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母を書こう

今日は居場所に行って面談。僕はグチを話した。
僕が母の看護、看取りで大変だった時に何もしてくれなかったと言った。
職員さんは言い訳になるからと反論しなかった。
それからさらに話した後に今後の目標になった。
仕事と生活と楽しみの両立と提案してもらい、それにした。
僕はあまりお母さんとの生活の話を今回話さなかった。
短い時間では話せないと思った。
僕とお母さんとの話は長くなるのだ。
いつかそれをじっくり話して聞いてもらいたいと思う。
その為に僕はお母さんとのことを書いていこうと思う。
今日はお母さんに歯間ブラシを買ってきてと言われて仕方なく買っていったら喜んでくれたことを書こう。
いつか本に出来たら最高だと思う。
僕とお母さんの大切な思い出だ。
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西加奈子「舞台」の感想

フェイスブックで紹介されているのを読んで、僕も読んでみた。
太宰治「人間失格」に通じる作品と言われて僕もそうだなと思った。
もっとも僕は太宰治的な生き方を否定しようとしてきた。
「人間失格」を読んだ時に僕の見たくない自分の嫌な部分を見せつけられた感じがして嫌だったのを覚えている。
その自分の嫌な部分を見るのがこわかったのだと思う。
この西加奈子「舞台」も主人公、葉太が自分を演じている自分を意識している描写が続く。

僕もニューヨークに「地球の歩き方 ニューヨーク」を持って旅行に行った。
でも僕はブルース・スプリングスティーンのライブを観る為にニューヨークに行き、
観光はおみやげを買っただけで、ライブを観ることだけに集中したのだけど。
僕はその時のことを思い出した。
旅行に行くと特別な感情が呼び起こされると思う。
僕にとって幸せな旅行だった。

「舞台」では葉太がニューヨークではしゃぐ自分が恥ずかしいとたえず自省している。
でも僕は葉太が思わず有頂天になり観光を楽しんでいる時の描写が読んでいて楽しかった。
葉太はその後ではしゃいだことをひどく嫌うのだけど。

僕は葉太ほど自分を見つめていない。
嫌な自分を見るのがこわいからだろうけれど。
でも僕にも自分を演じている自分がいると感じる。
もう一度「人間失格」を読み返そうとも思うけれど、こわいからやめておこうかなとも思う。
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Jackson Browne - Sing My Songs To Me / For Everyman (Everyman, 1973) 僕の大切な曲

今日、僕の病院に行ってソーシャルワーカーさんに母の看取りをしてきたことを話してきた。
僕はその人とは共依存になってしまったようであまり会わないようにしてきたのだけど、
今日は大切な話として話してきた。
僕の話をじっと聞いてくれた。
僕はお母さんを天国に行かせてあげられたと話した。
大切な報告が出来たと思う。
最後、帰りに「気をつけて帰ってね」と明るく言ってもらった。
切ない気持ちになった。
帰りにこの曲が浮かんで来た。
僕の大切な曲。
たまにしか聴かない大切な曲。
今日、部屋に帰って来て聴いた。



Jackson Browne - Sing My Songs To Me / For Everyman (Everyman, 1973)
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再始動

今日は仕事が休みで久しぶりに団地の部屋でゆっくりした。
本当に久しぶりにのんびり出来た。
ふとまた気象の勉強をしたくなった。
押し入れから昔、読んだ本を出して来た。
まずは漫画と写真からということで読み始めた。おもしろい。
僕は気象予報士の勉強をしている時、老後は縁側でお茶を飲みながら空を眺めているのですねと言ってもらったのを思い出した。
お母さんの作ってくれた貯金のおかげで団地の一人暮らしも続けられそう。
お母さんありがとう。
僕は自分の好きなことをやっていると上手くいく。
好きなこと、やるべきことをやって、またブルース・スプリングスティーンのライブを観たい。
日本で観られるか、アメリカに行くかはわからないけれど。
僕はまた動き出せたと感じる。
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心のふれあいフェスティバルに参加

行ってもさみしい思いをするだけだと思い行くか迷っていたけれど、
心のふれあいフェスティバルに行ってきた。
なつかしい人たちに会えて僕の近況を話した。
母の看護、看取りが満足して出来たこと、僕が投稿していた病院文集が廃刊になったこと、僕の居場所。
話していて僕もよく頑張ったなと思えた。
文集もフリーマーケットのように個人のブースを設けて次回から売らせて欲しいとお願いした。
何か物足りない気もしたけれど、ある程度話も出来てよかったと思う。
でも帰り道に思った。
ここはなつかしいけれど、居場所にはならないなと。
これからはもっと当事者研究、ブルース・スプリングスティーン、気象に関心を向けていこうと思う。
いつまでも止まっていてはいけない。動き出すのだ。 Keep Going!
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明日は北東気流により曇りの予想

