自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
べてるの家の岡本勝さんをしのぶ会
僕にとって岡本勝さんは本の中の人。
僕が3年前にべてるに来た時には岡本さんは脳梗塞か何かで半身不随になられていた。
たまに介護が中心の場所から出て来るのを見かけたけれど僕は一言も話したことが無いまま岡本さんは亡くなられてしまった。
話しかければよかったかなと思いました。
しのぶ会に出席した人が一人ずつ岡本さんの思い出を話した。
女性は全員抱きつかれたと話していた。
「おーいい女だな」と言って抱きついて来たという。
今なら完全にアウトだけれど岡本さんは大丈夫だったよう。
さらに立ちションをしていたと何人もの人が言っていた。
それでも岡本さんは愛されていたようで、僕は不思議だなと思った。
何か魅力があったのだと思う。僕もそこを知れたらよかった。
僕は岡本勝さんはべてる的な人なのだと思う。
今の僕の常識から見ればどうしようもないセクハラおやじなのだけれど、
ずっとその姿勢を通したのはさすがだと思う。
そして昭和的なそういうべてるのメンバーは亡くなられて少なく成っている。
だから僕はそういうべてるの創生期のメンバーに学びたいと思いました。
またそういう目で見ると、僕は良いこととは思わないけれど、一部のメンバーのセクハラ的な行為も納得がいく。
今では許されないけれど当時のべてるではありだったのだろう。
そして今のべてるにきゅうくつさを感じている人もいるのだろう。
まあセクハラ行為は僕は認めないけれどべてるの40年の歴史の中に学ぶ物も多いだろう。
僕もせっかくべてるに来たのだから創生期のべてるの魅力を学びたい。
早坂きよしさんが耳や鼻をかじりあった仲だと岡本さんとのことを話していた。
でも僕はそういう仲には成りたくないなとも思う。
べてるの40年の歴史かな。
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現代のエスプリ「精神障害」を生きる1998/2至文堂
いいな昔の作業所の雰囲気を感じる。みんな一生懸命社会復帰しようとしていたな。いろいろなこころある人に感謝だな。
座談会、生良さんも積極的に発言している。
みんなで作ってみんなで使う作業所。
いろいろな人のいろいろな役割
地域で生きていくことが出来るのだを大切にしてきた
べてるの出発のコンセプトは「苦労しよう」
依存しながら自己主張が出来るのが自立
失敗するチャンス
そんなことが書いてありました。
でも今のべてるはどうなのか?
理想は色あせて来て社会参加というよりも施設内で時給400円の内職的仕事に満足している。
もう「商売しようぜ」「ひともうけしよう」というやる気は少なくなっている。
べてるはいわゆる普通の作業所に成ってしまったと僕は思う。
それもそれでいいのだろうしメンバーもそれを望んでいるみたい。
そこで僕はどうするか?
その中で僕はべてるの3Sという作業よりもミーティングを重視するグループに入った。
何となくもしかしたら昔のべてるにあったらしいワクワク感を得られるかもしれないと思っています。
この本に千葉病院のソーシャルワーカー漆原和世さんの文章があった。
千葉病院、ほっとハート市川、なつかしいな。
僕も通院していた。見学も行った。
漆原さんも遥か昔に見かけたことあった。
僕は隣の習志野市に住んでいたけれど、わざわざ市川市に引っ越す人もいたとお母さんが話していた。
そんな頃を思い出しました。
この本で僕の歴史が今とつながった、何かせつなくうれしく感じました。
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べてるの家の「非」援助論を読み返し始めました
そうだ僕はこのべてるに憧れて来たのだ。
きれいな世界よりももっと豊かな世界があるのだ。
ある意味僕には衝撃的だった。
僕は真面目に正しいことをするのが一番良いと思っていた。
でもそれは子供の夢。もっと充実した生活をするのだ。
10年前だかに読んで僕が本に線を引き、書き込んだ文章を読んで思い出しました。
そうだべてるはきれいごとでない、本当の人生を生きる場所なのだ。僕はそれに憧れて浦河に来たのだ。
でもその世界は今は薄れて色あせてしまっているように僕は思っている。でもまた僕はそれをもう一度みんなと作り上げていきたい。
最近来られたお客さまにオリエンテーションでこの本を紹介しているので、いい加減な紹介は出来ないなと思いもう一度読み返し始めました。
今日は疲れたのでべてるは休むことにして1人で昔読んだ本を取り出して読みました。
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他人事メソッド英語版 Broadcasting Method
他人事メソッド英語版ありがとうバージョンを発表しました。観てみてください。2024.7.19@べてるの家
MVI 9416 2024 7 19他人事メソッド英語版 Broadcasting Method
MVI 9416 2024 7 19他人事メソッド英語版 Broadcasting Method
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当事者研究の暴力性
