自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
ブルース・スプリングスティーン「レッキング・ボール」感想その7WRECKING BALL
久しぶりに聴いたけれどやはりいい。
このアルバムを聴いていると、自分が今まで培ってきた底力が湧いてくる感じがする。
このアルバムは魂のアルバムと言えると僕は思う。
力が湧いてくる。
そして発売から今までずっと聴き続けられている。
こんなアルバムは久しぶりだ。
アルバム7曲目。表題曲「WRECKING BALL」
この曲はすごくライブ向きの曲だと思う。
前回の「ワーキング・オン・ア・ドリーム」ツアー、ニュージャージー・ジャイアンツスタジアムで
会場の取り壊しが決まり、
そこでのブルース・スプリングスティーン&ジEストリートバンドの最後の公演の為に
歌われた曲だ。
僕はこの曲にフットボールの試合、そしてライブにある一瞬の輝き、
そしてそれは切なく消えるのを感じる。
これは人生も同じ。
熱い思いを大切にしろというメッセージを感じる。
LIVEとLIFE。一生も長いようで一瞬。
それだから感じた熱い思いを大切にしろと。行動に移せと。
厳しい時が来て。それが去り。
また厳しい時が来て。それが去り。
そしてまた来る。
アルバムのテーマである長い年月の人の営み。
これも一人、一人の一瞬の感情の積み重ねなのだと。
そしてその中で死んでいった人たちも含めて今の人の営みは成り立っているのだと思う。
この曲はライブ、そして人生のつながりを現わしていると感じた。
そこが僕がブルース・スプリングスティーンが好きなところ。
今までずっと彼らを聴いてきて一番大切にしてきた思いなのだと思う。
僕は彼らのライブを聴いたり見たりすると僕は生きていると実感する。
湧き出た感情を大切に
人の営みの中で一人の人生はほんの一瞬。
熱く生きろと。
叫んでいいんだと。
僕はこの曲を聴いて「オーオーオー」と叫んでいた。
おそらく僕が行くワシントンDCでのライブでも
僕は大勢の観客の一人として叫んでいるだろう。
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金環日食とブルース・スプリングスティーンのコンサートの共通点
太陽が欠け始めてから月の満ち欠けに似ていると思ったが、
月の満ち欠けとは違う、普段観ることのない欠け方、形をしていたように思えたのが印象深かった。
ただ金環食が観られるはずの時間帯に雲が広がってしまい、
太陽をリング状に囲む光景は観られなかったのは残念だった。
でも半分は観たかなという感想です。
紹介してもらった日食を解説するビデオでは、
日食は地球上のどこかでは半年に一度位起きているということだった。
解説している方は既に9回、日食を観ていると話していた。
ここでふと気がついたのだが、
日食を観ることよりもブルース・スプリングスティーンのコンサートを見ることの方が
困難で大変なことなのではと思った。
ブルース・スプリングスティーン&ジEストリートバンドが初来日をして大評判の熱いライブを行ってから、
既に27年、四半世紀以上経っている。
その後、複数のバンドとのフェス形式のライブ。
ソロでのライブはあったが、
Eストリートバンドとの本格的なライブは日本では行われていない。
僕は日本で待ち続けるのに限界を感じて、
僕自身がアメリカに行き、彼らのライブを実際に見てきた。
見られないと思っていたライブを見れた。
日食にしてもブルース・スプリングスティーンのコンサートにしても、
日本で待っているから、いつまでも見れないのであって。
日本で見れないのなら自分が日本国外に出て見てくればいい。
自分が動けばいい。
そうすれば意外とすんなりと見れたりするのだと思う。
日食を観ようと思って動いているうちに思わぬことに気がついた。
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金環日食とブルース・スプリングスティーンのコンサートの違い
僕は仕事が早朝からなので職場に休みを取って、
万全の態勢で待っている。
でも明日、空に雲が覆っていたら何も意味が無くなってしまう。
何とも無慈悲なものだと思う。
一方、ブルース・スプリングスティーンのコンサート。
これはコンサート会場に行ければ
その時点で最高の思いが出来ると期待してもいいのだと僕は思っている。
「あなたの一生は保証出来ない。でも今夜は保証する」
ブルース・スプリングスティーンが若いころにライブの初めに言った言葉だ。
そしてブルース・スプリングスティーンがその言葉の通りに演奏する。
