自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
ブルース・スプリングスティーン・コンサート観戦ワシントンDCへの旅 その6 DANCING IN THE DARK
結果的には僕はライブ観戦に失敗してしまった。
でも得たものも一杯あったと思う。
そしていつまでも失敗を引きずっていてはいけない。
僕も前へ進むんだ。
KEEP GOING!
一応ワシントンDC旅行の記事は今回で終わりにします。
でも今回の体験はいつまでも僕の中で生きていると思う。
そして徐々に良かった体験になっていくと思う。
ワシントンDCに着いて2日目。ライブの当日。
僕はいつもの様に前夜全く眠れなかった。
そこで僕はウォークマンに入れたアルバム「レッキング・ボール」を
ホテルの窓から見えるライブ会場Nationals Parkを眺めながら聴いた。
これが最後のライブだと思って生きる。
最後の一年だと思って生きる。
そして感謝して一日、一日を生きることかな。
それが死んだ人への感謝。
世代間のつながり。
人の永年の営み。
僕なりの今回の「レッキング・ボール・ツアー」の意味がわかったように思えた。
そして会場設営で一晩中照明の点いていたNationals Parkを眺めながら、
僕は「DANCING IN THE DARK」を聴いた。
僕はライブで演奏されるのを思い浮かべながら踊った。
最高の瞬間だった。
ワシントンDCに着いて2日目にワシントン市内を
現地の日本人ガイドの人に車で僕達2人を案内してもらった。
僕自身が実際に重要な場所に立てた。
そして現地の人ならではの現地の人の考え方を聞けた。
大型バスでなくてワゴン車ならではの細かさで案内してもらえた。
そこで僕達がブルース・スプリングスティーンのコンサートを観る為に来た。
僕は「Tom Joad Tour」の時には成田空港に6日間通って仕事も休みをもらって、
ブルースからサインをもらったと話したら、
ガイドの人が僕はグルービーだと言った。
僕は初めてそう言われたが、
そういえばそうだなと僕自身初めて気がついた。
僕はいくらお金を出してもメンバーが死んでしまっていたら見れない。
と話したらガイドの人が
そうだよねライブは。レコードなら聴けるけど。
と話してくれた。
その後のライブでは僕は満足にライブを観れなかった。
反省点、改善点として今考えているのは、
ホテルで眠れるようになろう。もう僕は歳なので眠らないときつい。
良い席で観よう。一度GA floorで最高の体験をするとスタジアムのスタンド席で観るのはきつかった。
ツアーの初めの頃のライブを観よう。ツアーが進むにつれてライブでの最新アルバムのコンセプトが薄れてきてしまい、ヒット曲のライブになってくる。特に今回は最新アルバムを僕は気にいっていたのでツアー開始早々のライブに行くべきだった。
そしてアリーナの会場で観よう。やはりスタジアムでのライブは大味なものになってしまうと思う。
そして僕が今考えているのは。
またブルース・スプリングスティーンのライブを観にアメリカに行こうと思う。
今度はどの都市に行くか楽しみだ。
2,3年後に新しいアルバムをブルースが発表したらすぐに、
アメリカ1st legに行こう。
その為にはすぐに動けるように準備しておこう。
それまでお金を貯めて。
今回の反省点を改善して。
はりあいのある生活をしていこう。
僕は恵まれているのだと思う。
好きなコンサートを観ると言って何十万円出してアメリカに飛んで行けるのだから。
世の中にはアメリカの人でさえ自国のコンサートに行けない人もいるだろう。
ブルース・スプリングスティーンが歌う曲の主人公になるような人たちは、
ブルースの曲をラジオで聴くのが精いっぱいの人もいると思う。
僕はブルース・スプリングスティーンのコンサートに行けるのを感謝して、
その機会を大切にして生きていきたい。
そして僕はその代償はしっかりと払う。
コンサート会場でしか得られないものを求めるのだから。
北東気流の吹く街で一生懸命に生活しながら。
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ブルース・スプリングスティーン・コンサート観戦ワシントンDCへの旅 その5 職業格差
キング牧師が立った場所に彫られた言葉です。
最近彫られたと案内してくれた現地日本人ガイドさんが教えてくれました。
僕達はその事よりもこの場所は
オバマ大統領の就任セレモニーが開かれた会場であり、
そこでブルース・スプリングスティーンが演奏した場所だという事の方が強くて、
ああここにブルース・スプリングスティーンが立ち演奏したのだと思い、
感慨深く感じました。
僕達がワシントンDC、ダラス国際空港に着いてから機内から出ると、
大きいカートと伴に黒人男性が4,5人が客を待っていました。