僕が居場所で大事にされていないと感じる。自分の話を聞いてもらえないのが不満だと話しました。
それについて話し合ったら「自分のことを聞いてもらえないと僕が感じている」ことについて研究しましょうと成りました。
それで僕はよし。研究しようと思いました。
でも翌日に成って何かおかしいと感じました。
「自分の話を聞いてもらえないと僕が感じる」のではなくて「実際に自分の話を聞いてもらえていない」のだと思いました。
僕はこれは危険。
1人の考えていることを強制的に考えないようにさせると思います。
研究の前提を強制的に決められてしまう。
これは当事者研究の暴力だと思いました。
そして僕は当事者研究を上手くまとめようと考えるので研究の前提を鵜呑みにしてしまう。
研究の行き着く先を初めから決められてしまう。危ないなと思いました。
後日に僕が信頼している診療所のソーシャルワーカーさんにこの事を話したら僕の話を信用してくれて「自分の話を聞いてもらえない時に僕がどうするか」の研究をしましょうとしてもらいました。
僕はうれしかったです。
それから居場所に見学に来ている人がいて、僕はその人はみんなに自分の話を聞いてもらっているように見えていいなと思っている人にみんなと接していてどう感じているか?どうしたら自分の話を聞いてもらえるかインタビューしようと成りました。
そのソーシャルワーカーさんとの面談の後にちょうどその人を見かけたのでさっそく聞いてみました。
すると「私は相手の話を聞く時間の方が自分の話をする時間よりも圧倒的に長いです」と応えてもらいました。
僕はそうか。僕は自分の話を聞いてもらえないからと思って相手の話も聞いていなかったと思い当たりました。
そういうことで僕の「自分の話を聞いてもらえない時に僕がどうするか」の研究を進めています。
これから更にインタビューをしていきデータを取っていきます。
当事者研究は万能のようでいて使い方を間違えると相手の話を封じ込める暴力に成るので危ないところがあるのだと僕は思いました。
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半々メソッド
来週からのニューべてる復帰について考えている。
結局僕はべてるに求め過ぎているように思う。
もっと軽くて楽しければもうけもん。上手くいかない日もあると思うと良いかもしれない。
浦河べてるに足を全部置かない。半分は浦河べてるだけど、半分は千葉に。
半分は当事者研究だけど半分はブルース・スプリングスティーンの追っかけ。
その方が柔軟に生活出来ると思う。人付き合いも柔らかく出来ると思う。
僕は半々メソッドと名付けました。
写真の青い花は近くの花屋さんで買って来て植えました。元からある赤い花と青い花がいい釣り合いに見えます。これも半々メソッドかな。
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べてるの家応援カンファレンス
僕はあきらめずに自分の思いを話してその結果で分かり合えたと感じました。
僕と相手の職員、悦子さん、ゆうこさん、PSW、カフェぶらの職員3人、メンバー2人が集まってくれました。
最初に僕が相手の職員から受けた嫌な思いを話しました。
すると僕の特性である、特定の人を嫌いになり気にして攻撃するロックオン現象だという話に成りました。
でも僕はそこでべてるで僕は大事にされていないと感じている。と話しました。
そしてまずは相手の職員に謝ってもらいました。
ていねいに心から謝ってもらったと僕は感じたので僕は分かりましたと言いました。
そこから流れがぎくしゃくした物から率直な雰囲気に成りました。
僕はニューべてるでまた活動したいと言いました。
また僕の大事な話をスルーされるのはすごく嫌な気持ちに成る。
べてるは一人で何とかやれる人には放置して何とかさせて我慢させて、そして知的障害の人や爆発する人にばかりケアが行くのが不満だと話しました。
そこから日々の対話は大切だねと共有出来ました。
僕は2週間に一度職員さんに30分間面談してもらい課題をピックアップして、それをニューべてるトリプルSでメンバーに話してみることにしました。
終わりにそれぞれ感想を言いました。
助かっていると日々伝えないといけないねと職員の人が言っていました。
またスルーすることも大切だけどあえてスルーしないのも大切だなと思いましたと職員さんが言っていました。
今回僕はスルーしないでこだわった。
それにより対話の大切さ必要さをみんなで共有出来たと思います。
悦子さんが歴史的に残るカンファレンスだったと大げさに言っていたけれど僕の歴史に残る話し合いでした。よかったです。
あとはメンバーの人が途中で抜けてしまったのが残念でした。これからはメンバーとどう関係を築いていくかも課題に成ると思います。
ロックオン現象よりも対話不足だったというのが発見でした。
僕が言い張った甲斐がありました。
あと相手の職員さんは耳が悪いという事を今回聞いてだから大声で話しているのかと思いました。
昔の政治家が「話せば分かる」と言ったらしいですが、まさにそうだなと思っています。
まだやっとスタートラインに戻れただけだけど僕はまた頑張ってみようと思います。
みなさんに心配かけてしまいすみませんでした。僕はまた動き始めます。
写真は最近のルピナスの丘です。水仙の花が咲いています。お礼です。
