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「べてるの家」の由来

聖書を読んでいたら旧約聖書に僕の居るべてるの家の名前の素のベテルが出て来ました。
「その場所をベテル(神の家)と名付けた」創世記28章19節
ベテルと名付けたヤコブという人は全ての人類の先祖アブラハムの孫なのだけれど、その生き方があまりにも人間臭い。
自分が兄エサウの代わりに神さまからの祝福を受け継ぎたいと考えて、弟のヤコブの方が好きな母の助言通りに目が見えにくくなった父イサクをだまして暗闇で兄エサウになりすまして父から代々続く神さまの祝福を得てしまう。
だまされる父も悔しがる兄も兄を恐れて逃げるヤコブも情けないなと僕は思う。
こんな人たちが人類の先祖なのかと馬鹿らしく感じる。
でも人間とはそんな情けない存在なのかなと僕は思う。
そのヤコブが逃げる途中で寝泊まりした場所に神さまが現れてヤコブは祝福してもらったのでその場所をベテルと名付けた。
そう思うと僕が今居るべてるの家もすごく人間臭い、情けない場だと思うと納得がいく。
人間なんてそんなもんさという開き直りというか達観するとべてるの家はすごいのかなと思えたりもする。
でも実際は毎日毎日生きるのに精いっぱいでそれこそ情けない人間臭い生活をメンバーも職員もしているのかなと思います。
僕も毎日毎日べてるの家に行く情けない自分が少しだけいいなと思いました。
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「赦す」ことについて考えました

昨日居場所で第3者委員会の人たちとの懇談会があると聞いたので参加しました。
メンバーが7,8人集まって第3者委員会の人3人と話し合いました。
メンバーはみんなここは良い所だ感謝している仲間が助け合っていると話した。僕だけ不満を話した。
話し合いの後で第3者委員の人たちが僕に聞き取りしてくれたので僕は正直に話した。
委員の人たちはうなずいて僕の話に驚いていた場面もあった。
終わって僕は何とも嫌な気分に成った。僕だけ孤立していると感じた。いわゆる内部告発をした後の複雑な気持ちなのだと思う。そして嫌だった2か月前の出来事を思い出してしまった。

今日は疲れて寝坊した。さらに布団から起き上がるまでに1時間かかった。午前中は部屋に居て昼ごはんを食べに居場所に行った。
ベテランさんに話したら相手の人は気にしていないよと話してくれた。確かに相手は気にしていないのだろう。僕が気にしているのだ。

1人住居に帰り部屋でコーラ飲みながらメジャーリーグを観てそれから風呂に入って考えた。「赦す」しかないな。僕は疲れた。
「許す」のではない.。
個別の嫌だった出来事を無かったことにするだけ。
イエスさまのお名前のもとで赦す、赦される。
みんなも僕も弱い、ずるい人間なのだからと。
でもそれは相手と距離をとるということ。仲良くは成らないのだろう。

聖書に「だれの罪でも、あなた(がた)が赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなた(がた)が赦さなければ、赦されないまま残る」ヨハネによる福音書20-23
と書いてある。まさにその通りだと思う。僕がいいやと思えば流せるのだ。僕はこれでやっていこうと思う。
でもこれが僕のこの居場所での最後の開き直りかなと思います。

僕は赦すよりも相手としっかり話し合ってお互い許し合えれば一番いいと思う。
でも相手は変わらない自分が変わるのが僕が学んでいる当事者研究の基本的な考え方。
僕はどうしたら良いか考えがグルグル回っています。
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「合わせて6割理論」を再び

僕は浦河で変な嫌なことがあり頭に来たので予定を早めて千葉に来た。
その千葉、東京に来る本来の目的のブルース・スプリングスティーンのファンの集まりで一緒に参加する人からのメッセージを9日間気が付かず返事していなかった。
親しい人との電話で傷つけることを言ってしまったみたい。