おそらく機内からの客の荷物運びをするのだと思いました。
入国審査の案内はヒスパニック系らしい男性が案内していました。
そして空港に着いてから初めて見た白人は入国審査の係員でした。
また僕達が最初に乗ったタクシーのドライバーはインドの人で、
その後ろのタクシードライバーは黒人でした。
その後、僕達がタクシーに乗った3回は全て黒人でした。
途中タクシー車内から見た道路工事の作業員も黒人、ヒスパニック系と黒人の人でした。
それでもホテルのカウンターには3人伴に白人がさっぱりした身だしなみで立っていました。
でも翌朝、ホテル掃除の作業員は黒人でした。
あくまで僕が見た事で僕が感じたのは、間違っているかもしれませんが、
明らかに人種によって就いている職業が分けられている。
それぞれの職業にふさわしい人種が決まっているのではと感じました。
またワシントンDCには中心部はスーツ姿の白人がほとんどでしたが、
街中は黒人の人が多いと感じました。
3年半前に行ったボストンに比べると。
そう思うと街にもそれぞれふさわしい人種が決まっているのかなとさえ思いました。
市内観光を案内して下さった現地のガイドさんに、
仕事によって働いている人種が違うように感じたと話したら、
結局、アメリカは訴訟国家。
的確な英語が話せないと裁判で負けてしまい、
会社に損害を及ぼすことになる。
だからしっかりした英語が話せない人は会社の上の役職には就けないのだと話してくれました。
言葉が出来ないことが職業選択を狭めて、
それが職業格差につながっているのかなと僕は思いました。
リンカーン・メモリアルのキング牧師の言葉。
全ての人が平等な生活、仕事に就く機会を保証されるべきだ。
この理想、そして大きな夢はまだアメリカでかなえられていないのだなと僕は感じました。
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ブルース・スプリングスティーン・コンサート観戦ワシントンDCへの旅 その4 ホテルのレストランでの夕食
食事も僕はどうでもよかったのですが、
泊ったホテルでの夕食には驚きました。
もともと僕は食にあまりこだわりが無くて、腹が一杯になればいいやという感じです。
その僕にとって、おそらく生涯覚えているだろう夕食でした。
僕にちょうどいい位のおだやかなホテルで、
その中にある普通の緊張しないで済むレストラン、食堂でした。
さすがにアメリカなのでメニューが英語で書いてあり、よくわかりません。
filletとあるので一緒に来た人がi phoneで調べたら、どうもステーキの事らしいので、
それを頼んで、あとサラダとビールも頼みました。
あらかじめガイドブックに書いてあった通りにステーキの焼き加減を聞かれたので、
一緒に来た人はミディアム・レア。僕はミディアムを注文しました。
そうこうする内に店員さんが両手に大きいショートケーキのような物を持ってきました。
僕は何だそれは。そんなの頼んでいないぞ。
と思ったのですが、
二人のテーブルに1皿ずつ置かれた物は良く見ると、
大きいショートケーキ状になった、
レタス丸ごと1個を4分の1に、4半球状に切った物で、
その固まりにドレッシングを生クリームのように塗りたくってある物でした。
僕はそのレタスの固まりをぼう然として眺めていました。
しばらくして、どうやって食べるのだ?
と思いました。
一緒の人がナイフとフォークで食べるんだろと言うので、
僕もナイフとフォークでステーキを食べるように切りながらたべました。
これが僕にはドレッシングか何か、レタスにかかっているものが良くて、
おいしく食べられました。
腹もそこそこ一杯になって、次のステーキはいらない位満足しました。
今回の旅行の食事で一番印象に残ったというか、
僕にとってワシントンDCでの食事はレタス丸ごとの4分の1カットしか記憶にないです。
僕のシンプルな食生活にぴったりな料理に思えます。
今度僕が作ってみようと考えています。
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ブルース・スプリングスティーン・コンサート観戦ワシントンDCへの旅 その3 半旗について考える(2)
インド人の運転するタクシーでホテルに着いたのですが、
タクシーの車窓から見る建物の国旗は半旗になっていました。
何で半旗なのか僕は分かりませんでした。
9.11の為かとも思ったのですが、
ホテルの部屋でテレビニュースを見たら
リビアでアメリカ大使館が襲撃されてアメリカ人4人が死亡した。
アフリカ、西アジアの各国で反米運動が拡がっている。
と報道しているのを僕は見ました。
でもその事は僕はホテルの部屋で知りました。
また翌日、現地の日本人ガイドさんに市内を案内してもらった時に、