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「当事者研究カフェ経験は宝」僕のBruce Springsteen追っかけ人生2024.3.18@浦河カフェぶら
当事者研究カフェとして僕の当事者研究の発表をしました。
他人事メソッドも入れて僕の発病からリカバリーを話しました。
僕のリカバリーにはブルース・スプリングスティーンが密接に関わっています。
僕の人生を聴いてください。20分ほどの動画です。
MVI 7667当事者研究カフェ経験は宝 大矢英明 僕のBruce Springsteen追っかけ人生2024.3.18@浦河カフェぶら
他人事メソッドも入れて僕の発病からリカバリーを話しました。
僕のリカバリーにはブルース・スプリングスティーンが密接に関わっています。
僕の人生を聴いてください。20分ほどの動画です。
MVI 7667当事者研究カフェ経験は宝 大矢英明 僕のBruce Springsteen追っかけ人生2024.3.18@浦河カフェぶら
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当事者研究の目指すところ
Zoomでの聞き取り。合同、個別それぞれで合計4回目最終回でした。
当事者研究をして来てよかったこととして僕は浦河に来れたのも当事者研究をして来たから来れた。
良くも悪くも当事者研究を学ぶことで浦河に来れました。
そして浦河に来て自分のことだけでなくみんなでいろいろな困ったことを当事者研究出来ていると話しました。
でもみんなと一緒に居るのが大変、
でも自分の考えていることや想いを当事者研究を通してみんなに伝えられましたと話しました。
そして当事者研究とリカバリーについて聞かれたので僕は当事者研究的にはリカバリーは病気に成る前の100%の自分に戻ることは出来ない、しないのが正解と言われている。
だけど僕はこれだけはやりたいという事はやりたいでやって来た。と話しました。
気象予報士にしてもブルース・スプリングスティーンにしてもこれはゆずれない僕の生き方だと思いました。
そして浦河で僕はみんなのことも当事者研究出来ているのがよいことですと話しました。
まあ僕は自分自身のことは千葉でも当事者研究をして来た。
そして浦河ではもっと広く他の人たちと当事者研究をして来たのだなと思いました。
良い振り返りが出来ました。
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「吃音の当事者研究」どもる人たちがべてるの家と出会った 向谷地生良 伊藤伸二 著を読んでの感想
この本はどもる人たちの自助グループ代表の伊藤さんがどもりの当事者研究のワークショップに向谷地生良先生を招いて開いた時の記録本です。
生良先生が当事者研究の紹介をした時の話が僕に新鮮で、そうだ当事者研究はこうだったなと思い出せました。
その現実にどんな態度で向き合うか。
それをどういう出来事として扱おうとしているか。
当事者研究は生活の中から研究の素材を見出して、それを研究テーマとして、そのテーマの背景にある事柄や経験、意味などを見極めて、ユニークな発想で自分に合った「自分の助け方」や理解を見出していく。
〇当事者が苦労の主人公
〇どんなに困難でも、その場、仲間、自分の経験の中に困難を解消する大切な知恵があると考える
〇仲間とともに「研究する」という視点に立ってワイワイガヤガヤと語り合い、出来事や苦労の起こるパターンや仕組み苦労や困難の背後にある意味や可能性を見出す。
〇即興的(偶然)に生まれるユニークな理解やアイデアが「自分の助け方」の発見につながる
〇「態度」「とらえ方」「立ち位置」の変更を基本とし、問題が「解決」されなくても「解消」されることを考える
そして「治る」のを目指すのではなくて生きづらさを生きやすくする。どう治すかでなくどう生きるか。
そして何かあったら研究しようと考える。
当事者研究は楽しいもの。つらい時や気乗りしない時は入口が違っているかもと考える
その中で自分たちが機嫌良くしている。吹いて来る冷風には温かい風を送り続ける
「したたかさ」「ユーモア」「にもかかわらず生きる」
ここが僕が思うべてるのすごいい所かなと思います。今はだいぶ薄れてしまったかもしれませんが。
この本のどもり当事者の伊藤さんは必死に闘っているけれど生良先生はしたたかに生きて来たと僕は思います。そして機嫌良くしていると人が集まって来る。この機嫌良くしているというのを僕も忘れてしまっていたなと思いました。
また当事者研究を実践して行こうと思いました。
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「弱さの情報公開--つなぐーー」の読書会に参加しました
僕はべてるの家に2年間居て慣れでしまい気が付かないことも出て来たと思い、一般の人がべてるの家にどう興味を持っているかを知りたいとも思い参加しました。
僕はべてるの家に不満もあるけれど、べてるのみんな弱さを出していると思う。べてるの家はそれなりに弱さを出せる場なのだと思います。
そして僕はべてるのみんなは自分で意識して弱さを出しているというより、自然に勝手に出てしまうのではと思いました。
強さでつながっているチームはもろい。
弱さは慣れないと出せないのでは?