そんなことがあって僕は今日教会に行った。
玄関でいつもの人に会い話した。
浦河でのことにその人は、僕は年とればいいと話してくれてなるほどと思った。そして老人ホームもお金かかる。その点、浦河いいと言ってくれた。
今日はペンテコステ礼拝 イエスさまの弟子の所に聖霊が降りて来くれてて弟子が宣教を始めた日。教会の誕生日。
ダメな弟子にイエスさまは何度も息を吹き込む。ペンテコステはそのダメ出し。
知ってるもん、あなたを。あなたの情けなさもズルさも。でもそれがいいんだよ。それを変えようとするな。
無学な弟子が布教を始めたから信用された。
あなたの弱さを選び最大限に活かした。
そこがいいんだよ。そうじゃないと伝わらない。
僕はこれはまさにべてるの家の『弱さを力に』ではないかと思った。弱いから伝わる。弱さを知っているから信用される。これだなと思った。
今日は洗礼を受けられた方がいて息子さんの洗礼を受けるのをお母さまが一生懸命スマホで写していた。僕は僕のお母さんが僕が洗礼を受けるのをうれしそうに見ていたのを思い出して涙が出て来た。
今日は聖餐式もあった。いただいたウエハースを食べたら歯に引っかかった。何かおかしかった。
礼拝の後、牧師先生がバラの花びらをみんなに振りかけてくれてみんながまたみんなに掛け合いに成り大騒ぎに。
それからピザを焼いていただき食べて歓談した。楽しかった。

それから今度は地域の居場所に行った。
沖縄の基地問題の映画を観て意見を出し合った。
国会も解散が近いらしい。自分たちの選挙区は区割りが変わったと話してもらった。
それから僕が久しぶりということで僕の話を聞いてくれて僕がブルース・スプリングスティーンのライブを観にニューーヨークに行った話を聞いてくれた。
ブルース・スプリングスティーンを知っている人もいて興味深く聞いてくれてうれしかった。

そんなこともあって僕は何か満たされた気持ちに成った。
もちろん連絡をしなかったことも傷つけた事を言ってしまったことも、そもそもの浦河で怒ったことも、
全て考えるのだけど、ひとまず置いておいて別のことをやりながら眺めてみる。
するとふうっと楽に成り良いアイデアが浮かんで来た。

これは以前僕が考えた「合わせて6割理論」の応用編なのではと思いました。
一か所では満たされなくても他の場所にも行って合わせて6割満足すれば良しとする考え方。
これが合わせて6割に成るだけでなくそれぞれの困難も解決するかもしれない。そう思いました。
礼拝の最後にみんなで言う「神に感謝」とともに皆さんに感謝です。
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「枠枠(わくわく)メソッド」の開発に取り掛かりました

今朝はいろいろぶつぶつ言いながら散歩して写真を撮った。
ふと思った。僕の生き方は写真を撮るように生きればいいかな、いろいろある中で自分の見たい所を見る。
写真を撮る時にファインダーを見て構図を決める時のように。撮る所、撮る時間を考えて撮るように。そうすれば自分の撮りたい写真、生きたい人生を生きられるかなと。
ただやみくもに生きていたら迷ってしまう。何かすごく大切なことに思いました。
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僕らの当事者研究