そのガイドの人に、なぜ半旗になっているか聞いたら、
国会議員のだれかが亡くなったからではないかなと話していて、
ガイドさんはリビアの事件を知らない様子でした。
僕の推測では半旗はリビアで亡くなられた人への追悼で行われたと思いましたが、
本当のところは僕には分かりません。
そして僕が日本に戻ってテレビニュースを見ると、
尖閣諸島の事。民主党、自民党の総裁選挙の事。だけで
日本ではリビアの事件の事は僕は見られませんでした。
日数が経っていた事もあるでしょうが、
アメリカと日本ではこうも違うのかと思いました。
アメリカでも2番目のニュースは大統領選挙の事でしたが。
僕はその人が今どこにいるか、どういう状況でいるか、どういう事をしているか、
によって得られる情報が異なるのだなと実感しました。
そして僕はアメリカの首都に居ても伝わってこないのだなと少し怖くなりました。
載せた写真はそのニュースが流れている時に、
僕達がのんきに国会議事堂まで散策して撮った写真です。
僕が会見が始まる前に、そこにいる人に聞いたら、
共和党だか民主党だかの代議士が話すということだったので、
少し待って会見をしているのを見てきました。
テレビの画面では立派に映る場面でも、
実際にその場にいると、この程度の簡単な作り方なのだなと、
意外に感じました。
世界中どこにいても事実は事実として存在するのだけれど、
それをどう見るか、どう感じるかは、
その人、ひとりひとりの立場によって異なるのだなと思いました。
まとまりの無い文章になってしまいましたが、
情報が多い世の中になり、インターネットの普及する中で、
何が今一番大事な情報なのかが見えなくなっているのではないかなと
僕なりに考えました。
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ブルース・スプリングスティーン・コンサート観戦ワシントンDCへの旅 その3 半旗について考える(1)
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ブルース・スプリングスティーン・コンサート観戦ワシントンDCへの旅 その2 タクシーに乗るの巻
入国審査を
「We came here to see Bruce Springsteen conncert」
の合言葉で切り抜けて、
ダラス国際空港から僕達の泊るホテルへタクシーに乗って向かうことにした。
少し途中、迷ったがTAXIの表示を示す矢印に従って進んだらタクシー乗り場に出た。
一緒に行った人からお勧めのタクシー会社名を聞いていて、
そのタクシー会社の案内カウンターもあったので、
ああ良かったと安心しました。
外に出るとそのタクシー会社のタクシーが停まっていました。
さあ乗ろうと、その車に歩いて行ったら、
別のタクシーが一台その車の前に停まっていました。
そしてそのタクシーの横で頭に白いターバンを巻いて頭が高くなっている怪しい男性が立っていました。
思わず僕は目をそらしたのですが、
その男性は僕達に気がついてしまい僕達が来るのを待っていました。
僕は気がつかないふりをしていたのですが、
そのターバンを巻いた運転手がこちらを見て、待っているので仕方なく僕達はそのタクシーに乗りました。
僕はあらかじめ用意しておいた、行き先のホテル名、住所を書いた紙を見せて
ホテル名を言いました。
するとその運転手はカーナビに入力してタクシーは発車しました。
このホテル名、住所を書いた紙は3,4回使いましたが重宝しました。
間違いが無いし僕も安心出来ました。
でも僕達は参ったなとやや放心状態で黙って乗っていましたが、
その運転手が、
「どこから来たのか?」
と聞くので日本からと答えて、あなたは?とその運転手に聞いたら、
「インド」
ということでした。
日本で僕達が準備している時に、
タクシーの運転手がブルース・スプリングスティーンのファンだったらいいね。
その話が出来るかなと期待していたのですが、
インドの人にブルース・スプリングスティーンの話は出来ないだろうと思い、あきらめました。
一緒に行った人は
「インド人うそつかない」
と僕が子供の頃に流行った言葉を言って
僕がそれは何でしたでしょうか。
と僕達だけで日本語で話していました。
僕達は少し不安で少し不満でしたが、二人で話をしながらアメリカ合衆国の首都を走っていました。
「インド人うそつかない」の言葉通りにインド人運転手はぼったくりもしないで、
メーター通りに、あらかじめ調べた通りの基準料金でホテルまで連れて行ってくれました。
タクシーの車窓から見た景色で印象的だったのが、
まるで僕が想像していた「アメリカ合衆国の首都」では無かったことです。
そう思っていたら急に見覚えのある建物が見え始めました。
きれいな芝生に池のある公園風の場所になりました。
今までのこ汚い風景とは別世界に感じました。
