自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
ブルース・スプリングスティーン自伝本「Born To Run」の感想その1
僕の感想をこれから書いていきます。
ネタバレはしないようにしますので読んでくださったらうれしいです。
まえがき、第1部「成長するってこと」1おれの通り~6母
ブルースは自伝を書くことにより自分の気持ちを整理しようとしていると感じる。
両親、祖父母、学校、教会、それぞれ嫌だったこともあるようだ。
それをあえて書いて自分へ、そして周囲への許しを求めていると僕は感じた。
特に父へのブルースの記述は複雑なものを感じた。
それらが後のブルース・スプリングスティーンの曲への原動力になったのだと感じた。
これからゆっくりと味わいながら読んでいきます。
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礎20号特別号原稿その2
よろしかったら読んでみてください。
「脳天気予報士にはブルース・スプリングスティーンが付いている」
ウエザーマン H.O.
僕は職場の朝礼で法律が改正されて厚生年金加入条件が変わると言われた。僕も厚生年金に入れるのかと思ったけれど、リーダーから「残業を減らして加入条件にかからないようにします」「厚生年金に入るには大幅に勤務時間を増やさなければいけない」と言われた。
僕はがっかりした。そうして不安定になった。そして被害的になっていった。僕が一番損をしている。一生懸命働いているのに報われないとソーシャルワーカーさんに電話で話した。
診察日になり新しい主治医になった最初の診察。僕は僕の一番の関心事、将来の不安を話した。それだけを話した。先生は書きながらうなずいてしっかり聞いてくれた。「そうですね」と言ってくれた。僕は先生に聞いてもらえたと感じた。そうしたら急に気持ちが楽になった。
べてるの家でもよく言われているけれど、自分を語ること、そしてそれを聞いてもらうこと、それをしてもらえたと感じた。
診察の後、僕は病院の売店で礎が置いてあったので買って読んだ。前号の礎で僕が書いた文章を読んだ。そうだ僕はやりたいことをやっていると上手くいくのだ。「他人事メソッド」も自分がやりたいことをやっていると活用出来るのだ。
そうだ。僕には僕の好きなブルース・スプリングスティーンがあるではないか。前回アメリカ、ニューヨークに行って彼らのライブを観たではないか。「BRUCE PLEASE COME TO JAPAN」と書いたボードをステージ前で掲げてブルースに見てもらったではないか。あの時の充実した気持ちを思い出そう。
僕の仲間(まだ僕がそう思っているだけかもしれないけれど)がアメリカ、ニュージャージーに彼らのライブを観に行った。僕はそれを応援した。
そしてブルース・スプリングスティーンのファンみんなの悲願、ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの来日公演を実現させよう。そうなのだ、僕はやりたいことをやっているとすごく調子がいいのだ。僕はすっかり惑わされていた。これではダメだ。
僕は【うれしい。楽しい。ありがとう】でやっていこうではないか。
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礎20号特別号原稿その1
僕のライフワークです。よろしかったら読んでみてください。
「脳天気予報士リクエストボードを掲げる」
ウエザーマン H.O.
僕が観に行ったニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンでのブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドのライブ。その時のライブ映像をファンの人が作ったブルーレイとして手に入れた。そこに僕が映っている。僕の一生の宝物だ。
ステージ上のブルースが僕に近づいて来た時、今だと思って僕はボードを掲げた。僕はブルースが見てくれたのを確認した。その時の映像がある。
僕の後ろの人が撮った映像。僕の掲げたボードが裏から紙が透けて見える。【BRUCE PLEASE COME TO JAPAN】と見える。そしてライブの終盤、「THUNDER ROAD」という曲の時にはブルースが近くに来てくれるのをうれしそうに見ている僕の横顔が映っている。ライブ前に話をしたおじさんがうれしそうな僕を見て微笑んでくれている。
その時の映像を観られるのはすごくいい。幸せを感じる。僕はブルース・スプリングスティーンのライブを日本で仲間と観たいなと思う。僕はブルース・スプリングスティーンのライブは仲間を具現化していると思う。僕も仲間が欲しいなと思う。
ブルース・スプリングスティーンのファンのオフ会で僕のニューヨークでの行動も認めてもらっている。たすきをつなぐように【BRUCE PLEASE COME TO JAPAN】のメッセージが引き継がれている。僕が観に行った後も仲間が観に行くブルースのコンサートでそのメッセージをみんながブルースに見せている。
ブルース・スプリングスティーンのライブは僕の夢なのだと思う。初来日公演に僕はチケットをやっと手に入れていたのに入院してしまい観に行かれなかった。僕の夢は崩れた。それで終わりになってもおかしくなかった。でも僕の夢は不思議と続いた。
The older you get,The more it means.
