自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」を読んで
この上・下巻の本を借りてきて一ヶ月間位かかってしまったが読み終えた。
僕が悩み苦しんできた80年代がすごく表現されていた。
ファッションは僕は分からないが、文中に出てくる音楽はまさに80年代で懐かしかった。
そんなことを感じながら読み進んだ。
80年代、世の中、景気が良く何でも手に入る。でも本当に欲しいものは手に入らない。
人の群れに入っているが寂しい。
ブルース・スプリングスティーン「ダンシング・イン・ザ・ダーク」の世界だと思う。
僕はこの80年代に病気になり、多くのものを知らずに過ごしてしまった。
僕はそれを今までかけて取り戻して、手に入れてきたのだと思う。
それを考えさせてくれる小説だった。
「無力感」と現されていた。
その世界の中で小説の中の主人公は本当の自分を求めて、いろいろな人に会い、別れる。
現実の自分を求め続けた。
そして本当に自分の求めているものを見つけ出す。
「何かを真剣に見ようとすれば真暗でもちゃんと見える」ことに気がつく。
少なくとも、そう気がついたと思った瞬間にたどり着いた。
現実の世界。生身の人間を感じられた。
そこまでの葛藤がこの小説にあった。
僕の80年代から今までの20年、30年を考えた。
僕はまさに、この現実の、リアルな生活を求めて生きてきたのだと思う。
いろいろなこころある人たちに出会えて、いろいろ教わった。
この体験は僕が本物、本当の物を求める行動だった。
今日は知り合えた人にギターを教わった。
そんなに悪くないよと言ってもらった。
疲れているところを僕を心配してはるばる来てくれた。
「僕の声は2カポでいいよ」
と教えてくれた。
これから現実な、リアルな、生の音をギターで出していきたい。
ギターを教わってから、村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」を読み終えた、
今日感じていることです。
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アコギに挑戦
アコースティック・ギターに挑戦している。
初めのうちは調子良く、簡単なものだと思っていたが、
なかなか難しい。
今は最初の課題曲として「なごり雪」を練習している。
ゆっくりな曲で使用するコードも比較的に簡単ということなので、
この曲をマスターして僕の居場所のクリスマス会で発表する予定を立てた。
難しいコードを除けば大体弾けるようになったと感じたので、
自分の演奏を録音して、どのようなものかと聴いてみた。
これが驚いた。
ギターは乱暴で高音ばかりの金属音で、
歌う声もひどく音痴だった。
僕が知り合った、すごくギターの上手い人に相談したら、
初めて自分の歌うのを聴くと他人が歌っているように聴こえる。
ギターの音も録音機器が高音ばかり拾ってしまう。
と言ってくれた。
そして明日会ってアドバイスをもらえることになった。
何とか上手くなりたい。
出会いに感謝です。
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これでいいのだ
何かいい感じになってきた。
僕が病院の清掃をしている職場で、いつもピリピリしている看護婦さんがいるのだが、
今日は僕が病室の洗面台をきれいにしようとしたら、
気がついたら、洗面台に白髪がいっぱい着いていた。
見たら床にもいっぱい落ちていた。
ここで患者さんの髪の毛を切ったようだ。
僕が何だこのやろうと思いながら掃除機を持って来て毛を吸い取っていたら、
看護婦さんが来て「すいません」と言ってきた。
僕も「毛を切ったのなら言ってください」と言おうとしたが止めて
「(白い洗面台に)白い毛で分からないところでした」「やっておきます」と言って、
看護婦さんも「すいません」と軽く笑って言ってくれた。
これが良かったようだ。
今度は僕が乗っていたエレベーターに、またその看護婦さんが乗って来て、
台車を押していて僕が見えなかったようで、気がついて「あっすいません」と言うので、
僕も「いいですよ」とのんきに言ったら
その看護婦さんは今まで決して見たことのない満面の笑みを見せてくれた。
看護婦さんも余裕が無いだけで、みんな優しい気持ちを持っているのだと思う。
そして僕のいいところは何かのんびりしている、抜けているところ。
よくわからないけれど僕がうまく行っている時は何か余裕がある。
大切なことに集中している時だ。
ブルース・スプリングスティーンの時も、気象予報士の時もそうだった。
これからの次のステージでもそれを目指そう。
このゆとりが僕には必要なのだろう、人生を楽しむには。
僕は上手く行かないと、時々妙に入り込んでしまう時がある。
Take It Easy,
Keep Going!