その付近に僕達の泊ったホテルもあったのですが、
後で付近を歩いて分かったのですが、
きれいな公園風の場所はほんの周囲数キロメートルのエリアで、
そのエリアに主要な建物は全て配置されていました。
まさに計画して作られた都市でした。
写真はコンサート会場を下見した後に、もう少し周りを歩いてみたら、
歩いて行けた国会議事堂です。
写真をよく見ていただけると分かるのですが、
国旗が半旗になっています。
他の公共機関の建物も全て僕達が居た2日間、半旗でした。
このことで僕は大切なことに気がつきました。
これはまた次回に書きます。
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ブルース・スプリングスティーン・コンサート観戦ワシントンDCへの旅 その1入国審査の巻
僕は失敗をして楽しめなかった。
でも、この失敗を教訓にして、僕が次回に観る彼らのライブへの準備をする為に
「いいとこ探し」をこのブログですることにしました。
ジョン・フォード監督の映画「怒りの葡萄」のラストシーン
大家族のお母さんが車の中で言う。
「私達は進み続ける」
そうなんだKeep Going!なんだ
僕は過去を見ている。でもそうして、しっかりと進むんだ。
成田から飛行機に乗り、出された食事を2回か3回ニワトリ小屋のニワトリになった気分で
食べていたらあっという間にワシントンDC、ダラス国際空港に着いた。
ここから最初の関門、入国審査に向かった。
僕と今回一緒に行った人が先に審査を受けた。
僕は3メートル位離れた所で次の僕の順番を待っていた。
だいたい審査官の話が聞こえてきたのだが、
どうも上手くいっていないように感じてきた。
一緒に行った人は基本通りに
「Sight Seeing 3 days」
と言ったようだが、その審査官が首を傾げながら
「なぜ3日間なのだ?」
「他の所に行ったのか?ロサンジェルスとか」
そうこうしているうちに、その審査官が日本語が出来るやつ来てくれと、
他の審査官を呼び始めたので、
僕が飛んで行った。
僕はこれを言うのは、もし通じないとリスクが高いので言わないでおこうと思っていたのだが、
言うしかないと度胸を決めて言った。
「We came here to see Bruce Springsteen concert」
するとその審査官は
「なんだそうなのか。お前達2人ともか」
と言って
「Come on」と手招きして通してくれた。
僕の持ってきたチャックを開けたカバンを上から眺めて、
あとは手と指の照合、目の照合をして僕も通過出来た。
その時に入国審査官が言った一言が
「He does good job」
審査官が噛みしめて自分で納得するように言ったのがすごく印象的だった。
すごく良い褒め言葉だと思う。
しかもそれを入国審査官が言った。
僕はすごい体験をした。
冷静に考えれば、何十万円の航空券を買ってアメリカまではるばる来て
そこに3日間、正味、昼間は2日間しかいないと言われれば
普通に疑問に感じるだろう。
僕達はそんな馬鹿な旅行に来たのだ。
そして僕がその時着ていたブルース・スプリングスティーンのツアーTシャツがパスポート代わりに
その入国審査官にとってはなったのだと思う。
最初からのハプニングで、この先の波乱を充分感じさせてくれるワシントン・ダラス国際空港でした。
この続きはまた次回に書きます。
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ブルース・スプリングスティーンへの旅は続く
せっかく大変な思いをしてやっと見たのにかかわらず
僕は失敗した。
でも今日一日考えて、ひとつの解決策を見出せました。
少し長い文章になりますが、
僕の大切なところを書きます。
つきあって読んでくださったらうれしいです。
今日は仕事を終わらせてから2つの居場所に行った。
そこで涙を流してコンサートを楽しめなかったことを話した。
聞いてくれた人もしっかりと聞いてくれた。
安易な答えはしないで、ただ聞いてくれた。
今回のライブを見る事がどれ程僕に重要な事だったのかわかっているので、
次があるじゃないかとは言われなかった。
もう次は無いかもしれない。
少なくとも今回演奏された曲のうち何曲かは僕は今後のライブで聴くことは出来ないだろう。
そしてもうひとつの居場所に行ったら意外な話をされた。
それは本当に失敗なの?
1カ月もすれば良かった事が見つかってくるのでは?
と話してもらった。
その話を聞いた時はそんなこと無理だと思った。
でも帰りにバスに乗りながら考えていたら、
僕の研究している「いいとこ探し」じゃないかと思った。
そして最高の負け惜しみかもしれないけれど僕は考え出した。
今回のライブに満足出来なかったから次のライブで求めることが出来るのだ!