昨日は僕の以前の居場所のお仲間が僕の写真展を観に来てくれて、その後に3人でファミレスで当事者研究をしました。
「僕が機嫌良く浦河に帰る方法の研究」
明るい未来が開けない。とりあえず楽に帰る。他人の否定を受け取らない。待っていてくれている人のことを考える。などが出ました。
アドバイスでなくアイデアが飛び交った。これは今まで一緒に居た仲間だからそう出来たのだと思います。
僕が機嫌が悪くなった原因として、自分が大事にされていない感じがする。かまってほしいウイルスが飛び交う。
愛されるかまわれ方は?
おもしろくない→イライラ→怒鳴る→避けられる の悪循環
これをかまって欲しいサウンドを奏でることに替える。 OYA SOUNDSを鳴らすといい。
今回の僕が怒鳴ったことをサラッと謝る
忠臣蔵の大事の前の小事と思って謝る
僕は当然と思うことをしないと怒鳴る(コンビニの店員に、ドコモショップの対応も)
でも今回のことで相手が形だけ僕に謝ったと言っていて、僕はそれを言われたらもう何も仲直り出来ないと思ったのだけど、実は僕もそもそも最初は形だけ怒っていたのだったと気が付いた。→これで浦河に戻れる
僕は前の居場所でも怒鳴るという同じことをしてしまったので仲間のことを考えるととても言えないのだけど、
僕は今回の件は形だけ怒るつもりが相手の反応で本気に怒鳴ってしまった。そもそも僕は一応謝ってくれればそれで流すつもりでいたのだと思い出した。
この意外な展開がおもしろくて当事者研究的だなと思った。もちろんみんなに嫌な思いをさせてしまって申し訳ないけれど僕は何か楽になって前に進める気がした。仲間に感謝。
僕はこの研究はこのメンバーだから出来たのだと思う。今までのお互いの積み重ねがあっての研究だと思う。 仲間はありがたいなと思いました。大切にします。
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「トム・アンデルセン会話哲学の軌跡」を読んでの感想

「トム・アンデルセン会話哲学の軌跡」リフレクティング・チームからリフレクティング・プロセスへ 矢原隆行著訳 トム・アンデルセン著を読んでの感想です。
僕は今までリフレクティングをおもしろい話し合いの仕方だなと思っていました。
二人なり何人かで面談話し合いをして、それをもう一つのグループが離れて聞いていて、話し合いをいったん中断して離れていたグループがその話をまとめて感想、さらにどんなことを聞きたいか感想を言う。そしてその感想を聞いてもう一度面談を再開する。そうすると不思議と話をシンプルに分かりやすくそして深く話し合える。そんな面談の技法と思っていました。

それを医療の現場ではマジックミラーで仕切られている2つの部屋に分かれて照明を点けて消して片方の部屋で他方の部屋を見聞きして、また交代して見聞きされて、それぞれの部屋を見て聞きながら面談をするという。
以前僕は東京の居場所で実験でそのリフレクティングをひとつの部屋で端のの照明をつけたり消したりしながら楽しく実験したのを思い出します。
そんなリフレクティングというやり方はおもしろいなと思ったのが僕の最初の感想です。
そのリフレクティングを上手く用いて今注目されているオープンダイアログは行われているようです。

この本ではそのリフレクティングを技法としてだけでなくどう広く医療の場で活用していくかリフレクティング・チームからリフレクティング・プロセスへの過程が書かれていたと思います。

僕は相手を尊重することかな。異なることの大切さ。「あれかこれか」でなくて「あれもこれも」「あれでなくこれでもない」を基本にして面談する。
そしてみんなでアイデアを出し合う。僕の学んでいる当事者研究にも通じるなと思いました。
アドバイスでなくアイデア。相手を思いやり謙虚に聞く。
でも僕はこれを読んだだけでは分からないな。実際のガイドが必要だなと思いました。

実践が先。みんな平等対等ということかな。オープンダイアログ、リフレクティングを行う時にそれは常に意識していないといけないことなのだろうと思いました。
でも僕の疑問としてスタッフとメンバーは完全に対等には成れない。やはり友達つきあいではない、治療なので上下関係というか聞く側聞いてもらう側が出来るのではないかなと僕は思います。

どんな言葉を用いるかが大事。話したくないことは話さなくてよい、それがリフレクティングの倫理。
具体例として「なぜ」の質問はしない。具体的な質問をする。
「代わりに」から「加えて」。「あれかこれか」から「あれもこれも」へ。考えるな、見よ。
密室密談はよくない。開かれた場で話し合う。より多く聞きより少なく話す。
リフレクティングトークではどんな風に続けるかに集中する。新たな解決にこだわらない、自ずと生じる。
注意として実際に話されたことに基づいてリフレクトする。自分で考えた意見は言わない。技法でなく場、間が大切。

