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「旅立つには最高の日」田中真知さんの本を読んでの感想

「旅立つには最高の日」田中真知さんの本を読んでの感想です。
この本は以前通っていた東京の居場所で一緒に活動していた人に久しぶりに会い、神保町の本屋のシェア本棚にその人が置いていた本です。良い本を教えてもらいました。もっと一緒に居た時に話をすればよかったなと思います。
この本は旅行の本。著者がアフリカや各地を旅行した時のことが書かれている。

だからアメリカに行くんだ。そこに行けば自由になる。
チロはアメリカに行った。僕にとってのアメリカも自由な理想の国だったな。
情けない笑いか。いいな。僕はマンチェスターに旅するんだ。情けない旅でもいいな。マンチェスターで散歩しよう。
こんなに充実した退屈は初めてです。
著者がアフリカで知り合った女性が毎朝イチゴの生ジュースをスタンドで飲むのを楽しみにしていたと聴いた。
一緒にイチゴの生ジュースを飲めばよかったと振り返る。
僕も何ともない、でも大切な機会を大切にしよう。
たとえアフリカでイチゴの生ジュースでも一緒に飲むのが大事なのだと思う。

野球を最後まで観られなくても、観たいな、よし行ってみようと思うのが楽しかった。
本当は行けても行けなくてもいい。行きたいと思うとわくわくして来る。元気やったら南極行きたい。思うとるだけで気持ちが人生が変わる。
いいな。僕はマンチェスターへブルース・スプリングスティーンのライブを観に行く旅行を計画している。
どうしても成功させなければいけないと思い込んで恐く成ってしまった。
いいんだ。行って来れれば。僕なりに楽しめば。何か勇気が湧いて来た。

際限のない情報を追うよりも、自分がほんとうにしたいことを見直すほうがだいじであること。
じつは、それこそまさに旅の感覚である。
旅のなかにあるとき、たいてい意識せずにしていることがある。荷物は必要なだけしか持たない。あるものでなんとかする。目的地へ着くことより過程を味わう。人との偶然の出会いを楽しみ、別れを潔く受け入れる。有限の時間と予算と体力の中で、ほんとうに行きたいところへ行き、見たいものを見て、会いたい人に会う。
そんな旅のまなざしで日々を向き合うとき、日常はそのままで旅となり、今日は旅立ちの日となる。

そうなんだな。僕もマンチェスターにブルース・スプリングスティーンのライブを観に行く旅をする。
ロールコールに参加してライブをその人たちと一緒に観る。
それだけ出来ればいい。
そして知り合った人と一緒にイチゴの生ジュースを飲む。それを大切にしよう。
僕はわくわく楽しみながら旅行の準備をしよう。
そしてその旅の延長線上に僕の人生があるのだと思う。
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「異界の歩き方」村澤和多里 村澤真保呂さん著を読んでの感想

「異界の歩き方」村澤和多里 村澤真保呂さん著を読んでの感想です。
最初気が付かなかったけれどこの本は旅行ガイド本「地球の歩き方」にかけて統合失調症への旅のガイド本のように書かれていました。
僕も「地球の歩き方」を読んでニューヨーク、サンフランシスコ、ボストン、ワシントンDCとかに行きました。
そして僕は今、浦河べてるの家を旅行している最中なのだなと思います。
浦河の旅行ガイドとしての本として僕はとても多くの気づきを読んでいながらもらいました。
その気づきを挙げます。

自然治癒がいいのだな。
僕の今までの生活もまさにそうだった。
僕も挫折して引きこもった。
でもそれから外に出て行きいくつもの大切な出会い、何人もの大切な人に出会って回復して来た。
僕のブルース・スプリングスティーンの追っかけも気象予報士に成ったのもまさにこの流れ。
自然に人とのつきあいが増えていい人と出会い回復した。
人は無理して強制しなくても自然とやりたいことを見つけて、それを追いかけていくうちに大切な出会いに恵まれて回復するのだ。

べてるはみんなで生活していく場。
昔の言葉で言う運命共同体かな。僕もその運命共同体に入ろうとしたけれど入れない。
今僕は長期旅行者の立ち位置かな。
千葉と浦河を行き来して浦河の寅さんに成れたらいいな。
天理教の教祖になる女性がいろいろ言うのを夫が拝んで支えたように精神症状のある人との生活を異界ととらえて一緒に旅する。
僕も一緒に旅をしてくれる人が欲しいな。