歳をとればとるほど、物事の意味がより深まってくる
ブルースが前回のツアーのライブの最後で話した言葉。
今回のライブツアーではアルバム「The River」を特集している。このアルバムの終盤、「The Price You Pay」という曲で生きていく上で払わなければならない代価に抵抗する姿勢が描かれている。この曲でアルバムは終わってもいいと僕は思っていた。でもこのアルバムには続きがあるのだ。「Drive All Night」という曲。この曲では主人公の夢が破れて、それでもなお大切なものを求めて主人公は
I’m gonna drive all night I’m gonna drive all night I’m gonna drive all night
一晩中車を運転して探し出すと繰り返し歌い続ける。
人はその人の夢が叶っても、あるいは夢が叶わなくても、その後も生きていかなければならない。死ぬまで生きていかなければいけないのだ。
それを僕はニューヨークまで来てブルース・スプリングスティーンのライブを実際に見て感じた。疲れてきて立っているのもつらくなってきたその時に感じた。僕は実際にブルース・スプリングスティーンのライブに行って、目の前で演奏する彼らを見て、僕は足が痛くなり立っているのがつらくなった時に「Drive All Night」の持つ意味がわかったのだ。
オフ会では僕みたいなのがアメリカに行ってブルースのライブを観ているのだから自分も行ってみようと思ってくれる人がいるみたいでうれしい。たすきをつないでくれていると感じる。
今日、ライブのブルーレイをまた観た。彼らの演奏がすぅっと入って来た。こんなこともあるのかと意外だった。僕はこれからも一生懸命に生きて、彼らのライブを僕が知り合えた人たちと観たい。それまでは
Stay Hard,Stay Hungry,Stay Alive
こころを強く持ち、飢えたままで、生き生きと生きる。
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ブルース・スプリングスティーン自伝本「Born To Run」発売前のインタビュー番組を観ての感想
今は便利な時代でアメリカのテレビ番組も半日ぐらいするとインターネットで観ることが出来る。
昔は僕はそういう放送があったと聞くと1週間後位に西新宿のブート屋に行ってアメリカで放送された番組を録画したビデオを買って来て観たものだ。
まずは第一部。ブルース・スプリングスティーンの登場と紹介。そして自伝本の紹介。
曲にかけて本のカバーで本の説明をしている。
そしてブルースはエルビスとビートルズをテレビで観て衝撃を受けて音楽を始めたと言っている。
僕はここ半年位英語教材「スピードラーニング」を受講して来た。
その効果が出たのか3回繰り返して観て司会者の話はほぼ分かった。
でも肝心のブルースの話は7割ぐらいかなと思う。だいたい内容は分かるけれど肝心の細部が分からない。
やはり日本人の作ったきれいな英語の内容と、きれいな白人の発音を聞いているのではこの程度での限界かなと思いました。
でもある程度はわかるので、これから続きを楽しみながら観ていきたいです。
そして肝心の自伝本「Born To Run」は明日発売。
僕はタワーレコードオンラインで注文したので僕の部屋に届くはず。
明日は僕は仕事が休みなので明日届けてくれればいいなと思う。
これなら実際にタワーレコードの店舗に直接注文すればよかったかなとも思う。
でも僕は「ザ・リバー」ボックスセットをタワーレコードの地元の店に予約しに行ったら、
発売日前なのに予約数量終了と、ふざけた事を言われたのでもう店舗では買わないことにしました。
これからしばらくはブルース・スプリングスティーンの自伝本を読み通したいです。
出来たら原書の英語版を読みたいのだけど、先に公開された前書きが難しくて読めなかったので僕は翻訳本を読みます。
あと僕も自伝本を書きたいなと思いました。ブルースみたいに多くの人には読んでもらえないだろうけれど。
ブルースは67才。僕も52才。そういうことを考える年齢なのかなと思います。
よろしかったらユーチューブでインタビュー番組が観られますので観てみてください。
The Late Show with Stephen Colbert
#1: https://youtu.be/zjYmcuN_9iU
#2: https://youtu.be/SoOVIRpizL8
#3: https://youtu.be/7LvQNM_uLIs