何かつかめたような気がする。
居場所に行った帰りに、いつもの海に行き、
今日は缶ビールを飲みながらそう感じた。
上手かった。
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ブルース・スプリングスティーン 1990.11.7 ロサンジェルスU.S.A.
ブルース・スプリングスティーンのアコースティック・ライブ映像をブートビデオで観た。
だいぶ前に購入したビデオテープをDVDにダビングしながら観た。
この頃のブルース・スプリングスティーンはEストリートバンドの活動を休止していて、
内面で悩んでいた時期だと僕は思う。
このライブでブルースが自分の内面をさらけ出していると感じた。
派手なスタジアム・コンサートでしか観れなかったブルース・スプリングスティーンを
今回のアコースティック・ライブでは間近に感じた。
すごくパーソナルなライブだった。
僕の好きな「reason to believe」
ブルースが自分に言い聞かせるように歌っていた。
人は何があっても何かしら信じる理由を見つけて生きる。
人は強いものだと信じている。
僕はこの曲に励まされて生きてきた。
この日のアコースティックライブは普段聴いている演奏と違うアレンジなので歌詞をよく聴かないと曲がわからない
「my father's house」
以前音楽雑誌ロッキングオンでブルーススプリングスティーンのMC特集があり、
このライブでのMCが和訳して載っていた。
それを思い出しながら聞いた。
ブルースが相談した医者に
「過去の嫌だった事をもう一度やり直そうとしても出来ない。それはやってはいけない事」
だと言われたと。
父との葛藤は修復出来ずにいつまでも残ったままでいる。
この曲では歌われている。
でも僕はそれを25年かけてやった。
父とも父が亡くなる前に和解した。
ブルース・スプリングスティーンのライブにも行ってきた。
そんなことをこのライブを観ながら思い出した。
僕はトム・ジョード・ツアーを友人の手助けで96年にサンフランシスコに行って観てきた。
その時に現地の人と友人を通じて知り合った。
ライブの帰りに友人の車に3人で乗った時に話をした。
「今までで一番良かったブルース・スプリングスティーンのライブは何ですか」
と現地の人に聞いたら、この1990年のアコースティックライブだと話してくれた。
このライブを観た人はそう感じられるだろうだと僕も思った。
その日のトムジョードツアーでのライブで、
その現地の人は最前列で観れて、ブルースが握手してくれたと話した。
そこで僕は別れ際にその人と握手してブルースと握手した気持ちになりうれしかったのを覚えている。
そして僕は2009年にボストンでスプリングスティーンのライブに行って彼の腕をなでてきた。
やわらかかった。
そんなことを思い出しながら観ました。
僕はブルース・スプリングスティーンのライブには
何か人とのつながり、親密さの大切さ、温かさを思い出させてくれると思っています。
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カラオケに行きました
皆さん年配の方の中で、僕は幹事役をやらせていただいている。
今回から業務課長から業務部長に昇進した。
辞めた職場の人たちとのおつきあいを続けられているのが初めてで、
いろいろ教わっている。
飲んで、いろいろ話して終わった後、
今回この集まりでは初めてカラオケに行くことになった。
皆さん年配の方で一人の人はよく行くようだが、
僕がいろいろ教えていただいている人は28年ぶりに歌うと言っていた。
28年前に何があったのか聞かなかったが、僕にとって貴重なカラオケとなった。
歌った曲がすごい。
「王将」「憧れのハワイ航路」
そして僕の大先輩が「高校3年生」。
歌詞にある、匂う(におう)黒髪を思い出すと言って歌っていた。
僕も何か好きな歌を歌いなさいと言われて、
「長崎は今日も雨だった」を歌わせていただいた。
そして気分が良くなり、僕は「ハングリーハート」を歌おうと思ったが、それは止めておいて、
「イエスタデイ」を歌った。
これが失敗した。皆さんじっと黙って聴いてしまった。
それから沖縄に勤務された話になり「20の春」を歌うと言われたが、曲が出ないで
「19の春」だったと言って、19歳に戻してと歌っていた。
とても貴重な体験をさせていただいた。
そのなかで僕の大先輩が今も前の職場に残っている初参加の人に、
一度だけ「あの時こうしてほしかった」と話した。
そしてその後は親しくつきあう。
