自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
「小説8050」林真理子さんを読んでの感想
この小説は高齢の親が中年に成った引きこもりの息子とどう接するか、いじめの問題も含めての話でした。
僕は僕のお父さんのことを考えながら父親正樹と息子翔太のことを僕に当てはめて読みました。
僕のお父さんも僕が部屋に引きこもり、僕が精神病だと認めたくなかっただろうと思いました。
僕のお父さんもこんなこと考えていたのかなと思いました。
僕の場合はいじめでなくて精神病で不登校に成ったのだけど。
僕の両親も僕が原因で不仲に成ってしまったように思う。お父さんに負担かけてしまったなと思う。
でも僕はある時期からお父さんお母さんが変わってくれたと覚えている。僕が精神の病で入院して退院してからしばらくして。
ある時期から本音で接してくれるように成ったと僕は感じた。それで僕は随分と救われた。
そして僕はお父さんが癌で亡くなる少し前に病室でお父さんありがとうと言えた。本当によかったと思う。お父さんはよく受かったよと僕の気象予報士合格のことを話してくれた、僕はやりたいことはとことんやるけれど、やっらなくてはいけないことをやれないと話したらお父さんはやったと言ってくれた。
この僕とお父さんの会話を僕はずっと覚えているだろう。
ひきこもりもいじめもどう周りの人が本気に成ってくれるかだと僕は思う。
この本では父親正樹が自分の弱さも出しながらも一生懸命息子翔太の為に動いた。それが大切なのだと思う。
僕は読み終わって今一つすっきりしない思いが残ったけれど、ひきこもりもいじめもすっきり解決などしないのだろう。その中でどう納得するか、それには周りの人そして自分がどう本気に成れるかだと僕は思いました。
お父さん、お母さん、お兄さん、ありがとう。
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「合わせて6割理論」を再び
その千葉、東京に来る本来の目的のブルース・スプリングスティーンのファンの集まりで一緒に参加する人からのメッセージを9日間気が付かず返事していなかった。
親しい人との電話で傷つけることを言ってしまったみたい。
そんなことがあって僕は今日教会に行った。
玄関でいつもの人に会い話した。
浦河でのことにその人は、僕は年とればいいと話してくれてなるほどと思った。そして老人ホームもお金かかる。その点、浦河いいと言ってくれた。
今日はペンテコステ礼拝 イエスさまの弟子の所に聖霊が降りて来くれてて弟子が宣教を始めた日。教会の誕生日。
ダメな弟子にイエスさまは何度も息を吹き込む。ペンテコステはそのダメ出し。
知ってるもん、あなたを。あなたの情けなさもズルさも。でもそれがいいんだよ。それを変えようとするな。
無学な弟子が布教を始めたから信用された。
あなたの弱さを選び最大限に活かした。
そこがいいんだよ。そうじゃないと伝わらない。
僕はこれはまさにべてるの家の『弱さを力に』ではないかと思った。弱いから伝わる。弱さを知っているから信用される。これだなと思った。
今日は洗礼を受けられた方がいて息子さんの洗礼を受けるのをお母さまが一生懸命スマホで写していた。僕は僕のお母さんが僕が洗礼を受けるのをうれしそうに見ていたのを思い出して涙が出て来た。
今日は聖餐式もあった。いただいたウエハースを食べたら歯に引っかかった。何かおかしかった。
礼拝の後、牧師先生がバラの花びらをみんなに振りかけてくれてみんながまたみんなに掛け合いに成り大騒ぎに。
それからピザを焼いていただき食べて歓談した。楽しかった。
それから今度は地域の居場所に行った。
沖縄の基地問題の映画を観て意見を出し合った。
国会も解散が近いらしい。自分たちの選挙区は区割りが変わったと話してもらった。
それから僕が久しぶりということで僕の話を聞いてくれて僕がブルース・スプリングスティーンのライブを観にニューーヨークに行った話を聞いてくれた。
ブルース・スプリングスティーンを知っている人もいて興味深く聞いてくれてうれしかった。
そんなこともあって僕は何か満たされた気持ちに成った。
もちろん連絡をしなかったことも傷つけた事を言ってしまったことも、そもそもの浦河で怒ったことも、
全て考えるのだけど、ひとまず置いておいて別のことをやりながら眺めてみる。
するとふうっと楽に成り良いアイデアが浮かんで来た。
これは以前僕が考えた「合わせて6割理論」の応用編なのではと思いました。
一か所では満たされなくても他の場所にも行って合わせて6割満足すれば良しとする考え方。
これが合わせて6割に成るだけでなくそれぞれの困難も解決するかもしれない。そう思いました。
礼拝の最後にみんなで言う「神に感謝」とともに皆さんに感謝です。