もし今回のライブを観て満足していたら、
それでもう僕はブルース・スプリングスティーンのライブを観尽くしてしまっていた。
僕のスプリングスティーンへの旅は終わってしまっていた。
「DANCING IN THE DARK」を会場で聴いて踊ったら、
それでもう僕のブルース・スプリングスティーン・アドベンチャーは終了してしまっていた。
居場所では
「過去にこだわっていてはいけない。
何歳になっても人は前に進まなければ」
と言われた。
ブルース・スプリングスティーンもコンサートのMCで話していた。
ブルースは以前セラピストに相談したことがある。
「自分は自分の生家に週に何度も車で見に行くようになってしまったと。
俺はどうしちまったんだ」
するとセラピストは
「それは過去の嫌だったことをやり直そうとしていることの現れなんだ」
そこでブルースが
「まさに俺はそれをしているのだ」
と言った。
するとセラピストは
「それはやってはいけないことなんだ」
と答えたという話だ。
一般的には過去の上手くいかなかった事をひきずるよりも
新しい事を始めた方が上手くいくという考え方が正解なのだろう。
でも僕はあえて徹底的に過去にこだわる。
そして長い年月をかけてそれを取り戻す。
僕はそうやって前へ進んで行く。
それが僕の生き方なんだ。
僕は今度のブルース・スプリングスティーンのライブをGA floorで観るんだ。
その為にあらゆる準備をするんだ。
楽しみながら。
僕のブルース・スプリングスティーンの旅は続きます。
その旅行記をこれからもこのブログで書いていきます。
よろしかったら付き合ってください。
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ブルース・スプリングスティーン 2012.9.14.ワシントンDC公演観戦ライブレポート
はるばるアメリカ、ワシントンDCまで行ってきた。
今やっと団地の部屋に帰ってきた。
正直なところこの記事をブログに出来たことが僕には信じられない。
よくやったと僕自身は思う。
ブルース・スプリングスティーン&ジEストリート・バンド
2012年9月14日 ワシントン・ナショナルズ・パーク公演観戦ライブレポート
僕はこのライブは良くなかったと思う。
僕の体調が良くなかったこと。
僕は3年半前ボストンで、ブルース・スプリングスティーンのライブをGA Floorで観て最高の体験をしたので
今回の悪くない席ではあったが、スタジアムでのスタンド席での観戦はきつかった。
今回の「レッキング・ボール・ツアー」はスタジアム・ライブ向きでは無い。
まず今回のセットリストがことごとく、ライブの前半で
僕の好きな曲とは裏の曲ばかりを演奏されてしまった。
途中で涙目になってきた。
そしてやっと僕が待っていた曲
「JACK OF ALL TRADES」
が演奏された。
僕はこの曲を聴く為に今回来たとも思っていた思い入れのある曲。
ところがこの曲が始まると、観客がトイレに行き出す、ビールを買いに行く、会場がざわめきだして
客席の3分の1はもう席を立って歩いている。
僕の周りの席では隣とおしゃべりをする、i phoneを眺める。
熱心に聴いていたのは会場の中で僕だけだとその時感じた。
何んでこの曲は人気が無いのだろう。
すごくスプリングスティーンらしい誠実な曲だし、アルバム「レッキング・ボール」の核になっている大切な曲だと
僕は思ってきた。
それがはるばる来たアメリカの地で僕がこんな思いをするとは思わなかった。
僕は悲しかった。
これで僕の集中力は切れてしまった。
次第に体の疲れも感じて、
僕はもうイスに一人だけ座ってただ前の人の背中をただぼーっと見ていた。
悲しかった。
セットリストの最後の方に
「THE PROMISED LAND」さらに「RACING IN THE STREET」までやった。
でも僕はもう何も聴けなかった。
アンコールには何と「デトロイト・メドレー」まで出てきた。
このセットリストを読めば、凄いライブだったと想像する人が多いだろう。
でも僕はあの伝説にもなっている「デトロイト・メドレー」もただメロディーを演奏しているだけで
何も熱くくるものは僕には無かった。
せっかく楽しみにしていた「DANCING IN THE DARK」も涙で曇った目で観客が踊っている背中をぼう然と見ていた。
スプリングスティーンの姿は見なかった。
あえて言えば負け惜しみかもしれないが、
もうこの時のライブは「レッキング・ボール」ツアーとは言えないと僕は思う。
単なるヒット・メドレーのライブだと僕は思った。
そこには僕がずっと考えてきた「人の死と人の永年の営み」といったテーマは感じられなかった。
一番核になると思っていたクラレンスとの思い出を分かち合う「10Th AVENUE FREEZE OUT」も最後のお決まりの流れで
映像を流して、何も考えずにいつも通りやっただけに僕は感じた。
しかしながら。僕の今回のブルース・スプリングスティーンのライブを一番の目的としたワシントンDC旅行。
観光の部分では思っていたよりも遥かに楽しかった。
ワシントンDCの重要な場所もかなりの所を実際に歩き、自分の目で見た。
観光を楽しんで、最後のライブを楽しめば旅行は完了するところだった。
ライブを観るまでよくやったと僕は思っている。
最後の最後まで上手くやれていた。
でも最後で失敗した。
でもこれは失敗だったのだろうか?