僕はこの本は医療者への心得集のように感じました。でも当事者研究を実践しようとしている僕にもあてはまるなと思いながら読みました。
オープンダイアログ、リフレクティングと当事者研究は大切にしていることが共通しているなと思いました。途中読んでいて分からない所はななめ読みしましたが。
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僕の6割理論

僕は居場所で嫌な思いをして、もう今いる北海道浦河を離れて千葉に戻ろうと思った。
でも昨日オンラインの当事者研究会に参加して先輩からとても大切な言葉を頂いた。
「他人は変えられない。変えられるのは自分と認知」
僕はここ浦河で相手は変えられない、自分が変わろうとして来た。
でもなかなか上手く自分が変われなかった。
でも自分は変わらなくて良いのだ、認知(相手や物ををどう思うか)を変えればいいのだ。
僕は相手に求め過ぎていた。相手はそういうものだと多くを求めなければいいのだ。
そうだこれは僕が昔いろいろな人たちと作り上げた「6割理論」だ。
6割の出来で良しとする。相手にも6割だけ求める。そうすると相手も気楽に僕と付き合える。
相手の6割の良い所を見て4割の悪い所は見ない。
また僕は本当のことの6割のことしか見えていないと知る。
さらに相手が言いたくても言えない4割のことを思いやる。
まさに今の僕にピタリと当てはまると思いました。
昔僕が研究した成果が今になり活きて来ました。研究が僕を助けてくれそうです。
僕はこれからここ浦河で6割理論を実践します。
そして6割理論の肝は僕が自分のやりたいことをやっているということ。そうすると相手を許せるのだと思います。


脳天気予報士の6割理論 

謙虚さ、やわらかい、わくわくする、進化成長する理論



「自分でやったことが6割出来ていれば、残りの4割が納得しなくても良しとする」

~~~~~今までにやりたいことをやったと思えるから、そう言える。段々と喜びが増えてくる。



「友人作りにも6割を求める」
(相手にも自分が6割だけを求めていると分かってもらうと、楽につきあってもらえる)

・ 相手を1回のことだけで判断しない、決めつけない(僕の欠点)
~~~~~やわらかい付き合い、序々に仲を深めていければいい。

・ 相手に自分の持っていないものを探す
~~~~~相手が魅力的に見える。

・ 相手に損得ぬきで付き合う
~~~~~目先のことだけにとらわれない。

・ 相手も物事も6割の良いところを見て、4割の悪いところを見ない。



「自分の見ているもの、分かっているものは実際の6割しか見えていないと知る」
~~~~~決めつけない、謙虚に

・宇宙のなかには見えていない、こんな驚きもあるんだ。
~~~~~4割のまだ見ていないものが楽しみ。わくわくする。