弱さの反対が開き直りなのでは?でも出てしまう弱さ。
エガちゃん、江頭さんは上手く弱さを出している。ダメさ加減を憎めないで表現する人。人の心をつかむ。弱さと強さは同じでは?
確かにエガちゃん、江頭さんを僕もyoutubeで観たらいいなと思いました。優しく弱さを出しているなと思いました。
弱さを出すには通過儀礼がある。殻を破る。周りの先人に学ぶ。ひと皮むける瞬間があるはず。
僕も弱さを出す達人を目指そう、それが僕がこれからべてるに居る目標かなと思いました。
2日目では僕はべてるの理念を想いました。
そこで「3度の飯よりミーティング」に本で再会しました。
そうだこれだ。今のべてるにはこれが薄れていると思いました。
何か有ったらすぐ集まって話し合う。食事なんかよりも大事だと。
それが今はさあ昼ごはんちゃんと食べましょう。晩ごはん食べて規則正しく生活しましょうと言われる。
そこが今のべてるで無くなってしまった理念だと思いました。
僕はもっとミーティングに参加していこうと思いました。
そして「降りていく生き方」は聴き取りやすい、耳に優しいフレーズと話される人がいてなるほどと僕は思いました。
僕は降りていく生き方が今一つ分からないでいます。
僕は目標を立てて努力して達成してそれを喜ぶ。僕はそんな生き方を理想として来た。それなのに求めていく生き方はダメと言われた気がしました。
でも自分をみがきたいというのは降りて行く生き方と両立する。
物を持たない生き方。
自分らしさ自分探しを今までして来たけれど分からないという人に頑張り過ぎないでと言うのは良いと思う。
出来たことに人はうれしい。でも追及し過ぎると無理がある。人にもそれこそ地球にも。
僕は足るを知る。謙虚に成るのが大切かなと思いました。
そしてべてるの家の現在の話になりました。
この前のオリーブ通信すごくよかった。
自己病名で語り合うといい。
弱さを武器に弱さ自慢をするといいかも。
安心していると弱さを出せる。
べてるの家は一般的な所に成ってしまった。
キヨシさんも3分間しか作業出来なかったのが今は1時間作業出来てしまう。
べてるが常識的に成ってしまった。他の作業所と同じに成ってしまった。
そして最後、やはり自分が心地よい、相手にも心地よいのがいいですねという話に成った。
僕はべてるの家は何だかんだあるけれど、弱さを出せる貴重な場なのかなと思いました。
今回僕は一般の人の参加する読書会でべてるの家を少し離れてながめられてべてるにも良い所があるのだなと気が付きました。
感謝です。
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これが僕の生きる道
「これが僕の生きる道」
僕は目標を持つと頑張れる。はっきりとした目標を持とう。
来年の3月末にサンフランシスコでブルース・スプリングスティーンのライブを思う存分楽しむ。
そしてそこで出会うファンの人や現地の人と話が出来るように英語を勉強する。
これをこれから5か月していこうと思う。
目標を持ちそれを達成して獲得して生きて行く生きかた。
僕は今までいくつもの目標を作り努力してそれを達成して喜ぶ生き方をして来た。
この前、浦河教会で牧師先生が話した説教では車を持ち、家を持ち、家族を持ち、子供を持ちという生き方には無理があると話していた。
それをしないことがべてるで言う「降りて行く生き方」なのだとすると僕はそれに反する生き方になるかもしれない。
でも僕はみんながそれぞれ自分なりの目標を持てばいいと思う。
それがシンプルでいいと思う。
「上る生き方、降りない生き方」と「目標を持って生きる生き方」とは違うと思う。
僕は僕ならではの目標を持って生きていきたいと思う。
べてるの人には「降りて行く生き方」をしなければいけないという同調圧力があると僕は感じる。
目標を持って努力しようとすると、あの人は自分達と違うと言われる気が僕はする。
僕はもっと自由にみんながやりたいことをやればいいのにと思う。
今のべてるは「降りて行く」のがべてるのやり方で、そうしないといけないという雰囲気に支配されていると僕は感じている。
そこが僕がべてるに来て感じて来た違和感なのだと思う。
無理しないで流れにまかせるのは自然な生き方でいいと僕も思う。
でも目標を持って自分なりの生き方をしようとするのをあの人は自分達と違うと言われては僕はどうすればいいのだと思ってしまう。