PROVE IT ALL NIGHTとしてプレイしてくれる。
それをブートで聴いて見てきた僕は充ち足りた気分になる。
そして僕はまた頑張れる。
今回のブルース・スプリングスティーン&ジEストリートバンドのライブでは
俺達がここにいて
あなた達がここにいれば
彼らもここにいる
というフレーズがライブの芯になっているようだ。
コンサートは一期一会であるとブルース・スプリングスティーンは心得ているのだと思う。
だから彼らはコンサートに来た人が満足出来るように全力でプレイする。
僕は会場に行ければ保証されるのだ。
だから僕は何とかしてその会場に行くんだと思ってきた。
ブルース・スプリングスティーンのコンサート。
一生に一度の機会かもしれない。
それを彼らはよく心得ているのだと思う。
だから過剰なぐらいに全力を尽くすのだと思う。
スポーツ観戦をすると自分の応援しているチームが負けるとがっかりする。
負けるにしてもやる気の無いプレーを見たりすると、
なおさらがっかりした損した気分になる。
せっかく自分も頑張ってここまで来たのに、楽しみにしていたのにと。
一方、ライブは良い演奏の時も失敗してダメな時もあるという人もいる。
エリック・クラプトンなどは若い時はライブは実験だと言って、
最高にうまくいった時もあれば、
ボロボロだった日もあったと聞く。
それがライブなのかもしれない。
僕が考えるには、
ブルース・スプリングスティーンはそういうライブとは
異なったコンサートをしていると思う。
演劇的というかブルース・スプリングスティーンはある意味ライブを演じているのだと
僕は思う。
悪い言葉で言えば計算して考えている。
最近読んだ記事で覚えているものがある。
ブルース・スプリングスティーンは魔術師だと評論していた。
裏にはタネがあるのだと。
僕は3年前、ボストンまで行って彼らのライブを見た。
僕はライブが最高潮に達したところで、
ブルースがステージの前で本当に長い距離を実際に全速力でスライディングしたのを
僕の目の前で見て僕はすごく感動した。
そこまでブルースがしてくれたと。
でも最近分かったのだがブルースは長いスライディングをする前に
ズボンのすそに水をたっぷり濡らして滑りやすくしている。
またライブの写真でブルースが髪の毛から額までもの凄い汗をかいて、
顔を振ったら汗が飛び散る写真、映像があるが、
あれもあらかじめバケツの水をかぶっているのであって、
実際にあんなに大汗をかいているのでは無い。
でも僕はそのブルース・スプリングスティーンの全力でやるコンサートを見て、
僕は生きているぞ。
今まで頑張って生きてきたから、このすごいコンサートを見れたんだ。
生きてきてよかった。
ブルースありがとうと思った。
そういう思いをさせてくれるのが一晩を保証してくれる
ブルース・スプリングスティーンのコンサートなのだと僕は
ずっと思い込んできた。
今回のブルース・スプリングスティーンのライブツアーもいろいろな大変なこともあったが、
いろいろな人の手助けを借りてワシントンDCまで行って
9月にライブを見てくる。
今回は一晩だけ。
まさに一期一会だ。
いろいろな苦労、一生懸命の思いでコンサート会場に僕は辿り着く。
そしてブルース達はそれをわかってくれているかのように
それに応えて一生懸命にプレイしてくれる。
たとえ演奏の出来が今ひとつでも僕はその気持ちを受け取って
これからの人生をまた生きていく、
次の彼らのライブを見る時まで。
おおげさに言えば
人生に不条理がある中でも、
保証される時間、空間がある。
それがブルース・スプリングスティーンのコンサートなのだと僕は思っている。
金環日食はその時、場所にいても見れないかもしれない。
でもブルース・スプリングスティーンの熱いライブはコンサート会場に行けば必ず見れる。
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金環日食を観られるか
まず金環日食を見る為の第一関門が金環日食の当日に職場に休みを取ることだった。
金環食の朝7時半頃は普段なら病院の診察室のモップがけをしている時間なので、
休みを取らせていただくことにしたのだが、
どうしたらスムーズに問題なく休めるかをある人に相談した。
そして日食の事は口にせずに前もって用事があるという事で休みを頼んだ。
何となくこころ苦しかったが、日食の事はとぼけて通すことにした。
昨日は職場の休憩時間に日食の話が出ていたが僕は無関心を装った。
でも今の僕の職場では休む理由までは聞かれないので助かる。
当然疑われるとは思うが。
そして第2関門が当日に空が晴れている場所に僕が居ることだ。