僕は本当にライブの出来が悪かったのだと思っている。
そして何年も準備して、はるばるアメリカまで来て、
そのライブを良くなかったと言えた僕はすごいと僕は思う。
今までの僕だったらどんな出来のライブでも、自分がアメリカに来て見たのだからというだけで、
良いライブだと決めつけていた。
それが今回僕は良くないものは良くないと言えた。
僕は成長した。
でもライブから帰ってきたホテルの部屋では僕はきつかった。
もうずっと何日かカーテンを閉めて暗くして眠っていたかった。
でも翌日の飛行機に乗らなければ大変なことになる。
もう死にたかった。
でも外国で死んだら僕の遺体を引き取にアメリカまでくる母はとてつもない大変な思いをする。
やっとの思いで一緒に来た人について飛行機に乗った。
なんとか日本に来た。
そして自分の部屋まで来れた。
ワシントンDCから僕の部屋までよく辿り着いた。
よくやった。
でも実際は帰りの飛行機が成田に近づき、窓から下に見える雲を見ていたら楽しくなってきた。
結構、今回の旅行楽しかったじゃないかと思えてきた。
実際、楽しかった。
いろいろなハプニングの連続だったけれど、
それを一緒に行った人と楽しみながら乗り越えた。
楽しかった。
そしていろいろな大切な体験。
大切な言葉ももらった。
それを次回からこのブログに書いていきます。
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From sea to shining sea
しっかり仕事を終えてきた。
部屋に帰ってから準備をしていたら何か知らないが時間が経ってしまった。
でも準備完了。
あとは日記を書いて。風呂入って。食事して。寝る。
明日が楽しみだ。
こんなに翌朝になるのが楽しみに感じるのは僕は珍しく感じる。
ありがたい。
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Today my bag is packed
今回は政治の中心都市ワシントンDCだ。
どんな熱いライブを展開してくれるか、
僕も熱くなってきた。
荷造りは早くも完了。
と言っても何も持っていく物は無い。
着替えとチケットだけだ。
何か仕事の帰りに「across the border」が浮かんできた。
初めてアメリカに行ってブルース・スプリングスティーンのライブを観た時、
感謝で温かい涙が流れた。
今回は3回目のアメリカ。
僕は今回のライブ、成功しなければいけないに気持ちがなっていた。
大丈夫だ。全力で準備したのだから。
体で感じることだなと思う。
僕は長時間CDを聴いて3時間、4時間のライブに備えてきた。
この1カ月で盛り上がった。
今気がついたことがある。
ブルース・スプリングスティーンは各アルバム、各ツアーごとに
それぞれ題材を提供して皆に考えさせる。
ブルースも考える。
ライブでもそう。
そして僕達も考える
僕達もライブで成長する。
僕がアメリカに行けるのもブルースのおかげ。
アメリカに行って考える。
そして何かを感じて来る。
僕は成長していく。
今回のツアー
「We take care of our own」「お互いに支え、支えてもらう」
そして「人の死と何世代に渡る人の営み」
学ばせてくれる。
考えさせてくれる。
体験させてくれる。
「care for each other」「お互いに関わる」のだと
いよいよライブも間近。
鳥肌が立ってくる。
僕はこの3時間のライブの為に3年間一生懸命生きてきた。
ブルースを追いかけていろいろな体験をさせてもらっている。
いろいろなこころある人に出会えた。
14日のライブ。
僕はライブの5曲目位の「WRECKING BALL」で声は枯れてしまうかもしれない。
その時に、それから先に
何かが見れるのではないかと思う。
何が見えるか楽しみだ。
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ブルース・スプリングスティーン2012ライブ準備その15「THE RISING」
ワシントンDCでのコンサート。
その準備も大詰めになった。
今日はアルバム「THE RISING」を聴いた。
僕は今まで、今でもこのアルバムをどう評価していいのかわからないでいる。
アメリカでの同時多発テロ、9.11の直後に出されたアルバム。
僕はこの時のアメリカの対応に疑問を感じてきた。
アメリカはこのテロの後、アフガニスタン侵攻、イラク攻撃へと進んだ。
僕はこれには反対だった。復讐では解決しないと思った。
でも当時のアメリカ国民の大多数はこれに賛成して
当時の大統領の支持率も異常に高かったのを覚えている。
これにブルース・スプリングスティーンはどういうスタンスを取っていたのかが
僕は分からなかった。
それで僕はこの時の「ライジング・ツアー」には距離を置いた。
今日アルバム「THE RISING」を聴いた。
今も僕は分からなかった。
それぞれの曲が9.11を思い出す。
今も分からない9.11の時の気持ち。
復讐だけなのか。
悲しいということは僕にも確かだ。
これでもかと思いだす。
繰り返し歌うことでブルース・スプリングスティーン的な癒しになっているのかなと思う。
ブルース・スプリングスティーンは曲でもライブでも何度も何度も同じフレーズを繰り返して、
そこに気持ちを持たせることをしていると僕は思う。
そんなことを考えたらふと気がついた。
アルバム「ザ・ライジング」の曲「LONESOME DAY」にしても「MY CITY OF RUINS」にしても
喪失感を歌っている。
これは今回の「レッキング・ボール・ツアー」での喪失感、
バンドメンバーのダニー、クラレンスの死についての喪失感と重なるのだと。
僕はやっと今になって気がついた。
つまり「THE RISING」も一つの喪失感から多くの解決法を探ろうとしていると見ればいいのでは。
「WRECKING BALL」でメンバーの死から多くのことを学ぼうとしているように。
今回の「レッキング・ボール・ツアー」で演奏されているアルバム「ザ・ライジング」からの曲
「LONESOMEDAY」「MY CITY OF RUINS」は喪失感を深く感じる。
そして「WAITIN'ON A SUNNY DAY」でのある種の開き直りを。
気がつけば明白なことなのだけれど僕は今気がついた。
ライブに間に合ってよかった。
そして僕もコンサート会場で
COME ON RISE UP!