当事者研究ってそんなにすごいんだ。
そうか僕も爆発をみんなと研究しよう。
弱さをきずなに。仲間とつながれる。
この本は上手くまとめられている。
僕が今まで読んだべてるの話が簡潔にまとまっている。
そうだこれを僕は読んで来たのだと思いました。そして僕は浦河に来たのだ。
僕も支援者にだけでなくみんなに聴かれる、つながれる聴かれ方をしよう。
向谷地の実践は非常にどろくさくうさんくさいとこの本で評されている。
これを最近はきれいなものにしようとしているから僕はべてるに来て違和感を感じているのかなと思います。

当事者研究では「つきもの」のことを「お客さん」と読んでいる。
当事者研究はつきもの落としに似ている。
当事者研究で言うお客さんはきつねのつきものだ。
人とことを分けている。そして悩みを外在化している。

僕もまゆに包まれた時期があったな。温かくて安心していられたな。
そして当事者研究の目指すものは「苦労を取り戻すこと」

当事者研究は失敗することが許されていると思う。
この安心感が大切。
それでもう一度みんなと頑張ろうとユーモアと伴に救いのかんかく

僕もいろいろな人の手助けを借りて異界に入りそして通り抜けて生まれ変わった。僕はさらにそれを進めていきたい。べてるで。
僕も思春期の異界を通り越したのだな。何かなつかしくいとおしく感じる。

「治りませんように」とべてるのメンバーが七夕の短冊に書いた。
これを言えたのは、べてるが本当にいい場だったのだろうな。

中井久夫「個人症候群」
天理教の教祖の女性に周りはその女性の幻聴?を神の言葉と言ってそれに合わせたという。
幻聴だったのか神のお告げだったのか死らないけれど、それが教祖の女性の回復に大切だったのだと僕も思う。
僕のブルース・スプリングスティーンの追っかけもこれと同じ。そして当事者研究はこれをみんなで行う。
僕の他人事メソッドも天理教の教祖の体験と同じなのだな。

RDレインも中井久夫も患者の回復を寄り添い待ちながら進めた。
医療で強制的に進めるのではなくそして止めることも無く進めた。
植物の根のように茎分かれしていくのが回復。
僕のブルース・スプリングスティーンの追っかけも気象予報士もそして浦河の生活もその流れだな。
「治すよりも活かす」僕も自分からやりたいことが自然と出て来た。病院デイケアのおかげ。

べてるの家では相互作用。いろいろな人がいるからいい。
良い人ばかりではダメ。
べてるでは何でもあり。雑多なものが共存する世界。純粋ではない。
症状は自分助け、努力の結果。必要だった。
それを開いてつないでいくことで症状は道具、技となる。

エコロジー「生態系」
森全体が回復してからやっとシマフクロウが森に帰って来る。
べてるの家は豊かな森なのかな。
今の僕にはそうとは思えないけれど見る人が見るとそうなのだろう。

僕はべてるを歩いて旅しているのだろう。
ひとりではなくみんなと生活している。
ここには良い人ばかりではなく嫌な人もいる。その中で僕はもまれて成長していく、いやされている。べてるの森で。

フェリックス・ガタリ、フロイト、このあたりからこの本が難しく成って来て僕には分からない。

ケアの大切さ。医者が直すのではなく個人にそれぞれ寄り添い個人が道を見つけて歩き出すのを支え手助けする。
そこに仲間も加わるそれがべてるのあるべき姿。異界。

でもべてるの現在のケアはその場しのぎになっていると僕は思う。
それぞれのトラブルに対応しているけれど、トラブル自体を見ているだけでその内面の異界を見ていないと僕は思います。

そんな僕の感想です。
今僕はべてるの家の中に居るけれど不満ばかり見えて来ている。
僕がこの本を読み始めたべてるまつりの頃は僕もべてるが楽しかった。
それが何で今は変わってしまったのだろう。
まあ僕は所詮後から来たメンバー。アウェイの人間。
だから旅行者として自分の位置から見えるものを吸収していくのがいいのかな。そしていつか旅立って行くのかな。
そういう立ち位置からこの本を読んでみたら僕は大丈夫と思えました。
そう。僕はべてるの家を旅行しているのだ。
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「ドヴォルザークに染まるころ」町田そのこ著を読んでの感想

