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「君たちはどう生きるか」吉野源三郎を読んでの感想

「君たちはどう生きるか」吉野源三郎を読んでの感想です。
さすがにいいこと書いてある。僕がもっと若い時に読んだらもっとよかったと思う。
でも今からでも遅くない。走れば間に合うかもしれないのだ。
この本はコペル君と叔父さんのノートを通しての対話集。叔父さんがコペル君の体験にコメントしている。
人間って本当に分子だね。宇宙の大きな真理、地動説がコペル君の由来。
人生は書物や話を聞いただけでは分からない。自分が生きて思って分かる。しみじみと感じたことをごまかしてはいけない。感じたことをよく考える。それが思想。

ニュートンのりんご。分かりきったことをどこまでも追いかけていくと分かりきったことと言えなくなる。考えていく。ニュートンとコペル君の粉ミルクがいろいろな人を通して必要な人に渡ると気が付いた発見は同じプロセス。りんごが落ちたことから宇宙まで考えた。いろいろな人の経験を言葉、文字でまとめ上げたのが学問。

相手のために何かしてあげればうれしい。人間らしい人間関係。お金が無くても尊い人がいる。その逆も。
消費ばかりしているけれどある大きな物を生み出している。社会のつながりかなと僕は思う。

ナポレオンは確かに偉大だけど人類の何十万年の営みに貢献しているか?僕も人類の進歩に少しだけでも貢献出来たらいいな。それが僕の生きる意義かな。

勇気を出す。自分のした事がその結果なら耐え忍ぶ。
なぜあの時こころに思ったことをやらなかったと残念後悔することがある。
その時その時に活かしきる。出来なかった思い出が自分の教訓に成る。
コペル君は友達の危機に自分が出て行けなかった。それをずっと後悔した。その苦痛のおかげで自分に気が付く。自分が過っていたことを認めてその為に苦しむのは人間だけがする。次はきっとやれる。友達っていいな。

人間は1人1人が分子。それが社会を形作っている。
君たちはどう生きるか。
僕は仲間と一緒に生きようと思う。
書物を通して昔からの知恵を伝えてもらえて感謝です。
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これが僕の生きる道

「これが僕の生きる道」 
僕は目標を持つと頑張れる。はっきりとした目標を持とう。
来年の3月末にサンフランシスコでブルース・スプリングスティーンのライブを思う存分楽しむ。
そしてそこで出会うファンの人や現地の人と話が出来るように英語を勉強する。
これをこれから5か月していこうと思う。
目標を持ちそれを達成して獲得して生きて行く生きかた。
僕は今までいくつもの目標を作り努力してそれを達成して喜ぶ生き方をして来た。

この前、浦河教会で牧師先生が話した説教では車を持ち、家を持ち、家族を持ち、子供を持ちという生き方には無理があると話していた。
それをしないことがべてるで言う「降りて行く生き方」なのだとすると僕はそれに反する生き方になるかもしれない。
でも僕はみんながそれぞれ自分なりの目標を持てばいいと思う。
それがシンプルでいいと思う。

「上る生き方、降りない生き方」と「目標を持って生きる生き方」とは違うと思う。
僕は僕ならではの目標を持って生きていきたいと思う。

べてるの人には「降りて行く生き方」をしなければいけないという同調圧力があると僕は感じる。
目標を持って努力しようとすると、あの人は自分達と違うと言われる気が僕はする。
僕はもっと自由にみんながやりたいことをやればいいのにと思う。
今のべてるは「降りて行く」のがべてるのやり方で、そうしないといけないという雰囲気に支配されていると僕は感じている。

そこが僕がべてるに来て感じて来た違和感なのだと思う。
無理しないで流れにまかせるのは自然な生き方でいいと僕も思う。
でも目標を持って自分なりの生き方をしようとするのをあの人は自分達と違うと言われては僕はどうすればいいのだと思ってしまう。

そこであえて僕は嫌われてもいい。
やりたいことをやると言えたらいいと思う。
それを浦河で出来るか挑戦したい。
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大五ありがとう