「全部は出来ない、6割のやれる事を一生懸命にやる」
~~~~~今までの自分が一番大事にしてきた姿勢
(でも出来ないと決めつけない)



それでも、やらないで後悔するより、やってダメな方がいい
今は出来なくても、いつかは出来るの思いは今も持っています


<少しづつ良くなっていく。あきらめとは違う>
<生きていくのが楽しくなる。わくわくしながら生活出来る>


この6割理論は、まだ6割の完成です。
そして4割理論が生まれました。(6割理論の裏)

「相手の言いたくても言えない、4割の気持ちを想像して思いやる」


雲を見ると空気の流れが見える。
雲だけが目に見えるけれど、みんな動いている。


まだ、まとまっていないですが、さらに6割理論を深めていきます。

そして自分自身が6割理論そのものなのではと思ってきました。
本気で全力でやるけど、その結果は真剣6割、抜けているのが4割。
おもしろいものを探しながら生きていきます。
楽しみを見つけ出しながら生活していきます。


自分でやりたいことはとことんやって、人づきあいでは、ある程度で良しとする。
「これを分かってくれて有難う」(全部は分かるはずが無い)
自分がやっていること、思っていることのグチ自慢話をして、相手のグチ自慢話を聞く。



6割理論は自分がやりたいことをやっている時に成り立つ。
今はやりたいことをやれていない。
次の目標を探そう。 
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当事者研究のユーモア

昨日僕は診察で主治医が自分の話したい事だけ話して、その後に僕が話すとパソコンに向かって処方箋を打ち始めることに頭に来た。
嫌な思いをして部屋に帰りふて寝していた。そこにお仲間から電話が来た。
ミニ当事者研究をした。そこでは今回の良かったことを話して案外僕は上手く怒りに対処しているなと確認し合った。
そして苦労に対する実験をしてみようということで、これからする実験をあげてみた。
「みんなに先生がパソコンを見て話をしているのが嫌か聞いてみる」があがった。
そして僕が「今年の幻覚妄想大会で僕が受賞するという噂を聞いていたけれど主治医がそれを握りつぶしたと思う」と話したらそれを主治医に聞く実験をしようと成った。
さらに「主治医が診察中に何回自分の方を向いたかを数える。私も数えます」とお仲間が言ってくれて笑い合った。僕はすっかり楽に成っていた。
僕はこういうユーモアが好きだ。
追い詰められている時に当事者研究で実験するという手法で現実に向かい挑戦する。
その時にユーモアがあるとすごくいいのだと僕は気が付きました。
それと「看板の書き替え」主治医への怒りをどう浦河で楽しく生活するかに対象を替えてしまう。
これもすごく当事者研究的だと僕は思う。
昨日の主治医とのトラブルのおかげで僕は仲間のありがたさを感じられた。
そして当事者研究の楽しさ、困難へのアプローチの仕方を再確認出来ました。
当事者研究すごい。
写真はお仲間が韓国での当事者研究イベントに参加したおみやげです。
僕も当事者研究を楽しんで普及に努めようと思います。
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前田ケイ先生にSSTを教わりました

前田ケイ先生のSSTにべてるのみんなで参加しました。
前田先生が指摘したのが、ただ練習するのではなく、SSTによって得られる獲得目標を持つことと言われました。
僕が歯医者に行った時に治療をしようとしてくれない先生に何を言うか練習するよりも、
歯が痛く無くなればいいので他の歯医者に行き、
そこの歯医者で食べても痛く無いようにして欲しいと言う。アメリカでステーキを食べたい。
どのような治療方があるか 聞く練習をしました。
ただ練習するのが目的のSSTでなくて、SSTにより何を得たいか考えてその練習をする。なるほどと思いました。
浦河に居るといろいろな人に会える。いいなと思いました。
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「みんなの当事者研究」熊谷晋一郎編を読んでいます

実家に置いてあった「みんなの当事者研究」熊谷晋一郎編をもう一度読み返しています。
この本は僕には難しくて挫折して読まなく成ったのですが、最初の熊谷さんの文章を読んでこれだなと思いました。