場合によっては前日も仕事が休みなので鹿児島まで移動しようかとも考えた。
しかし週間天気予報を見ると、
金環日食が見られる東西に伸びる帯状の地域では全体が曇りのエリアに入っているので移動はしない事にした。
僕が予想天気図を見たら太平洋沿岸に前線帯が停滞する予想になっている。
あえて移動するなら北日本では晴れの予想なので、
金環日食はあきらめて、部分日食を見る為に移動する手もあるのだが。
あとは当日にもし太陽が現れたら出来たら写真に残したい。
段ボールに小さい穴を開けて欠けた太陽が地面に移るらしいので、それを撮影出来たらと思う。
初めは金環日食の時に周りが暗くなるのだと思っていたが、
皆既日食と違い、それ程暗くはならないらしい。
ちょっとした月と地球の位置関係で、
太陽が月に完全に隠れるのか、
太陽の方が月より大きく見えて、もれた光がリング状に見えるのかが決まるらしい。
おもしろいものだ。
そしてよくそこまで前もって分かるものなのだなと思う。
また、太陽と月が地球から見るとほぼ同じ大きさに見えるというのも偶然とは言っても
よくそうなったものだと思う。
おおげさに言えば奇跡だとも言えると思う。
つい自分からの視点からだと太陽と月は同じ大きさだと思えるが、
太陽が月よりもずっと遠くにあるからだというのを、つい忘れてしまう。
ある意味地球と太陽との距離がちょうど良いので地球は熱過ぎず、冷た過ぎずでいる。
そんなことを考えると今自分がここで生活していられるのも当たり前なのでは無くて、
偶然がいくつも重なった奇跡なのかもしれないと思う。
太陽、水、空気。
何事も当たり前などではない。
感謝だと思う。
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風変わりなホームパーティー
居酒屋がコンセプトということで宴会となった。
僕の自慢話を聞いてくれてロックな生き方だと言ってくれた。
僕はすごくうれしかった。
最高のほめ言葉だと感じた。
でもいつの間にか、また僕のいつもの癖でグチになってしまった。
僕は決めつけてしまう。
それはロックでない。と言われた。
僕は我に返った。
また、ある世界ではすごく有名な方と話が出来た。
ここでまた僕の自慢話をした。
どこかでそれを行かせればいいね。と言われた。
まさにそうだと思った。
僕はどこに行ってもしっくりと入り込めない。
居場所が見つけられないと話した。
隣にいた人が、私もそうと言ってくれた。
さらに宴会が佳境に来たころにキッチンで料理を提供してくれた人たちが一斉に不満をぶちまけた。
初めはこれが有名な話し合いかと思って聞いていた。
熱く話している。
でも途中で僕はそこまで言うか。と感じてきた。
言われている方はうまく受けているなと思った。
そして僕はあれだけ思ったことを言えるのがうらやましく感じた。
昔は僕も筋を通せと熱して話したこともあった。
でも結局は、相手に嫌がられてそこを出ていくことになっただけだった。
僕は今日自分達の不満をあれだけ遠慮しないで思いのままを言える人がうらやましかった。
あれが有名な「3度の飯よりミーティング。手よりも口を動かせ」の片りんかもしれないと思った。
安心して自分の思うことを言えるのはしっかりとした後ろ盾があるという気持ちを持てているからだろう。
それが僕はうらやましかった。
とにかく凄い宴会でした。
生ビール3杯が麦茶に感じたような強いアルコールを頂きました。
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イベントに参加
僕は以前お世話になった人に会えるので楽しみにしている。
今回はお目当ての人には会えなかったのは残念だったが、
久しぶりに会った人もいたし、相手の人から声をかけてもらったりもしてうれしかった。
僕もいろいろな人とつながっているのだなと思いうれしかった。
自慢話も出来た。
僕の根っこの部分を確認出来た。
また頑張れる。
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ブルース・スプリングスティーン「レッキング・ボール」の死生観
海際の路を散歩するお気に入りの一日を過ごした。
墓の周りに生えてきた草を取り、花受けを磨いて、石に水をかけたら、
ふと感じた。
何か死が怖くなくなった。
別にすぐに死ぬとかいう意味ではなくて、
死ぬ事も生きる事の一部なのかなと思った。
突然こんな事を思ったのではなくて、
おそらくブルース・スプリングスティーンのアルバム「レッキング・ボール」を
歌詞を読みながらじっくりと聴いてきているからだと僕は思う。
ブルースの盟友、クラレンス・クレモンスが同じバンドメンバー、ダニー・フェデリッチに続いて亡くなった。
