自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
「風よあらしよ」村山由佳さんを読んでの感想
伊藤野枝と野枝が関わった女性解放運動で知り合った人たちの話。
僕は勉強不足なのだろうけれど、フェミニズムと言っていても女は男に左右されるのかな。
何だかんだあっても女性は男性におぼれるのかなと思ってしまいました。
そして僕はある女性とどのように付き合って行ったらいいのかと考えながら読みました。
男はつらいよな。女に捨てられないようにしないと。
この話はドロドロだな。フェミニズムなんて言ってられない。
革命、社会主義と言っていても内輪もめもあるのだな。
僕は辻潤に成るか大杉栄に成るか?
大杉に成りたいけれど辻に成りそうだな。
でも野枝と大杉の二人の人生はすごく濃いと思います。二人が幸せだったか分からないけれど濃い人生を送ったのだなと思いました。
でも僕はあっさり平穏な人生をこれから先に送りたいなとも思いました。彼ら二人のような人生は疲れるなと思います。
文庫本の解説が上野千鶴子さんだったのも興味深かったです。
でも解説はあっさり事実を書かれていました。
僕はフェミニズム運動の現状そして限界のような話を聴きたかったです。
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「環状島へようこそ トラウマのポリフォニー」宮地尚子先生を読んでの感想その2
環状島という模型を前に置いているイメージで相手と話すと自分や相手の話が分かりやすいと思いました。
今の自分は環状島のどこに居るのかをイメージすると相手にそして自分も自分を理解しやすく成ると思います。
これから僕も使っていこうと思います。
この本は環状島のイメージでの対談集。対話されている話を読んでトラウマの様子が少し分かって来たと思いました。
そして環状島は僕の他人事メソッドに似ていると思いました。
困ってバタバタしている僕を頭の中でもう一人の自分が実況アナウンサーに成って実況中継する。
すると困っている僕は素に戻り楽になる。
そんなイメージは環状島の模型を前に置いてながめるのと似ていると思います。
ただ注意点として、環状島のどの場所で見ているかで環状島の見え方が違う。
環状島の頂に立っている人は山に登っている人を見て、そんな道を行かなくてもいいのに、こっちの道の方が進みやすいのにと思ってハラハラしながら見ている。
でも山を登っている最中の人は足元と周囲を覆う木々しか見えていない。
それを意識しているのが大切。
一番つらいのは同じものを見ているはずだと思い込み相互に誤解を増幅してしまうこと。
僕の他人事メソッドは山の上で、あるいは島の上を飛行機でながめているのだと思う。
そこに今回の環状島のイメージを重ねるとより自分の立ち位置が分かるなと思いました。
これからは他人事メソッドでの立ち位置が違う環状島モデルもイメージして楽に生きる方法を見つけていきたいです。
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「環状島へようこそ トラウマのポリフォニー」宮地尚子先生を読んでの感想その1
トラウマが専門らしい先生の著書で環状島という概念が出て来ました。
(内海)をもつ島。
(内海)は被害者が居る。地上に出られずに沈んでいる人。ショックが大きいままで語ることが出来ない状態。
(波打ち際)声を出せない被害者とかろうじて出せるようになった被害者が連なっている。いったん海から出られても(重力)とも言えるトラウマ反応や症状が強くなれば海に引き戻されてしまう。
(内斜面)声を上げることが出来る被害者が居る
(尾根)被害者のピーク
(外斜面)支援にあたろうとする人が位置する。
外からやって来る支援者は(外海)から(外斜面)に上陸して被害者に近づいて島の内側にいる被害者を引き上げようとする。
(外海)傍観者、ハラハラしながら起きていることを見ている人などがいる。
(さらに沖)出来事自体を知らない無数の人たちがいる。
そしてその環状島には力が働いている。
(重力)トラウマ反応や症状。被害者はつねに重力がつきまとい(内斜面)に居た人も(内海)に滑り落ちてしまうことがたびたびある。(外斜面)に居る人も(重力)の思い負担で支援を止めて(外海)へ戻ってしまうことがある。
(風)対人関係の問題。さまざまな風が吹く。
(水位)トラウマに対する社会の否定や無理解。その程度が強いほど水位が上がり被害者も支援者も水中に没してしまう。
これを僕はすごく分かりやすいモデルだと思いました。
そしてこのモデルを使って思い浮かべればトラウマの人たちの位置関係だけでなく社会のある特定の問題への関心の度合い。
個人の何かの困難への自分が置かれている位置の把握にも使えると思います。
すごく可視化されて分かりやすい。自分や自分たちの今置かれている位置が分かり自分を客観的に見ることが出来ると思います。
僕の他人事メソッドにも通じると思う。
何となくもやもやした状況を客観的に分かりやすくとらえられる。すごく良いと思います。
僕はこれからこの環状島モデルを自分の状況把握に使おうと思います。
そしてこの本でトラウマの実態を学んで行きます。良い本に良いアイデアに巡り会えました。べてるに感謝です。
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べてるの家の「非」援助論を読み返し始めました
そうだ僕はこのべてるに憧れて来たのだ。
きれいな世界よりももっと豊かな世界があるのだ。
ある意味僕には衝撃的だった。
僕は真面目に正しいことをするのが一番良いと思っていた。
でもそれは子供の夢。もっと充実した生活をするのだ。
10年前だかに読んで僕が本に線を引き、書き込んだ文章を読んで思い出しました。
そうだべてるはきれいごとでない、本当の人生を生きる場所なのだ。僕はそれに憧れて浦河に来たのだ。
でもその世界は今は薄れて色あせてしまっているように僕は思っている。でもまた僕はそれをもう一度みんなと作り上げていきたい。
最近来られたお客さまにオリエンテーションでこの本を紹介しているので、いい加減な紹介は出来ないなと思いもう一度読み返し始めました。
今日は疲れたのでべてるは休むことにして1人で昔読んだ本を取り出して読みました。
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「福音と世界 2024年8月号 新教出版社」の感想
べてるの人たちは浦河教会で聖書を救済する側でなくて救済される側に成って聖書を読んでいるという記述に僕もそうだなと思いました。
だから僕も神さまのことをよく見えるのかなと思いました。
べてるの家の先駆者の人たちはただ一生懸命に教会堂で生きて来たのかなと思いました。
そこに僕も加えて欲しいなと思いました。山本光一先生「浦河教会とべてるの家」
そして津田沼教会でお世話に成った栗原先生。いろいろ積極的に活動されて来たのだな。
津田沼教会でも熱く説教の時に話されていたのを思い出しました。
「使徒信条」で「ポンテオ・ピラトの下に十字架に付けられ」と僕も読んでいるけれど何となくそのまま読んでいたと気が付きました。政治に無関心ではいけない。平和を作り出すには発言しなければと思いました。栗原茂先生「平和を作り出すために」
僕の知り合えた二人が同じ本に載っている。偶然か必然か分かりませんがおもしろいなと思って読みました。
「福音と世界 2024年8月号 新教出版社」
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