札幌の本屋さんで平積みされていて表紙が気に入り、本の帯で「52ヘルツのクジラたち」の作者だと知りなつかしく思って買いました。
何か重苦しい。田舎町の閉校が決まった小学校での最後の祭り。
そもそも冒頭で小学生の男子女子が女性教師の性行為を目撃することから始まる話。
何か暴力的でやさしくないのだな。
小学生の親たちや小学生の一日を同時並行で描かれている。
不満はあるけれど最後は自分の過去と折り合いをつける大切さでまとめられていた。
閉鎖的な町で生活する息苦しさのようなものをとても強く感じた。
それでもそれぞれの人は自分なりに生きているという話。

でも何かスカッとしない。読み終わって疲れが残った。
そうだ前に「52ヘルツのクジラたち」を読んで感想をこのブログに載せたのではと思いブログ内検索をしたら出て来た。
僕はボロクソに批判していた。
やはりその作者か。
僕には合わないなと納得しました。
上手く言えないけれど僕は好きに成れない作者です。
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「タラント」角田光代さんを読んでの感想

「タラント」角田光代さんを読んでの感想です。
僕はこの本をスポ根物と思ってと「タラント」という僕が通っているべてるの家の作業所の名前を思って、表紙カバーの絵も見て札幌の本屋で買って読み始めました。
ところがスポ根ものだと思って読み始めたのだけどスポーツの話が出て来ない。
やりたいことをやれない見つからない主人公みのり。いじいじしたみのり。
でもそれでいいのだ。情けない自分が正直でいいのだ。
僕は読んでスカッとはしなかったけれど何か温かいやさしい気持ちに成りました。
その中で反戦を静かに訴えていた。

清見さんは出征の前の夜、食事に好物ばかり並んだ。
僕の好物は何だったかな。
僕のお母さんはきんぴらごぼう、卵焼きが得意料理だったな。
「それ見ろ。よけいなことを考えたり、思ったりすれば、なおのことがっかりするんだ」

やりたいことがある。僕は幸せだな。それが僕の「タラント」かな。
それぞれの人がそれぞれ生きていけばいい。
情けないままで情けない自分でいいのだな。

人の出会いは不思議なもの。
ある日友人がふっと浮かんで来るのかもな。

ずっとボランティアって何?と考え続けたみのり。
みのりは清見さんの力に成れたのだ。

すごくやさしい本でした。僕の大切な一冊に成りました。
僕がさみしく落ち込んでいた時に寄り添ってくれた本でした。
また落ち込んだ時に読み返そうと思います。
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「僕は、そして僕たちはどう生きるか」梨木香歩さんを読んでの感想

「僕は、そして僕たちはどう生きるか」梨木香歩さんを読んでの感想です。
この本は「君たちはどう生きるか」吉野源三郎著への返事の本のようだなと思って読み始めました。
この本はひきこもりの指南書に感じて僕も部屋にひきこもりながらこの本を読みました。
僕は今、読めて感謝です。
いいな。仲の良い3人。いろいろありそうだけど。
おだやかな会話で進むと思っていたら急展開に成った。
僕は自分基準で自分を考えて自分を作る。他人の言う「普通」はそこには存在しないのだ。

「僕は、そして僕たちはどう生きるか」を集団から離れて一人で考える。
恐いな。人は逃げてしまう。大勢に流されてしまう。友達を裏切ってしまう。そして軍隊に加わる。
大勢の暴力(手は出なくても)は恐いな。
この本はひきこもりの応援書。引きこもらなければならなかった者の気持ちを書いている。
僕も大勢から離れて自分で考えることが必要だな。大勢といる方が楽だけど。
「とにかく考え続けることなのだ」謙虚さも。
流されず自分で一生懸命考えるのが必要なのだな。
それでも最後は、人間には群れが必要と書いてある。
そんな「いい加減」な群れが。