その中で今回のアルバムを聴いてきたら、
いつかは皆死ぬんだ。
でも一人の人が死んでも、残っている人に死んだ人の意思、経験、知恵、愛は引き継がれていくのだなと僕は思えるようになった。
そしてアルバムの中では今生きている人も、もう死んでいる人も同じステージに現れている。
生きている人と死んだ人を分ける事自体が無意味に感じる。
今生きている人の中に死んだ人が入り込んでいるのだと思う。
それが人の営みの中で何十代と続けられているのだと。
まだアルバムの中の曲の歌詞を半分の曲までしか読んでいないのだが、
特に最後の曲「WE ARE ALIVE」などは特にそうなのだろうと想像する。
ブルース・スプリングスティーンは死を超越してしまったように僕は感じている。
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朝食を食べ始めました
今は夢見心地です。
仕事も作業量が増えたのだけれどブルースのライブのことを思うと仕事も楽しいです。
ほとんどの困難はクリアしたのだけれど、
ひとつ気がかりがあります。
僕がやせてきたことです。
今までも疲れてきたり無理をしていると頬がこけてくるのですが、
最近はは会う人ごとに
「痩せてきたよ大丈夫?」
と言われています。
確かに最近は体の血管が浮き出てきました。
これではまずい。
ブルース・スプリングスティーンのライブに行けなくなってしまう。
それだけの理由で朝ごはんを食べることにしました。
今までは中途半端に時間を作ると、また寝てしまいそうなので、
朝はぎりぎりに起きてバナナを食べながらパソコン、テレビの天気予報、ニュースを見て出かけていましたが、
そんなことを言っている場合でないぞと危機感を持ちました。
朝食のテーマは高カロリー。
即、熱に変わるもの。
そこでご飯の上にバターを載せて、即席みそ汁、バナナです。
おかげで今日の仕事は連休の中日で皆が出勤するべきなのに
二人が4連休にした為に作業量が増えたのですが、
ペースが落ちる事無く乗り切りました。
バターライス・パワーは凄いぞ。
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ブルース・スプリングスティーン「レッキング・ボール」感想その6THIS DEPRESSION
9月14日ワシントンDC、ナショナルズ・パークでの観戦が決まり
僕は今、コンサート当日のことを思い浮かべて至福の時を過ごしている。
インターネットでメジャーリーグ、ワシントン・ナショナルズのデイゲームを観て
コンサートでの座席はどのあたりかな、スタンド1階席3塁側だけれど
グランドとほぼ同じ高さの内野席、観客席の傾斜が緩い所かな、
ゆったり広いスタンドに見える。
もう少し外野スタンドに近い傾斜の急な所かな、
とテレビ放送で観客席が映るとじっと見入っている。
幸いワシントン・ナショナルズは今のところ成績が結構良いようなので、
ブルース・スプリングスティーンのライブに行くまで
野球観戦を楽しみながらライブの模様を思い描いていけそうだ。
ありがたい。
アルバム「レッキング・ボール」の感想6回目
6曲目THIS DEPRESSIONです。
昔のLPレコードならA面最後の曲になるだろう。
THIS DEPRESSION
社会全体の不況、落ち込み。
そして自分自身の落ち込みを歌っている。
曲調も静かな暗い感じになっている。
ブルースはこの落ち込みの中で、
その中でこそなおさら自分の本性が試されると歌っている。
つらい状況、でもそれでもまだ希望があると歌っている。
歌詞の中に出てくる言葉
This is my confession
このConfessionという言葉はかなり深い言葉なのだろうと思う。
アルバム「BORN TO RUN」でのA面最後の曲「BACKSTREETS」では
”forced to confess"という言葉が出て来る。
よく分からないが教会での言葉のようだ。
懺悔して罪を告白する。
そして自分の真価が問われる時だと。
こういう時こそ人として恥無い生き方をしたいと僕は思う。
こういう時こそ俺達のことはお互い俺達同士でやるというアルバムのテーマになるのだと思う。
1曲ずつていねいにこのアルバムを聴いていくと、
曲同士のつながりがあり、それぞれの曲がまとまってアルバムになっていると感じる。
そしてこの曲の後、B面でブルース・スプリングスティーン得意の開き直り、
超ポジティブな生き方に移っていくのだろう。
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