そこであえて僕は嫌われてもいい。
やりたいことをやると言えたらいいと思う。
それを浦河で出来るか挑戦したい。
僕は目標を持つと頑張れる。はっきりとした目標を持とう。
来年の3月末にサンフランシスコでブルース・スプリングスティーンのライブを思う存分楽しむ。
そしてそこで出会うファンの人や現地の人と話が出来るように英語を勉強する。
これをこれから5か月していこうと思う。
目標を持ちそれを達成して獲得して生きて行く生きかた。
僕は今までいくつもの目標を作り努力してそれを達成して喜ぶ生き方をして来た。
この前、浦河教会で牧師先生が話した説教では車を持ち、家を持ち、家族を持ち、子供を持ちという生き方には無理があると話していた。
それをしないことがべてるで言う「降りて行く生き方」なのだとすると僕はそれに反する生き方になるかもしれない。
でも僕はみんながそれぞれ自分なりの目標を持てばいいと思う。
それがシンプルでいいと思う。
「上る生き方、降りない生き方」と「目標を持って生きる生き方」とは違うと思う。
僕は僕ならではの目標を持って生きていきたいと思う。
べてるの人には「降りて行く生き方」をしなければいけないという同調圧力があると僕は感じる。
目標を持って努力しようとすると、あの人は自分達と違うと言われる気が僕はする。
僕はもっと自由にみんながやりたいことをやればいいのにと思う。
今のべてるは「降りて行く」のがべてるのやり方で、そうしないといけないという雰囲気に支配されていると僕は感じている。
そこが僕がべてるに来て感じて来た違和感なのだと思う。
無理しないで流れにまかせるのは自然な生き方でいいと僕も思う。
でも目標を持って自分なりの生き方をしようとするのをあの人は自分達と違うと言われては僕はどうすればいいのだと思ってしまう。
そこであえて僕は嫌われてもいい。
やりたいことをやると言えたらいいと思う。
それを浦河で出来るか挑戦したい。
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当事者研究全国交流集会浦河大会に参加しました
昨日浦河で当事者研究全国交流集会がありました。僕はポスター発表と分科会「おーい。老い」に参加しました。
僕の考えていることを話しました。そしてみなさんの感想、考えを聞きました。
僕はすごく温かい気持ちに成りました。
僕はみんなと上手くやらなくてはいけないとずっと考えていましたが、自分からボケる。自分から嫌われる老人に成るのもありなのかなと思いました。
暗く成りがちな老後の話もみんなと話すと温かい話し合いに成るのだなと思いました。
みなさんに感謝です。
今日はぱぴぷぺぽ劇団の発表をがんばります。
発表したポスターを載せます。読んでくださったらうれしいです。
べてるの家で経験した人づき合 いの苦労(浦河の知惠) 当事者研究的に考えてみました 大矢英明
浦河に来ました
僕は今まで千葉に住んでいて千葉、東京、神奈川の居場所 に行っていました。どこでも初めはニコニコおだやかにい られるのだけど、そのうち苦手な人が出来て嫌に成りその 居場所を去って来ました。
僕はここが最後の場所と思って浦河に来ました。でも浦河 でも苦手な人が出来て来た。さあどうするか? 何とかやっていかなければいけない。そんな気持ちで浦河 に居続けて2年に成りました。
Kさんとの苦労 その1
あいさつをKさんが返してくれないで嫌だった。
同じグループホームのメンバーと相談して僕は毎日Kさん に「おはようございます」と言ってKさんの反応を無視× うなずく△おうと応える〇で表に書いた。楽しく成って来 た。
Kさんと上手く行っているかをメンバーが頭をさわる合図 で聞いてくれたら僕が親指を上げるか下げるかで返事をし た。Kさんに会うのが段々楽しみに成って来た。
Kさんとの苦労 その2
ある程度Kさんとあいさつ出来るように成ったらKさんから 「千葉から戻って来るな。俺はお前が嫌いだ」と言われた。 「僕もあなたが嫌いです」と応えた。
その直後に僕はコロナにかかり部屋で1週間位待機。
コロナ明けに居場所に行ったらKさんが朝ミーティングで 「逆さ言葉を使ってしまった」とみんなの居る所で謝って くれた。僕もそれならと謝った。