このブログのタイトルになっている北東気流。
今日の天気予報を見たら明日は北東気流が関東地方、東北地方南部の太平洋側、福島県、茨城県、千葉県などで吹き、
その地域では曇りになる予想です。
少し天気図が分かってくると、この北東気流に出会います。
天気図上では移動性高気圧が日本列島上に張りりだして晴れるように見えても、
その高気圧の中心が北の方、日本海にあると高気圧周辺では時計回りに風が吹くので、
太平洋側では三陸、茨城県沖からの北東の冷えた湿った海風が流入して曇り、小雨の降る天気になります。
天気予報でも晴れると予想していても曇りの天気になることがあります。
それが明日の天気予報です。

僕の母は洗濯が好きで洗濯した物を2階のベランダに干していました。
僕はそんな母を見てきたのですが、
母が洗濯物を持って2階に上がって来て干そうとしても曇っていると、
不満そうに天気予報で晴れると言っていたのにと言っていました。
僕も疑問に思っていました。
それが北東気流でした。
僕はそういうところから天気、気象に興味を持ち始めました。
だから僕が気象に興味を持って気象予報士になったのも母のおかげです。

僕も高校生の頃から地上天気図を自分で描き始めて、天気予報では晴れる予想が、僕は北東気流を予想して実際に曇ると
僕の予想が当たったと喜んだものでした。
そんな僕にとって身近な気圧配置です。
でもその逆もあって北東気流で曇る予想に反して晴れてしまうこともあります。
なかなか天気の予想は今でも難しいようです。
そういう北東気流です。
さて明日は天気予報通りに曇るか、それとも予想に反して晴れるか、楽しみです。
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母の赦し(ゆるし)

1月27日に僕がフェイスブックに書いた文章です。
『赦し
今日は母と手術をした病院での診察に行きました。最初主治医はソワソワしていました。前回の診察の後に医療相談室で不満を話したのが伝わったのか、主治医は前回は丁寧でなかったと言った。そして緩和ケア外来の様子を聞いていた。そして僕が何かあったらまた来ていいですか?と聞いたらどうぞと主治医は言った。
結局、主治医は手術後の処置で細菌に感染して入院が長引き脳梗塞も起こし体力が低下した、退院後検査をしなかった間にガンが急に悪化していたことには触れず謝りもしなかった。
母は初めきびしい目付きをしていたが、先生の話をじっと聞き入るやさしい目になっていた。僕は意外に感じた。母は自分の先のことも考えて赦したのかなと僕は思う。
その後医療相談室に行き、看護婦さんにやさしく話してもらい緩和ケア外来に病院を移ることを話しました。
今日は何か大切な日だったと後になり思うのかなと考えました。僕は母に拍手したいと思います』

母は初めCT検査かMRI検査で肺に異常が見つかったらしい。
レントゲンでは映らない小さなものだったけれど。
医者にその腫瘍を切除すればいい。と簡単に言われたようで、
母も簡単に考えていたようで僕も簡単に考えていた。そして医者も簡単に考えていたようだった。
結局その手術以降母の健康状態は悪化して行った。
母は手術をしなかった方がよかったのではとも思う。
腫瘍をそのままにしておいた方が切り取って悪化させるよりも母は高齢だったことも考えればよかったのかなと思う。

この日の外来診察に僕も母と一緒に出掛けて主治医の話を聞いた。
病院に行く前日、母は「話が違うではないですか」と先生に言おうと思うと話していた。
正確に母が何と言ったかは覚えていないけれど、そのようなことを母は話していた。
僕は正直なところ、診察で荒れるかなと心配した。
でも結局、母は主治医への不満は話さなかった。
僕は正直なところほっとした。

今になり思えば母が主治医に不満を言ってもよかったのではと思うこともある。
でも母は後で「たちの悪いがんでした」と言われれば仕方ないからねと僕に話した。
僕は本当に母が主治医のその言葉で納得したのかは分からない。
納得していなかったと思う。
でもそれを言ったらすべてひっくり返してしまうと思うから母は言わなかったのだと思う。
そして母はそれを言ったら僕がそれにこだわり続けるだろうと思って言わなかったのかなと僕は思うようになった。
僕のこだわる性格から僕は主治医を裁判で訴えるまでしたかもしれない。
それを思って母は主治医に不満を言わなかったのかなとも僕は思う。