大人のつきあいだなと思いました。
勉強になります。
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海での風向
父の居るお墓をきれいにして、
墓地の奥にある海にいった。
初めは快適だったが、何となく体がかゆくなってきた。
北東風が少し吹いていたのだが、
僕がいつも座って海を眺める岸壁の北東側に清掃工場がある為、
清掃工場からのチリや小さな虫が風に乗って流れて来たようだ。
僕のいつも行く海はどうも北東風は具合が悪い。
その代わり南風が吹くと海からの風で快適になる。
海に行く時は風向も考えなければいけないのだなとあらためて思いました。
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巻積雲 うろこ雲が出現
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警備員の思い出
以前、大学の警備員だった時のちょっといい話を書きます。
僕は気象予報士試験の勉強が出来て、収入もある程度得られるので
大学の警備員をしていたことがありました。
そこでは朝から翌朝まで24時間警備をして、24時間が明けの休みで、
また24時間警備をするシフトでした。
夜は大学の学生は夕方帰って、先生方も夜9時ぐらいには帰られて、
その後、熱心な大学院生が残って0時ぐらい迄研究していました。
熱心な女子院生はいつも最後まで残っていて、翌朝も8時には来ました。
その院生は熱心過ぎてか顔もやつれて顔色が悪くて、朝になり大学に来るのを見かけるとふらふらしていました。
僕が朝、正門で警備で立っていると、何かカタッと小さな乾いた音がしたので、
音のした方を見ると、その院生が正門の扉のレールに足をひっかけてよろめいていました。
そんな研究熱心な大学院生でしたが、
結局卒業後の就職は研究職には採用にならないで、営業職でしか採用にならなかったと聞きました。
僕はあんなに一生懸命に研究していたのにと残念に思いました。
卒業する少し前に0時過ぎに研究室の鍵を返しに来た女子院生に話をしました。
研究職には就けなくても、自分で研究を続けていけたらと僕が話したら、
研究するには設備が必要で、自分独自には出来ないと話していました。
僕は何も言えませんでした。
でもその院生が
「やるだけやったからもういい」
と言って帰っていきました。
その言葉が僕に強く残りました。
彼女だからそう言えた。僕もそれを分かった。
警備員をしていてよかったと思いました。
それから数日後、卒業する何日か前、夜に僕が館内を巡回して研究室の横を通ったら、
その院生が顕微鏡を楽しそうにジッと見ているのが廊下から見えました。
その楽しそうに顕微鏡を覗いている彼女の表情を今でも覚えています。
その2年後、僕は気象予報士の試験に合格しました。
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余裕がなかった
あっさりと解決した。
病院の清掃の仕事をしていて、看護婦さん、ヘルパーさんに不満を持っていたのだが、
看護婦さんたちは僕にやつ当たりしているのでも何でもなく、
ただ忙しくて僕の事まで気が周らないだけなのだ。
次にやらなくてはいけない事を考えていて、
僕が掃除をしていようが、いなくても目に入らないのだと。
あえて言えば看護婦さんにも僕にも余裕が無いのだ。
更に言えば看護婦さんの優先順位の一番は患者さん。
僕の優先順位一番は「6割理論」で言う僕の「やりたいこと」。
そのやりたいことの為に僕は働いているのだから。
どうも病院の清掃というのは一般の清掃とは異なることに気がついてきた。
清掃作業7割、コミュニケーション3割というところか。
ふと昔やった大学の警備員の仕事を思い出した。
これも問題無く業務を行っていればいいだけで、見せる警備とか言われて、
警備しているぞと周りに分からせるのが大事だと言われた。
その中で僕は大学の先生や大学院生を毎日観察して自分なりにおもしろいことを見つけていた。
それが仕事にも役立っていた。
今の病院の清掃もやることはおさえながら、
余裕を持って働けたら何かおもしろみが出てくるのではと思った。
それが「6割理論」にもつながるのではと思いました。
それにしても僕は気の持ちようというか、
気持ちが折れてしまうと一気にネガティブに走ってしまうのだなと身に染みて思いました。
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