僕は群れから離れて1人、部屋でこの本を読んだ。
とても良いタイミングで読めた。
僕も1人に成って考えた。
自分を見失っていたと気が付いた。
僕も一生懸命考えよう。
そして明日は良い意味で開き直ろう。相手にていねいに接しよう。
僕は大丈夫だ。
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「シュガータイム」小川洋子さんを読んでの感想

「シュガータイム」小川洋子さんを読んでの感想です。
ホテルのアルバイトで残り物のウエディングケーキを食べる。切ないな。
不思議な小説だな。
僕にいろいろな事が起こり混乱している時にこの本をカバンに入れて開いて読んだ。
読んでいて楽に成った。
お互いを一生懸命思える友だち。いいな。あこがれる。
僕はそんな仲に僕の友だちと成れればいいな。
僕の困難な時に助けてくれた本です。
人を選ぼう。大切な人とのつきあいを大切にしよう。
僕の人生も残りが少なく成って来ている。
余計なことにこだわらない。
友だちを大切にしよう。
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「永遠の出口」森絵都さんを読んでの感想

「永遠の出口」森絵都さんを読んでの感想です。
この本は僕が閉店するイトーヨーカ堂津田沼店にあった本屋さんに寄った時に特集されて積まれていた本。
僕のホームタウン津田沼が舞台。
紀子さんはどこに住んでいたのかな。
幕張本郷かな。
千葉から電車で20分。花見川サイクリングロードと書かれていた。
僕の実家の前の道を紀ちゃんが自転車で通ったかもしれない。そんな紀子さんの話。
僕が中学、高校の頃の津田沼が描かれていた。
津田沼駅前の大きな歩道橋に手相見の人多かったな。

女の子の話いいな。楽しくなる。いいな。一瞬に一生懸命生きる。
主人公の紀ちゃんの成長をわくわくドキドキして読んでいる。
いいな。紀ちゃんのドラマを観ている。
いいな家族って。と他人事メソッドの大矢君。
結局本物の信頼関係って毎日無理しても「おはよう」って言い続けること。
どんどん紀子さん成長していくな。
「もっとちゃんと思い出さなきゃダメだよ、紀ちゃん」
僕にもいろいろな未来があったのだな。今僕は浦河にいる。
僕も津田沼の思い出がある。あまり楽しい思い出ではないけれど。
僕の津田沼 Forever
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「異界の歩き方 ガタリ・中井久夫・当事者研究」村澤和多里・村澤真保呂著を途中まで読んでの感想

「異界の歩き方 ガタリ・中井久夫・当事者研究」村澤和多里・村澤真保呂著を途中まで読んでの感想です。
僕はこの本を読んでいたらちょうどべてるまつりでこの本の著者の方そしてこの本を含めたシリーズ ケアをひらくのプロデューサーの方がいらして少し話してサインもしてもらいました。人の出会いはおもしろいです。
この本を最初の3分の1ぐらい読んだ所までの感想です。
すごくよく当事者研究のことをまとめられている。
僕が10年来べてる、当事者研究のことを読んで来たことが簡潔にまとめられている。
僕はそうだ、これを僕は読んで来たのだと思いました。
そしてこれを読んで僕は浦河べてるの家に来たのだと思いました。

僕も爆発の研究をしているのだな。治すより活かす。
そうか僕も爆発をみんなで研究しよう。研究でみんなとつながれるのだ。弱さをきずなにだな。
僕も支援者だけに頼るのでなく、みんなに聴かれるつながれる開かれた聞かれ方をしよう。
本の中に「向谷地の実践は非常にどろくさくうさんくさい」とある。
これをべてるは最近はきれいなものにしようとしているから違和感を僕はべてるに来てから感じているのかなと思いました。

当事者研究はつきもの落としに似ているという。
当事者研究で言うお客さんはきつねのつきもの。
人とことを分けている。そして悩みを外在化している。
僕もまゆに包まれていると感じた時があったな。温かかった。また作ろう。
そして当事者研究が目指すものは「苦労を取り戻す」こと。

僕もいろいろな人の手助けを借りて異界に入り通過して生まれ変わった。
僕はさらにそれをべてるで進めていきたい。
僕も思春期の異界を通り越したのだな。何かなつかしくいとおしく感じる。
当事者研究では失敗することを認められていると思う。
それで失敗してももう一度一緒に頑張ろうとユーモアとともに救いの感覚が訪れる。
べてるで七夕飾りに「治りませんように」という短冊があったという。
これを言えたのは本当にそこがいい場所だったのだろうな。