今さらどうにもならないけれど母に感謝です。
母の日に感謝する母はもういないけれど。
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日常の休日

今日は休日。
コーヒーを淹れて飲みながら読書。僕のいつもの時間を久しぶりに持てた。
この前見つけたコーヒー専門店で買ったブルーマウンテン・ブレンドは自家焙煎が宣伝のようだったけれど、
浅煎りで薄くしかコーヒーが出ない、そもそもブルーマウンテンの豆をどれだけ使っているのか怪しいけれど。
でもコーヒー飲みながら読書は僕の至福の時間。
久しぶりに取り戻した。
読む本は西加奈子「舞台」
主人公がニューヨークに旅行している。
僕もニューヨークに行ったのだな。
ライブを観る為だけに行って、観光無し。
そんなことを思い出しながら読んでいる。
僕の時間だ。
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お母さんは天国に着いたかな

今日は教会に行ってきた。
神学生の若先生の説教を聞いた。
イエス様は旅をされた。
今の旅行よりも当時はもっと大変で泊まる所を見つけるのも大変だった。
そうしたイエス様の苦労した旅の目的地は死だった。
それは弟子たちも受け入れたくなかった。
でも実際のイエス様の目的地は天国だった。

僕の母も死を迎えた。
でも火葬場の炉の暗い空間の先には天国があったのだと。

僕はそれを聞いて救われた気持ちがした。
お母さんも天国に行ったのだなと安心した。

礼拝の後、食事会となった。
僕は若先生に質問した。
母はいつ天国に行ったのですか?
目を閉じて息を引き取った時、母が息を引き取り先生がお祈りをしてくれた時、母の体を清めて旅立ちの服を着せた時、
教会で告別式をしてもらっている時、母が棺の中でみなさんと教会を出る時、火葬場で炉に入る前に先生にお祈りをしていただいた時、
炉に入りふたが閉まり火がついた時、そして骨になった時にはもう母はここにいないと僕は思った。

そうしたら若先生は母が息を引き取った時ですと言われた。
僕は少し意外に感じたけれど、話を聞くと
その後にみんなでお祈りをするのは、みんなが母が天国に行ったのをみんなで確認するためですと言われた。
僕はなるほどと思った。
僕もそう聞いて楽になった気持ちがした。

母が通った教会。なかなか奥が深いなと僕は思った。
そしてありがたいなと思った。
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John Cougar: Jack and Diane 人生は生きる楽しさが終わった後も長く続く

僕はなぜか最近、たびたびこの曲のフレーズが浮かんで来た。
「人生は続く、生きる楽しさが終わった後もずっと続く」
なぜかこの曲のフレーズが浮かぶ。
僕がこの曲を最後に聴いてから20年、30年経っているかもしれないと思う。
それでも僕はなぜか覚えていて、たまにこのフレーズを思い浮かべていた。
今日、久しぶりに聴いてみた。聴いていて僕が80年代前半、音楽にのめり込んでいた頃を思い出した。

このフレーズは僕の好きなブルース・スプリングスティーンのアルバム「THE RIVER」のテーマにもつながると思う。
人はその人の夢がかなおうともかなわなくても、その後も生きていかなければならないと
それはある意味とてもつらいことだと思う。人は人生を自分で終わらせることは出来ない。最後まで人生の帳尻を合わせようと生きていく。

この曲では若者が今を全力で楽しんでいる。その後の人生を考えてか考えないようにしてか。
そして出来る限り16才の自分でいるのだと。
そうだ僕もブルース・スプリングスティーンを追いかけ続けた気持ちを忘れずに生きよう。
Let It Rock! Let It Roll!
これが僕がブルース・スプリングスティーンを追いかけ続けて得られた気持ちなのだから。

John Cougar: Jack and Diane
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ブルース・スプリングスティーン「Jack Of All Trades」を聴きながら母を想う

僕の母が亡くなってから2週間と少し経った今、僕は将来の僕の生活が心配になったきた。
今の短時間の仕事では生活出来ないのではないか?家賃を払わなくて済むように実家に戻った方が良いのでは?
でも実家では近所の人の話し声が聞こえてくるので嫌だ。
昨日は母の生命保険の受け取り手続きで保険会社の人が来た。
渡された書類を見たら、母は僕に年金型の貯蓄をしていてくれていた。
僕が60才になったら毎月10万円もらえることになっていた。
すると後は国民年金がたとえ2,3万円でも加えれば細々とは生活出来ると分かった。
そんなことを僕は考えながらブルース・スプリングスティーンのアルバム「レッキング・ボール」を聴いた。
そして「Jack Of All Trades」を聴いていたらじわっと来て、僕は誠実に生きていこう。
何とかなるから捨てずに頑張ろうと思った。
僕が60才からもらえるようにしたのも母がそれまでは働くようにと思ってそうしてくれたのだろう。
僕がお母さんありがとうと言って、お母さんが満足そうに微笑んでいるのが見える気がする。
お母さんありがとう。僕は涙が出てきた。