KさんはSSTをして僕に謝る練習をしてくれたようだった。 べてるの場の力を感じた。
A1さんとの苦労
コロナが流行して他の住居の人が食堂に住むので、飼って いた金魚を部屋に持って行って欲しいと職員に言われた。 僕は住居の皆に相談した。するとA1さんが「金魚より人 間が大事でしょ」と言ったのが僕はすごく嫌だった。
みんなに相談して僕は態度保留で棚にその事を置いておい た。しばらくしてまあいいやに成って来た。
またA1さんと嫌なことが有ったけれど態度保留でその事 も棚に置いている。またA1さんと嫌なことが有った。
でもそのうちにまあいいやに成って来た。
A2さんとの苦労
A2さんが金曜ミーティング苦労人のコーナーで「ある人 に謝れと言われてキレられて気分悪いです」と言い、僕 が「それは私のことですか」と言い返してケンカに成っ た。 みんなに僕の言い分を聞いてもらったけれど気分が悪い ままだった。 それでも1か月位経って僕もA2さんもまあいいやに成っ たように思う。今は顔を合わすと意識してお互いに積極 的にあいさつしている。
K先生との苦労 その1
診察でK先生は僕の話を聞いてくれないと感じている。 「千葉からこっちに来たのは失敗だったと思っているだ ろ」と言われてすごく嫌な気持ちに成った。
以前には「かんちがいして浦河に来る人がいる」と言われ てその事が僕の頭に残っている。
それらの嫌なことで僕はK先生の診察を受けず薬の処方箋 だけもらっている。
べてるの職員さんに毎週ミニ当事者研究的をしてもらい診 察の代わりにしている。
K先生との苦労 その2
電話で診療所ソーシャルワーカーにK先生とのことを相談 しようとしたけれどろくに話を聞いてもらえなかった。 でも浦河には他の先生がいない。
3か月間処方箋だけもらっていたけれど、話を聞いてくれ そうなソーシャルワーカーを診療所で見かけたので声をか けて面談の予約をした。
僕の気持ち、言いたいことをそのソーシャルワーカーに話 した。しっかり聞いてもらえたと感じた。
まずは第一歩進めたと感じている
食堂で金魚を飼う事への対話
グループホーム食堂で金魚をみんなで飼っていたのだけど、 食堂にカビが生えたので水槽を部屋に持って行って下さい と職員さんに言われた。
メンバーと職員でリフレクティングを使って話し合った。
お互いの気持ち、考え方、事情を相手を攻撃することなく 分かり合えた。
現在は水槽を脱衣所に移動させて様子を見ている。
僕の住むオリーブハウスは研究するグループホームなのだ。
まとめ その1
その場で全て解決しようとしないで、困難をいったん棚に 置いてそのままにしておく。そして仲間や職員さんと話し 合いながら生活しているうちに自然と相手との関係が良く 成って来ると感じています
でも何も言わないと相手は何で僕が怒っているのか分から ないようだ。自分の気持ち、考えを上手く相手に伝える。 そこが僕のこれからの課題です。
これらのことを僕は浦河で実験、検証しながら学びました。
まとめ その2
それにしても浦河の人たちは仲直りが上手いと思います。 不満を言うけれど言い過ぎない。間を置く。
だから僕も今も浦河に居られるのかな。
長い年月の間に作られたみんなが排除されずに居られるた めの浦河の知惠だと僕は思っています。
そして言いたい事はある程度言ってそれで収める。そこが ポイントかなと思います。それが浦河の人たちの技かなと 思います。僕も浦河で学んでいます。
A1さんへの発見
A1さんは全力でボケていたのだ。
そこにツッコまなかった僕の力不足だった。
これからはボケてくれるA1さんにツッコみを入れる練習 をしよう。
否定しないツッコミ。目指すは漫才のぺこぱ。
僕の考えていることを話しました。そしてみなさんの感想、考えを聞きました。
僕はすごく温かい気持ちに成りました。
僕はみんなと上手くやらなくてはいけないとずっと考えていましたが、自分からボケる。自分から嫌われる老人に成るのもありなのかなと思いました。
暗く成りがちな老後の話もみんなと話すと温かい話し合いに成るのだなと思いました。
みなさんに感謝です。
今日はぱぴぷぺぽ劇団の発表をがんばります。
発表したポスターを載せます。読んでくださったらうれしいです。
べてるの家で経験した人づき合 いの苦労(浦河の知惠) 当事者研究的に考えてみました 大矢英明