#4: https://youtu.be/W8CsEqYCg68
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ブルース・スプリングスティーンのファンの集まりに行きました
ブルース・スプリングスティーンのバースデイ・パーティーも兼ねて盛り上がりました。
まずそれぞれの人が自己紹介。
ブルースとのつきあいを話しました。みなさんが熱く語り、僕もそれに習って話しました。
僕はブルースの初来日公演にチケットをやっと手に入れたのに病気で入院してしまいコンサートを観に行かれなかった。
それから10年以上経ってトム・ジョード・ツアーにサン・フランシスコまで知り合った人たちの手助けで観に行けた。ものすごくうれしかった。
その後の来日公演にも行き、成田空港に6日間通いブルースからサインをもらった。
それで充分満足だったのだけど、やはりEストリート・バンドで観たいと思った。
それでワーキング・オン・ア・ドリーム・ツアーにボストンへ行き、観てきた。
ブルースがステージから伸ばす腕をなでてきた。柔らかかった。
その後、レッキング・ボール・ツアーに二人で行ったのだけど、僕が一番聴きたかった「Jack Of All Trades」で周りの観客がトイレタイムにしてビールやピザを買いに行き、おしゃべりまでするのが耐えられず僕はふさぎ込んでしまった。一緒に行った人に本当に悪いことをしてしまった。
その後、ハイ・ホープス・ツアーでコネチカットに行きGAの周りの人たちと楽しんで観れた。
もうこれで僕は充分だったけれど、あとやり残していることがあった。
最後僕は日本で彼らを観たい。
そこで今年1月に行ったニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンでは「BRUCE PLEASE COME TO JAPAN」のボードを持って行き、ブルースに見せた。
僕はあと日本でブルース達をみなさんと一緒に観たいと話した。
みなさんの話を聞き、それぞれの体験がよかったです。
その後ブルースの映像を流しながらさらにブルース達の話で盛り上がった。
そうしていたらまた今回も僕のMSGでの僕がボードをブルースに見せた映像を流してもらった。
僕がここです。と説明しようとしてたらみなさん喜んで観てくれてうれしかったです。何か報われた気持ちがしました。
そのあとも話をして、それからアコギでのライブ演奏も楽しみました。
僕は人付き合いが苦手でいろいろな集まりに行っても仲間になかなかなれないけれど、ここでなら仲間に入れるかもしれないと思いました。
それぞれの人にそれぞれのspringsteen&iがある。
みんなのspringsteen&iを集めてspringsteen&us,japanになればいいなと思う。
部屋に帰って来たらふとspringsteen&iでのダンシング・イン・ザ・ダークでステージでブルースと踊った女性の映像が浮かんで来た。
もしかしたら僕にとってのダンシング・イン・ザ・ダークが新しい曲になったのかもしれないと思った。
一人で部屋で雨戸を閉めて聴いていたのが、今は皆さんと楽しめるようになったのかなと思う。
これから自伝本「Born To Run」も発売になり、ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドのオセアニア・ツアーがある。
ぜひその流れで日本公演が実現すればいいと思う。
もうやれることはやった。あとは待つだけ。と昨日話しました。
何かすごくいい集まりでした。
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ブルース・スプリングスティーンと当事者研究
ブルースが自分の音楽の歴史を書いて自分の曲の解説をする内容のようだけれど、
さらに自分の歴史として自身のうつ病の体験や父親のこころの病のことも書いているようだと話題になっている。
僕もこころの病を持っている者として何か親近感を持ったりもしている。
僕は当事者研究というこころの病を持った人たちが始めた、
自身を客観的にながめて生きやすい生活をしようという取り組みに参加している。
昨日も当事者研究会という集まりに参加してきた。
その中で、ある人が自分は自分の思った事を相手に言うのがいいと思って相手に話すのだけれど、
言った後にあれでよかったのか?と自問する。
そもそも自分は何者なのだろうと考えていると話していた。
その話を聞いていて僕も考えた。
僕はいい人だと結構思われているみたいだけど、そうなのだろうか?