写真の椅子は母がいつも座っていた椅子。
ヘルストロンとかいう電流が流れて健康になるという怪しい椅子だが、お母さんはいつもそこに座っていた。
もう業者に買い取ってもらい持って行かれてしまい、もう家に無い。
前日に写真を撮ったら、何かお母さんが天国に導かれて行ったような気持ちになる写真になった。
お母さんは10年ぐらい前にお父さんの看護をしている時にお父さんにつらく当たってしまったのを後悔していた。
それもありお母さんはもう一度教会に通うようになったようだけど、
お母さんはお父さんにゆるしてもらえたと思う。
僕はその手助けが出来た。
少なくとも僕はお母さんの看護、看取りを最後まで温かく出来た。
お母さんの失敗を繰り返さなかった。
それを受けてお母さんは安心して笑って旅立てたと僕は思う。

僕はこれからの生活が心配ではあるけれど、
大丈夫。お父さんお母さんが天国で見守ってくれている。
聴いていたアルバムは「Land Of Hope And Dreams」へ。
僕は僕が死ぬ時、この曲を聴きたいと思う。満足して聴ければいいなと思う。
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「風が強く吹いている」三浦しをん 感想

この本を買って読み始めたのが箱根駅伝の前、昨年の暮れだった。
それから母の看護に集中していて、あまり本を読むことが無くなり、今日やっと読み終えました。
僕は中学でしか陸上をやらなかったので偉そうなことは言えないけれど、
この本は陸上競技、長距離の魅力、駅伝の良さをよく表していると思う。
何のために走るのか。自分の目標を目指して走る。
そして速くなるのも大事だが、強く優しくあれと言っている。
僕は目標に向かって皆で進む楽しさを思った。
自分の夢の実現を目指して仲間と努力する。いいなと思いました。
僕の母は歩くのが好きだった。僕もまた歩いてみよう。天候もいい、僕の一番好きな季節だから。
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僕と母の3.31


ふと前を見たら5月のカレンダー。昨日カレンダーをめくったのを思い出しました。
3月31日にお母さんは自宅からホスピスに向かいました。それから1か月が経ちました。
その時の状況を「他人事メソッド」で再現しました。

大矢君、お母さんの様子をまた見に来ました。やはりお母さん起きれません。
「せっかくお母さんが家を出る時、思い出を懐かしんで出かけていくと思ったのに。お母さんだめだ。体がきついんだな」
大矢君のお母さん、ホスピスへ行く介護タクシーが来る時間まであと15分。
やはりお母さん寝たままです。
「仕方ないなお母さん体がきついんだ。でもお母さんを車に乗せられるかな心配だな」
大矢君、懐かしむよりも心配になってきました。
あっお母さん、すくっとベッドを立ち上がった。
「待たせてしまうから」さらにお母さん歩き出した。
大矢君「まだ行くことないよ。運転手さんが来てからでいいから」
お母さん「トイレに行っておく」
大矢君とお母さん、ゆっくりゆっくり一緒にトイレに行きます。
大矢君,お母さんを後ろからわきの下を抱えて二人でゆっくりゆっくりでも確実に歩いて行きます。
ロボットのように一歩一歩歩きます。大矢君感動しています。さすが大矢君のお母さんです。
トイレを出て台所に行きます。大矢君、お母さんの進む方向に支えながら着いて行きます。
お母さんごみを捨てた。さらにお母さん玄関に行きます。玄関で立って待ちます。
そして運転手さんが来ました。運転手さんに車椅子に乗せてもらい車椅子ごと車に乗り込みました。
車が出発します。さすがお母さん、いざという時にやってくれます。「ありがとう。お母さん」お母さん満足そうです。
「お母さん、助かったよ」大矢君の言葉にお母さん満足そうに笑っています。
ホスピスに無事に到着しました。大矢君、お母さん、お疲れさまでした。
「雰囲気も職員さんも穏やかでいいな」よかったですね。待ったかいがありました。よかった。よかった。

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