中井久夫「個人症候群」
天理教の教祖は幻聴を神のお告げと言ったようだけど、それを違うと言わず周りの人はそれに合わせたという。これが回復には大切。
僕のブルース・スプリングスティーンの追っかけもこれと同じかなと思う。
当事者研究はこの回復をみんなで行う。
僕は支援者だけに頼らずメンバーのみんなに聴いてもらいながらべてるで生活していきたい。
当事者研究の醍醐味は1対1でなくて1対多なのだと思う。
それにしても僕の他人事メソッドも天理教の教祖の体験と同じかなと思いました。
ここからこの本は難しく成るようなので、とりあえずここまで読んだのをまとめました。
べてるの家を語るのにすごくいいまとめだなと読んでいて思いました。
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「アーモンド」ソン・ウォンビョン 矢島暁子訳の感想

「アーモンド」ソン・ウォンビョン 矢島暁子訳を読んでの感想です。
僕はこの本をいろいろバタバタして落ち着かない中で読んで、実家に帰った時にも読んで、
引き込まれて読みました。
友情っていいな。僕も友達を大切にしよう。男の人も女の人も。
感情の無い主人公。自分に起きた悲劇の意味も分からない。
でも出会った人に誠実に接することで感情を持つことが出来た。
いいな。いい話だ。
僕も友達作ろう。そこにいる人と友達に成ろう。
ちょっとしたいい話。そして僕の中にずっと入り続けるだろう。
さわやかな温かい読後感。
やはり本屋大賞の本は好きだな。僕はこういう本をもっと読みたい。
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「風よあらしよ」村山由佳さんを読んでの感想

「風よあらしよ」村山由佳さんを読んでの感想です。
伊藤野枝と野枝が関わった女性解放運動で知り合った人たちの話。
僕は勉強不足なのだろうけれど、フェミニズムと言っていても女は男に左右されるのかな。
何だかんだあっても女性は男性におぼれるのかなと思ってしまいました。
そして僕はある女性とどのように付き合って行ったらいいのかと考えながら読みました。
男はつらいよな。女に捨てられないようにしないと。
この話はドロドロだな。フェミニズムなんて言ってられない。
革命、社会主義と言っていても内輪もめもあるのだな。
僕は辻潤に成るか大杉栄に成るか?
大杉に成りたいけれど辻に成りそうだな。
でも野枝と大杉の二人の人生はすごく濃いと思います。二人が幸せだったか分からないけれど濃い人生を送ったのだなと思いました。
でも僕はあっさり平穏な人生をこれから先に送りたいなとも思いました。彼ら二人のような人生は疲れるなと思います。
文庫本の解説が上野千鶴子さんだったのも興味深かったです。
でも解説はあっさり事実を書かれていました。
僕はフェミニズム運動の現状そして限界のような話を聴きたかったです。
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「環状島へようこそ トラウマのポリフォニー」宮地尚子先生を読んでの感想その2

途中にいろいろあり時間がかかりましたが、「環状島へようこそ トラウマのポリフォニー」宮地尚子さんを読み終わりました。
環状島という模型を前に置いているイメージで相手と話すと自分や相手の話が分かりやすいと思いました。
今の自分は環状島のどこに居るのかをイメージすると相手にそして自分も自分を理解しやすく成ると思います。
これから僕も使っていこうと思います。
この本は環状島のイメージでの対談集。対話されている話を読んでトラウマの様子が少し分かって来たと思いました。

そして環状島は僕の他人事メソッドに似ていると思いました。
困ってバタバタしている僕を頭の中でもう一人の自分が実況アナウンサーに成って実況中継する。
すると困っている僕は素に戻り楽になる。
そんなイメージは環状島の模型を前に置いてながめるのと似ていると思います。

ただ注意点として、環状島のどの場所で見ているかで環状島の見え方が違う。
環状島の頂に立っている人は山に登っている人を見て、そんな道を行かなくてもいいのに、こっちの道の方が進みやすいのにと思ってハラハラしながら見ている。
でも山を登っている最中の人は足元と周囲を覆う木々しか見えていない。
それを意識しているのが大切。
一番つらいのは同じものを見ているはずだと思い込み相互に誤解を増幅してしまうこと。