僕はいい人を演じているのではないかな。
僕はおだやかでいるのが好きだし、一人でのんびりしているのが好きだ。
でもそれは相手に嫌われたくないからいい人でいるのかなとも思う。
少し前に集まりがあって僕は開会の挨拶をするだけでいいからと言われて実行委員長になり開会の挨拶をした。
その後で自分の当事者研究も発表した。
でも自信作だったのに反応が感じられなくておもしろく無くて、会の途中で帰ってしまった。
たまに僕は感情を表に出して周りの人を驚かせたりする。
また、僕はかあっーと熱くなることもたまにある。
一人で部屋でぼーっとしている僕が突然ブルース・スプリングスティーンのライブツアーが始まると、
アメリカまで飛んで行ってライブを観てくる。
その時は熱くなり一気に行動的になる。
どちらが自分なのだろうと思う。
どちらも僕なのだと言えばそれまでなのだけれど、
無理していい人でいるのでは、
無理して動いているのでは、
と考えたりもする。
そんな自分探しを当事者研究会で僕は行っています。
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ニューヨーク9.11とブルース・スプリングスティーン「THE RISING」との僕の中での関係
ニューヨーク多発テロ9.11から今年で15年になるというのを聞いた。
僕はまだほんの2,3年前のような気がする。
亡くなられた方、その家族、友人の喪失感は大変なものだと思う。
またアメリカの象徴のようなものだったワールド・トレード・センター・ビルが無くなったというショックもとても大きかっただろうと思う。
それを受けてブルース・スプリングスティーンがアルバム「THE RISING」を作り、発表した。
今聴くとその深い意味を感じることが出来るのだけれど、
当時の僕は正直なところ、そう思えなかった。
これは僕の個人的な意見だけれど僕はいまだに解決出来ないでいる。
9.11後アメリカは良い意味にも悪い意味にもひとつにまとまり、当時の大統領の支持率は90パーセント位になったと記憶している。
そしてテロリスト撲滅の為にということでアフガニスタン侵攻にアメリカは向かって行った。
力には力で対抗する。まさに僕が思っているアメリカ的な行動に出た。
当時僕は機会が平等に与えられるという理想を持つアメリカが好きだったけれど、
一方でアメリカは世界中で一番だ。アメリカは世界の警察だみたいな傲慢な態度が気になっていた。
その後の結果として首謀者ビン・ラディンは殺害したけれど、さらにイラクも攻撃した。
僕は少なくともイラク攻撃は間違っていたと思う。
そんなタイミングでブルース・スプリングスティーンのアルバム「THE RISING」が出たので、
僕には素直に聴くのには抵抗があった。
ブルース・スプリングスティーンもアフガニスタン侵攻を支持していると僕は思ってしまったのでアルバムを聴くのにも抵抗があった。
アルバムには犠牲者やその家族などが描かれたり、今まで毎日観ていた景色が変わってしまったとか、献身的な消防士の姿も描かれていた。
そしてでもさあ立ち上がろうと鼓舞する曲。
そしてアフガニスタンの民族音楽まで入れられていた。
でも僕はブルースもアフガン侵攻を支持しているのかと思い、アルバムをよく聴く前に拒絶反応を起こしてしまった。
それこそ当時盛り上がっていたブルース・スプリングスティーン来日懇願運動にも僕は参加しなかった。
僕にとってはあの時にブルース・スプリングスティーンが来日していたら観に行ったかも疑問だった。
僕はブルース・スプリングスティーンは僕の中では典型的な善良なアメリカ人というイメージが当時はあった。
良い事は良い。悪い事は悪い。やられればやり返す。アメリカが世界で一番優れていると。
ちょうど「BORN IN THE U.S.A.」で誤解されたアメリカが絶対一番なのだと信じ切っているような。
それが僕の中でよみがえってしまった。
僕の中の事実はこういうところなので、僕はアルバム「THE RISING」は当時は素直に聴けませんでした。
今これからは普遍的なものとして聴けるのかなとは思いますが。
僕にとってのブルース・スプリングスティーン「THE RISING」はこういうアルバムです。
僕はまだほんの2,3年前のような気がする。
亡くなられた方、その家族、友人の喪失感は大変なものだと思う。
またアメリカの象徴のようなものだったワールド・トレード・センター・ビルが無くなったというショックもとても大きかっただろうと思う。
それを受けてブルース・スプリングスティーンがアルバム「THE RISING」を作り、発表した。
今聴くとその深い意味を感じることが出来るのだけれど、
当時の僕は正直なところ、そう思えなかった。
これは僕の個人的な意見だけれど僕はいまだに解決出来ないでいる。
9.11後アメリカは良い意味にも悪い意味にもひとつにまとまり、当時の大統領の支持率は90パーセント位になったと記憶している。
そしてテロリスト撲滅の為にということでアフガニスタン侵攻にアメリカは向かって行った。
