。
ゴールラインを越えた。1時間49分34秒。19年前の5月、小豆島のハーフマラソンが初めてのハーフ出場だった。初夏に陽射しに照り付けられて走った時のタイムが1時間48分8秒。以後、この記録よりも遅く走ったことは無かった。一度、体調不良で19kmでレースを止めた時があったが、そこからゴール地点まで歩いて帰った際に、記録集計の発信器が作動してしまい、2時間15分台の記録が残ってしまったが、自分の中ではリタイアとなっている。50歳のメモリアルレースとなるはずだった愛媛マラソンの代わりに出たレースで、自己ワースト。この結果が今年1年のランニング生活の全てである。
駅まで歩く道のりも長く感じられた。次のフルマラソンはいつになるか。もう抽選で走る人間を選ぶ大会はごめんだが、そういう大会ばかりになってしまった。
帰宅して、録画していたレースを見た。今年は愛媛マラソンの録画をしていない。
優勝したキソリオは1時間は切れなかったようだった。日本人トップは高林祐介の1時間1分31秒。そして、彼から3秒遅れでゴールしたのは、藤原新だった。2年前の東京マラソンで2位に入賞した後、JR東日本を退社し、「プロランナー」となった男だ。5月のオタワでは優勝を飾ったものの、その秋のニューヨークでは棄権、川内優輝が激走を見せた昨年の東京は優勝候補に挙げられたものの女子にも負ける記録で惨敗、その年の秋にはスポンサーから契約解除と、暗いニュースが続いていた。今年の東京で起死回生をかけるとは聞いていたが、調子良さそうじゃないか。川内も、公約通りに自己ベストを23秒更新する1時間2分17秒でゴールした。
本稿をもし、2月26日の東京マラソンの前にアップしていたら、どんな言葉でしめくくっていただろうか?東京は藤原が2時間7分48秒で日本人トップの2位でゴールし、川内は14位に沈んだ。
しかし、それもきちんとした練習をしてスタートラインに立ってこそ、である。
登録Aの部の女子ランナーたちは、ペースメイカーとなる男性ランナーがいないので、きついと思う。しかし、このコースで出した記録は、男子ランナーの力を借りたものではないと言える。実際にペースメイカーとして、四国電力コーチの若本和昭('98年の愛媛マラソン優勝者)やシスメックスのコーチである本田大造(元・マラソン日本記録保持者である山本佳子さんの夫)も女子の先頭集団を引っ張っていたが、彼らは今も、ハーフで1時間8分以内の走力を維持しているのだから大したものだと思う。
松山大学のユニフォームを着たランナーとすれ違う。すれ違いざま、声をかける。
10kmを47分42秒で通過。その手前の2つの橋が年々きつく感じられてきた。中間点通過時間が50分を越えた。1時間40分以内はきついか。
そこからは1km1kmが長かった。やはり練習不足だったのだ。1km5分以内のペースを維持するのが難しくなってきた。走りのリズムは変わっていないが、気づかないうちにペースが落ちている。足に痛みがあるわけでもないのにもかかわらず。である。走りこみ不足は明白だった。多くのランナーが追い抜いていくことで、自分のペースが落ちていることが分かる。15kmは1時間13分18秒で通過した。あと6km、1km5分ペースで1時間43分台と目標をクリアするが、6分ペースだと1時間49分台になる。それは避けたい、と思っていた。しかし、ほとんど、フルマラソンの35km以降と同じ状態になっていた。やはりマラソンは甘くない。短い距離ほどごまかしが利かない。
1時間45分のペースメイカーに抜かれた。競技場の入り口で20km地点。1時間42分46秒だ。既に1km6分を越えるペースに落ちている。ここからが長い。スタート地点が競技場の外になった分、トラックを一周多く走らないといけない。久しぶりの全天候トラックの感触。愛媛マラソンでは味わえなくなった。疲れ切った足に優しい。せめて1時間50分は切らないと。
ゴールラインを越えた。1時間49分34秒。19年前の5月、小豆島のハーフマラソンが初めてのハーフ出場だった。初夏に陽射しに照り付けられて走った時のタイムが1時間48分8秒。以後、この記録よりも遅く走ったことは無かった。一度、体調不良で19kmでレースを止めた時があったが、そこからゴール地点まで歩いて帰った際に、記録集計の発信器が作動してしまい、2時間15分台の記録が残ってしまったが、自分の中ではリタイアとなっている。50歳のメモリアルレースとなるはずだった愛媛マラソンの代わりに出たレースで、自己ワースト。この結果が今年1年のランニング生活の全てである。
駅まで歩く道のりも長く感じられた。次のフルマラソンはいつになるか。もう抽選で走る人間を選ぶ大会はごめんだが、そういう大会ばかりになってしまった。
帰宅して、録画していたレースを見た。今年は愛媛マラソンの録画をしていない。
優勝したキソリオは1時間は切れなかったようだった。日本人トップは高林祐介の1時間1分31秒。そして、彼から3秒遅れでゴールしたのは、藤原新だった。2年前の東京マラソンで2位に入賞した後、JR東日本を退社し、「プロランナー」となった男だ。5月のオタワでは優勝を飾ったものの、その秋のニューヨークでは棄権、川内優輝が激走を見せた昨年の東京は優勝候補に挙げられたものの女子にも負ける記録で惨敗、その年の秋にはスポンサーから契約解除と、暗いニュースが続いていた。今年の東京で起死回生をかけるとは聞いていたが、調子良さそうじゃないか。川内も、公約通りに自己ベストを23秒更新する1時間2分17秒でゴールした。
本稿をもし、2月26日の東京マラソンの前にアップしていたら、どんな言葉でしめくくっていただろうか?東京は藤原が2時間7分48秒で日本人トップの2位でゴールし、川内は14位に沈んだ。
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