僕はこの本で手本とされているべてるの家に居る。初めて見学してから1年経った。
弱さの情報公開をすることで周りが変わる。これが基本なのだな。僕は今それを経験しているのだな。
僕は当事者研究では自分が変わること、相手は変わらないという考え方だと今まで思って来た。
でも本当は自分の弱さの情報公開をすることで周りを変えて行くのが当事者研究なのかなと最近感じている。
自分が変わる、相手は変わらないが当事者研究の鉄則のように僕は思って来たけれど、それはどうも違うようだと浦河に1年居て思っています。
自分も変わって周りも変わる。周りが変わってくれるのを目指すのが当事者研究なのかなと、それが場の力なのかなと思うように成りました。
これもみんなのおかげです。
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石ころの原理

僕の北海道浦河べてるの家での生活は昨年10月に初めて見学に来てから1年になる。
浦河での1年間、ここでいろいろあった。でも僕はここに居る。
やっと最近楽に居られるように成って来た。
きっかけは古参メンバーとの怒鳴り合いだった。
僕もそして彼もダメージを負った。
そしてお互いに歩み寄った。
ドラマみたいな展開だけどそう成った。

僕の学ぶ当事者研究に「安心して絶望できる人生」という本がある。
そこに載っている「石ころの原理」
初めはみんなごつごつがりがりしたお互いを傷つける岩なのだけど、一緒に川を流れて行くうちにぶつかり合いこすれ合いながら学んで行く。
そして海に出るころにはそれぞれ丸くなってなめらかな人間へと成長して行く。そんな石ころの原理。
僕にはそういうぶつかり合いの経験が足りなかった。
高校生で病気に成ってしまい必要な体験をして来なかった。
そんな足りなかった経験を僕はここ浦河で経験させてもらっているのだと思う。
僕は来月で59才に成る。60才手前の悪あがきかもしれない。
でも僕の好きなロック・ミュージシャンのブルース・スプリングスティーンの歌の歌詞に
「俺はもう遅いと分かっている。でももしかしたら俺たち走れば間に合うかもしれない」
というのがある。僕も60才手前で何とかつかめるかもしれないと思っている。
今までの僕の人生もいろいろあったようななかったようなだけど。
僕がここ浦河に来たのもやっと意味が出て来たように思っています。
いろいろな人に良かったことも悪かったことも含めて感謝です。
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当事者研究の可能性

当事者研究では相手は変わらない、自分が変わるというのが基本だけど、
相手が変わらないで自分だけ変わるのを許せなかったりする。
そこで周りが変わるのが大切。周りを変える。
そして周りが変わった時に自分の真価が問われるのだと思う。

居場所で「俺はお前が嫌いだ」と僕に言った人が今週に成って態度を変えて「おはよう」と話しかけて来てくれている。
誰かに言われたからその人は変えたのだろうけれど今がチャンスだと僕は思っている。
僕も彼もかなり疲れているけれど今が大切な時なのかなと思う。僕も頑張って居場所に行っています。
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当事者研究の限界か?

記録の為に僕のフェイスブックに書いた記事を載せておきます。長文ですがよろしかったら読んでみてください。

僕の気持ちを書きました。こころある人に読んでもらいたいです。
今回僕がkさんにぶちきれた件。僕は結構丁寧な手順をふんで来てはいる。
僕が他の人に千葉の実家の草刈りで千葉に帰ると話していたら横からKさんに暴言をはかれて「金はあるのか」「また行くのか」「もう帰って来るな」と言われた。
僕はこれをメンバーから言われたらここに居られなくなると思い何人かの人に僕の不満を話した。
職員にも話したらSSTの時間だけどということで僕の出来事を話させてもらった。僕の不満にそうだそうだと言う人もいて異様な雰囲気に成ったと僕は感じました。すると一人のメンバーが居ない人のことをみんなで言うのは良く無いと言って僕もそれはそうだと思いそこで話し合いは終わった。