と大声で叫んでこよう。
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ブルース・スプリングスティーン2012ライブ準備その14「BORN IN THE U.S.A.」
いろいろ話をした。
そして僕が今回のライブ観戦を「難しく考えないで楽しんでこよう」と言った。
母が「そうだよ」と言った。
その後、部屋に戻り少し眠ってから課題に取りかかった。
今日はアルバム「BORN IN THE U.S.A.」
これが僕にとり一番リアルタイムなアルバムだと思う。
自分の部屋で何度も何度も聴いた。
今はいろいろあるけれど、やはり僕はアメリカに憧れていた。
希望のある国。かっこいい夢をかなえる国と感じていた。
久しぶりにタイトル曲「BORN IN THE U.S.A.」を聴いたら、
この曲はやはり愛国歌と受け取られるのも分かると思った。
"I was born in the U.S.A."
というフレーズが印象に残る。
そして僕のあの頃がうかぶ。
僕は行かなければどこかにと必死で思っていた。
部屋の中で大音量でかけて大声で歌っていた、時には涙を流しながら。
今このアルバムを聴いたらシンセサイザーの使用の為もあるのか
軽い音のように感じた。
80年代の音かなと思った。
今のブルース・スプリングスティーンは「レッキング・ボール・ツアー」
では生の音というか肉体からの音を出しているなと思った。
そして僕が行く「レッキング・ボール・ツアー」で
今のブルース・スプリングスティーンが、そして今の僕が
どうこのアルバム「BORN IN THE U.S.A.」を聴くのかが楽しみだ。
「BORN IN THE U.S.A.」の後半の曲「NO SURRENDER」「BOBBY JEAN」の2連発はやはりいい。
切ない気持になる。友情に憧れる。涙が出てくる。
「BOBBY JEAN」の最後、クラレンスのサックスが入るともう何とも言えない気持ちになる。
そして「DANCING IN THE DARK」
僕はこの曲を自分の部屋で大きな音で聴いて一人でおどっていた。
あの頃を思い出す。
今は一回はライブで会場で聴いてみたいと強く思う。
これが出来れば僕の中で何かにOvercome、打ち勝ったことになるような気持ちがする。
前回観に行った時に会場で「THUNDER ROAD」をブルースと皆と歌ったのと同じように。
そして「MY HOMETOWN」はやはり僕は苦手なままだった。
結局僕はどこにも行けないのかと当時この曲を聴くと思い知らされた。
今聴いたらブルースが曲の最後に言う"This is your Hometown."が耳に残った。
まあしょうがない。いいだろうと今の僕は思えるようになれた。
何にしてもこのアルバムは僕の人生の中で一番重要なもだというのが
今聴き終わって感じるところです。
僕が行くワシントンDCでのライブ。
難しいことを頭だけで考え過ぎないで楽しんでこよう。
その中で僕の体で何か感じられたらいいと思う。
いよいよ本番が迫って来た。
この過去のアルバムを聴くシリーズは最後「THE RISING」を聴いてまとめようと思います。
9.11の直後のライブ。
どうなるかです。
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ブルース・スプリングスティーン2012ライブ準備その13「NEBRASKA」
ライブを観に行くまでもうほんのわずか。
僕の気持ちは盛り上がってきた。
ライブ当日の天気は今のところ晴れとなっている。
最高気温25度、最低気温15度位のようだ。
少し夜が涼しいというか寒いかもしれないと思う。
野外の野球場でのライブなので出来たら雨だけは勘弁して欲しい。
でも雨が降っても僕は「WHO'LL STOP THE RAIN」を聴けたと喜ぶだろう。
僕はそういう性格だ。
ただ雷、竜巻の予想で中止、延期だけは本当に無しにしてくださいと思う。
今までのブルース・スプリングスティーンのアルバムを聴いている。
今日は「NEBRASKA」
このアルバムは前作「THE RIVER」がもの凄く好きになり、
僕は期待して発売初日に買って聴いた思い出がある。
でも予約特典のポスターも良く分からない車の運転席からの
荒れ地の写真にがっかりした。
そして歌詞を見ながら聴いた。