グループホームで飼っていた金魚のうち一番大きくて元気な金魚の大五が亡くなった。
僕は他の金魚は心配だったけれど大五は大丈夫だと思い込んでいた。様子が変だと思ったら2日間で亡くなってしまった。
もう一つの水槽にいる出目金の金二郎の方が寝たきりで心配していて、大五の方がおろそかに成っていた。油断した。
大五はヒーターの水温を上げ過ぎると暴れ回っていた。それで小さな昆虫飼育用のケースに大五を入れて水槽にケースごと入れて隔離したこともあった。
しばらくしてふと見ると大五は何事も無かったように平然とケースから出て泳いでいた。僕がケースのフタをしっかり留めなかったせいだけど。
またえさを豪快にウマイウマイと食べていた愛嬌のある金魚で好きでした。
最近僕が千葉に行ったり当事者研究全国交流集会やべてるまつりの準備がいそがしくて相手をするのが雑に成ってしまった。申し訳ない思いです。

僕は落ち込んで久しぶりに奥田知志先生の説教集「ユダよ、帰れ」を読みました。
気が向いた時に少しずつ読んでいます。最近放っていましたが。
今日読んだのは
10 黙とうー―祈れない夜に
人は祈る時に「あれしてください」「これしてください」と願い祈る。
願うこと自体希望を持っている。
でも本当に大変な時は沈黙するしかなくなる。
そうするとイエスさまの声が聴こえて来る。イエスさまはもうすでに僕たちのことを祈ってくださっているという。
つらくて祈れない時は沈黙していい。イエスさまの声が聴こえて来るから。
そして僕はイエスさまが教えてくれた「主の祈り」を祈りました。

金魚たちのおかげで僕の住むグループホームはメンバー間の交流が活発に成った。
金魚さんが僕たちをつないでくれた。
ありがとうございました。
大五も先に亡くなった金魚たちと一緒の所に埋めてあげました。
窓の外は激しい雨が降って来ました。
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当事者研究全国交流集会浦河大会に参加しました

昨日浦河で当事者研究全国交流集会がありました。僕はポスター発表と分科会「おーい。老い」に参加しました。
僕の考えていることを話しました。そしてみなさんの感想、考えを聞きました。
僕はすごく温かい気持ちに成りました。
僕はみんなと上手くやらなくてはいけないとずっと考えていましたが、自分からボケる。自分から嫌われる老人に成るのもありなのかなと思いました。
暗く成りがちな老後の話もみんなと話すと温かい話し合いに成るのだなと思いました。
みなさんに感謝です。
今日はぱぴぷぺぽ劇団の発表をがんばります。

発表したポスターを載せます。読んでくださったらうれしいです。


べてるの家で経験した人づき合 いの苦労(浦河の知惠) 当事者研究的に考えてみました 大矢英明

浦河に来ました
 僕は今まで千葉に住んでいて千葉、東京、神奈川の居場所 に行っていました。どこでも初めはニコニコおだやかにい られるのだけど、そのうち苦手な人が出来て嫌に成りその 居場所を去って来ました。
 僕はここが最後の場所と思って浦河に来ました。でも浦河 でも苦手な人が出来て来た。さあどうするか?  何とかやっていかなければいけない。そんな気持ちで浦河 に居続けて2年に成りました。

Kさんとの苦労 その1
 あいさつをKさんが返してくれないで嫌だった。
 同じグループホームのメンバーと相談して僕は毎日Kさん に「おはようございます」と言ってKさんの反応を無視× うなずく△おうと応える〇で表に書いた。楽しく成って来 た。
 Kさんと上手く行っているかをメンバーが頭をさわる合図 で聞いてくれたら僕が親指を上げるか下げるかで返事をし た。Kさんに会うのが段々楽しみに成って来た。

Kさんとの苦労 その2
 ある程度Kさんとあいさつ出来るように成ったらKさんから 「千葉から戻って来るな。俺はお前が嫌いだ」と言われた。 「僕もあなたが嫌いです」と応えた。
 その直後に僕はコロナにかかり部屋で1週間位待機。
 コロナ明けに居場所に行ったらKさんが朝ミーティングで 「逆さ言葉を使ってしまった」とみんなの居る所で謝って くれた。僕もそれならと謝った。
 KさんはSSTをして僕に謝る練習をしてくれたようだった。 べてるの場の力を感じた。