翌日生良先生に電話した。生良先生は僕の話を聞いてそれはkさん悪いわ。最近kさん悪い。私もkさんに人生で一番腹が立つ。でもkさんが居るのがべてるが存続している秘訣。Kさんはヒールな役割。他にも役割持っている人がいろいろいる。べてるには。それが分かるかが分かれ目(僕がべてるに居られるかもそこがポイントだと僕は思った)
それを僕はおもしろいなと思った。僕もそれを分かるようになりたいと思った。

でも1日2日それを考えていたらなぜ僕は我慢する役割を演じなければいけないのだと思うように成っておもしろく無くなって来た。
それで昨日悦子さんに僕の気持ちを話したら当事者研究に来てみてはと言われて僕は生良先生が司会をするというので行くことにした。

その前に昼ごはんを食べに行ったらkさんに出会ってしまった。嫌だなと思った。するとkさんが来て「何か言ったのか」と言った。
僕は「もう帰って来るなと言われたのは嫌でした」と言った。するとkさんは「悪かった」というようなことを言った。そこで僕が終わりにすれば良かったのだけどつい「今後言わないでください」と言った。返事が無いので2,3回繰り返したらkさんが「俺はお前が嫌いなんだ」と言った。僕は「私もあんたが嫌いです」「何だ偉そうに」と言ったら「俺は偉いんだ」とkさんが言った。そうしているうちに職員が来て「大矢さん上行きましょう」と言うので僕はその場を離れた。

クールダウンをして話も少し聞いてもらっていくらか落ち着いて当事者研究に僕は参加した。
一通りいきさつを話して僕は争いの当事者が二人同じ場所にいる時どうしたら話し合いが出来るのでしょうかと司会の生良先生に言った。
この時もkさんは下で寝ているということでこの場に居ませんでした。
僕は当事者研究の基本は相手は変わらない、自分が変わるなのでしょうが、暴言をはかれてもこちらが我慢するだけで馬鹿らしいと話した。

生良先生は「苦手な人とのつきあい方」について話し合いましょうか?と僕に聞いてくれたけれど僕はそういう一般的なことよりも僕は今kさんに怒っている。それをどうしたら良いかを知りたいというようなことを言った。

それで生良先生がみんなにkさんへ同じように感じる人はいますか?と聞いて何人か私もそうだと話してくれた。
それから僕が実験をするアイデアをみんなから出してもらったけれど、kさんが喜ぶことをする、タバコをあげると喜ぶとか、kさんを好きに成ればいいとか僕にはしたくないアイデアやkさんはそういうものだと割り切るとかいう意見が出ただけで、あとは時間を置く距離を置くという僕の普段の対処法でした。

僕が思っていることを言ったのは良かったという話をしてくれたのはありがたかったです。
会の終わりにみなさん感想を言ってくれました。
最後に生良先生が相手は変わらない自分が変わると話したので僕は話を戻してしまいますがそれは僕が最初に思っていたことですと言ってふりだしに戻してしまい終わりました。
でも終わった後に自分もそうですと言ってくれる人がいて助かりました。でも僕は正直に言って当事者研究の限界を感じました。

住居に帰ってメンバーにそのことを話したらkさんが謝った時点で「分かった」と言えば良かったかも。
でもそれでは口先だけで言っただけだと思い僕に不満が残る。そこが0か100でなく間を取れればと話してくれた。
そして当事者研究的な話し合いをしてくれて僕にももっと良くする点があったなと気が付きました。

最後に思ったのはこれが重要なことのように僕は思うのだけど、僕は好きなミュージシャンのライブを観にアメリカに行こうとしている。
これを僕が話すのを嫌う人が結構いるようだ。Kさんもそう。まあ100円200円の生活をしている人にとって僕がアメリカに何回も行くのはうらやましいだろうしおもしろくないだろう。
でも僕は58才まで努力して働いてその資金を稼いだ。それは障害年金ももらい、さらに両親が僕に年金を作ってくれて僕が60才になる来年から降りて来るし母親ががん保険に入っていてがんで亡くなったので保険金も僕に入れてもらったのもある。
僕はそういうお金を大切に有意義に使いたいと思っている。
それがべてるのメンバーにはおもしろくないようだ。
僕も最近まではアメリカに行く話は嫌がられるのを感じるので話していなかったけれど、それも含めて結局僕は自分の話したい話を浦河に来て全然していないと気が付いた。それで楽しいのか?という思いも最近強く成って来ています。