僕の他人事メソッドは山の上で、あるいは島の上を飛行機でながめているのだと思う。
そこに今回の環状島のイメージを重ねるとより自分の立ち位置が分かるなと思いました。
これからは他人事メソッドでの立ち位置が違う環状島モデルもイメージして楽に生きる方法を見つけていきたいです。
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「環状島へようこそ トラウマのポリフォニー」宮地尚子先生を読んでの感想その1

環状島がいいみたい。宮地尚子先生の「環状島へようこそ トラウマのポリフォニー」を読んでいます。
トラウマが専門らしい先生の著書で環状島という概念が出て来ました。
(内海)をもつ島。
(内海)は被害者が居る。地上に出られずに沈んでいる人。ショックが大きいままで語ることが出来ない状態。
(波打ち際)声を出せない被害者とかろうじて出せるようになった被害者が連なっている。いったん海から出られても(重力)とも言えるトラウマ反応や症状が強くなれば海に引き戻されてしまう。
(内斜面)声を上げることが出来る被害者が居る
(尾根)被害者のピーク
(外斜面)支援にあたろうとする人が位置する。
外からやって来る支援者は(外海)から(外斜面)に上陸して被害者に近づいて島の内側にいる被害者を引き上げようとする。
(外海)傍観者、ハラハラしながら起きていることを見ている人などがいる。
(さらに沖)出来事自体を知らない無数の人たちがいる。
そしてその環状島には力が働いている。
(重力)トラウマ反応や症状。被害者はつねに重力がつきまとい(内斜面)に居た人も(内海)に滑り落ちてしまうことがたびたびある。(外斜面)に居る人も(重力)の思い負担で支援を止めて(外海)へ戻ってしまうことがある。
(風)対人関係の問題。さまざまな風が吹く。
(水位)トラウマに対する社会の否定や無理解。その程度が強いほど水位が上がり被害者も支援者も水中に没してしまう。

これを僕はすごく分かりやすいモデルだと思いました。
そしてこのモデルを使って思い浮かべればトラウマの人たちの位置関係だけでなく社会のある特定の問題への関心の度合い。
個人の何かの困難への自分が置かれている位置の把握にも使えると思います。
すごく可視化されて分かりやすい。自分や自分たちの今置かれている位置が分かり自分を客観的に見ることが出来ると思います。
僕の他人事メソッドにも通じると思う。
何となくもやもやした状況を客観的に分かりやすくとらえられる。すごく良いと思います。
僕はこれからこの環状島モデルを自分の状況把握に使おうと思います。
そしてこの本でトラウマの実態を学んで行きます。良い本に良いアイデアに巡り会えました。べてるに感謝です。
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「福音と世界 2024年8月号 新教出版社」の感想

僕の千葉の教会でお世話に成った牧師先生の書いた文章が今の浦河教会で知り合った牧師先生が浦河教会のことを書いた文章と一緒に載っている雑誌、本を読みました。
べてるの人たちは浦河教会で聖書を救済する側でなくて救済される側に成って聖書を読んでいるという記述に僕もそうだなと思いました。
だから僕も神さまのことをよく見えるのかなと思いました。
べてるの家の先駆者の人たちはただ一生懸命に教会堂で生きて来たのかなと思いました。
そこに僕も加えて欲しいなと思いました。山本光一先生「浦河教会とべてるの家」

そして津田沼教会でお世話に成った栗原先生。いろいろ積極的に活動されて来たのだな。
津田沼教会でも熱く説教の時に話されていたのを思い出しました。
「使徒信条」で「ポンテオ・ピラトの下に十字架に付けられ」と僕も読んでいるけれど何となくそのまま読んでいたと気が付きました。政治に無関心ではいけない。平和を作り出すには発言しなければと思いました。栗原茂先生「平和を作り出すために」
僕の知り合えた二人が同じ本に載っている。偶然か必然か分かりませんがおもしろいなと思って読みました。
「福音と世界 2024年8月号 新教出版社」
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奥田英朗「サウスバウンド」を読んでの感想