当時のLPレコードのジャケットサイズ一面に歌詞が載っていた。
赤地に黒の文字だったか、黒地に赤の文字だったか忘れたが、
赤と黒の紙をずぅーと眺めながら聴いて、
聴き終わって歌詞から目を離して前を向いたら、
赤と黒だけを見ていた為か視界が白黒のセピア色に僕の部屋全てが見えたのを覚えている。
怖かった。
この光景とその時の僕の気持ちは今でも「NEBRASKA」を聴くと思い出す。
僕は当時浪人生だったと思うが、本当に楽しみにしていた
「THE RIVER」の次作だったのだが、
正直なところがっかりした。
当時の僕にはEストリートバンドのきらきらした熱い演奏を期待したのとは異なり、
地味なアコースティック的な作品についていけなかった。
初めてのリアルタイムでのブルースとの出会いはほろ苦かった。
でも今聴くとすごく熱い血を感じる。
静かだけれど内に詰まっているエネルギーの強さに圧倒される。
ブルース・スプリングスティーンの懐の深さを感じる。
今ならわかる。
そしてそれぞれの曲に出てくる人の姿が浮かんでくる。
今回の「レッキングボールツアー」ではあまりこのアルバムからは演奏されていないようだけれど
「ATLANTIC CITY」はアルバム「レッキング・ボール」の曲「EASY MONEY」とつながると思う。
彼女とふたりで勝負に出る。ダメかもしれないけれど行かなければいけないと。
僕はこの曲の歌詞にあるのだが、状況はきつい中でそれでも
「ずっとあなたと一緒にいる」
という歌詞を僕はずっと気にしている。
僕もこれを言えたら、言いたいと思っている。
これが「レッキングボールツアー」にもつながるのだと僕は思う。
一人で生きているのではない。
いろいろな人と影響を受けながら、支えられて支えながら生きているのだと。
僕はそう感じる。
そんなことを思うと今回のレッキングボールツアーを二人で観られるというのは、
すごく向いていると思う。
楽しみだ。
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ブルース・スプリングスティーン2012ライブ準備その12「THE RIVER」
もうあとわずかになった。何となく心配に感じている。
お世話になっている人に僕が「開き直って行ってきます」と言ったら
その人が「そう言っている事自体が違う。楽しんでくるだけでしょ」
と言ってくれた。
まさにその通りだと思った。
今日はブルース・スプリングスティーンのアルバム「THE RIVER」を歌詞カードを見ながら聴いた。
最初の曲「THE TIES THAT BIND」いつもは何となく聴いているのだが、
今日はすごく引っかかった。
人とのきずな。この大切さを訴えている。
歌詞には「隠し続けるこころの空しさを感じるよりも、相手を求めて傷つきたい」
とある。
このアルバムには人とのきずなを求めて傷ついている姿。でも人を求めている姿が現れる。
「TWO HEARTS」にも「THE RIVER」にも現れる。
「THE RIVER」には
「夢を持つことは、もしそれが実現出来なければ嘘をついたことになるのか?」
ととても厳しい言葉がある。
僕はそれを聴いても、それでも僕は人を求めて夢を持ちたいと今思っている。
そしてブルース・スプリングスティーンはずっと僕のテーマである『居場所』
を求める人を描き続けているのだと
今更だけど気がついた。
このアルバムはサウンドのノリ、グルーブ感が凄い。
この時期が一番Eストリートバンドに勢いがあったと僕は思う。
そしてクラレンスのサックスが随所に入ってくる。
熱くて温かい。やせ我慢で肩に力を入れて必死でいる僕をやさしく包んでくれる。
でもどうも僕は昔から、このアルバムの2枚目が苦手に感じる。
2枚目を聴いていると寒くなってくる。
夢を持つことの責任。払うべき代価。
聴いていて押しつぶされそうになる。
僕はこの代価を払えないと思い、家庭を持つのをあきらめた。
でも僕は過去のことは過去のこと。
居場所を求め続けていきたいと今の僕は思っている。
その旅のGood Companionをブルースにしてもらっている。
そう考えると今回のコンサートを観ることが、
すごく僕に大切なことなのだと思ってきた。
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