力には力で対抗する。まさに僕が思っているアメリカ的な行動に出た。
当時僕は機会が平等に与えられるという理想を持つアメリカが好きだったけれど、
一方でアメリカは世界中で一番だ。アメリカは世界の警察だみたいな傲慢な態度が気になっていた。
その後の結果として首謀者ビン・ラディンは殺害したけれど、さらにイラクも攻撃した。
僕は少なくともイラク攻撃は間違っていたと思う。
そんなタイミングでブルース・スプリングスティーンのアルバム「THE RISING」が出たので、
僕には素直に聴くのには抵抗があった。
ブルース・スプリングスティーンもアフガニスタン侵攻を支持していると僕は思ってしまったのでアルバムを聴くのにも抵抗があった。
アルバムには犠牲者やその家族などが描かれたり、今まで毎日観ていた景色が変わってしまったとか、献身的な消防士の姿も描かれていた。
そしてでもさあ立ち上がろうと鼓舞する曲。
そしてアフガニスタンの民族音楽まで入れられていた。
でも僕はブルースもアフガン侵攻を支持しているのかと思い、アルバムをよく聴く前に拒絶反応を起こしてしまった。
それこそ当時盛り上がっていたブルース・スプリングスティーン来日懇願運動にも僕は参加しなかった。
僕にとってはあの時にブルース・スプリングスティーンが来日していたら観に行ったかも疑問だった。
僕はブルース・スプリングスティーンは僕の中では典型的な善良なアメリカ人というイメージが当時はあった。
良い事は良い。悪い事は悪い。やられればやり返す。アメリカが世界で一番優れていると。
ちょうど「BORN IN THE U.S.A.」で誤解されたアメリカが絶対一番なのだと信じ切っているような。
それが僕の中でよみがえってしまった。
僕の中の事実はこういうところなので、僕はアルバム「THE RISING」は当時は素直に聴けませんでした。
今これからは普遍的なものとして聴けるのかなとは思いますが。
僕にとってのブルース・スプリングスティーン「THE RISING」はこういうアルバムです。
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「SPRINGSTEEN大百科」を遂に入手
アマゾンでブルース・スプリングスティーンの自伝本「Born To Run」とCDを注文しようとしたら、
画面に出て来たので注文した。こんな簡単に取り寄せられるのなら早く探せば良かったと思う。
古本屋で探さないと見つからないと思い込んでいた。便利な時代になったと思う。
でもこの本はかなりスプリングスティーンのファンの中では有名な本だったらしいけれど僕は知らなかった。
巻末の発行日を見たら1985年12月5日だった。
それで僕が知らなかった理由が分かった。
1985年4月にブルース・スプリングスティーンの初来日公演があった。
僕はチケットを必死になって取ったのだけれど、病院に入院してしまい観に行くことが出来なかった。
その後、退院したけれどライブを観に行かれなかったことを思い出すので音楽は聴かなくなった。
その為に僕はこの本の存在を知らなかったのだと思う。
その後何年もかけていろいろなこころある人たちに出会えて、手助けを借りて僕はリハビリをした。
そしてアメリカにも行ってブルース・スプリングスティーンのライブを観るようにまで成れた。
本当にありがたい。
この本を手にしてパラパラとページをめくると、ブルース・スプリングスティーンやバンドメンバーなどの活動の歴史、
ディスコグラフィー、カバー曲の説明などいろいろ書いてある。
確かにこの本はスプリングスティーン・ファンが是非とも欲しいガイドブックだと思った。
これから読んでいきたい。
あと興味深かったのがブートレグの紹介が本の最後に載っていた。
訳注で日本では入手不可能と書かれていたけれど、僕は何タイトルか持っている。
ただ本に載っているのはCDではなくてレコードなのが時代を感じる。
あと少しでブルース・スプリングスティーンの自伝本とCDが発売になる。
僕はこの本と自伝を読みながらブルースの活動を僕の今までの生き方と合わせて読みたい。
まあ僕の人生はブルース・スプリングスティーンと伴にあるのだと思う。
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変わる勇気を
みんな自分の言葉で話していた。
最近僕は話さなくなったなと思う。
そして僕は思った。
変わることを恐れてはいけない。
変える勇気を、変わる勇気を持とうと思った。
当事者活動も、ブルース・スプリングスティーンの活動も増やそう。
ブルース・スプリングスティーンの来日公演の噂も出ている。
このままではもし来日公演が決まっても素直に楽しめない。
本気で一生懸命やってみよう。
まずはフェイスブック、ブルース・スプリングスティーンの海外グループに毎日コメントしようと思う。
来日公演実現の目標に向けて頑張ろう。
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