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凪良ゆう「汝、星のごとく」を読んでの感想
僕は櫂と暁海の恋人同士の人生を追体験出来た。
高校生の男女の話、二人はそれぞれ問題のある親の面倒を見るいわゆるヤングケアラー。
その二人は望まない人生を親の為に生きることになる。その二人にいろいろな大人が関わっていく。僕は人生シンプルに生きられたらいいなと思う。
僕はこの本をニューヨークから帰って来て読んだ。ニューヨークに行ったのは夢だったのかな。覚めてしまったな。泊まったホテル、シャワーだけの風呂を思い出した。洗面所に何回も行ったなと思い出した。
やっぱり僕は小説は最初の出会いの話が好きだな。
死に時というのもあるな。自殺した人物の気持ちも分かるように思う。僕もブルース・スプリングスティーンのライブを観てから帰る飛行機が落ちてもいいなと思った。
でも暁海が「過去は変えられないと言うけれど、未来によって上書き出来るようだ」と言うのがそうだと思った。僕はそれを読んでこの小説で救われた気がした。
そして自分で選ぶ人生の大切さを思った。僕は自分の人生を自分で選べる、これを僕は何よりも大切にしたいと思いました。
この本は本屋大賞受賞作品。僕は本屋大賞をとった作品は読んでいて引き込まれて行って好きです。この本も夢中になって読みました。
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「枠枠(わくわく)メソッド」の開発に取り掛かりました
ふと思った。僕の生き方は写真を撮るように生きればいいかな、いろいろある中で自分の見たい所を見る。
写真を撮る時にファインダーを見て構図を決める時のように。撮る所、撮る時間を考えて撮るように。そうすれば自分の撮りたい写真、生きたい人生を生きられるかなと。
ただやみくもに生きていたら迷ってしまう。何かすごく大切なことに思いました。
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「分人」の生き方
今朝は布団から起き上がれなかった。ずっと寝ていたかった。
どうも僕が作ったブルース・スプリングスティーンのライブ観戦の小冊子の反応があまり良くないように感じる。でも取りあえず12月のサンフランシスコに行くことに照準を合わせようと思った。そうだな。僕はブルース・スプリングスティーンのライブに行く準備を楽しみながらすることに重点を置こう。今回ニューヨークに行って皆が話していた英語がほとんど聞き取れなかった。英語をもっと勉強して一緒に成ったブルース・スプリングスティーンのファンの人と話し合えたら更に楽しく成るだろうと思う。
そこで僕はこれからの浦河での生活は「分人」として生活しようと考えた。平野啓一郎さんの本に載っていた「分人」という考え方。
「ブルース・スプリングスティーンを追いかける」僕、「浦河でみんなといる」僕、「オリーブハウスで当事者研究をする」僕、「東京でいろいろ話す」僕、「津田沼教会でみなさんとイエスさまといる」僕、それぞれの僕が共存出来るかもしれない。
僕はずっと浦河に居続けると思うと心配に成るけれど、ニューヨークに行って楽しかったと思い出す僕と浦河でみんなと居る僕とそれぞれを使い分ければいい。
ちょうど読む本を変えるようにその時間その時間で違う自分に成る。それが僕が浦河で生活していく方法かなと思う。
それとわずかの人だけど僕が今まで知り合えた友だちを大切にしたい。僕が思っている以上に僕のことを気にしてくれていると最近分かって来た。その友だちと会う僕が一番好きな僕かもしれない。東京や千葉に居るのはわずかな時間かもしれないけれどとても貴重な時間だ。
今はインターネットもあり違う場所へすぐに飛んで行ける。浦河にいる僕はまだ途上なのだ、これからまだ先があるのだ。
「分人」の考え方をすれば僕は浦河に楽な気持ちで居られる。
僕のオリーブハウスの部屋が「分人」管制室だ。ここでそれぞれの「分人」に成る指令を僕に出すのだ。
何か楽しく成って来た。僕はここで「分人」となる実験をしようと思う。
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BRUCE SPRINGSTEENファンジンVol.1その2
「THUNDER ROAD TO THE PROMISED LAND」
by Hideaki Oya Vol.1 創刊号
Live at UBS Arena,N.Y. U.S.A.2023.4.9,11特集
僕は1985年4月に行われたBRUCE SPRINGSTEEN & THE E STREET BANDの初来日公演に必死でチケットを手に入れていたのに精神科に入院してしまい観に行かれなかった。それから退院後は無気力に成りました。何もやる気がしませんでした。