浦河に来ました
僕は今まで千葉に住んでいて千葉、東京、神奈川の居場所 に行っていました。どこでも初めはニコニコおだやかにい られるのだけど、そのうち苦手な人が出来て嫌に成りその 居場所を去って来ました。
僕はここが最後の場所と思って浦河に来ました。でも浦河 でも苦手な人が出来て来た。さあどうするか? 何とかやっていかなければいけない。そんな気持ちで浦河 に居続けて2年に成りました。
Kさんとの苦労 その1
あいさつをKさんが返してくれないで嫌だった。
同じグループホームのメンバーと相談して僕は毎日Kさん に「おはようございます」と言ってKさんの反応を無視× うなずく△おうと応える〇で表に書いた。楽しく成って来 た。
Kさんと上手く行っているかをメンバーが頭をさわる合図 で聞いてくれたら僕が親指を上げるか下げるかで返事をし た。Kさんに会うのが段々楽しみに成って来た。
Kさんとの苦労 その2
ある程度Kさんとあいさつ出来るように成ったらKさんから 「千葉から戻って来るな。俺はお前が嫌いだ」と言われた。 「僕もあなたが嫌いです」と応えた。
その直後に僕はコロナにかかり部屋で1週間位待機。
コロナ明けに居場所に行ったらKさんが朝ミーティングで 「逆さ言葉を使ってしまった」とみんなの居る所で謝って くれた。僕もそれならと謝った。
KさんはSSTをして僕に謝る練習をしてくれたようだった。 べてるの場の力を感じた。
A1さんとの苦労
コロナが流行して他の住居の人が食堂に住むので、飼って いた金魚を部屋に持って行って欲しいと職員に言われた。 僕は住居の皆に相談した。するとA1さんが「金魚より人 間が大事でしょ」と言ったのが僕はすごく嫌だった。
みんなに相談して僕は態度保留で棚にその事を置いておい た。しばらくしてまあいいやに成って来た。
またA1さんと嫌なことが有ったけれど態度保留でその事 も棚に置いている。またA1さんと嫌なことが有った。
でもそのうちにまあいいやに成って来た。
A2さんとの苦労
A2さんが金曜ミーティング苦労人のコーナーで「ある人 に謝れと言われてキレられて気分悪いです」と言い、僕 が「それは私のことですか」と言い返してケンカに成っ た。 みんなに僕の言い分を聞いてもらったけれど気分が悪い ままだった。 それでも1か月位経って僕もA2さんもまあいいやに成っ たように思う。今は顔を合わすと意識してお互いに積極 的にあいさつしている。
K先生との苦労 その1
診察でK先生は僕の話を聞いてくれないと感じている。 「千葉からこっちに来たのは失敗だったと思っているだ ろ」と言われてすごく嫌な気持ちに成った。
以前には「かんちがいして浦河に来る人がいる」と言われ てその事が僕の頭に残っている。
それらの嫌なことで僕はK先生の診察を受けず薬の処方箋 だけもらっている。
べてるの職員さんに毎週ミニ当事者研究的をしてもらい診 察の代わりにしている。
K先生との苦労 その2
電話で診療所ソーシャルワーカーにK先生とのことを相談 しようとしたけれどろくに話を聞いてもらえなかった。 でも浦河には他の先生がいない。
3か月間処方箋だけもらっていたけれど、話を聞いてくれ そうなソーシャルワーカーを診療所で見かけたので声をか けて面談の予約をした。
僕の気持ち、言いたいことをそのソーシャルワーカーに話 した。しっかり聞いてもらえたと感じた。
まずは第一歩進めたと感じている
食堂で金魚を飼う事への対話
グループホーム食堂で金魚をみんなで飼っていたのだけど、 食堂にカビが生えたので水槽を部屋に持って行って下さい と職員さんに言われた。
メンバーと職員でリフレクティングを使って話し合った。
お互いの気持ち、考え方、事情を相手を攻撃することなく 分かり合えた。
現在は水槽を脱衣所に移動させて様子を見ている。
僕の住むオリーブハウスは研究するグループホームなのだ。
まとめ その1
その場で全て解決しようとしないで、困難をいったん棚に 置いてそのままにしておく。そして仲間や職員さんと話し 合いながら生活しているうちに自然と相手との関係が良く 成って来ると感じています
でも何も言わないと相手は何で僕が怒っているのか分から ないようだ。自分の気持ち、考えを上手く相手に伝える。 そこが僕のこれからの課題です。