A1さんとの苦労
 コロナが流行して他の住居の人が食堂に住むので、飼って いた金魚を部屋に持って行って欲しいと職員に言われた。 僕は住居の皆に相談した。するとA1さんが「金魚より人 間が大事でしょ」と言ったのが僕はすごく嫌だった。
 みんなに相談して僕は態度保留で棚にその事を置いておい た。しばらくしてまあいいやに成って来た。
 またA1さんと嫌なことが有ったけれど態度保留でその事 も棚に置いている。またA1さんと嫌なことが有った。
 でもそのうちにまあいいやに成って来た。

A2さんとの苦労
A2さんが金曜ミーティング苦労人のコーナーで「ある人 に謝れと言われてキレられて気分悪いです」と言い、僕 が「それは私のことですか」と言い返してケンカに成っ た。 みんなに僕の言い分を聞いてもらったけれど気分が悪い ままだった。 それでも1か月位経って僕もA2さんもまあいいやに成っ たように思う。今は顔を合わすと意識してお互いに積極 的にあいさつしている。

K先生との苦労 その1
 診察でK先生は僕の話を聞いてくれないと感じている。  「千葉からこっちに来たのは失敗だったと思っているだ ろ」と言われてすごく嫌な気持ちに成った。
 以前には「かんちがいして浦河に来る人がいる」と言われ てその事が僕の頭に残っている。
 それらの嫌なことで僕はK先生の診察を受けず薬の処方箋 だけもらっている。
 べてるの職員さんに毎週ミニ当事者研究的をしてもらい診 察の代わりにしている。

K先生との苦労 その2
 電話で診療所ソーシャルワーカーにK先生とのことを相談 しようとしたけれどろくに話を聞いてもらえなかった。  でも浦河には他の先生がいない。
 3か月間処方箋だけもらっていたけれど、話を聞いてくれ そうなソーシャルワーカーを診療所で見かけたので声をか けて面談の予約をした。
 僕の気持ち、言いたいことをそのソーシャルワーカーに話 した。しっかり聞いてもらえたと感じた。
 まずは第一歩進めたと感じている

食堂で金魚を飼う事への対話
 グループホーム食堂で金魚をみんなで飼っていたのだけど、 食堂にカビが生えたので水槽を部屋に持って行って下さい と職員さんに言われた。
 メンバーと職員でリフレクティングを使って話し合った。
 お互いの気持ち、考え方、事情を相手を攻撃することなく 分かり合えた。
 現在は水槽を脱衣所に移動させて様子を見ている。
 僕の住むオリーブハウスは研究するグループホームなのだ。

まとめ その1
 その場で全て解決しようとしないで、困難をいったん棚に 置いてそのままにしておく。そして仲間や職員さんと話し 合いながら生活しているうちに自然と相手との関係が良く 成って来ると感じています
 でも何も言わないと相手は何で僕が怒っているのか分から ないようだ。自分の気持ち、考えを上手く相手に伝える。 そこが僕のこれからの課題です。
 これらのことを僕は浦河で実験、検証しながら学びました。

まとめ その2
 それにしても浦河の人たちは仲直りが上手いと思います。 不満を言うけれど言い過ぎない。間を置く。
 だから僕も今も浦河に居られるのかな。
 長い年月の間に作られたみんなが排除されずに居られるた めの浦河の知惠だと僕は思っています。
 そして言いたい事はある程度言ってそれで収める。そこが ポイントかなと思います。それが浦河の人たちの技かなと 思います。僕も浦河で学んでいます。

A1さんへの発見
 A1さんは全力でボケていたのだ。
 そこにツッコまなかった僕の力不足だった。
 これからはボケてくれるA1さんにツッコみを入れる練習 をしよう。
 否定しないツッコミ。目指すは漫才のぺこぱ。
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