でも僕はいろいろな心ある人たちに出会えた。そしてまた今度こそBRUCE SPRINGSTEENを観ようと思うように成りました。そして出会った人に励まされて動いた。10年後ついにソロアコースティク・ツアーをサンフランシスコで観ました。うれしくてありがたくて温かい涙が出た。
さらに僕はバンドでのライブも観たくなりボストン、コネチカット、ワシントンDC、ニューヨークへ行ってその後10年間で6回観れた。そして今回ニューヨーク公演を2回観た。
初日、最前列の真ん中で観れた。「BRUCE,please come to JAPAN」のボードを見せた。僕は最後日本で僕がそれまで出会えた人たちと彼らのライブを観るのが僕の夢、目標です。
そして初日のライブ中にブルース・スプリングスティーンからギター・ピックを手渡ししてもらいました。すごくうれしかったです。
2日目も最前列真ん中で観れました。この日はボードも持たず写真も撮らないでじっくりと演奏に集中しました。僕が今回一番聴きたかった曲「BACKSTREETS」を本気で聴きました。深い友情とつらい別れの曲。僕も深い仲の友達を作ろうと思いました。激しく別れを後悔するほどの友情を築こうと思いました。僕は勇気づけられました。友達はこの胸の中にいるとブルースが胸を手でおさえていたのを覚えています。
そしてブルースは今ツアー内では初めてこの日に1985年の初来日公演のオープニングで演奏された「BORN IN THE U.S.A.」を今のバージョンで演奏してくれました。やっと聴けた。今の「BORN IN THE U.S.A.」を聴けたのがさらにありがたかったです。
それから「DANCING IN THE DARK」を演奏している時に僕は隣り合わせた女性3人と肩を組んで踊りました。僕はこれをずっとやりたかったのだ。それがやっと出来ました。
僕はやりたかったことを40年近くかけてやっとやれました。僕は運良くやり直せた。今までに出会えたそれぞれの人に感謝しています。長い道のりでしたが今思えば大切な思い出です。
そして僕は今回ブルース・スプリングスティーンのライブに問いを持って行きました。今の僕の生活は上手く行っていません。どうしたら良いですか?と。すると目の前のブルースは僕に今を一生懸命生きろと熱い本気の演奏で応えてくれたと感じました。
僕は今回のライブ観戦がとてもよく出来たと思います。楽しかった、勇気をもらえた。僕は自分のやりたいことをやるのが一番いいのだと思いました。
僕の人生はまとめの時期に来ています。僕はブルース・スプリングスティーンを追いかけながら僕の人生をやり直せた。これからも僕の好きなやりたいことをやっていこう。「うれしい、楽しい、ありがとう」の気持ちで生きていけばきっと大丈夫だ。ブルースにこれから生きていく勇気をもらいました。信じて一生懸命努力すれば報われるのだ。Faith will be rewarded.
ライブのそれぞれの曲の感想、僕がブルースからもらったピックの写真は次号に載せます。お楽しみに。
BRUCE SPRINGSTEEN & THE E STREET BAND
& Hideaki Oya 大矢英明 2023.5.4発行
僕は浦河に戻って来て安心したような、物足りないような、心配なようなで生活をまた始めました。東京のお友だちからメールをもらって考えたのですが、それぞれの所でそれぞれ別の顔で別の人と会うのがいいのかなと思いました。
浦河に帰って来て迎え入れてもらってうれしかったのですが、僕が観に行ったブルース・スプリングスティーンの話をしてもあまりピンと来ないようで盛り上がらない。僕は物足りなく感じました。そんな所にブルース・スプリングスティーンのファンで今回アメリカで一緒に行動してくださった人からファンの集まりに参加しませんかとたずねられて僕も考えました。みなさんしっかりした人たちで僕には敷居が高いですが、ブルース・スプリングスティーンの話はここでするのがいいなと思いました。
みなさんに合わせるのは大変ですがブルース・スプリングスティーンのファンのみなさんとならではの話が出来るのではと思います。
そして東京のお友だちとも別の所でおつきあいする。以前、誰かの本で「分人」というのを読みましたが僕はそれを実践してみようかなと思います。
さてどうなるか?実験します。
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BRUCE SPRINGSTEENのファンジンvol.1その1
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