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ブルース・スプリングスティーンの歌詞を語る

町山智浩 ブルース・スプリングスティーンの歌詞の世界を語る https://miyearnzzlabo.com/archives/59868
TBSラジオのブルース・スプリングスティーン特集を教えてもらい聴きました。
映画「BLINDED BY THE LIGHT」の紹介とともにブルース・スプリングスティーンの歌詞を特集していました。
僕も知っている内容でしたが的確に町山さんが話されていて、僕が上手く言い表せない所を代弁してくれているように感じました。
意外とアメリカ人でさえ英語を話しているのに歌詞を意識していないで聴いている。僕も感じていたけれどアメリカ人の多くの人はそうだなと思いました。

また新しく知った事としてブルース・スプリングスティーンはベトナム戦争の徴兵検査をありとあらゆる手段を使って落ちたと話して来たけれど、
バイク事故で脳挫傷になったのが影響したのだと知りました。

映画「BLINDED BY THE LIGHT」で主人公の青年が「DANCING IN THE DARK」を自分のことを歌っていると思うらしいですが、
僕もまさにこの歌は僕の歌だと思っている。
僕がひきこもっていた時に雨戸を閉めて大音量で涙流して聴いて踊っていました。

放送を聴いていて僕はブルース・スプリングスティーンの歌詞が好きなのだなとあらためて思いました。
映画「BLINDED BY THE LIGHT」の主人公もブルースの歌に影響を受けて人生を生きたらしい。
僕はこの映画の主人公と同じ気持ちになれるかなと思いました。観るのが楽しみです。

教えてもらったラジオの録音を聴けるリンク先を載せます。よろしかったら聴いてみてください。
http://radiko.jp/#!/ts/TBS/20190923200000
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ブルース・スプリングスティーン70th Birthday Partyに参加しました

ブルース・スプリングスティーンのファンでブルースの70才の誕生日をお祝いする集まりに行って来ました。
今回は特別に音楽評論家の五十嵐正さんにも来ていただきました。
五十嵐さんのお話で、アルバム「BORN TO RUN」のジャケットでブルース・スプリングスティーンとクラレンス・クレモンスが寄り掛かり合いながら写っているのだけれど、黒人のクラレンスは黒人と白人が一緒に一枚のジャケットに写っていると言われているけれど見開きのジャケットで俺は裏側になっている表がブルース。
開けば一枚に一緒に写っているのだけど。俺は裏側に写っていると話したということを聞いた。
またブルース・スプリングスティーンのプロデューサー、ジョン・ランドウのことをブルースは、
自分の音楽に彼の影響を受けたというよりも俺は彼に人生を影響受けていると話したという。
どちらもとても貴重な話を聞けたと思いました。

それから僕は五十嵐正さんに質問した。
以前、イベントで五十嵐さんから「WRECKING BALL」の発売時に話をうかがったのですが、
「JACK OF ALL TRADES」が多くのファンが強い印象を受けていると聞いて僕はブルースの「WRECKING BALL」ツアーを観にワシントンDC
に行ったのだけど。そのライブでブルースが「JACK OF ALL TRADES」を演奏始めたので僕は大喜びで僕はこれを聴く為に来たと思いました。
でもアメリカの観客はトイレに行ったりビールを買いに行ったりして席を立つ人が多くてがっかりして僕は落ち込んでしまいその後のライブを聴けなかったと話した。
すると五十嵐さんは苦笑いでアメリカの人たちはイベントで盛り上がろうとライブに来る人も多い。ビールを買うのも大切なイベントなのですと話してくださった。
僕もしょうがないなと笑えた。

その後賞品プレゼントのじゃんけん大会になった。
何個目かの賞品の後にブルース・スプリングスティーンの初来日公演のパンフレットを提供してくださった。
僕は欲しいです!と手を挙げた。
じゃんけんで負けてしまいもらえなかったけれど、
よくよく考えると僕もよくここまで来たと思った。
僕はブルース・スプリングスティーンの初来日公演をチケットを買ったのに病院に入院していて出してもらえず観に行かれなかった。
僕はそれがショックで音楽が聴けなくなった。
今までは初来日公演の特集をするイベントには、僕が観に行かれなかったことを思い出すので参加しなかった。
初来日公演の話になると僕はつらかった。
でも僕は昨日初来日公演のパンフレットが欲しいと思った。

僕がブルース・スプリングスティーンの初来日公演に行かれなかったのが1985年。今は2019年。ブルースは70才になった。
その日に僕は初来日公演のパンフレットが欲しいと言えた。
すごいことだと僕は思った。
ブルースが70才、僕が55才になって遂にそう思えた。
そんな僕の記念日にもなりました。
みなさん、ありがとうございます。
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大先生天国へ