これらのことを僕は浦河で実験、検証しながら学びました。
まとめ その2
それにしても浦河の人たちは仲直りが上手いと思います。 不満を言うけれど言い過ぎない。間を置く。
だから僕も今も浦河に居られるのかな。
長い年月の間に作られたみんなが排除されずに居られるた めの浦河の知惠だと僕は思っています。
そして言いたい事はある程度言ってそれで収める。そこが ポイントかなと思います。それが浦河の人たちの技かなと 思います。僕も浦河で学んでいます。
A1さんへの発見
A1さんは全力でボケていたのだ。
そこにツッコまなかった僕の力不足だった。
これからはボケてくれるA1さんにツッコみを入れる練習 をしよう。
否定しないツッコミ。目指すは漫才のぺこぱ。
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「べてるの家」の由来
「その場所をベテル(神の家)と名付けた」創世記28章19節
ベテルと名付けたヤコブという人は全ての人類の先祖アブラハムの孫なのだけれど、その生き方があまりにも人間臭い。
自分が兄エサウの代わりに神さまからの祝福を受け継ぎたいと考えて、弟のヤコブの方が好きな母の助言通りに目が見えにくくなった父イサクをだまして暗闇で兄エサウになりすまして父から代々続く神さまの祝福を得てしまう。
だまされる父も悔しがる兄も兄を恐れて逃げるヤコブも情けないなと僕は思う。
こんな人たちが人類の先祖なのかと馬鹿らしく感じる。
でも人間とはそんな情けない存在なのかなと僕は思う。
そのヤコブが逃げる途中で寝泊まりした場所に神さまが現れてヤコブは祝福してもらったのでその場所をベテルと名付けた。
そう思うと僕が今居るべてるの家もすごく人間臭い、情けない場だと思うと納得がいく。
人間なんてそんなもんさという開き直りというか達観するとべてるの家はすごいのかなと思えたりもする。
でも実際は毎日毎日生きるのに精いっぱいでそれこそ情けない人間臭い生活をメンバーも職員もしているのかなと思います。
僕も毎日毎日べてるの家に行く情けない自分が少しだけいいなと思いました。
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「赦す」ことについて考えました
メンバーが7,8人集まって第3者委員会の人3人と話し合いました。
メンバーはみんなここは良い所だ感謝している仲間が助け合っていると話した。僕だけ不満を話した。
話し合いの後で第3者委員の人たちが僕に聞き取りしてくれたので僕は正直に話した。
委員の人たちはうなずいて僕の話に驚いていた場面もあった。
終わって僕は何とも嫌な気分に成った。僕だけ孤立していると感じた。いわゆる内部告発をした後の複雑な気持ちなのだと思う。そして嫌だった2か月前の出来事を思い出してしまった。
今日は疲れて寝坊した。さらに布団から起き上がるまでに1時間かかった。午前中は部屋に居て昼ごはんを食べに居場所に行った。
ベテランさんに話したら相手の人は気にしていないよと話してくれた。確かに相手は気にしていないのだろう。僕が気にしているのだ。
1人住居に帰り部屋でコーラ飲みながらメジャーリーグを観てそれから風呂に入って考えた。「赦す」しかないな。僕は疲れた。
「許す」のではない.。
個別の嫌だった出来事を無かったことにするだけ。
イエスさまのお名前のもとで赦す、赦される。
みんなも僕も弱い、ずるい人間なのだからと。
でもそれは相手と距離をとるということ。仲良くは成らないのだろう。
聖書に「だれの罪でも、あなた(がた)が赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなた(がた)が赦さなければ、赦されないまま残る」ヨハネによる福音書20-23
と書いてある。まさにその通りだと思う。僕がいいやと思えば流せるのだ。僕はこれでやっていこうと思う。
でもこれが僕のこの居場所での最後の開き直りかなと思います。
僕は赦すよりも相手としっかり話し合ってお互い許し合えれば一番いいと思う。
でも相手は変わらない自分が変わるのが僕が学んでいる当事者研究の基本的な考え方。
僕はどうしたら良いか考えがグルグル回っています。
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