奥田英朗さん「サウスバウンド」を読んでの感想です。
浦河図書館でご自由にお持ちください。として置いてあったのを持ち帰り読みました。
奥田英朗さんは「空中ブランコ」が好きでした。やさしいユーモアが好きです。
いいな。僕の時代だな。分かる。東京の描写が僕にも分かってうれしかったです。
いい少年小説だった。
別れは淋しいことではない。出会えた結果のゴールだ。
いい楽しい少年小説だった。さわやかな読了感だった。
おもしろい。毎日少しずつ読もう。
おもしろいな。つらいことあったけど読んでいてほがらかに成った。
最後涙流して一気に読んだ。
そんな感想を持ちながら楽しみながら読みました。
さわやかな気持ちに成りました。ほがらかに成りました。
僕はこういう本が好きなのだ。
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上野千鶴子さん「男おひとりさま道」を読んでと講演会の感想

上野千鶴子さん「男おひとりさま道」を読んでと講演会の感想です。
浦河に上野千鶴子さんが来るということで僕は上野千鶴子さんの著書「おひとりさまの老後」と「男おひとりさま道」を読みました。
2冊読んで安心した老後を送るにはお金もだけど友人が大切と教わりました。
お金持ちより人持ち。さまざまなタイプのユルい友人を持っているといいとのことでした。

そして弱さの情報公開。僕はべてるに居ながら上手く出来ていないな。SOSは出しているけれど。
というかべてるで上手く出来ている人はいるのかなと思いました。
僕は弱者だから老いるのは上手いかも。
自分の弱さを許せないから相手を軽蔑しているのかも。
僕に必要なのは弱さの情報公開を上手くすることかなと思いました。

金持ちよりも人持ち。ユル友を多く作る。多様な友人がセーフティネット。同じ趣味の人たちの所に行く。
ひとりでいたくない時に誰かと一緒にいられること。
僕もいろいろな友人を作る機会はあると思う。
やはり弱さの情報公開だな僕に必要なのは。そして人持ちだなと思いました。

そういう思いを本を読んで感じてから上野千鶴子さんの講演2回、一つは浦河町民向け、もう一つは支援者向けの講演に参加しました。

上野千鶴子さんの話は少し僕には難しく感じました。
僕は僕がどう老後を暮らすかのヒントが欲しかったのですが、一人一人がどう国や地域に働きかけるかの話が中心だったように思いました。

問題から立ち去ることが出来ないのが当事者。
そして僕もコウモリ。鳥でも動物でも無いなと思いました。
当事者研究の説明として、わたしのことはわたしにもよく分からない。そこで自分自身でともに研究する。自分を研究対象にする。と話されました。

そして女性学でも当事者研究でも当事者だから分かる。当事者が学問を身に着けて学者に成る。
なるほど僕も当事者研究の学者に成れるのだな、成ろうと思いました。
それには現地語では伝わらない。翻訳が必要。何か僕も勇気をもらいました。

講演後僕は飛んで行って上野千鶴子さんにサインをしてもらいました。
僕の渡した名刺を見ながら丁寧にサインしてくれました。素敵な名刺ねと言ってもらいました。
でも僕はあわててしまい。ぎこちない話で終わってしまいました。

僕の次に上野千鶴子さんに話しかけたべてるの友人は上手く話していいアドバイスをもらっていていいなと思いました。

後でその友人は僕に自分のブログの話をしたらダメだよ。忙しいのだから。どう話したら良いかSSTしましょうと言ってくれました。
僕はそうか今回の上野千鶴子さんにサインをもらった状況は僕がブルース・スプリングスティーンにサインをもらった状況と同じだな。
短い時間でどうコミュニケーションを取るか。難しいなと思いました。

そして2日目の講演の後にまた上野千鶴子さんに話かけました。
講演で出たコウモリ、鳥でも動物でもない、僕もコウモリです。障碍者としっかりした人との間ですと話しました。
すると上野千鶴子さんは自由でいいでしょと話してくれました。そうだな僕もコウモリとして自分の特色を活かそうと思いました。

そして友人と僕と上野千鶴子さんで写真を撮らせてもいただきました。
友人と上野千鶴子さんは笑顔でしたが僕は少し涙目でした。
でもやることをやれた。満足です。これからこの経験を活かそうと思います。
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