大先生の納骨式に教会のみなさんと行って来ました。
広い霊園に大きな教会の墓地がありました。そこに大先生のお骨が入れられました。
牧師先生の説教で、牧師先生を教えられた大先生が天国に行かれた。天国をリアルに温かい場所として感じられるようになったと話された。
僕は大先生は天国に行かれたのだと思いました。僕のお母さんも天国に居ます。それを僕は確認しました。
僕は納骨式の最中、言葉でなく何か魂のような固まりで大先生と会話したように感じました。
僕はじっと大先生の写真を見て、骨壺を見て、ありがとうございましたと言って献花した。
心の中で話しました。
何か僕が死ぬ時もこんな感じなのかなと漠然と思いました。最後は言葉は要らないのかなと思いました。
僕もそのうち天国に行く時もこんな風に見送ってもらえたらいいなと思いました。
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大先生ありがとうございました

僕もお母さんもとてもお世話になった教会の大先生の納骨式が15日に行われます。
僕は信徒の方が録音して残してくださった大先生のイースターの時の説教を聞き返しました。
大先生は「そのイエスさまが今も生きておられる」と声を大きく何度も繰り返されていました。
イエスさまは私たちを救いにこの世界に来てくださった。私たちが暗い闇の内にいてもそこに降りて来てくださった。
いろいろ言ってもらっても言葉に過ぎない。でもイエスさまは私たちの重荷をご自分で負ってくださった。
イエスさまがそこにいてくださる。そして重荷をになってくださる。
「イエスさまは今も生きておられる」
年を重ねるとさみしいけれど恵もたくさんある。いかに自分たちがゆるされているか感じる。
あんなこと言わなければ、しなければよかったという取り返しのつかない罪。その時に「イエスさまが今も生きておられる」

僕は大先生の説教のイエスさまに大先生自身を重ね合わせました。
大先生は僕はあまり分からないですが僕の教会が大変な時に来てくださった。そして教会が何とか建て直せるように居てくださった。
そして僕のお母さんが癌で亡くなる時も何度も聖餐式をしてくださった。
一度は信徒の方の車を待てないとご自分で僕のお母さんのいるホスピスまでタクシーで来て運転手さんに車いすを押してもらい来てくださった。
その後も何回も来てくださった。おかげさまでお母さんは安心して天国に行けた。
後で当時教会に来てくれていた学生先生に僕は聞きました。
「何回も聖餐式をしていただきお母さんは天国に行きました。でもお母さんはいつ天国に行ったのでしょうか?病室でお祈りしていただいた時、死ぬ直前にお祈りしていただいた時、臨終した直後にお祈りしていただいた時、告別式でお祈りしていただいた時、体を火葬する前にお祈りしていただいた時」
そうすると学生先生はお母さんは亡くなってすぐに天国に行きました。みんながお母さんが天国に行ったと納得確認するために何度もお祈りしたのですと言ってくださいました。
僕はそのおかげでお母さんは今は安心して天国に居て僕を見守っていてくれていると思えるようになりました。

15日の納骨式。僕はお母さんに大先生がしてくれた納骨式も思い出しながら臨みたいです。
そして大先生が天国に安心して行って僕たちを見守ってくださることを納得確認したいと思います。
そしてお母さんが天国で大先生にお礼を言えることも納得確認したいです。

日々僕にもいろいろあり最近教会にあまり行けていないけれど、教会は僕の大きな居場所、僕はみなさんとその中で生きていると思っています。
そういえば大先生が僕の書くフェイスブックを読んでいてくださっていたようで、大先生が僕に「いろいろあるようですね」とやさしく笑って話してくださったのを思い出します。
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平野啓一郎さん「マチネの終わりに」の感想

平野啓一郎さん「マチネの終わりに」を読んだ感想です。
初めの蒔野さんと洋子さんの出会いの場面がすごくよかったです。
夢のような出会い、お互いの会話に魅かれ合ってわかり合う様子がすごくよかったです。

でもその後いろいろな困難が来る。
僕は読み進めるのがきつくなって来ました。
初めの出会いがずっと続けばいいのにと思いました。
僕はあまり恋愛の経験が乏しいです。僕は恋愛を続けていくのが苦手で途中で逃げてしまいます。

でも読み進めて行くうちに出会いの場面で交わされた会話が意味を持って来る。
「過去は未来や今によって変わる」
僕は最後読んでいて涙があふれて来ました。

僕はテレビドラマでも最初の3話目まで位の出会いのシーンが好きです。
その後のいろいろが出て来ると嫌になって観なくなることが多いです。
この本「マチネの終わりに」もそうでした。
でも読み通して思いました。
そうだな過去を今や未来で変えられるかもなと思いました。
今の出来事で過去の意味も変わるのだ。
そういえば僕も嫌だった経験もあるけれど、いろいろな人とのやりとりや僕が動いたことで、
嫌だった経験が違う意味を持つこともあったなと思いました。
この本は恋愛物語のようであるけれど読み方によっては自分の人生の生き様を考えるような本だったなとも思いました。
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