でも住居でみんなに話を聞いてもらい、そういう本音は住居で話せばいいと言ってくれてうれしかったです。言ってくれてありがとうとも僕に言ってもらいました。幸い金魚の世話もすることに成ったので住居に居ます。
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「怒りのエネルギー保存の法則」を発見

「怒りのエネルギー保存の法則」を発見しました。
僕はべてるの家で共同生活をしていますが、毎朝僕が「おはようございます」と言っても返してくれない人がいて嫌な思いがして怒りに変わって来ていました。
そして先週僕が朝の掃除で分担された場所を3人で掃除していました。ほうきがけを終わらせてモップ掛けをしていたら一人の人がこれではダメだと僕がやった所をまたほうきを持って来てはき始めました。僕は不快でした。掃除の仕事ではその人が掃除した所をもう一度やるのはケンカを売るようなものだと僕は思っていましたので。

そして1週間べてるに行かないでグループホームでこもっていました。昨日、用事が出来てべてるの家に行ったら金曜ミーテイングに誘ってもらい今週の苦労人コーナーで僕が嫌な思いをした掃除での出来事を話しました。僕の話にうなずいてくれる人もいてすっきりして楽に成りました。

そしてグループホームに戻って夕ごはんを食べながら話していたら僕があいさつを返してくれない人にはどうでもいいと思い、その人への怒りが減っていることに気が付きました。掃除の件で怒っていたのであいさつを返してくれない人への怒りが減ってどうでもよく感じていました。

僕はこれを「怒りのエネルギー保存の法則」と思いました。怒りのエネルギーは一定でその総和は同じ。一つの怒りが大きく成ると別の怒りは小さくなる。
住居の人からはゲームや運動など他のことをするのもいいとも話してもらいました。

そんなことを生良先生に電話して話したら、人の苦労を持てる総量は同じ。持ちきれなくなると病気に成って出す。そうして苦労を一定に保とうとすると話してもらいました。
そして、そういう小ネタを書き貯めておいてくださいと言われました。僕は当事者研究はおもしろいな。自分の苦労が研究という形に変わるのだなと思いました。僕にとっての大きな発見でした。
追記
怒りのエネルギーだけでなく楽しいエネルギーで感情を満たせたらいいと思いました。
「感情エネルギー保存の法則」を研究します。住居の人と相談して怒りの感情と楽しい感情を足した和が10で割合の表を毎日つけることにしました。
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浦河流当事者研究

昨日はニューべてるで当事者研究がありました。ベテランさんが苦労を話してみんなが感想、アイデアを出し合う。でもこの前も同じ話だったように僕は思いました。
僕の住居の人が悩んでいるのを僕は知っていて、その人が来ていたのですがその人は話せずに終わってしまいました。
僕は生良先生に今日住居ミーティングがあるので出来たら来てくださいとお願いしました。
すると生良先生が2リットルのジュースと大きな2袋のポテトチップスを持って赤いジャンバーを着て住居ミーティングに来てくれました。
話は直接の問題には行かずに、その人の話に沿って進んで行く。
僕は話がずれて来ていると感じていましたが無理して問題解決に行かずに感想を話し合う。そうしている内にその人も笑顔になる。
ニューべてるでの当事者研究でもそうでしたが、僕はこれが浦河流の当事者研究かなと思いました。
生良先生が最近言っている「ただ話す」。問題は解決しなくても解消している。みんなが困っている人の話を聞いて話し合う。
質より量というかみんながその人のことを一緒に考え合うのが大切なのかなと。
そしてその人もまあいいやと思うのかな。それが和解かなと思いました。
僕が浦河に来て9か月ぐらい。いろいろあるけれど学びがあります。
ただ千葉の実家にコロナ蔓延で帰れず庭の草が心配です。

写真のルピナスの丘はご夫婦が整備されています。今日はお話しする機会がありました。
枯れたルピナスは抜いているとのことで、そのおかげで他の花が映えているのだと分かりました。
今日は曇の天気でより花がきれいでした。感謝です。
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